私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史秘話 ヒストリア 黒田長政

2014-04-24 13:06:11 | 歴史探索
 4月24日(木)  天気:晴れ  室温:23.1℃

 きょうは きのう23日に NHKで 放送された ”歴史秘話 ヒストリア” を アップします。
今回は 黒田官兵衛の息子・黒田長政で ~もうダメ武将とは 言わせない~・・官兵衛ジュニア長政
の苦悩・・。 黒田家を襲った恐怖の怨霊伝説 です。
 今回の歴史秘話では 知りたいことは あまり出て来ず 後半は 黒田24騎の一人だった 後藤又兵衛
のことが多く 又兵衛の子孫が 今も 槍を保管しているのには 驚きます。 秘話なので 歴史の表面には
出て来ない 埋れた話を 紹介する番組だからでしょうか?

 官兵衛については 大河ドラマにもなり 大まかなことは 分かるのですが 長政は 関ヶ原のあと 九州・
筑前へ行ってしまうので 詳しいことが 分かりません。 知っているのは 子ども(松寿丸)のとき 信長に
人質として出され 秀吉の妻・おねに 育てられたこと、筑前に 福岡城を建て 福岡藩が いまの福岡市に
なったこと くらいでしょうか・・・。

 永禄11年(1568) 長政は 官兵の長男として生まれ 松のように 健やかに育つよう 松寿丸と
名付けられました。

 幼少のとき 父を亡くした後藤又兵衛が 引き取られてきます。 家族同然に育てられ 官兵衛は 我が
子のように 可愛がります。 又兵衛の方が 年上で 体も大きく しっかりしていたようです。 官兵衛は
我が子・松寿丸より 又兵衛の方が 優れているのでは 思っていた? 松寿丸の心は 揺れます。

 天正5年(1577) 10歳のとき 人質として 信長に差し出され 秀吉の長浜城で おねに育てられます。
周りは 知らない人ばかり・・。 官兵衛が 有岡城に幽閉されると 裏切ったと思った信長が 松寿丸を
殺せ! このときは 竹中半兵衛の機転で 松寿丸は 助かりますが 女の子の恰好で お松と名乗らさ
れ 岐阜のお寺に かくまわれた?  長政の苦悩、 試練は 続きます・・。
 2年後の天正5年(1577) 10歳のとき 父・官兵衛と再会します。 官兵衛は またも 玉松という子
を 引き取ります。 長政は 父への反発から 父とは 正反対の武将になろう・・・。

 天正15年(1587) 中津へ移り 名を 長政と改めます。 官兵衛の兜には なんの飾りもありませんが
長政の冑は 水牛の大きな角があり 戦場では 猛牛のように 先陣を切って 突進します。 この形が 後
に 映画の怪獣モゴラになった? あるとき 戦場で 突撃し 誤って川に落ちてしまい・・。 あわや溺死?
味方が 長政の兜の角を見付け 助けてくれます。 命を落とすところでした。 官兵衛は 長政の行いを
”匹夫の勇なり” と 諭します。

黒田家を襲った怨念とは・・・・中津へ移った長政は 官兵衛の居ないとき 宇都宮鎮房と戦います。
 部下が止めるのも聞かず 攻め込み・・。 敵のワナにはまり 命からがら 逃げかえります。

 翌 天正16年 宇都宮鎮房と和睦を結び 中津城で 会うことに・・。 このとき 長政は 宇都宮を騙し
討ち。 鎮房や家臣を 惨殺。 飛び散った血で 壁が 赤く染まり 壁を塗り直しても 赤いまま・・。

