7月10日、1966年6月静岡県の味噌会社での強盗殺人事件で犯人とされ死刑が確定した元従業員の袴田巌さんの再審裁判で、検察が証拠を捏造したと高裁で断定されたにもかかわらず、何の反省もなく、証拠を捏造したという証拠はないという珍妙な理屈を立てて袴田さん有罪の立証をすると真理に歯向かう態度表明をした。決定的証拠とされたのは、袴田さんが着ていたという5点の衣類が味噌タンクの底に1年2か月も漬っていたあげく発見されたことだ。それがテレビでも映し出された血痕も鮮やかな下着など5点だ。しかし、弁護団の渾身の努力でこれが捏造証拠だと立証された。
弁護団は、条件を何種類も変えて実験をした。1年2か月漬け込んだら布地は味噌の色になり、血液は黒くなって赤みを残さなかった。逆に、短時間漬けた場合、検察の証拠写真のようになった。
事件当時、当該1号味噌タンク(縦横深さ各2mのコンクリート製)には底に100キロほど味噌が残っており、事件から20日後その上に新しい味噌が仕込まれた。もし袴田さんが味噌タンクに下着を放り込んだのだとするならば7月20日、新しい味噌を仕込むときに従業員は下着の存在に気付くだろう。下着はなかったから気づかない。2メートル四方のタンクに残った100キロの味噌の量は10キロの米袋で考えれば、深さは問題にならないほどの量だ。5点の下着がわずかの味噌の下に沈むことは考えられない。だから味噌の仕込みの時には衣類はなかったし、当然発見されなかった。従業員が味噌漬け衣類を発見したのは1967年8月だった。出荷するみそだから1年2か月熟成している。それだけ衣類も漬かっていたのならば味噌同様に熟成しているはずだ。もし本当に袴田さんが衣類を入れたのならば、底に埋まっている衣類は味噌が売り切れる寸前の68年6月ごろに発見されなければならない。
袴田有罪の決定的証拠は検察の捏造でしかない。検察は、東京高裁によって、衣類は捜査機関による捏造証拠の可能性が「極めて高い」とまで断定されながら、平然と有罪の立証をすると言い張る。しかも証拠捏造を裏づける証拠がないからだという。お笑いだ。検察は自分を捜査すればいいだけだ。弁護団に、国税の窓辺太郎のように権限を与え、今から査察を行う、パソコン、書類にはいっさい手を触れるなとやれば、捏造のすべてが明らかになる。だがそうはならない。権力というものの恐ろしさをあらためて教えてくれる。
冤罪で57年間も苦しみ続けた袴田巌さんを、保身のためにこれからも尊厳を傷つけ苦しめて何の恥じらいも感じない検察を糾弾する。