10月30日(火) 天気:晴れ 後 うす曇り 室温:21.8℃
10月13日から 兵庫県立 歴史博物館で 特別展 「赤松 円心・則祐(そくゆう)」 が 開かれ
ています。 播磨の歴史を学ぶ いい機会なので 見学に行ってきました。 開館プレ30周年記
念 特別展だそうです。 昨年 秋に 新宮の埋蔵文化センターで 特別展 西播磨の戦国時代
「赤松氏の興亡」 が開かれ これも 行きましたが 今回 目新しいものは あるでしょうか?
赤松氏の本拠地 上郡も 一通り 歩きましたが・・・。
「赤松円心・則祐」 出陳総目録 をもらいましたが これには 149点 書かれています。 国宝も
何点かあるようです。 12月2日までの間に 展示替えがあるそうで・・・。
ここも 写真禁止なので 記録できず 展示してあるものを 覚えることもできず 結局 歴史の
勉強には なりませんでした。 タイトルは 円心・則祐展より 姫路まち歩き の方が良いのか・・・。
どーせ そんなことだろうと この周辺の建築物を見て歩きました。 ”姫路まちなか建築めぐり”
のパンフレットには 歴史博物館の建物もあり 石張りの外壁と ガラスの階段室の対比が 印象
的 とあります。 きょうは この前の姫路まちあるき の 続きのようなものです。
下のパンフレットに ”播磨は赤松” とあるのは 足利尊氏が 一時 九州に逃れるとき 室津での
会議で 尊氏が 播磨を 円心に 任せると言ったことから きているようです。
きょうは 車で行きます。 9:13 出発。 国道2号線で行きます。 夢前橋手前は 信号渋滞
がありましたが スムースに姫路の街中へ。 市民会館の所で 左折して 北へ行き 美術館の
手前の姫山駐車場に 9:47 停めました。 ここまで 14.1km、30分ほどでした。
駐車場は 3時間以内は 500円。 12時半までに帰らないと・・・。
まず 道路の東にある淳新学院へ行きます。 ここに 「バンカル」 にある 戦争遺跡があるは
ず? 本の写真では 門の扉・石垣の傍に 境界柱がありますが 見つかりません・・。
隣の淳心会本部へ。 赤い屋根の建物が 姫路の近代建築といわれる 旧陸軍第十師団・師
団長の官舎でしょうか? 雰囲気のある建築ですが 何も書いてないし 誰もいないし・・。
建物めぐりのパンフレットには 旧陸軍第十師団の官舎として 大正末期に建設された建物で
昭和26年から 淳心学院の設立母体である カトリック淳心会日本管区本部として使われている。
内部も 暖炉や幾何学模様の装飾など 当時の様子がうかがえます。 とありますが 内部の様
子は うかがえませんでした・・・。
隣は ザビエル館。 教会風の雰囲気のある建物ですが 中は がらんとした広い部屋で 会議
室? 左側は 聖堂? コンクリートの建物で 中には ステンドグラスがあり 教会のようですが・・。
市立美術館へ行きます。 パンフレットによると 旧陸軍第十師団の兵器庫・被服庫として
1913年 建築。 戦後に 姫路市役所として利用されていた建物を 再利用し 1983年に
市立美術館として 開館。 登録有形文化財(文化庁) ガス燈が設置され 赤レンガのライト
アップと共に 美しい夜間景観を醸し出しています。 とあります。
折角なので 内部も見学しました。 常設展示は 無料で 特別展も 高齢者は 無料でした。
「近代フランス絵画展」 には ロダンの彫刻もありましたが 撮影禁止・・・。
下・右の写真の彫刻は 「モントーバンの戦士」。
前は 広い芝生を敷き詰めた 庭園になっていて あちこちに 彫刻が 展示してあります。
彫刻には それぞれ 名前が 表示してありましたが 記憶していません。 下・中の彫刻は
「エーゲ海に捧ぐ」。 庭園には 全部で 12の彫刻があるようです。
美術館は 「姫路城十景」 の一つで 後方に 「天空の白鷺」 を望むことができます。
美術館を後にして 北へ歩きます。 東消防署の建物も お城をイメージしているのでしょうか?