 このため 黒田家は タタリに 襲われる・・。 宇都宮鎮房の墓は 胴を切られたため 墓石の
胴が割れ 父親は 首を切られたため 墓石の首に ヒビが入り・・。


 これに 懲りた長政は どうすれば 立派な武将になれるか。 従わない家臣に 長政は どうしたら
信頼が得られるか・・。 思案の末 腹立てずの会を開き 家臣の意見を聞く。 こうして 少しずつ
信頼を得るようになります。 戦いのときも 先陣を切らず 武勇に秀でた家臣に 先鋒を任せ 手柄
をたてさせる・・。 徐々に変身していきます。
 また 父・官兵衛は いろいろ考え 家督を 長政に譲り 責任を持たせる。 死期が近くなると この
まま いい父親で 死ぬと 長政は やりにくい。 官兵衛は 悪役を演じ 部下を困らせる・・。

 慶長5年(1600)33歳のとき 関ヶ原の戦いでは 官兵衛譲りの策略で 小早川、吉川を 密書で
裏工作をして 豊臣を裏切り 東軍の家康に付くよう説得。 これには 裏話があるのですが・・・。
 家康も 長政に並ぶ者なしと 誉め 筑前52万石を与える。 このとき 長政が 感状を 右手で 受け
取ったか 左手で 受け取ったか? 父・官兵衛は 本当に このようなことを 言ったのでしょうか?

 このとき 東には 敵対関係にある細川家があり 又兵衛に 境界近くの益冨城を 任せるのですが
又兵衛は 勝手に他家と書状を取り交わす。 長政が そういうことをしないよう 誓約書を書けと言
うと 又兵衛は 黒田家を出ていく・・。 この後 又兵衛は 牢人となって 京都、大坂を彷徨う。

 ここで 又兵衛の子孫という人が 出てきて 又兵衛の槍を見せてくれます。 長さ3m40cm? 又兵衛
は 牢人中も 毎日 槍を磨いていた・・。 又兵衛の子孫がいることも 槍が残っていることにも 驚きます。
 ある戦いで 長政が 敵の武将と 必死に戦っているとき 半兵衛は 傍で見ているだけで 手助けしません。
長政が なんとか敵を倒し なぜ助けてくれないのだ 言うと 半兵衛は あの程度の敵にやられるようでは・・・。

 又兵衛が 飛び出して 7年。 慶長19年(1614) 大阪冬の陣。 翌20年 夏の陣。 豊臣秀頼は
諸国の牢人に集まるよう書状を出します。 又兵衛は これに応じ 豊臣方として 参戦。 長政は 徳川
方として 参戦。 かっての仲間は 敵味方に分かれて 運命を決する戦に 挑むことになるのです。

 しかし 多勢に無勢。 又兵衛は 大坂城の落城と共に 露と消える。 享年56歳。
ここで 私の”イフ ”。 又兵衛が 真田幸村と 一緒に 突撃し 家康目指して 突進していたら・・・。

 長政は 筑前に 福岡城を建て 名将へと成長していく・・。 頼もしい家臣・24騎に支えられ 名君と
して 名をはせる。 全国から職人を集め 現在の福岡市の基礎を築く。 徳川幕府に献上するため
博多帯を奨励し 瓦職人が 博多人形を作るようになり・・・。 1623年 長政没。 享年56歳。
 しかし 備前 長船を知らないと思われる 長政が なぜ 筑前の城に 福岡城と名付けたのでしょう。

 今回の歴史秘話ヒストリアは 不完全燃焼で 終わってしまった・・・・・。

≪追記≫ インターネットを見ていると 長政の妻について 次のような記述がありました。
 黒田如水には 幸圓というただ一人の正室が居たが、長政には 時を違えて 3人の正室が 居た。
 本能寺の変のあと 秀吉のはからいで 1584年(天正12年)秀吉の養女となった 蜂須賀正勝の娘
 糸姫 を娶る。 その後 中津では 宇都宮氏との和睦のために 娘 鶴姫(千代姫ともいう)を 娶ることになる。
 関ヶ原の合戦の前 徳川軍に付いた長政は 糸姫を離縁し 家康の養女・ねね姫(保科正直の娘)を
 家康の命で 娶ることになった。 離縁された糸姫は 黒田家を去ったが その後の行方は 分からず・・・
 また 鶴姫は 父宇都宮鎮房が 中津城にて 誘殺されたとき 対岸の河原で 磔(はりつけ)にされ 最期を遂げた。
 ねね姫は 長政に嫁いで 間もなく 関ヶ原の合戦の前 如水の妻・幸圓とともに 大坂天満の黒田屋敷に居た折
 石田三成の人質要請の難から 母里太兵衛等の機転により 九死に一生を得て 無事 中津へ帰り着いた。
 ねね姫は 筑前52万石の太守となった長政の正室として 四男二女をもうけ 幸せな一生を送った。
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エルミタージュで 和布小物

