10月 9日(火) 天気:晴れ 室温:26.2℃
10月 8日(月) 体育の日に 神河町の 福本の陣屋跡 を訪れましたが
ページが 長くなりましたので 七宝寺 以降の後半は こちらのページに書きます。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
きょうは 神河町まで ドライブし 福本陣屋跡、徹心寺 などを 訪れ
ひょうこツーリズム協会発行の ”ひょうごのまち歩き” を参考に 後半は 新野を歩きました。
No.45 ”爽やかな田園風景に出会う” の 新野水車の郷、正法寺、熊野神社。
新野の水車の歴史は 古く 元禄六年(1693) 以前から 存在していたという。 流量の豊かな
水路に 直径約3mの水車が 11基点在。 近くには 清流にしか生育しないバイカモ(梅花藻)が
見られ 自然豊かな田園風景。 守るべき日本の原風景に出会える。
パンフレットにある 米搗小屋と上月平左衛門の墓碑は どこにあるのか分からず パス・・。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
七宝寺を後にし 国道312号線に降りて 南へ戻ります。 神崎南ランプの前を通り 新野駅
へ向かいますが 通り過ぎ・・。 少し大回りして 播但線・新野駅へ出て 踏切を越えると 左に
水車の里があります。 11:18 道路脇に駐車。 七宝寺から 9.4km。
細い水路に 水車が三基 並んでいます。 夫婦が 写真を撮っていましたが 邪魔すると 悪い
と思って待っていましたが 時間のかかること・・・。
正法寺へ行こうと 県道を南へ下りますが また 行き過ぎて 山側の道を引き返し・・・。
先に 熊野神社へ出てしまいました。 ”ひょうごまち歩き” の45番に載っていたので 寄っ
たのですが 何も書かれたものがないので 詳しいことは 分かりません・・。
以前 山ちゃんを参考に 新野山に登り 降りてから 熊野神社、正法寺へ寄ったことは
あるのですが 何も覚えていません。 覚えているのは ネットに 捕らわれた鹿を助け・・・。
水車の郷から 1.5km、鳥居を潜った先の広場に 駐車。 熊野神社は うっそうとした
森の中にあります。 拝殿には 古い絵馬が奉納してあります。
神社をうろうろしていると 踏切の音がしたので 慌てて 電車を撮る場所を探したの
ですが・・。 何とか 電車を撮ることはできました。 少し南にある正法寺へ行きます。
正法寺は 聞いたことのない 黄檗(おうばく)宗のお寺でした。 正法寺は 寛文13年
(1673)に 萬福寺の末寺の印下状を受け 臨済宗から黄檗宗に改めた禅宗のお寺です。
開山は 木庵の高弟實傳鈎によりなされ 二代目逸巌を開基としている。 隠元は 中国
生まれで 明代の臨済宗の名僧であった。 承応三年(1654) 63歳のとき 長崎の興福
寺の懇請により来日し 後に 四代将軍・家綱より 宇治に地を与えられ その地に 中国の
本寺に因んで 黄檗宗・萬福寺として 開山し 日本の臨済宗とは区別して 黄檗宗とした。
山門の扁額 「慧日山」 は 隠元の書、本堂の扁額 「正法寺」 は 木庵の書、本堂内の
扁額 「圓校」 は 隠元の書、本堂 本尊両脇の聯書(れんしょ)は 即非の書で 開山にあ
たり これらの木扁額 と 聯書が 掲げられました。
隠元、木庵、即非は 中国から来た名僧であるとともに 江戸時代初期の日本書道界に
唐様書道の新風を吹き込んだ 書の大家でもあった。 隠元は 日本にインゲン豆を持ち
込んだ人物だそうです。
なお 正法寺は 歴代福本藩主の篤い信仰を得て 住職は 乗輿登場を許されていた。
禅宗系のお寺なので 彫り物、飾りものは ほとんどなく 質実剛健な建物です。
庭園は 枯山水の石庭ではなく 苔庭ですが 今の時期 苔が茶色なので 冴えません。
春 苔が青々としたときに 見たいものです。
奥さんが 車で帰って来られたので いろいろ お聞きしました。 寺紋の三葉葵は 隠元
が 四代将軍・家綱から使用を許された 徳川家の家紋です。 隠元の 「正法寺」 の扁額
は 傷んだので 複製した・・。 山門は 二階に鐘があり 綱が垂らしてあり 下から鐘を
撞くことができますが 遠慮しました・・。
正法寺を後にして 帰路につきますが 新野駅の近くまで戻ると 電車がきました。
そうそう 寺前駅前にある観光協会に寄りましょう。 ガイドの宮永さんに 福本の宝篋
印塔のことを お聞きしたので お礼を言おうと思ったのですが 不在でした。
12:53 神崎南ランプに戻り 播但道に入ります。 途中 豊富PAで ラーメンを食べ
13:33 花田ICを通り 姫路バイパスをスムースに走り 13:56 家に帰ってきました。
きょうは 徹心寺でも 七宝寺でも 正法寺でも 関係者に お話しできて 良かった。
本日の走行距離は 往路:神崎南ランプまで 49.5km、陣屋跡、七宝寺、正法寺など
神崎を走り 神崎南ランプに戻るまで 27.3km 復路:49.2kmで 計:126kmでした。
