来年度から本格実施となる「子ども・子育て新制度」は、大変、複雑でわかりにくい。
なかでも「教育」と「保育」を切り離していることは、本当におかしいことだと思う。
就学前の子どもたちを受け入れる施設として、幼稚園は文部科学省(以前は文部省)、保育所は厚生労働省(以前は厚生省)のもとに、長い歴史を重ねてきた。
幼稚園は、就学前の教育場のとして「学校」としての位置づけを持ちながら、保護者の願いに応え、3歳児から受け入れ、そして「預かり保育」という形での長時間の保育も広がった。
一方、保育園は、当初は両親が働いている家庭の子どもたちの日中の保育を保障するための必要に迫られて施設整備が進んでいったのだと思うが、幼稚園と同様に、就学前の子どもたちが集団で過ごす場所だから、子どもたちの成長・発達を促す教育的働きかけがされてきた。
時代の変化、保護者のニーズに応える中で、保育所と幼稚園の違いは、実態としてはどんどん小さくなってきたのだと思う。
幼稚園も保育所も、保護者の費用負担も「保育料」という。
幼稚園でも、保育所でも、子ども達が生活と遊びのなかで、様々な経験をし、育ちあってきた。
ところが・・・・政府の発行する「新制度」の説明文書では「保育」と「教育」を区別・分離する表現がみられる。
「子ども・子育て支援法」で「教育」の定義は、「満3歳以上の就学前子どもに対して・・・・学校において行われる教育」。ここでいう「学校」とは、幼稚園と認定子ども園。児童福祉法に基づく保育所は含まれない。
しかも「教育標準時間」は幼稚園や認定子ども園の午前中の4時間。
本来、「保育」の中に「教育」があったはずだと私は思っている。
幼稚園と子ども園の午前中が「教育」、午後からも残るならそこで受けるのは「保育」、保育所は一日中「保育」。
もしこんな考えにたてば、「保育」とは何か?
ただ「預かってもらうだけ」ということか?
政府の文書だけではない。
たとえば先日傍聴した「泉大津子ども子育て会議」で配布された資料にも3歳以上の子どもを以下のように区分している。
※1号認定(幼稚園等) 「教育希望」、「保育必要・教育希望強い」
※2号認定「保育必要」 (保育所等)
「保育が必要」でも(高度な?)教育を希望するなら幼稚園の預かり保育か認定子ども園へ、「単なる保育(託児)」だけでよければ保育所へ・・・という振り分けとも読み取れる。
「必要」から生まれ、広がった保育所で、「子どもたちが集団の中で育ちあう」豊かな経験が培われてきた。
「保護者の就労などの条件に関わらず、地域の子ども達が一緒に過ごす」場として、幼保一体化を推進する一方で「保育」を「託児」におとしめるのは、時代逆行ではないかと思う。
このようなことから、「就学前の保育・教育」についての基本的な考え方を、一般質問のなかで確かめておきたかった。
泉大津で「就学前の教育」という場合、「0歳児から就学前まで」「保育所、幼稚園、子ども園の施設に違いに関わらず、共通の指導計画とカリキュラムを作って取り組む」「どの施設でも、子ども達が過ごす時間は全て等し就学前教育」という明快な答弁だった。
そうでなければ、「幼稚園のいいところ、保育所のいいところを合わせて、公立の一体化施設、子ども園をつくる」ことの意味はない。
これから始まる1号~3号の認定、新制度の説明、来年度の入所・入園の受付のなかで、「どの施設でも、どの年齢でも、どの時間帯でも等しく就学前教育」という市の考え方を、保護者へのメッセージとして伝えることを求めた。
「0歳からの教育」と言っても、「早くから文字や計算を教える」など、いわゆる「早期教育」が必ずしも、子どもたちの成長・発達にふさわしいとも思えない。
子どもたちは、それぞれに「育つ力」をもっている。
日々、新しいことに挑戦し、「昨日の自分」を乗り越えていく。
「教育」とは「発達保障」だと思う。
就学前の子どもたちが過ごす全ての施設が、生涯にわたって、自分の力を生かし、人や自然と関わりながら豊かに楽しく生きていくための土台を創る場所であって欲しい。
