10月 8日(月) 体育の日 天気:晴れ・雲 室温:25.2℃
きょうは 神河町まで ドライブし 福本陣屋跡などを 訪れました。
先日 送ってもらった ひょうこツーリズム協会発行の ”ひょうごのまち歩き” を参考に
( 県民だより ひょうご 10月号に 「ガイドブック」 発行の記事が載っていました。)
No.44 ”神河町の粟賀荘と福本藩を歩く” の 福本陣屋・福本藩邸庭園、徹心寺、銀の馬車道
交流館(休み)、法楽寺。
飛鳥時代の播州犬寺伝承の地 法楽寺、 秀吉・家康に仕えた池田輝政の子孫が築いた1万石
の城下町 福本陣屋跡など 歴史ロマンあふれる散策。 法楽寺は 以前 訪れたので パスし
代わりに 北の大山にある七宝寺を 訪れました。 福本にある宝篋印塔も 訪れたかったのです
が 難しいところにあり 簡単には 行けないそうなので 止めました。
No.45 ”爽やかな田園風景に出会う” の 新野水車の郷、正法寺、熊野神社。
新野の水車の歴史は 古く 元禄六年(1693) 以前から 存在していたという。 流量の豊かな
水路に 直径約3mの水車が 11基点在。 近くには 清流にしか生育しないバイカモ(梅花藻)が
見られ 自然豊かな田園風景。 守るべき日本の原風景に出会える。
8:29 出発。 姫路バイパスは 休日だからか スムースに走れ 8:53 花田ICから播但道
に入り 9:13 神崎南ランプを降ります。 花田~神崎南間は 26.4km、700円でしたが
休日割引があるはず。 神崎南は ETCカードを外して 支払わなくては ならないのが・・。
国道312号線に出て 神崎高校を東へ入ると 大歳神社です。 神崎南ランプから 1.3km、
福本 揚羽ホールの広い駐車場に 9:16 車を停めました。 前の屋台蔵では 祭りの準備をし
ています。 揚羽ホールの揚羽は 池田輝政の揚羽紋から きていると 思われます。
大歳神社の大鳥居の横に 福本藩 陣屋跡の標柱があり 鳥居を潜ると 説明板があります。
ここに 慰霊塔がありますが 播磨の戦争遺跡? 後ろには 明治百年記念とあります。
石段を上がり 神社の境内に入ります。 右に 大きな池があり 福本藩の庭園の名残。
説明板によると
この地は 明治維新まで 約200年の間 神崎郡北部の政治・経済の中心でした。 現在の
大歳神社付近一帯が 陣屋形式の藩屋敷跡です。 陣屋の面影は 本殿の南側に残って
いる 池付近に 往時の庭園がしのばれます。
木々の間に 池が広がり その中の細い道で 結ばれた島に 月見灯籠がある すばらしい
回遊式庭園地である。 又 陣屋の構造は 播磨の小藩と違い 藩主の屋敷を一体として
竹矢来(竹林?)を組み 防御の体勢をかためています。
大歳神社は 廃藩後 大正二年に 福本字山根から 移されたものです。
この地は 但馬・播磨の国境にあり 北は 天領・生野銀山に接した 交通の要所のため
寛文四年(1663) 徳川家康の外戚にあたる池田政直公(祖父は 姫路城・城主 池田輝政)
が 福本一万石を与えられ 因幡国より 入部。 池田政直から 廃藩置県の八代 徳潤までの
206年間 にわたり 続きました。 現在の大歳神社 全体が 藩邸跡で 社殿のところに 藩主
御殿がありました。 昔は 参道脇に武家屋敷が 並んでいたそうですが 今は 国道沿いに
武家屋敷が 数件残っているだけ・・。
大歳神社に お参りします。 拝殿は 入母屋造りで 簡素な建物です。 向拝もありません。
お祭りの準備のためか 子供屋台などが 所狭しと置いてあります。 古い絵馬が奉納して
ありますが・・。
この庭園は 元禄年間に描かれた絵図面通りに 現存する庭園として 大変貴重で 蓬莱
島を置き 武運長久を祈る大名庭園としての特徴があるそうです。
本殿の回りを廻り 池泉回遊式庭園の回りを歩き 揚羽ホールの裏を廻り 9:42 車に
戻りました。 少し北にある 徹心寺へ行きます。 国道へ出て 300mほど北へ行くと 右が
