山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

カエサル『ガリア戦記』を読む

2018年08月18日 15時58分13秒 | Weblog
 1か月前に、図書館でヨーロッパ関係の書棚からカエサルの『ガリア戦記』を見つけ、貸出延長しながら読んだ。いわずとしれたユリウス・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー)(紀元前100ー前44)の名著だ。
 ローマが帝政ローマに移行する直前の共和制ローマの末期の英雄カエサルの武勇伝を自らの筆で描いたといわれる。共和制ローマは、自作農である市民が武器を自弁してローマの兵士となって、イタリア全域からギリシア、小アジア、イスパニアへと膨張していった。武器自弁が市民の証だった。だが、度重なる、しかも遠隔地への出兵は、自作農民には過重な負担となった。土地を失い没落する市民が続出した。共和制ローマの伝統の再興をめざした改革も失敗した。軍は傭兵化し、やがて将軍の私兵となっていった。
 元老院の統治からカエサルを含む3頭政治、そして完全な帝政へと変化する時期・紀元前1世紀の、とりわけ有名な政治家であり軍人なのがカエサルだ。
 描かれるのは、前59年最高位の執政官の任期1年を終えてから前51年まで8年間、ガリア総督としてフランスを制圧するために、武勇を誇る各部族と戦った記録だ。カエサルが総督をしていたのは、北イタリアと今のスロベニア・クロアチア・アルバニア、加えて南フランスだ。これらすべてガリアといった。もちろんフランスの本体もガリアで、カエサルが戦闘をくり返したのは中北部フランスさらにベルギーだった。
 ガリア戦記はまさに戦記だ。騎兵戦、槍や大弓・投石などの飛び道具をつかった戦術はローマ軍も、ガリア諸部族も使う。用意した資材で櫓や防塁を作る。戦いは開けたところで行うが、森から木を伐りだして陣地を構築したりもする。ガリア軍は多人数で順に休息をとりながら攻撃をかけてくるが、人数で劣るローマ軍が不眠不休で疲弊する様子が描かれたりする。だが作戦と士気高揚に優れたカエサルの指揮によって、たいがいの戦闘でローマ軍は勝利する。古代ギリシアで多用されたファランクス(重装歩兵の密集部隊)の戦術はガリア側で1、2度登場するが、ローマはもう採用していない。密集部隊は動きが鈍いので時代遅れなのだろう。カエサルの指揮は機動性に特徴がある。だから人数で劣っても勝利に導くことができる。
 『ガリア戦記』を読んで思ったことを記そう。カエサルは、のちの「来た、見た、勝った」の勝利報告で有名な名文家だ。飾らない、率直な文体は、『ガリア戦記』で十分味わえる。戦闘の様子は実に生き生きと描かれる。いつ書いたのだろうと思うほどルポルタージュ風なのだ。戦闘が一段落した時に書くのだろうが、いくつもの部族の戦闘をまとめてとなると、頭が混乱するだろう。カエサルに付き従う書記がいるに違いない。ローマ軍の内部の武将間のあつれきなども詳しく、そのやりとりも会話形式で描く。相手の部族の動きや考えも書く。地理的な説明もある。
 この文庫本には、川を詳しく書き込んだ何枚ものガリアの地図が付され、部族名も書かれている。だが、あまりにも多い部族と地理関係が頭に落ち着かず、ある戦いの何日後とか、冬が迫るという記述で時間時期の関係は書かれるが、何年のことかが明記されず、読み手は立体的にとらえることができない。とにかく戦闘の連続が生き生きと描かれるが、ローマ軍とガリア全域の力関係、侵略征服の進捗度合いがどうなのか、時間変化と地理的な状況を全体と個別を明らかにしながら描くということをしていない。だから個々の記述はおもしろいが、頭が整理されて読み進むということができない。全体がどうにもわからないまま、がまんして部分部分を鑑賞することになる。だから『ガリア戦記』は同時代史とはいえない。
 『ガリア戦記』は3人称で描いている。多くは「カエサルは・・・」で始まる。「カエサルは」という記述には違和感がつきまとったし、カエサルの文章というよりも、書記の文章ではないかと思い続けた。校正の段階でカエサルが筆を入れたのではないかと。書記が書いたものでもカエサルの作とすることに問題はないが。ローマ軍のガリアにおける活動を国家に報告する文章ではあるが、カエサルの目から見た形で相手の思惑や動きとローマ軍の作戦と戦闘詳報から成っている。ところでこれを何に書き付けたのだろう。エジプトから輸入したパピルスか、羊皮紙か。いずれにしろ膨大な量になっただろう。章と節は、七・九〇という具合に書かれ、章や節の表題はない。おそらく現場で書いた形式そのままに編まれているのだろう。
 カエサルは、執政官などに当選するための酒食の振る舞いなどで莫大な借金を作っていたのを、近い方の属州ガリア総督だけでなく8年間の新しい征服地からも税収をくすねることで、莫大な財産をつくった。だが、そんなことは描かれていない。ガリア征服は、帝政期を望む時期からすでに有力政治家の欲望に引きずられた帝国主義戦争であった。

 カエサルの『ガリア戦記』は長年読みたいというより読まなければと思っていた本だ。世界史で、奴隷制を土台にしながらも、資産を持つ市民は自立して魅力的に動いていたギリシア・ローマを、好んで力を入れて教えていた。カエサルを時代を動かした人物として、その著作『ガリア戦記』も紹介した。だが読んだことはなかった。手に取ってはいただろうが、日々の授業に追いまくられる状況の下では、とても読めなかった。でも、この度読んでみて、これを教材化するのはとても無理だと思った。
 1カ月の猶予が与えられて、ローマとカエサルというテーマで授業するのならば『ガリア戦記』にとりくもうという気になるが、日々の授業と並行しては無理だ。『ガリア戦記』でカエサルの政治、時代の何が浮かぶか。カエサルが各地の総督をして不法に財産を蓄積し、前50年に管轄を踏み越えてルビコン川をわたり軍をローマに進め独裁的な地位をしめたことを象徴する事実が『ガリア戦記』から抽出できない。カエサルの軍功を書き連ねたものであって、ガリア征服の本質をえぐるものはでてこない。したがってこれを読んだあげく、これを軸に据えて授業を組み立てることは無理だとなったら、それこそ目も当てられない。自分で資料を探し出して、特別料理を用意する如く取り組むことは、うまくいけばよいが、破綻することも多い。ギリシア・ローマを見てきたように教えてきたが、まだ行ったこともない。太田秀通さん、弓削達さん、土井正興さんの著作にたよって授業を組んできた。よい導き手に出会えて古代ギリシアローマの本質をとらえることができたと感謝している。それからずいぶん経って、『ガリア戦記』に出くわした。時間の余裕があったから、カエサルを味わうことができた。




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