なかでも「教育」と「保育」を切り離していることは、本当におかしいことだと思う。
就学前の子どもたちを受け入れる施設として、幼稚園は文部科学省(以前は文部省)、保育所は厚生労働省(以前は厚生省)のもとに、長い歴史を重ねてきた。
幼稚園は、就学前の教育場のとして「学校」としての位置づけを持ちながら、保護者の願いに応え、3歳児から受け入れ、そして「預かり保育」という形での長時間の保育も広がった。
一方、保育園は、当初は両親が働いている家庭の子どもたちの日中の保育を保障するための必要に迫られて施設整備が進んでいったのだと思うが、幼稚園と同様に、就学前の子どもたちが集団で過ごす場所だから、子どもたちの成長・発達を促す教育的働きかけがされてきた。
時代の変化、保護者のニーズに応える中で、保育所と幼稚園の違いは、実態としてはどんどん小さくなってきたのだと思う。
幼稚園も保育所も、保護者の費用負担も「保育料」という。
幼稚園でも、保育所でも、子ども達が生活と遊びのなかで、様々な経験をし、育ちあってきた。
ところが・・・・政府の発行する「新制度」の説明文書では「保育」と「教育」を区別・分離する表現がみられる。
「子ども・子育て支援法」で「教育」の定義は、「満3歳以上の就学前子どもに対して・・・・学校において行われる教育」。ここでいう「学校」とは、幼稚園と認定子ども園。児童福祉法に基づく保育所は含まれない。
しかも「教育標準時間」は幼稚園や認定子ども園の午前中の4時間。
本来、「保育」の中に「教育」があったはずだと私は思っている。
幼稚園と子ども園の午前中が「教育」、午後からも残るならそこで受けるのは「保育」、保育所は一日中「保育」。
もしこんな考えにたてば、「保育」とは何か?
ただ「預かってもらうだけ」ということか?
政府の文書だけではない。
たとえば先日傍聴した「泉大津子ども子育て会議」で配布された資料にも3歳以上の子どもを以下のように区分している。
※1号認定(幼稚園等) 「教育希望」、「保育必要・教育希望強い」
※2号認定「保育必要」 (保育所等)
「保育が必要」でも(高度な?)教育を希望するなら幼稚園の預かり保育か認定子ども園へ、「単なる保育(託児)」だけでよければ保育所へ・・・という振り分けとも読み取れる。
「必要」から生まれ、広がった保育所で、「子どもたちが集団の中で育ちあう」豊かな経験が培われてきた。
「保護者の就労などの条件に関わらず、地域の子ども達が一緒に過ごす」場として、幼保一体化を推進する一方で「保育」を「託児」におとしめるのは、時代逆行ではないかと思う。
このようなことから、「就学前の保育・教育」についての基本的な考え方を、一般質問のなかで確かめておきたかった。
泉大津で「就学前の教育」という場合、「0歳児から就学前まで」「保育所、幼稚園、子ども園の施設に違いに関わらず、共通の指導計画とカリキュラムを作って取り組む」「どの施設でも、子ども達が過ごす時間は全て等し就学前教育」という明快な答弁だった。
そうでなければ、「幼稚園のいいところ、保育所のいいところを合わせて、公立の一体化施設、子ども園をつくる」ことの意味はない。
これから始まる1号~3号の認定、新制度の説明、来年度の入所・入園の受付のなかで、「どの施設でも、どの年齢でも、どの時間帯でも等しく就学前教育」という市の考え方を、保護者へのメッセージとして伝えることを求めた。
「0歳からの教育」と言っても、「早くから文字や計算を教える」など、いわゆる「早期教育」が必ずしも、子どもたちの成長・発達にふさわしいとも思えない。
子どもたちは、それぞれに「育つ力」をもっている。
日々、新しいことに挑戦し、「昨日の自分」を乗り越えていく。
「教育」とは「発達保障」だと思う。
就学前の子どもたちが過ごす全ての施設が、生涯にわたって、自分の力を生かし、人や自然と関わりながら豊かに楽しく生きていくための土台を創る場所であって欲しい。