博物館のへ行く前に 北にある日本城郭研究センターへ行きます。 この辺り一帯は 木が多く
彫刻もあり 公園のようです。 奥が 城郭センターで 入口に シャチホコがあります。
建物を見るだけなので 2階には 上がりませんでしたが 1階 右は 図書館でした。
城郭研究センターの南が 県立歴史博物館です。 建物の正面は 何の変哲のない建築です
が 左へ廻ると 中庭の奥に ガラス張りの雰囲気のある 近代建築があります。
建築めぐりのパンフレットには 姫路城の特別史跡内に建ち 石張りの外観とガラスの階段室
の対比が 印象的。 白鷺城を意識し 白に統一。 敷地内の一角で ガラスを眺めると 姫路城
が パズルのように 映し出されます。 博物館のパンフの写真にも ガラスに 姫路城が映ってい
ます。 下の写真には 天空の白鷺は 映っていません・・。
博物館のパンフに 歴史博物館は 昭和55年に 文化勲章を受章した故・丹下健三氏が 基本
設計をしました。 城をイメージし 壁は 石垣を 空調用の換気口は 狭間を表わし そののびや
かな外観は 白鷺が 羽を広げた様子を表わしています。 ・・とあります。 1982年竣工。
特別展は 撮影禁止なので 常設展示を 見て回ります。 軒丸瓦(紋瓦)などが展示してあります。
別紙の出陳目録にあるように 特別展には 多くのものが 展示してあり 宝林寺蔵の円心と
則祐の坐像が 正面にあり 目を引きます。 書物関係が 多いのですが 字は読めないし 何が
書いてあるのか・・。 「太平記」 もあったようです。 武具もあり 刀が三本・・・。
私としては 出陳目録は 役に立たないので 要らない。 代わりに 歴史年表が欲しい。 何年に
誰が どうした ということが書かれ その時の状況が 簡単に説明してあれば 言うことなし・・。
今回は 円心と則祐なので 赤松一族の前半部分だけです。 また いつか 後半の 嘉吉の乱
で 活躍する 赤松満祐らが 登場するのでしょうか?
パンフレットには ”南北朝 内乱を生き抜いた 知略の父子” とあり
赤松氏は 播磨国佐用郡赤松村 (現上郡町) から 身を起こし 南北朝内乱における活躍によ
って 播磨守護の地位を 確立しました。 播磨地域では 今日でも その存在は大きく 親しみを
覚える方も 多いのではないでしょうか。
この展覧会では 赤松氏の基礎を 築き上げた円心・則祐の時期を対象とし 最近の研究成果
も 織り込みつつ 播磨の中世を代表する赤松氏の実像を ご紹介します。 知略と行動力で 動
乱 の世を生き抜いた円心・則祐父子の足跡と 彼らをとりまいた社会や 人々の姿を お楽しみ
くださ い・・・とあります。 ※開基中 2回展示替えがあります。
赤松円心は 初代・赤松家範ー久則ー茂則ー(家則)-則村(円心)と続く 赤松家の四代目?
赤松家の家系は 七条家、春日部家、大河内家、有馬家 などが出てきて 難しいのですが
赤松円心の長男・範資(のりすけ)は 七条家からの養子? 範資は 元弘三年 護良親王の
令旨を受け 父・円心とともに 北条氏追討の兵を起こす。 父の死後 赤松一族の中心となる
が 1年で 病死。
次男・貞範は 家督争いに敗れ 分家して 春日部家に・・。
三男・則祐が あとを継ぐ。 則祐は 比叡山で僧となっていたので 天台座主の護良親王と親
しい? 妻は 佐々木道誉の娘で 佐々木家は 近江源氏の出身で 六角家と京極家に分かれ
た 京極家方。 そういう関係もあり 則祐は 都・京都で 顔が広い?
