私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

兵庫陶芸美術館で 「中国陶磁名品展」

2012-10-03 15:23:01 | ドライブ

 10月 3日(水)  天気:晴れ   室温:28.1℃

 きょうは 丹波・篠山まで ドライブし 兵庫陶芸美術館で行われている 「中国陶磁名品展」
を見てきました。 これは 日中国交正常化40周年記念ということで 東京富士美術館所蔵の
中から 125点を 厳選し 展示・紹介したものです。 中国の陶磁器の勉強になるかと思った
のですが 知識のない私には ”猫に小判”・・・。  陶芸美術館は 丹波の近代建築?
 丹波へ行ったついでに 法道仙人の開基といわれる 高仙寺に お参りしました。

 9:26 出発。 きょうの姫路バイパスは 下り・西行きは トラック同士の事故で 渋滞ら
しいが 上りは 問題なし。 姫路バイパスから 9:50 花田ICへ。 播但道を 12.9k
m(400円) 走り、10:00 福崎ICから 中国道へ。 中国道を 20.1km(450円)
走り 10:15 滝野社ICを降ります。 信号を左へ左へ曲がり 藤田の信号で 左折して
国道372号線に入ります。

 上小野原の信号で 右折して 県道292号線を南へ。 10:45 県立陶芸美術館の駐車場
に 車を停めます。(無料) 家から 81.0km、1時間20分ほどです。
 ここは 虚空蔵山の西麓です。 西には 二等三角点の上山がそびえ 左肩には 反射板が
乗っています。 場所を変えると 白髪岳も見える 景色のいいところです。
 入口で 観覧料1000円を払おうとすると 高齢者は 割引がある・・。 免許証を見せると 500
円になりました。 JAFの会員証があると さらに割引? 500円なら 高くはない?
 エレベーターで 3階へ上がり 渡り廊下を歩いて 展示室へ。

 展示室は 撮影禁止なので 建物など 撮れるものを盗らないと・・。 上の写真の見本の
「名品展」は 1600円で ちょっと高い・・。 厚さが 1センチほどあったので 厚さが1/3
で 600円だったら 買うのに・・・。 特に 中国の陶磁器の産地が 載っているページが見
たいのに・・。 中国には 景徳鎮など 有名な所が 七ヶ所ある? 昨年だったか NHKで
そういう番組が放送され 中国陶磁器に すこしは 関心があるのですが・・。 NHKの番組は
「悠久の中国 やきもの紀行」 という番組だった?
 中国では 耀変天目は 不吉なものとして 壊していた? 日本では 国宝?

 世界四大文明の一つ 黄河文明の発祥の地である中国では 約1万年前に 「やきもの」 が
誕生し 優れた造形美術と 高い技術によって 世界の陶磁器をリードしてきました。
 新石器時代の彩陶や 灰陶などに始まり 紀元前15世紀の商時代には いち早く灰釉陶器
が生み出されました。 その後 前漢時代には 鉛釉陶器が 盛んに作られ 後漢時代には
青磁が誕生しました。 唐時代になると 東西交易が盛んになり 唐三彩のような 国際性豊か
なスタイルが生み出されました。

 宋時代になると 青磁・白磁は 完成度を増し 北部の金では 掻き落としや 上絵付けによる
器面装飾が始まりました。 元時代には 青花磁器が 生み出され 明時代には 色鮮やかな五
彩磁器が 花開きました。 さらに 清時代には より鮮やかな色彩の粉彩磁器が 開発されました。

 本展覧会では 日中国交正常化40周年を記念し 日本有数の中国磁器コレクションで
ある 東京富士美術館所蔵品から 125点を厳選し 中国磁器の悠久の歴史を紹介します。
  ・・・・・・以上 パンフレットより
 私としては 中国磁器の産地ごとの特徴なども紹介してほしかった。




 最後の部屋は 「アーティスト・イン・タンバ」 として 第7回となる今回は 独特の質感と
かたちを追求して 生まれた器(せっき)シリーズで知られ 近年 活躍の目覚ましい作家
の一人・三原 研氏(島根県生まれ) を お迎えしますということで 装飾性の強い 初期の作
品から 器シリーズの最新作まで 23点の作品が 展示されています。


 建物の外を見て廻り 車に戻り 一息入れ 11:33 車を出します。 白髪岳の東麓に
松尾山・高仙寺があるので 行きましょう。 高仙寺が 法道仙人の開基であることは 調
査ずみです。 国道372号線に戻り 東へ登ります。 左に 二等の白髪を見ながら・・・。