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10月 8日(月) 体育の日に 神河町の 福本の陣屋跡 を訪れましたが
ページが 長くなりましたので 七宝寺 以降の後半は こちらのページに書きます。
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きょうは 神河町まで ドライブし 福本陣屋跡、徹心寺 などを 訪れ
ひょうこツーリズム協会発行の ”ひょうごのまち歩き” を参考に 後半は 新野を歩きました。
No.45 ”爽やかな田園風景に出会う” の 新野水車の郷、正法寺、熊野神社。
新野の水車の歴史は 古く 元禄六年(1693) 以前から 存在していたという。 流量の豊かな
水路に 直径約3mの水車が 11基点在。 近くには 清流にしか生育しないバイカモ(梅花藻)が
見られ 自然豊かな田園風景。 守るべき日本の原風景に出会える。
パンフレットにある 米搗小屋と上月平左衛門の墓碑は どこにあるのか分からず パス・・。
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七宝寺を後にし 国道312号線に降りて 南へ戻ります。 神崎南ランプの前を通り 新野駅
へ向かいますが 通り過ぎ・・。 少し大回りして 播但線・新野駅へ出て 踏切を越えると 左に
水車の里があります。 11:18 道路脇に駐車。 七宝寺から 9.4km。
細い水路に 水車が三基 並んでいます。 夫婦が 写真を撮っていましたが 邪魔すると 悪い
と思って待っていましたが 時間のかかること・・・。
正法寺へ行こうと 県道を南へ下りますが また 行き過ぎて 山側の道を引き返し・・・。
先に 熊野神社へ出てしまいました。 ”ひょうごまち歩き” の45番に載っていたので 寄っ
たのですが 何も書かれたものがないので 詳しいことは 分かりません・・。
以前 山ちゃんを参考に 新野山に登り 降りてから 熊野神社、正法寺へ寄ったことは
あるのですが 何も覚えていません。 覚えているのは ネットに 捕らわれた鹿を助け・・・。
水車の郷から 1.5km、鳥居を潜った先の広場に 駐車。 熊野神社は うっそうとした
森の中にあります。 拝殿には 古い絵馬が奉納してあります。
神社をうろうろしていると 踏切の音がしたので 慌てて 電車を撮る場所を探したの
ですが・・。 何とか 電車を撮ることはできました。 少し南にある正法寺へ行きます。
正法寺は 聞いたことのない 黄檗(おうばく)宗のお寺でした。 正法寺は 寛文13年
(1673)に 萬福寺の末寺の印下状を受け 臨済宗から黄檗宗に改めた禅宗のお寺です。
開山は 木庵の高弟實傳鈎によりなされ 二代目逸巌を開基としている。 隠元は 中国
生まれで 明代の臨済宗の名僧であった。 承応三年(1654) 63歳のとき 長崎の興福
寺の懇請により来日し 後に 四代将軍・家綱より 宇治に地を与えられ その地に 中国の
本寺に因んで 黄檗宗・萬福寺として 開山し 日本の臨済宗とは区別して 黄檗宗とした。
山門の扁額 「慧日山」 は 隠元の書、本堂の扁額 「正法寺」 は 木庵の書、本堂内の
扁額 「圓校」 は 隠元の書、本堂 本尊両脇の聯書(れんしょ)は 即非の書で 開山にあ
たり これらの木扁額 と 聯書が 掲げられました。
隠元、木庵、即非は 中国から来た名僧であるとともに 江戸時代初期の日本書道界に
唐様書道の新風を吹き込んだ 書の大家でもあった。 隠元は 日本にインゲン豆を持ち
込んだ人物だそうです。
なお 正法寺は 歴代福本藩主の篤い信仰を得て 住職は 乗輿登場を許されていた。
禅宗系のお寺なので 彫り物、飾りものは ほとんどなく 質実剛健な建物です。
庭園は 枯山水の石庭ではなく 苔庭ですが 今の時期 苔が茶色なので 冴えません。
春 苔が青々としたときに 見たいものです。
奥さんが 車で帰って来られたので いろいろ お聞きしました。 寺紋の三葉葵は 隠元
が 四代将軍・家綱から使用を許された 徳川家の家紋です。 隠元の 「正法寺」 の扁額
は 傷んだので 複製した・・。 山門は 二階に鐘があり 綱が垂らしてあり 下から鐘を
撞くことができますが 遠慮しました・・。
正法寺を後にして 帰路につきますが 新野駅の近くまで戻ると 電車がきました。
そうそう 寺前駅前にある観光協会に寄りましょう。 ガイドの宮永さんに 福本の宝篋
印塔のことを お聞きしたので お礼を言おうと思ったのですが 不在でした。
12:53 神崎南ランプに戻り 播但道に入ります。 途中 豊富PAで ラーメンを食べ
13:33 花田ICを通り 姫路バイパスをスムースに走り 13:56 家に帰ってきました。
きょうは 徹心寺でも 七宝寺でも 正法寺でも 関係者に お話しできて 良かった。
本日の走行距離は 往路:神崎南ランプまで 49.5km、陣屋跡、七宝寺、正法寺など
神崎を走り 神崎南ランプに戻るまで 27.3km 復路:49.2kmで 計:126kmでした。
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