Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

百舌鳥八幡宮(2016年5月21日参拝)

2016年06月28日 | 神社
続きまして仁徳天皇陵近くに鎮座する百舌鳥八幡宮へ。

百舌鳥と書いて「もず」と読みます。

漢字が3文字で平仮名が2文字で字足らずですが、
これは熟字訓だからです。

こういうのは他にもあって岐阜にも七五三と書いて、
「しめ」と読む地名があります。

どう見ても「しちごさん」だろってツッコミたくなりますが。(^^;



所在地:大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
主祭神:応神天皇
配祀神:神功皇后・仲哀天皇・住吉大神・春日大神
創建:伝・欽明天皇時代(532-571)
社格:府社


【由緒】
社伝によれば神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、
この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、
天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、
八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、
ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。

その後社運次第に隆昌に赴き、朝野の崇敬愈々厚く、
王朝時代には社僧四十八ケ寺、社家三百六十人、神領寺領八百町歩を擁した。
 
山城石清水八幡宮所蔵の古文書には後白河天皇の保元3年に、
当社が石清水八幡宮の別宮となっていたことが見える。

大内氏の和泉に於ける兵乱や元和元年大阪夏の陣の兵火等、
度重なる災禍を蒙った為、次第に昔日の壮観を失い、
什宝、古文書等も多く散逸した。

それでもなお当社は地方信仰の中心として重んぜられた。

徳川時代に於ても青蓮院宮・町尻家・随心院門跡・土屋候、
その他より奉納寄進などのことあり、近くは明治八年大久保利通卿が参拝され、
拝殿の額面を揮毫された。


【参道】


一万坪の広い境内で無料駐車場も凄く大きかったです。

無料なのは有難い。

しかし、光明院にお参りの方は当神社駐車場に駐車しないでくださいと、
大きな看板に書かれていた。

まぁ、それはしゃーない。

でも、ここは神域ですから光明院参拝には利用しないでください、
とも書かれていた。

あれだけ大きな駐車場があれば少しぐらい停めても良いと思うけど、
あれではまるで光明院に参拝すれば神域が穢れるとでも言いたげ。

ちょっと気分が悪くなりました。

よっぽど神社と寺は仲が悪いんだな。


結局、光明院の駐車場は無かったので参拝出来ませんでした。


【弁天社】







【水天宮社】





【弁天池】



【稲荷社】



【鳥居】



【拝殿】


大阪府下随一の立派な拝殿です。


【本殿】



【楠樹】


これは本当に見事な樹勢で圧倒されました。

樹齢800年の府天然記念物。


【楠社】



【神庫】



【若宮社】



【招魂社】



【御朱印】