2014-04-23 13:59:52 | ギャラリー散策
 4月23日(水)  天気:晴れて暖かい  室温:22.6℃

 きょうは 買い物に出かけた帰りに 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ寄って 「和布小物展」 を見てきました。
前回 火曜日に行くと 車が いっぱいで 停められませんでしたが 水曜日が 空いていると 聞いたので きょう
行くと 駐車場は 空いていましたが 小物展は お客が多い・・・。 これっ というモノは ありませんでしたが・・。
キルト風の小布を 縫い付けたものがありました。 入口には 着物のリメーク とありましたが・・。







 きょうは 天気が良かったので 地元の朝日山や 檀特山は 新緑に輝いていました。 咲いていた
レンゲを摘んで この前の陶芸展でもらった 織部の一輪挿に 入れてみました・・・。 

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WEARCHで SIND原口 春夏の衣

2014-04-21 15:33:02 | ギャラリー散策
 4月21日(月)  天気:小雨  室温:19.8℃ 肌寒い

 きょうは たつののギャラリー結へ行った帰りに 網干区高田の古民家ギャラリーWEARCHへ寄って
SIND原口さんの ”春夏の衣” を見てきました。 SIND 原口良子さんの展示は 昨年の秋 ”秋の衣”
で インドの柿渋染めを 見せていただきました。 これは 10月 4日 でした。
今回は 季節の爽やかな色合いに 似あう サマー・ダークで 上品な染色です。
 原口さんは 染色の面白さは 無限大です。 大胆なぼかし染めや ボーダー染め、ブロックプリント等。
自由な発想で 取り組みました。 染めとデザインの新しいスタイルを お楽しみください。

 谷名さんは 日本の伝統とインドの手仕事を 融合させた美しい布が シルクや 麻の素材で 涼しく体を
包んでくれます。 季節の爽やかな色合いに 似合うサマー・ダークで 上品な染色は 昨秋の [ 秋の衣 ]
と合わせて コーディネイトも 楽しめます・・・。

 インドの手仕事 : 彼女の衣のブランド名であるSindは 旧インド(現パキスタン)のシンド地方
に由来する。 ここは インダス文明の発祥地であり 以前より 綿の産地として知られている。
 インドの国中が 布の産地ともいえるほどで 訪れるたびに 新しい布や 染めとの出会いがあった。
現在 柿渋染めに 使用している布は すべて インドの手織の布で 産地ごとに 異なる多様な布を
集めてきている。 「自然の息づかいが 聞こえてきそうな 生命力のある 布。 そうした 美しい布
に出会うと 染めのデザインが 浮かんでくるんです・・・・」


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土井康生 鉄の華灯り

2014-04-21 15:15:39 | ギャラリー散策
 4月21日(月)  天気:小雨  室温:19.7℃ 肌寒い

 きょうは たつの市龍野町のカフェギャラリー へ行って ”土井 康生 鉄の華灯り” を見てきました。
 土井さんの鉄行燈は 結で 昨年 4月21日 ”鉄の華灯” を見たことがあります。 上郡のギャラリー静匠と
イーグレひめじでの 龍美会(2013.7.19) でも 見ました。 帰り際 土井さんが来られ お会いすることが
できました。  今回は ”播磨の青”の展示もあります。
 10:41 出発。 太子町から 国道179号線で たつの市に入り 揖保川に架かる龍野橋を渡り 北へ下ると
角が カフェ・ギャラリー結です。 すぐ先に 停められます。 11:03 駐車。 ここまで 8.9km。
小雨が 降っていますが 春雨じゃ 傘なしで・・・。
 きょうは 村井さんの ”播磨の青” も 展示されていますので そちらを 先に見ます。

