所在地:京都府京都市山科区東野狐藪町2番地
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:文明10年(1478)
開山:蓮如上人
【縁起】
本願寺中興の祖と仰がれる蓮如上人ゆかりの聖地が山科別院であります。
本願寺第8代宗主蓮如上人の時、寛正6年(1465)、
京都東山・大谷本願寺が比叡山の僧徒により破却され、
ご開山親鸞聖人のご真影は大津・近松御坊にご避難されていました。
上人64歳の時、文明10年(1478)近州・金森道西の願いにより、
山科郷野村西中路に坊舎を建てられました。
これが山科本願寺のはじまりです。
天文元(1532)年8月、日蓮宗徒、比叡山僧徒が六角定頼の兵とともに、
本願寺を襲撃、やがて御堂に火が放たれ、山科本願寺もことごとく灰尽に帰し、
本願寺は蓮如上人が造営されていた大阪・石山坊舎に移り、
53年間に亘って隆盛を極めた山科本願寺は消滅。
山科本願寺焼失から200年が経過。
享保17年(1732)第15代住如上人により、
北山別院の旧堂をご廟所の東側に移築、聖水山舞楽寺とされました。
さらに第17代法如上人の時代になって、余りにこの御堂が狭隘である為、
17年の歳月を費やして、安永元年(1772)3月、現在の本堂が建立され現在に至る。
【蓮如上人御廟所】


ナビに住所を入力したらお寺では無く、
蓮如上人の御廟所に到着。
山科別院に行くはずだったのになぁ。
スマホで地図をチェックして見ると、
すぐ近くに山科別院がありました。(^^;
【正門】

なかなか風格のある門です。
鐘楼堂横に大型の無料駐車場がありました。
【境内】


広い境内です。
境内が駐車場になって無いのがいいですね。
やっぱりお寺の境内は世俗にまみれてない方がいいに決まっている。
【イチョウ】


【本堂】

【内陣】


源信僧都作と伝わる阿弥陀如来が祀られていました。
【中宗堂】

文政8年(1823)蓮如堂として建立されたもの。
蓮如上人像は上人自ら造られたものとか。
久しぶりに清々しい浄土真宗のお寺だったと思う。
いつまでも変わらないでほしい。
御朱印はございません。
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:文明10年(1478)
開山:蓮如上人
【縁起】
本願寺中興の祖と仰がれる蓮如上人ゆかりの聖地が山科別院であります。
本願寺第8代宗主蓮如上人の時、寛正6年(1465)、
京都東山・大谷本願寺が比叡山の僧徒により破却され、
ご開山親鸞聖人のご真影は大津・近松御坊にご避難されていました。
上人64歳の時、文明10年(1478)近州・金森道西の願いにより、
山科郷野村西中路に坊舎を建てられました。
これが山科本願寺のはじまりです。
天文元(1532)年8月、日蓮宗徒、比叡山僧徒が六角定頼の兵とともに、
本願寺を襲撃、やがて御堂に火が放たれ、山科本願寺もことごとく灰尽に帰し、
本願寺は蓮如上人が造営されていた大阪・石山坊舎に移り、
53年間に亘って隆盛を極めた山科本願寺は消滅。
山科本願寺焼失から200年が経過。
享保17年(1732)第15代住如上人により、
北山別院の旧堂をご廟所の東側に移築、聖水山舞楽寺とされました。
さらに第17代法如上人の時代になって、余りにこの御堂が狭隘である為、
17年の歳月を費やして、安永元年(1772)3月、現在の本堂が建立され現在に至る。
【蓮如上人御廟所】


ナビに住所を入力したらお寺では無く、
蓮如上人の御廟所に到着。
山科別院に行くはずだったのになぁ。
スマホで地図をチェックして見ると、
すぐ近くに山科別院がありました。(^^;
【正門】

なかなか風格のある門です。
鐘楼堂横に大型の無料駐車場がありました。
【境内】


広い境内です。
境内が駐車場になって無いのがいいですね。
やっぱりお寺の境内は世俗にまみれてない方がいいに決まっている。
【イチョウ】


【本堂】

【内陣】


源信僧都作と伝わる阿弥陀如来が祀られていました。
【中宗堂】

文政8年(1823)蓮如堂として建立されたもの。
蓮如上人像は上人自ら造られたものとか。
久しぶりに清々しい浄土真宗のお寺だったと思う。
いつまでも変わらないでほしい。
御朱印はございません。
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