西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

ひまわり

2010-07-19 23:05:18 | 日記
ひまわりと聞いて思い出すのは、映画と大リーグです。
1970製作だからリバイバルで見たんでしょうが映画「ひまわり」は喜劇の要素、悲哀、愛が描かれた作品でした。
デ・シーカが監督、ヘンリー・マンシーニが音楽です。初めて見たとき(多分3-4回見た気がする)は多分中学生の時で、覚えているのは新妻ソフィア・ローレンが夫マルチェロ・マストロヤンニに卵いっぱい(むちゃくちゃ多い)の卵焼きを作って食べさせるとこです「ふーん、イタリアでは新婚初夜の前にこれで元気をつけるのか」と感動しながら(バカですね)見ていました。
そして私のタイプ(誰も聞いていないって)はソフィア・ローレンより名前は忘れたけどソ連の妻(性格も清純で、控えめなところがgood!)の方でした。
でも戦争によって引き裂かれる夫婦愛、互いに家庭を作ってしまった故の別れ、悲哀は、大地いっぱいに拡がる美しいひまわりとマンシーニの音楽により心に残る映画となりました(若さ故の、違った見方をしていた不埒モノでしたけど・・)。
大リーグはTVを見ていて大リーガーがやたら口にモノを入れているので、何だろうと興味を持ちました。
するとガム・かみたばこ(日本で売っているのかな?現物を見たことがない)そしてひまわりの種と知りました。
かみたばこはあきらめましたが、ひまわりの種は手に入れ、口に放り投げ、歯と舌で殻をむき。
ペッと殻をだし食べてみました。
実は結構おいしかったけど、めんどくさがり屋の私は一袋買って、終わりでした(買ったのはペット用?)。
さて今、西都原はひまわりが満開です。
今日の午後、妻と見に行きました。
桜も、菜の花も、コスモスもいいけど、ひまわりもホントに良いなと思いました。
花と西都原大地は相性が良いですね。
黄色は勇気のわいてくる色です、コノハナ館の庭には黄色いハンカチが風にたなびいていました。
今日、あの大振りの花を見ているとマンシーニの音楽が頭に流れてきました。
古(いにしえ)の大地とひまわりはそれはもうホントにあっています、哀しみと、そして勇気(哀しみがあるから、それを乗り越えようと勇気が)の大地です、西都原は。
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弥勒先生

2010-07-18 20:44:28 | 日記
今日は夢たまごで行われていた、永友啓一郎コレクション展の最終日でした。
後かたづけの手伝いをしようと、3時くらいに行きました。
永友さんや荒谷館長と話しをしていたら、来ました、あっちこっちにガムテープやペンキを付けた車が。弥勒先生の車です、ヒョコタンヒョコタンと元気に夢たまごにやってこられました。
何故先生がこられたか、それは後かたづけの手伝いをするためです。
永友さんと弥勒先生は高千穂の神楽からの友人です、友人がやっている展示会は手伝ってやりたいという気持ちを持っておられる方です。
弥勒先生は展示の手伝いにも来られました、危うく脚立に乗って絵を掛けようとされて
いたので「先生それは、若いモノ(私のことです)にやらせます」と永友さんがおもわず言ったほど、動きます。
92歳です、つい一年ほど前は大腸ガンで生死の境をさまよった方です。
いつまでも熱い人に対する気持ちを持った方です。
このコレクション展の題字も弥勒先生が進んで書かれました(写真参照)。
弥勒先生は大家です、でも全くその風を感じさせません。
いつもはにかんだような、柔らかい笑みを浮かべます。
どこにでも出没します、今は西都原がひまわり満開です、素晴らしい情景です、勿論そこに弥勒先生の姿を見ることが出来ます。
人が大好きな方です、先日亡くされた奥様を心から大切にされてました。
奥様をスケッチした絵を見させてもらうと、胸が熱くなります。
先生と話すと元気になります、よく言います「僕が、若い頃は・・・」でいろいろ楽しい話しをされますが、その若いときというのは70代の事です。
勇気づけられます、元気を貰います。
先生と話しをしていると、うれしくなります。
今日全ての片づけが終わり、先生を見送りました。
車のダッシュボードに、紙が貼っていました。
そこには「ベルトつけるの忘れないように」(そういった言葉)書いてあります。