徹心寺。 前の空き地が 駐車場? 大歳神社から 500m。 坂の上に 山門が見えます。
一関山徹心寺は 池田家の菩提寺で 八代にわたる歴代藩主の墓があるそうです。 墓石
には 池田姓のほか 松平の姓を刻むものもあり これは 慶長14年 池田輝澄公(家康の娘・
督姫と池田輝政との間の 三男) が 家康に謁見し 松平の姓を賜わったためとか・・・。
徹心寺は 寛文年間 初代藩主・池田政直(輝澄の子)が 建立。 開基は 積善院日林聖人。
山門の軒瓦などに 池田家・家紋の揚羽蝶が 見られる。
本堂は 入母屋造、茅葺、宝暦12年(1762) 建立。 山門は 一間薬医門で 切妻造、
茅葺で 天保9年(1838)の建立。 開基以来 現在に至るまで 珍しい茅葺屋根の寺と
して知られており 本堂と山門は 県指定重要有形文化財(建造物)。 山門の板扉の金
具に 銘刻が残っています。 揃って 茅葺で 古雅な風情を醸し出しているだけでなく 装
飾性豊かな独特な形式をもっている点で 歴史的価値は 高い・・・。
山門を潜り 境内に入ると 奥にいた黒犬が 鳴いたので 若い住職さん?が出て来ら
れた。 これは 狛犬ですか? と聞くと 羊だそうで・・。 石燈籠、石仏、羊像は 時代
は分からないが 朝鮮から来たものだそうです。 山門の扉金具の刻銘も教えていただき
ました。 かすかに 天保の字が読めます。
法楽寺の犬伝説から出てきたような 黒犬は 人懐こい犬で かまってほしくて 鳴いたよ
うです。 近くへ行くと 仰向けに寝て 腹を見せ 撫でると嬉しそうに 尻尾を振り・・・。
奥の墓地は 行きませんでしたが 手前側にあった 五輪塔には 妙法蓮華経 と 彫って
あります。 五輪塔には 空風火水地 と 彫るものと 思っていましたが・・。
10:06 徹心寺を後にして 銀の馬車道交流館へ向かいます。 福本の信号で右折して
神崎総合病院の東の細い道を進むと 徹心寺から1.3kmで 交流館。 ところが シャッ
ターが閉まっていて 土日は 祭で休みの張り紙が・・。 きょうは 月曜日で 祝日ですが・・。
まあ 馬車道には 興味はないし 入手したパンフレットを見ても 見るものはなさそうだし・・。
交流館の前の古民家でも見て 七宝寺へ行きましょう。 ん? 古民家があるということは
この道が 馬車道で 昔の街道? 隣のお店もレトロな雰囲気です。
国道312号線に出て 北へ向かいます。 右折する所を通り過ぎ 神崎北ランプまで行き
引き返しました。 右折地点には 大きな石の道標があるのに・・。 坂を登り 駐車場へ。
10:33 駐車。 馬車道交流館から 7・4km。 高台にあるので 見晴らし良好。
西の鉄塔の山が 八幡山かと思って 撮ったのですが 違うようです。 入炭山でもない?
お寺の入口に 「からんころんの石」があります。 説明板によると 今は昔 村の居酒屋に
夜な夜な 酒を購いに来る 美しい娘ありき。 その・・・(中略)・・・のちに 里人 これを娘に変
化せし石なりと称し 「からんころん」に石と名付け 今に残す。 後に 今の地に運び 祖先
の伝承の説を残す・・・。
また このお寺は 「ぼけ封じ 近畿十楽 観音霊場めぐり」 の九番だそうです。 手遅れか
も知れませんが よく拝んでおかないと・・。 裏山は 「薬師山やすやぎの森」 で ハイキン
グコースが 整備されているようです。 帰って 「生野」の地図を見ると 東の山は 882m
の高峰で 等高線も詰まっていて 登るのは 大変そうです。
このお寺が 空海(弘法太子)の開いた真言宗であるためか 裏山には 88ヵ所霊場めぐ
りのコースもあるようです。
このお寺は ともみさんに聞いた通り 法道仙人が開いたお寺でした。 法道仙人は ここへ
も 雲に乗って 飛んできたようです。 法道仙人開基のお寺は 真言宗のお寺が多い という噂
があるようですが・・。 播磨六山、丹波三山などは 天台宗ですが・・。 また 法道仙人と空海
では 時代が 200年ほど違う?