則祐は 後醍醐天皇が 打倒・鎌倉幕府を掲げ 挙兵、皇子・護良(もりよし)親王に付き従い
吉野城などを 転戦。 親王の使者として 倒幕の令旨を 父・円心に届け 円心は 播磨で挙兵
する。 則祐にも 多くの武勇伝があり 『太平記』 に記されている。 正平八年 南朝への備え
として 城山城を築く。 2代将軍・足利義詮(よしあきら)の南朝征伐に 従軍・・・・。
赤松家の家紋は 左三つ巴ですが 二つ引両や 桐紋もあるようです。
歴史博物館を出て シロトピア記念公園へ。 ここも 「姫路城十景」 の1ヵ所で 目の前に
天空の白鷺が望めます。 ここにも 彫刻 「風と花」 があり 風が吹いて スカートが・・。
美術館の裏を歩いて 車に戻りました。 12:11 で 3時間以内。 駐車料金は 500円。
北へ廻り 野里の慶雲寺前の信号で 左折して 細い道を西へ行き 兵庫県立大学へ。 通
用門から入ると 係り員が 出てきましたが ”写真を撮らせて” と 了解して頂きました。
12:33 駐車。 ここまで 2.6km。 車を停めた 前が 旧制姫路高等学校の講堂。
そうです。 ここは 姫路の近代建築で 文化庁の登録有形文化財で 姫路市の都市景観重
要建築物等に 指定されています。 講堂は 大正15年(1926) の竣工。
講堂の前にあるのは 姫校生の像で この辺りは 姫校生の庭。 姫校関係者の戦没者を
祀った 忠魂碑もあったようです。 姫校は 昭和26年 使命を終え 講堂と本館の建物が
残され 今は 兵庫県立大学になっています。
古い建物は 講堂と 向かいの本館だけですが 大学の音楽堂などの建物も 撮りました。
県立大学の南が 播州信用金庫北支店で 先日の新聞に 載っていた姫路市の第9回
都市景観賞に選ばれた建物です。 ガラス窓を基調とした 開放感のある壁面の平屋建て。
たつの市の建物の方が すっきりしているようです。 平屋根の庇の部分が 大きすぎる
ような・・。 今度 姫路に行ったら 播信の船場支店を見てきます。
景観賞のもう一軒は 駅南大通りのWDBホールディングス本社ビルですが・・・。
きょうは 車なので ついでに 戦争遺跡の白鷺橋と 近代建築の今井内科(旧34銀行・
姫路支店)を見に行きます。 南へ下り 県道?へ出て 左へ曲がると 白鷺橋? では
ありません・・。 白鷺橋は もう一つ南の国道の東行きです。 簡単に白鷺橋へは 行けま
せん・・。 大手前通りに出て 国道2号線西行きに廻り そのまま帰ることにしました。
国道2号線は 工事が終わり 片側2車線になり 走りやすくなりました。 13:16 着。
本日の走行距離は 往路:14.1km 播信まで:2.6km 復路:16.6kmで 計:
33.3kmでした。
姫路の近代建築は 姫路電話局(姫路モノリス)、市立美術館(旧陸軍兵器庫)、県立
大学(旧姫路高等学校・講堂)、淳心会本部(旧陸軍官舎)へ行きましたが あと 今井
内科(旧34銀行)、勝原薬局、京見会館、浅田化学工業倉庫 などがあります。
”姫路まちなか建築めぐり” も 何カ所か残っています・・・。
≪追 記≫ 11月5日 姫路に行った帰りに 国道2号線を戻り 下寺町の交差点から 保健セン
ターの建物を撮りました。 もう少し 前に進み 建物を正面から撮りたいのですが 一方通行で
行くことができません。 中央保健センタービルは 姫路建築めぐりのパンフにある建物です。
保健、医療、福祉の総合施設で 自然石を打ち込んだPC板の外壁と 正面入口にある 高さ
35mの半屋外空間と 透明な三角錐が 印象的 とあります。 設計は 若尾文子の元夫・故
黒川紀章で 1994年の竣工。
きょうまで 大手前公園で 第25回 全国陶器市 が開かれているので 寄りたかったのです
が 雨が降っているし 車の停め場所にも困るし 断念しました。
姫路駅の南へ出て 駅南大路へ行くと 都市景観賞の「WDBホールディングス本社ビル」 が
あります。 ここは 都市景観形成地区内? 側面の白壁に小さい窓を設けるなどした デザイ
ンが 隣接する建物や歩道の街路樹とも 調和している? 内部を撮ろうとしたら 受付のお姉
さんが来て 許可が要ります・・。 内部を撮ることは できませんでした・・。
。。。。。。。。。 。。。。 。。。。 。。。。 。。。。 。。。。 。。。。。 。。。。。。
10月13日から 兵庫県立 歴史博物館で 特別展 「赤松 円心・則祐(そくゆう)」 が 開かれ
ています。 播磨の歴史を学ぶ いい機会なので 見学に行ってきました。 開館プレ30周年記
念 特別展だそうです。 昨年 秋に 新宮の埋蔵文化センターで 特別展 西播磨の戦国時代
「赤松氏の興亡」 が開かれ これも 行きましたが 今回 目新しいものは あるでしょうか?