先生いつまでもお元気で
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酔って候

2010-07-18 00:56:34 | 日記
酔って候は、司馬遼太郎氏の小説から取りました。
今日は西都原で、彼岸花の球根植のボランティアに参加してきました。
沢山の方が来ておられました、グリーンツーリズムの方々が中心になって行ったようです。
東米良のツーリズムの方々が多かったです。
雨も上がり、午後3時から行いました。彼岸花の花言葉は「悲しい思いで」です、うえながら今回の口蹄疫の惨状に思いを馳せました、でも彼岸花にはもう一つの花言葉があります、パッションそう情熱です。
皆が力を合わせて復興に向かう気持ちが込められています。
その後西都美術協会の役員会がありました、今回のチャリテイーの報告、そしてこれからの活動について話し合いました。
西都の天才「清野憲一」を中心に頑張っていきます。

さて、彼岸花は西都市の商工観光課も主催に入っています、でその課の課長と2次会で落ち合い飲みました。
ここしばらく飲みにいくことがなかったので、新鮮でした。
行く場所はおきまりの「るり」さんです、ママさんに1時間ばかり久しぶりに、夜のお店の状況を聞きました。
やはり大変だったようです、7/31に行う復興イベントに是非、協賛(ギフト券が使えるお店)になって、と話すと「喜んで、入ります」と言ってくれました。
雨降って、地固まるを実現していきましょう。
で、うれしくって私は今「酔って候」です。
市民の皆さん復興イベント楽しみにしてください。おやすみなさい toshiro
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今日の日記

2010-07-16 21:41:39 | 日記
今日、西都市議会の臨時会がありました。                                                                     
大変重要な議案について質疑、討論、採択が行われました。と言う事で、臨時会の内容を中心に、今日一日を振り返ります。                                                                            
朝、いつものように交通安全の挨拶を行い、妻萬公園で早足ウォーキング20分、基本型(平安1~5段・鉄騎初段)で汗をかきました。                                                                      
その後市役所に行き(行く前にシャワーで汗を流しましたよ)特別委員会を行いました。議案に出る内容を中心に、説明を担当課から受けました。                                                                  
主な物を書きますと今回の口蹄疫での殺処分全体集計です。                                                             
県全体で患畜211,608頭・ワクチン(その後殺処分)77,035頭 総計288,643頭(牛豚その他合計)                                                                              
西都市 患畜939頭・ワクチン患畜(ワクチンを売った後、感染した)2,990頭・ワクチン(感染していないが、その後殺処分)14,737頭・未接種(ワクチン接種後に生まれた家畜)1,744頭 総計20,410頭 
                                            
畜産再開までの道筋(ザックリ書くと、全てが順調なら8/27以降経営再開可能)地図のよる制限区域の再確認(跡江と高鍋の件で複雑になっています)県中小企業融資制度「口蹄疫緊急対策貸し付け」(利子補給等盛られています)、口蹄疫被害義援金配分について県と市それぞれの報告と今からの予定が話されました。                                                                          
各課説明後に経済連の冷凍加工施設、西都市市議会議会報、獣医師、受精師、三財商工会への意見交換等について意見が交わされました。                                                                      
1時間を超える委員会でした。その後、議会全員協議会を行いました。                                                        
内容は先の委員会とほぼ同じですが、特別委員会以外の議員が説明を受けるのと、市長が説明するのでまた輪を掛けて熱心な討議がされました。先に書いた以外で特筆されるのは(私がそう思ったもの)                                                                                     
①高鍋の拒否農家への市長会での助命願について(日向市長と共に西都市長もTVに出たせいもあります)。                                                                                    
②復興の目玉プレミアムとギフト券についての質問でした。                                                             
①の助命願いは口蹄疫全体の陳情の話しの中の一部として出た物で、話題性が大きかったのでそこがマスコミにピックアップされた。
勿論書面等の嘆願は出しておらず(出したのは知事が山田大臣へ)口頭で述べたもの、と言うことでした。                                                                    
②はギフト券とプレミアムのついた復興用の券が混在しないかと言う物でしたが、担当課長が丁寧に説明されました。                                                                
ギフト券は故郷雇用の補助金を使っているので、それと混在すると法的に問題が生じる、そして何よりギフト券の最大の目的は地元購買運動であると言う事でした。                                                         
(地産地消のことです、地元に住む者は、なるだけ地元で消費活動をしようというのは、今のシャッター街となっている地方商店街の再生のキーワードです。
生産者、販売者、購入者にとって大切な意識付けだと、私も思います)以前私はブログでも書きました(3/6まちなか商店街再生への道)。                                                                                     
お昼をはさんでの長丁場となりました。
でも議員からは否定的な(マイナス意識の)考えは無く、如何にすれば西都市が早く、元以上に復興するかの討議でした(有り難いですね)。                                                  
その後本会議(臨時会)です、協議会で話しきっていますから、スムーズに通りました。
いよいよ復興へのスタートです。農家の皆さん二次災害を受けた商工関係の皆さん、そしてつらい思いをされている方々へ思いを寄せた市民の皆さんと力を合わせ頑張っていきましょう。                                                    
さて本会議の後、再度全員協議会そして産業建設委員会が開かれました。                                                       
全員協議会は西都医師会病院の件です、今現在医師会から西都市に経営が1年間移管されています。この1年間の計画(法人化へ向けて)の説明がなされました。私はいくつか質問をさせて頂きました、有り難いことに、ほぼよい方向への進み方をしていると判断しました。9月の定期議会でまた確認をしたいと思います。市民の命を預かる大切な病院です、見守っていきます。                                                 
産業建設委員会は口蹄疫で遅れた本来の事業等についての話し、及び経済連が西都市に作る冷凍加工施設について意見を交わしました。                                                                       
と言う事で、今日はいろいろと議会活動がありました(その後、市民実行委員会と話し合い、7時からは法元公民館(総務部長をしています)の運営委員会を行いました(敬老会について話しました))                                                                                     
さて最後に感銘を受けた言葉があったので書いて終わりたいと思います。今日の朝日新聞の天声人語に乗っていた99歳になる柴田トヨさんの詩です。それでは                                                                                                       
「私ね 人から やさしさを貰ったら 心に貯金をしておくの さびしくなった時は それを引き出して 元気になる あなたも今から 積んでおきなさい 年金より いいわよ」                                                  
詩集(くじけないで)飛鳥新書より
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負の遺産