高野山真言宗 七宝寺 略縁起 (本尊:秘仏 薬師如来)
本山は 白雉二年(651) 法道仙人の開基にして・・・日輪を蔵する故 日蔵山と号す。
・・・菊紋拝用の院宣を受けしと伝る。・・・・ 四度 山名・赤松両氏の播磨経略をめぐっての
戦場として 修羅の災厄を受け 堂塔破摧の難を被り 更に 宝暦12年(1762)の落雷に
よる大火に 一山 灰燼に帰し・・・
正面の大きい建物が 本堂かと思いましたが 左にある小さい瑠璃光殿が 本堂だそうです。
奥さんが 車を洗っておられたので 法道仙人の開基ですか? と尋ねると そうです、本殿
のところに書いてあると・・・。
紋のことを聞くと 寺紋は 「下がり藤」 で 真言宗の紋だそうです。 奥さんがおられ 聞き
たいことが 聞けてよかった。
正面の建物の階段には 猫が 悠々と寝そべり 身動きしません。 徹心寺の黒犬と違い
うかつに触ることは できません。
本堂の前には キキョウが 咲いていましたが 道脇には 白いシュウメイギクが 咲いていま
した。 白い花は きれいですが 紅のくしゃくしゃっとしたシュウメイギクは きれいではあり
ませんよね。 京都のお寺にもありましたが シュウメイギクと お寺の関係は?
あまり広くはない境内を くまなく見て廻り 帰路につきます。
≪追 記≫
シュウメイギク(秋明菊)は キンポウゲ科の耐寒性多年草。 白やピンクの一重咲き、紅色の
八重咲きなどがあり、秋に菊に似た花を咲かせるからこの名がある。 別名 貴船菊。 京都・
貴船周辺で 多く見られたことに由来する。 漢名は 「秋牡丹」で 古く中国から渡来した帰化
植物で 日本に入ってきて 各地で 野生化した。 そのためか 自生地も寺の周辺や人里に多い。
「菊の香や 垣の裾にも 貴船菊」(水原秋桜子)。
坂を下って 国道に降りて 国道312号線を 南へ戻ります。
このつづき 新野の水車の里は 新しいページに書きますので そちらを見てください。
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きょうは 神河町まで ドライブし 福本陣屋跡などを 訪れました。
先日 送ってもらった ひょうこツーリズム協会発行の ”ひょうごのまち歩き” を参考に
( 県民だより ひょうご 10月号に 「ガイドブック」 発行の記事が載っていました。)
No.44 ”神河町の粟賀荘と福本藩を歩く” の 福本陣屋・福本藩邸庭園、徹心寺、銀の馬車道
交流館(休み)、法楽寺。
飛鳥時代の播州犬寺伝承の地 法楽寺、 秀吉・家康に仕えた池田輝政の子孫が築いた1万石
の城下町 福本陣屋跡など 歴史ロマンあふれる散策。 法楽寺は 以前 訪れたので パスし
代わりに 北の大山にある七宝寺を 訪れました。 福本にある宝篋印塔も 訪れたかったのです
が 難しいところにあり 簡単には 行けないそうなので 止めました。
No.45 ”爽やかな田園風景に出会う” の 新野水車の郷、正法寺、熊野神社。
新野の水車の歴史は 古く 元禄六年(1693) 以前から 存在していたという。 流量の豊かな
水路に 直径約3mの水車が 11基点在。 近くには 清流にしか生育しないバイカモ(梅花藻)が
見られ 自然豊かな田園風景。 守るべき日本の原風景に出会える。
8:29 出発。 姫路バイパスは 休日だからか スムースに走れ 8:53 花田ICから播但道
に入り 9:13 神崎南ランプを降ります。 花田~神崎南間は 26.4km、700円でしたが
休日割引があるはず。 神崎南は ETCカードを外して 支払わなくては ならないのが・・。
国道312号線に出て 神崎高校を東へ入ると 大歳神社です。 神崎南ランプから 1.3km、
福本 揚羽ホールの広い駐車場に 9:16 車を停めました。 前の屋台蔵では 祭りの準備をし
ています。 揚羽ホールの揚羽は 池田輝政の揚羽紋から きていると 思われます。
大歳神社の大鳥居の横に 福本藩 陣屋跡の標柱があり 鳥居を潜ると 説明板があります。
ここに 慰霊塔がありますが 播磨の戦争遺跡? 後ろには 明治百年記念とあります。
石段を上がり 神社の境内に入ります。 右に 大きな池があり 福本藩の庭園の名残。
説明板によると
この地は 明治維新まで 約200年の間 神崎郡北部の政治・経済の中心でした。 現在の