赤松氏の本拠地 上郡も 一通り 歩きましたが・・・。
「赤松円心・則祐」 出陳総目録 をもらいましたが これには 149点 書かれています。 国宝も
何点かあるようです。 12月2日までの間に 展示替えがあるそうで・・・。
ここも 写真禁止なので 記録できず 展示してあるものを 覚えることもできず 結局 歴史の
勉強には なりませんでした。 タイトルは 円心・則祐展より 姫路まち歩き の方が良いのか・・・。
どーせ そんなことだろうと この周辺の建築物を見て歩きました。 ”姫路まちなか建築めぐり”
のパンフレットには 歴史博物館の建物もあり 石張りの外壁と ガラスの階段室の対比が 印象
的 とあります。 きょうは この前の姫路まちあるき の 続きのようなものです。
下のパンフレットに ”播磨は赤松” とあるのは 足利尊氏が 一時 九州に逃れるとき 室津での
会議で 尊氏が 播磨を 円心に 任せると言ったことから きているようです。
きょうは 車で行きます。 9:13 出発。 国道2号線で行きます。 夢前橋手前は 信号渋滞
がありましたが スムースに姫路の街中へ。 市民会館の所で 左折して 北へ行き 美術館の
手前の姫山駐車場に 9:47 停めました。 ここまで 14.1km、30分ほどでした。
駐車場は 3時間以内は 500円。 12時半までに帰らないと・・・。
まず 道路の東にある淳新学院へ行きます。 ここに 「バンカル」 にある 戦争遺跡があるは
ず? 本の写真では 門の扉・石垣の傍に 境界柱がありますが 見つかりません・・。
隣の淳心会本部へ。 赤い屋根の建物が 姫路の近代建築といわれる 旧陸軍第十師団・師
団長の官舎でしょうか? 雰囲気のある建築ですが 何も書いてないし 誰もいないし・・。
建物めぐりのパンフレットには 旧陸軍第十師団の官舎として 大正末期に建設された建物で
昭和26年から 淳心学院の設立母体である カトリック淳心会日本管区本部として使われている。
内部も 暖炉や幾何学模様の装飾など 当時の様子がうかがえます。 とありますが 内部の様
子は うかがえませんでした・・・。
隣は ザビエル館。 教会風の雰囲気のある建物ですが 中は がらんとした広い部屋で 会議
室? 左側は 聖堂? コンクリートの建物で 中には ステンドグラスがあり 教会のようですが・・。
市立美術館へ行きます。 パンフレットによると 旧陸軍第十師団の兵器庫・被服庫として
1913年 建築。 戦後に 姫路市役所として利用されていた建物を 再利用し 1983年に
市立美術館として 開館。 登録有形文化財(文化庁) ガス燈が設置され 赤レンガのライト
アップと共に 美しい夜間景観を醸し出しています。 とあります。
折角なので 内部も見学しました。 常設展示は 無料で 特別展も 高齢者は 無料でした。
「近代フランス絵画展」 には ロダンの彫刻もありましたが 撮影禁止・・・。
下・右の写真の彫刻は 「モントーバンの戦士」。
前は 広い芝生を敷き詰めた 庭園になっていて あちこちに 彫刻が 展示してあります。
彫刻には それぞれ 名前が 表示してありましたが 記憶していません。 下・中の彫刻は
「エーゲ海に捧ぐ」。 庭園には 全部で 12の彫刻があるようです。
美術館は 「姫路城十景」 の一つで 後方に 「天空の白鷺」 を望むことができます。
美術館を後にして 北へ歩きます。 東消防署の建物も お城をイメージしているのでしょうか?
