山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

投書「大阪の教育力低下を憂える」に納得

2016年09月07日 23時44分33秒 | Weblog
『毎日新聞』2016・9・5に「大阪の教育力低下を憂える」と題する投書が載った。無職の大嶋信次さん(60)のものだ。
 
「最近の先生はあまり本を読まないらしい。部活による長時間勤務のため、教材研究もままならない日々で、読書する時間も気持ちの余裕もないと聞く。従って、読書感想文の指導も満足にできなくなる。
 どうして、このようなことが起きるのか。端的に言えば、進学至上主義、部活の勝利至上主義で現場の先生たちが評価されるからだ。大阪市では、中学校の学校選択制を採用している23区全てが中学校案内に卒業生の進学実績を掲載することを決めた。「公立中学校の進学指導は進学実績を上げることが目的ではない」というある校長の意見は、実に教育者らしい発言と思う。だが、”改革熱”に浮かされた行政は管理職と教員を同調圧力で追い込む。
 大阪の数年来の教育事情の変化は優秀な人材の減少をもたらしている。これは確実に公立学校の教育力低下につながる。本来、教育評価の時間軸はとても長い。目の前の結果だけを追えば必ず反動がやってくることを強く憂える。」

 大嶋さんの論旨に賛成する。
 最近の先生は本を読まないのは事実だろうが、実際は、読めない、読む時間と精神的余裕がないのだ。これは本質的に深刻な問題だ。本を読まなくても、部活指導はできるし、進学指導もできる(進路指導とイコールではない)。締め上げるテクニックにたけた人ならば、本と縁がなくても成果は上げられる。教材研究に時間が割けないことが深刻になっている。教養的な読書よりも授業の中身そのものを決する問題だ。だから先生の読書はよりむずかしくなっている。
 私の経験でも、教材研修のための読書でも、一から積み上げて自分独自の教材をつくるのは時間がかかって、年にいくつもできない。一歩改善程度のものでもできればいい。これが実際だ。ところが今は、大阪では維新政治が教育を制圧しているので教材研究の余裕さえない。教育の良心を窒息させている。窒息しても、統一テストで締め上げる、学校別の成績順位を発表することで追い込む。テスト対策に特化すれば、一時的には成績が上がり、非教育者はよろこぶ。しかし永遠に伸び続けることはない。教育の本筋にもどる、本筋を大切にすることしかない。
 中学生をテスト競争の重圧に追い込むことは、学力向上とは無縁だ。維新政治は学校別に成績を公表するのは政治の透明化と同列としているが、これは生徒の成績をあばくことにつながる。小規模校ならば個人情報の暴露に近い。許されないことだ。地域的な差別につながる。生徒の学力観にもゆがみを生じさせる。
 大嶋さんが紹介した校長の見解は、校長レベルではもはや少数派ではないか。がんばってほしい。
 大阪の優秀な人材の減少は深刻だ。何年も前から、採用試験で大阪と他府県に同時合格したら、他府県に行くケースが多くなっている。維新による教員いじめ、自由のはく奪に恐怖を感じて、そうするのだ。他県から大阪が変に感謝されている。「大阪さん、ありがとう」と。橋下氏が権力者だったころ、教員の他県志望が顕著になったことに対して、「維新の政治についていこうという教員だけでいい」という趣旨のことをいった。これは橋下維新の教育支配の欲望をあからさまにした言葉だ。もとより、政治権力が教育を支配してはいけないのは歴史の教訓だし、教育の原則だ。維新の教育支配に従順な人ばかりになることは、大嶋さんがいうように、教育力の低下になる。優秀な教員が大阪から逃げているのは、新採用者だけではない。学校が抑圧的になり、教育的良心にしたがって思う存分教育ができなくなっていることから、公立の有名進学校で、他県の私学に転職する人がつづいていることが心配だ。 
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