大歳神社付近一帯が 陣屋形式の藩屋敷跡です。 陣屋の面影は 本殿の南側に残って
いる 池付近に 往時の庭園がしのばれます。
木々の間に 池が広がり その中の細い道で 結ばれた島に 月見灯籠がある すばらしい
回遊式庭園地である。 又 陣屋の構造は 播磨の小藩と違い 藩主の屋敷を一体として
竹矢来(竹林?)を組み 防御の体勢をかためています。
大歳神社は 廃藩後 大正二年に 福本字山根から 移されたものです。
この地は 但馬・播磨の国境にあり 北は 天領・生野銀山に接した 交通の要所のため
寛文四年(1663) 徳川家康の外戚にあたる池田政直公(祖父は 姫路城・城主 池田輝政)
が 福本一万石を与えられ 因幡国より 入部。 池田政直から 廃藩置県の八代 徳潤までの
206年間 にわたり 続きました。 現在の大歳神社 全体が 藩邸跡で 社殿のところに 藩主
御殿がありました。 昔は 参道脇に武家屋敷が 並んでいたそうですが 今は 国道沿いに
武家屋敷が 数件残っているだけ・・。
大歳神社に お参りします。 拝殿は 入母屋造りで 簡素な建物です。 向拝もありません。
お祭りの準備のためか 子供屋台などが 所狭しと置いてあります。 古い絵馬が奉納して
ありますが・・。
この庭園は 元禄年間に描かれた絵図面通りに 現存する庭園として 大変貴重で 蓬莱
島を置き 武運長久を祈る大名庭園としての特徴があるそうです。
本殿の回りを廻り 池泉回遊式庭園の回りを歩き 揚羽ホールの裏を廻り 9:42 車に
戻りました。 少し北にある 徹心寺へ行きます。 国道へ出て 300mほど北へ行くと 右が
徹心寺。 前の空き地が 駐車場? 大歳神社から 500m。 坂の上に 山門が見えます。
一関山徹心寺は 池田家の菩提寺で 八代にわたる歴代藩主の墓があるそうです。 墓石
には 池田姓のほか 松平の姓を刻むものもあり これは 慶長14年 池田輝澄公(家康の娘・
督姫と池田輝政との間の 三男) が 家康に謁見し 松平の姓を賜わったためとか・・・。
徹心寺は 寛文年間 初代藩主・池田政直(輝澄の子)が 建立。 開基は 積善院日林聖人。
山門の軒瓦などに 池田家・家紋の揚羽蝶が 見られる。
本堂は 入母屋造、茅葺、宝暦12年(1762) 建立。 山門は 一間薬医門で 切妻造、
茅葺で 天保9年(1838)の建立。 開基以来 現在に至るまで 珍しい茅葺屋根の寺と
して知られており 本堂と山門は 県指定重要有形文化財(建造物)。 山門の板扉の金
具に 銘刻が残っています。 揃って 茅葺で 古雅な風情を醸し出しているだけでなく 装
飾性豊かな独特な形式をもっている点で 歴史的価値は 高い・・・。
山門を潜り 境内に入ると 奥にいた黒犬が 鳴いたので 若い住職さん?が出て来ら
れた。 これは 狛犬ですか? と聞くと 羊だそうで・・。 石燈籠、石仏、羊像は 時代
は分からないが 朝鮮から来たものだそうです。 山門の扉金具の刻銘も教えていただき
ました。 かすかに 天保の字が読めます。
法楽寺の犬伝説から出てきたような 黒犬は 人懐こい犬で かまってほしくて 鳴いたよ
うです。 近くへ行くと 仰向けに寝て 腹を見せ 撫でると嬉しそうに 尻尾を振り・・・。
奥の墓地は 行きませんでしたが 手前側にあった 五輪塔には 妙法蓮華経 と 彫って
あります。 五輪塔には 空風火水地 と 彫るものと 思っていましたが・・。
10:06 徹心寺を後にして 銀の馬車道交流館へ向かいます。 福本の信号で右折して
神崎総合病院の東の細い道を進むと 徹心寺から1.3kmで 交流館。 ところが シャッ
ターが閉まっていて 土日は 祭で休みの張り紙が・・。 きょうは 月曜日で 祝日ですが・・。
まあ 馬車道には 興味はないし 入手したパンフレットを見ても 見るものはなさそうだし・・。
交流館の前の古民家でも見て 七宝寺へ行きましょう。 ん? 古民家があるということは
この道が 馬車道で 昔の街道? 隣のお店もレトロな雰囲気です。
国道312号線に出て 北へ向かいます。 右折する所を通り過ぎ 神崎北ランプまで行き
引き返しました。 右折地点には 大きな石の道標があるのに・・。 坂を登り 駐車場へ。
10:33 駐車。 馬車道交流館から 7・4km。 高台にあるので 見晴らし良好。
西の鉄塔の山が 八幡山かと思って 撮ったのですが 違うようです。 入炭山でもない?