 福知山線の踏切を越え 国道176号線に合流し 北へ下ると 国道脇に 高仙寺があり
山門が見えます。 が 通り過ぎて 引き返しました。 陶芸美術館から 9.2km、11:48
お寺の前に 駐車。
 山門を潜ると 奥さんが掃除をされてました。 縁起を書いたものはありませんかと 尋ねる
と 中に 住職がおりますから・・と言われ 本坊を覗くと 北海道から 墓参りに来られた お客
さんが ちょうど 帰られる所で・・。 縁起書を頂くだけで 良かったのに いろいろと お話させ
て頂きました。
 火事で焼けた本坊を 50軒ほどの檀家のお陰で 建て直すことができた・・。 壇家の人と
6年かけて 西国33ヵ所を廻るとか・・。 善光寺へも寄るそうです。
 そういえば 9月の歴史教室で 西国33ヵ所観音霊場を 勉強しましたが 江戸から 西国3
3ヵ所を巡るとき わざわざ 中山道で 善光寺に寄る という巡礼者も 多かったようですが こ
れには 訳があるようです。 2、3日前 女優の仁科亜季子が 善光寺にお参りする番組を して
いましたが 善光寺は 仏教の宗派が できる以前からある古いお寺で どの宗派にも 属さな
いとか・・。 今は 浄土宗と天台宗の僧侶が 交替で 住職を務める・・・。 西国33ヵ所の番
外札所となっている。
 ここは 天台宗のお寺だそうで 播磨には 天台6ヶ寺があるというと ここも 丹波三山の寺
とか・・。 他の二山は 文保寺と龍蔵寺? 私が 網干から来たと言うと 網干にも 天台宗の
お寺があると 言われましたが 太子町の斑鳩寺のことでしょうか?
法道仙人のことやら 16弁の菊花紋は 天台宗の神紋とか・・・いろいろ お聞きしました。


頂いた松尾山・高仙寺縁起は 長文なので 大部分は 割愛させて頂き さわりの個所だけ・・。
    誓願に すがる心を 松尾山 慈悲は常盤に 変わらざりけり
 抑抑 当山は 人皇36代孝徳天皇の御宇大化元年 法道仙人ご来場 松尾山上に 草庵を
結び 御自ら一刀三礼十一面観世音菩薩の霊像を刻み給い 高仙寺と称し 永く 仏法弘道の
霊場となし給うたのであります。 丁度 今を去る1300有余年前のことで 当時 この地方は 不
毛、未開であったと推測されます。  仙人は 仏法の尊い教えを以って・・・・
 それから 300年後 当寺が 荒廃したので 桓武天皇その由を きこ召しまして 天台宗宗祖
伝教大師(最澄) に 修理改修の勅命を 下し給うたのであります。 ・・・・
 日本史上 戦国の暗雲時代から 暫く 黎明の期に至って 明智光秀 丹波平定に際し 高城山
波多野秀治氏等の戦禍が 当山にも及び 七堂伽藍 灰燼に帰し 全山一物も残さず・・・。
 然し 幸いにも ご本尊様のみ 彼の大杉の下に ご避難遊ばされたとも伝えられ・・。
太閤秀吉 天下を平定し 戦禍災厄の償いに 朱印状を下し・・・再興再建に致したことは 古文書
によって明らかであります。 宝永四年 本堂等再建なり 落慶法要を営みました。・・・・
 然し 明治維新の廃仏棄釈の法難に遇い 寺領朱印地は 勿論 山林まで 国に没せられて
衰退 甚だしく ・・・ 大正10年10月 当地に移転 御本尊御開扉と共に 落慶供養会を営んだ
のであります。 以来 33年目の御開扉の年を 迎えたのであります。・・・・親しく 慈光を拝し
現世安穏浄土の現当三世の果報を まぬかれたいと 念ずるのであります。
   昭和29年4月 松尾山高仙寺 御本尊開扉に際し 記す。 住職 葉上 実範 之 記


 松尾山の頂上にあった高仙寺は 大正10年に 麓の現在地に 降ろされたようです。
本坊は 禅寺のような簡素な造りですが 本堂は 唐破風の屋根で 彫り物も立派です。
天台宗のお寺は あまり 豪華な飾りものはしないそうです。

 そうそう 火曜日だったか 日光東照宮の番組がありましたが 家康を祀るため 三代
将軍・家光が 超豪華な建物を建て 現在のお金で 約2000億円使ったとか・・。 家光
は 案外安く上がったなあ と言ったとか・・。 住職さんは 家康~家光三代に仕えた僧・
天海?が 諸国の大名に 大金を使わせ 財力を奪うよう進言したとか・・。  寛永寺が
天台宗のお寺なので 住職さんが よくご存知だったのでしょうか? 本坊には 天台宗
の開祖・最澄の絵が掛けてありました。 最澄は 空海とともに 遣唐使として・・・。


 12:28 帰路につきます。 来た道を戻ります。 国道372号線を 26.4km ひた走り
13:05 滝野社ICから 中国道に入り 加西SAで 昼食(ラーメン580円)を食べ 13:42
福崎ICで 播但道に廻ります。 13:52 花田ICを通過し 姫路バイパスを走り 14:37
家に帰ってきました。
 家に帰り これで 法道仙人開基のお寺が 一つ減ったと ノートに記録しました。 が
きょう 丹波三山を教えていただき 文保寺も龍蔵寺も 法道仙人開基のお寺で 二つ増
え・・。 以前 仰臥する乙女の胸のように愛らしい三国ヶ岳と 豊満な女性の乳房のような
双耳峰の愛宕山(太平三山)に登ったとき 龍蔵寺は 訪れたことがあります。

 記憶帳を よくよく見ると たつのの恩徳寺が 法道仙人開基のお寺かも・・。 播磨の戦争
遺跡をめぐり 砲弾型 「倶会一処」の忠魂碑+機雷を 見に行ったお寺です。  恩徳寺は
得道(徳道?)上人の開いた お寺 ということになっていますが 法道仙人の開基とも・・・。


本日の走行距離は 往路:陶芸美術館まで 81.0km、高仙寺まで 9.2km、復路:
84.3kmで 計:174.5kmでした。 ガソリンを入れてから 388km走りましたが
燃料計は 3目盛減り・・・。
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コメント
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