博物館のへ行く前に 北にある日本城郭研究センターへ行きます。 この辺り一帯は 木が多く
彫刻もあり 公園のようです。 奥が 城郭センターで 入口に シャチホコがあります。
建物を見るだけなので 2階には 上がりませんでしたが 1階 右は 図書館でした。
城郭研究センターの南が 県立歴史博物館です。 建物の正面は 何の変哲のない建築です
が 左へ廻ると 中庭の奥に ガラス張りの雰囲気のある 近代建築があります。
建築めぐりのパンフレットには 姫路城の特別史跡内に建ち 石張りの外観とガラスの階段室
の対比が 印象的。 白鷺城を意識し 白に統一。 敷地内の一角で ガラスを眺めると 姫路城
が パズルのように 映し出されます。 博物館のパンフの写真にも ガラスに 姫路城が映ってい
ます。 下の写真には 天空の白鷺は 映っていません・・。
博物館のパンフに 歴史博物館は 昭和55年に 文化勲章を受章した故・丹下健三氏が 基本
設計をしました。 城をイメージし 壁は 石垣を 空調用の換気口は 狭間を表わし そののびや
かな外観は 白鷺が 羽を広げた様子を表わしています。 ・・とあります。 1982年竣工。
特別展は 撮影禁止なので 常設展示を 見て回ります。 軒丸瓦(紋瓦)などが展示してあります。
別紙の出陳目録にあるように 特別展には 多くのものが 展示してあり 宝林寺蔵の円心と
則祐の坐像が 正面にあり 目を引きます。 書物関係が 多いのですが 字は読めないし 何が
書いてあるのか・・。 「太平記」 もあったようです。 武具もあり 刀が三本・・・。
私としては 出陳目録は 役に立たないので 要らない。 代わりに 歴史年表が欲しい。 何年に
誰が どうした ということが書かれ その時の状況が 簡単に説明してあれば 言うことなし・・。
今回は 円心と則祐なので 赤松一族の前半部分だけです。 また いつか 後半の 嘉吉の乱
で 活躍する 赤松満祐らが 登場するのでしょうか?
パンフレットには ”南北朝 内乱を生き抜いた 知略の父子” とあり
赤松氏は 播磨国佐用郡赤松村 (現上郡町) から 身を起こし 南北朝内乱における活躍によ
って 播磨守護の地位を 確立しました。 播磨地域では 今日でも その存在は大きく 親しみを
覚える方も 多いのではないでしょうか。
この展覧会では 赤松氏の基礎を 築き上げた円心・則祐の時期を対象とし 最近の研究成果
も 織り込みつつ 播磨の中世を代表する赤松氏の実像を ご紹介します。 知略と行動力で 動
乱 の世を生き抜いた円心・則祐父子の足跡と 彼らをとりまいた社会や 人々の姿を お楽しみ
くださ い・・・とあります。 ※開基中 2回展示替えがあります。
赤松円心は 初代・赤松家範ー久則ー茂則ー(家則)-則村(円心)と続く 赤松家の四代目?
赤松家の家系は 七条家、春日部家、大河内家、有馬家 などが出てきて 難しいのですが
赤松円心の長男・範資(のりすけ)は 七条家からの養子? 範資は 元弘三年 護良親王の
令旨を受け 父・円心とともに 北条氏追討の兵を起こす。 父の死後 赤松一族の中心となる
が 1年で 病死。
次男・貞範は 家督争いに敗れ 分家して 春日部家に・・。
三男・則祐が あとを継ぐ。 則祐は 比叡山で僧となっていたので 天台座主の護良親王と親
しい? 妻は 佐々木道誉の娘で 佐々木家は 近江源氏の出身で 六角家と京極家に分かれ
た 京極家方。 そういう関係もあり 則祐は 都・京都で 顔が広い?