 村井智美さんは 西脇市で ご夫婦で 播磨藍 という屋号で 藍のスクモづくりをしながら 冬の農閑期に
機織りをされています。 大学卒業後 沖縄で 藍染めや草木染めの工房で 働きながら 6年過ごされま
した。 その後 自分自身が感動できる布づくりをしたいと 地元に帰り 丹波布伝承館で 2年間 伝承生
として 綿の糸紡ぎから 染め織までを 学ばれました。

 そして 藍師のご主人と出会い 娘のはるさちゃん(沖縄で畑の人の意)の子育ての合間に 綿の種
蒔きから 綿作り、糸紡ぎ、染織、織り、縫製まで コツコツと つくられています。 使えば使うほど 味の
出る 誠実で 率直で 美しい布たちです。 そんな布の大小様々な巾着を 中心に 展示します。




 ここからは 土井康生さんの ”鉄の華灯り” です。 3月27日に新聞に 載っていましたが 今回は
案内状などの資料が 何もないので 詳しくは 昨年の4月21日のページを 見てください。





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書写の里・美術工芸館

2014-04-19 13:45:55 | ギャラリー散策
 4月19日(土)  天気:晴れ  室温:23.6℃

 きょうは 書写の里・美術工芸館へ行ってきました。 きょう あす 交流庵で 「長生蘭・石斛(せっこく)の
花と富貴蘭展示会」 をしています。 本館・展示室では 「清水清逸の書画展」 をしていますが こちらは
写真禁止・・。
 10:02 出発。 国道2号線を東へ行き 夢前橋を渡り 左折して 北へ。 最初の信号で左折して 夢前
川を渡り 川の右岸を北上します。 この道は 車が少なく走りやすい。 真っ直ぐ走ると 書写の里・美術
工芸館に着きます。 10:36 広い無料駐車場に 車を停めます。 ここまで 13.7km。
まず 交流庵へ 「長生蘭・石斛展」 を見に行きます。 愛好者が 何人か 来られていますが みなさん 縁側
の即売コーナーで 品定め・・・。 展示品の方は 誰もおらず やや 寂しい・・。





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 本館の展示室へ行きます。 春季特別展 清水公照 創作と交流の軌跡 「清水清逸の書画」 が行われ
ていますが 撮影禁止です。 清水公照の愛弟子 逸散人の水墨画と書画

 清水清逸(1923-2005)は 宝塚で 医業を営んでいましたが 東大寺の清水公照に 長年 師事し
清水公照が 「拙散人」 と号したように 清逸は 「逸散人」 と号し 公照と相通じる数多くの書画を残しま
した。 清水公照の作品に見る豪放さとは また異なる 穏やかな筆遣いが 独特の魅力をもち 観る者に
安らぎを与えてくれます。 この展覧会では 清水清逸と清水公照の書画を通して 二人の交流の足跡を
たどります。  公照と清逸は 一回り違う 同じ亥年生まれだそうです。 まず 筆の持ち方から・・。





 公照と清逸の展示を見ましたが 二人の書画を通して 二人の創作と交流の足跡を たどることは でき
ませんでした。 駐車場の手前に 桜が咲いているので 見ていきましょう。 枝垂れでは ないようですが
下向きに咲くピンクと 白の八重咲きの桜が 見頃です。 赤い葉が 出ているので 山桜?


 帰路 道路沿いの街路樹の並木を見ながら 走ります。 ヤマボウシ? ハナミズキ? 赤と白の
コントラストが 鮮やかです。
 本日の走行距離は 往路:13.7m 復路:15.2kmで 計:28.9kmでした。
帰りに寄り道して 買い物をしたので 1.5kmほど 距離が 長くなっています。

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