お寺の入口に 「からんころんの石」があります。 説明板によると 今は昔 村の居酒屋に
夜な夜な 酒を購いに来る 美しい娘ありき。 その・・・(中略)・・・のちに 里人 これを娘に変
化せし石なりと称し 「からんころん」に石と名付け 今に残す。 後に 今の地に運び 祖先
の伝承の説を残す・・・。
また このお寺は 「ぼけ封じ 近畿十楽 観音霊場めぐり」 の九番だそうです。 手遅れか
も知れませんが よく拝んでおかないと・・。 裏山は 「薬師山やすやぎの森」 で ハイキン
グコースが 整備されているようです。 帰って 「生野」の地図を見ると 東の山は 882m
の高峰で 等高線も詰まっていて 登るのは 大変そうです。
このお寺が 空海(弘法太子)の開いた真言宗であるためか 裏山には 88ヵ所霊場めぐ
りのコースもあるようです。
このお寺は ともみさんに聞いた通り 法道仙人が開いたお寺でした。 法道仙人は ここへ
も 雲に乗って 飛んできたようです。 法道仙人開基のお寺は 真言宗のお寺が多い という噂
があるようですが・・。 播磨六山、丹波三山などは 天台宗ですが・・。 また 法道仙人と空海
では 時代が 200年ほど違う?
高野山真言宗 七宝寺 略縁起 (本尊:秘仏 薬師如来)
本山は 白雉二年(651) 法道仙人の開基にして・・・日輪を蔵する故 日蔵山と号す。
・・・菊紋拝用の院宣を受けしと伝る。・・・・ 四度 山名・赤松両氏の播磨経略をめぐっての
戦場として 修羅の災厄を受け 堂塔破摧の難を被り 更に 宝暦12年(1762)の落雷に
よる大火に 一山 灰燼に帰し・・・
正面の大きい建物が 本堂かと思いましたが 左にある小さい瑠璃光殿が 本堂だそうです。
奥さんが 車を洗っておられたので 法道仙人の開基ですか? と尋ねると そうです、本殿
のところに書いてあると・・・。
紋のことを聞くと 寺紋は 「下がり藤」 で 真言宗の紋だそうです。 奥さんがおられ 聞き
たいことが 聞けてよかった。
正面の建物の階段には 猫が 悠々と寝そべり 身動きしません。 徹心寺の黒犬と違い
うかつに触ることは できません。
本堂の前には キキョウが 咲いていましたが 道脇には 白いシュウメイギクが 咲いていま
した。 白い花は きれいですが 紅のくしゃくしゃっとしたシュウメイギクは きれいではあり
ませんよね。 京都のお寺にもありましたが シュウメイギクと お寺の関係は?
あまり広くはない境内を くまなく見て廻り 帰路につきます。
≪追 記≫
シュウメイギク(秋明菊)は キンポウゲ科の耐寒性多年草。 白やピンクの一重咲き、紅色の
八重咲きなどがあり、秋に菊に似た花を咲かせるからこの名がある。 別名 貴船菊。 京都・
貴船周辺で 多く見られたことに由来する。 漢名は 「秋牡丹」で 古く中国から渡来した帰化
植物で 日本に入ってきて 各地で 野生化した。 そのためか 自生地も寺の周辺や人里に多い。
「菊の香や 垣の裾にも 貴船菊」(水原秋桜子)。
坂を下って 国道に降りて 国道312号線を 南へ戻ります。
このつづき 新野の水車の里は 新しいページに書きますので そちらを見てください。
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