2010-07-15 22:02:35 | 日記
以前、長崎をテーマにした写真展をしました(その時の説明文はブログの「3/2写真の話し②」に詳しく載せていますから見てください。)。                                                   
写真展をしようと思ったきっかけは「生ける伝説の写真家東松照明」と会えた興奮、そして原爆記念館に入って、映像で原爆落下から爆発するまでの映像を見たことです。                                       
カメラのフラッシュに似た閃光が光った瞬間、当時の人口24万人の約1/3に相当する7万4千人が命を落としました(原爆症で時間を経て亡くなった方を含む)。戦争は戦士同士の戦い(19世紀まではそうだったと思う)から、市民が巻き込まれる無制限の戦いになってしまったのです。                                                                                        
その光を見た瞬間思いました「この光は絶対忘れるべきでない」。                                                          
物事は見る角度からいろいろな解釈が出来ます、事実当事者である米国はこれ以上の戦死者を出さないための、やむおえない方策だった、と言う論調が有力のようです。当然日本は違いますね。                                             
この状況で「私が正しい、君は間違っている訂正しなさい」と互いに言い合うのは、突然生命を奪われた非戦闘員の長崎市民に対して間違っていると思います。
自分の考えに固執して相手をやりこめる(一種の原理主義です)のは、更なる戦いしか生みません(中東が良い例です)。                                                 
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」これは広島の原爆碑の言葉です。主語がない(過ちは米国だ、と言う考えの基に)とその言葉を汚した人もいたようですが、その様な無理解なことが起こります。                                                                              
ブッシュのよく言う「正義か、非正義か」、という2極の硬直した考えが更なる犠牲を生んでいます(第2次大戦後最も戦争をしているのは、正義だと言っている米国です)。                                                     
負の遺産は皆にこう告げます「誰が、誰に対して」という考えでなく、「何故、どうして」です。                                            
今の私たちは未熟な判断しかできません、現に市民運動と称しているものの一部は「恨みを作り出し、増殖させる」効果だけです。                                                                         
その先の何故こんな事が起こってしまったんだと言う所に考えが行かないと、「血の連鎖」に陥るばかりです。
そういった意味で。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」この文は良くできた文章だと思います。                                                                          
何故唐突にこんなブログ(それも、わかりにくい文)を書いたかというと、未曾有な被害を及ぼした口蹄疫を県民は「負の遺産」としてとらえる大切さがあると思うからです。                                                     
二度とこのような悲劇は繰り返さないと言う「義務」いや国民に向けて言える「権利」を県民は持ったのです(その権利をないがしろにする知事の言動は変だと、私は思います)。                                                                                               
負の遺産として考える時、大切なのはもっと根源的(緊急時に対応できない、功利主義的な畜産のあり方・グローバルな時代になった現代にあった防疫システム・食料自給率の見直し等)な事であって、国と知事が言い合うことでないです。
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