則祐は 後醍醐天皇が 打倒・鎌倉幕府を掲げ 挙兵、皇子・護良(もりよし)親王に付き従い
吉野城などを 転戦。 親王の使者として 倒幕の令旨を 父・円心に届け 円心は 播磨で挙兵
する。 則祐にも 多くの武勇伝があり 『太平記』 に記されている。 正平八年 南朝への備え
として 城山城を築く。 2代将軍・足利義詮(よしあきら)の南朝征伐に 従軍・・・・。
赤松家の家紋は 左三つ巴ですが 二つ引両や 桐紋もあるようです。
歴史博物館を出て シロトピア記念公園へ。 ここも 「姫路城十景」 の1ヵ所で 目の前に
天空の白鷺が望めます。 ここにも 彫刻 「風と花」 があり 風が吹いて スカートが・・。
美術館の裏を歩いて 車に戻りました。 12:11 で 3時間以内。 駐車料金は 500円。
北へ廻り 野里の慶雲寺前の信号で 左折して 細い道を西へ行き 兵庫県立大学へ。 通
用門から入ると 係り員が 出てきましたが ”写真を撮らせて” と 了解して頂きました。
12:33 駐車。 ここまで 2.6km。 車を停めた 前が 旧制姫路高等学校の講堂。
そうです。 ここは 姫路の近代建築で 文化庁の登録有形文化財で 姫路市の都市景観重
要建築物等に 指定されています。 講堂は 大正15年(1926) の竣工。
講堂の前にあるのは 姫校生の像で この辺りは 姫校生の庭。 姫校関係者の戦没者を
祀った 忠魂碑もあったようです。 姫校は 昭和26年 使命を終え 講堂と本館の建物が
残され 今は 兵庫県立大学になっています。
古い建物は 講堂と 向かいの本館だけですが 大学の音楽堂などの建物も 撮りました。
県立大学の南が 播州信用金庫北支店で 先日の新聞に 載っていた姫路市の第9回
都市景観賞に選ばれた建物です。 ガラス窓を基調とした 開放感のある壁面の平屋建て。
たつの市の建物の方が すっきりしているようです。 平屋根の庇の部分が 大きすぎる
ような・・。 今度 姫路に行ったら 播信の船場支店を見てきます。
景観賞のもう一軒は 駅南大通りのWDBホールディングス本社ビルですが・・・。
きょうは 車なので ついでに 戦争遺跡の白鷺橋と 近代建築の今井内科(旧34銀行・
姫路支店)を見に行きます。 南へ下り 県道?へ出て 左へ曲がると 白鷺橋? では
ありません・・。 白鷺橋は もう一つ南の国道の東行きです。 簡単に白鷺橋へは 行けま
せん・・。 大手前通りに出て 国道2号線西行きに廻り そのまま帰ることにしました。
国道2号線は 工事が終わり 片側2車線になり 走りやすくなりました。 13:16 着。
本日の走行距離は 往路:14.1km 播信まで:2.6km 復路:16.6kmで 計:
33.3kmでした。
姫路の近代建築は 姫路電話局(姫路モノリス)、市立美術館(旧陸軍兵器庫)、県立
大学(旧姫路高等学校・講堂)、淳心会本部(旧陸軍官舎)へ行きましたが あと 今井
内科(旧34銀行)、勝原薬局、京見会館、浅田化学工業倉庫 などがあります。
”姫路まちなか建築めぐり” も 何カ所か残っています・・・。
≪追 記≫ 11月5日 姫路に行った帰りに 国道2号線を戻り 下寺町の交差点から 保健セン
ターの建物を撮りました。 もう少し 前に進み 建物を正面から撮りたいのですが 一方通行で
行くことができません。 中央保健センタービルは 姫路建築めぐりのパンフにある建物です。
保健、医療、福祉の総合施設で 自然石を打ち込んだPC板の外壁と 正面入口にある 高さ
35mの半屋外空間と 透明な三角錐が 印象的 とあります。 設計は 若尾文子の元夫・故
黒川紀章で 1994年の竣工。
きょうまで 大手前公園で 第25回 全国陶器市 が開かれているので 寄りたかったのです
が 雨が降っているし 車の停め場所にも困るし 断念しました。
姫路駅の南へ出て 駅南大路へ行くと 都市景観賞の「WDBホールディングス本社ビル」 が
あります。 ここは 都市景観形成地区内? 側面の白壁に小さい窓を設けるなどした デザイ
ンが 隣接する建物や歩道の街路樹とも 調和している? 内部を撮ろうとしたら 受付のお姉
さんが来て 許可が要ります・・。 内部を撮ることは できませんでした・・。
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