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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

金峯山寺塔頭 脳天大神龍王院(2017年4月15日参拝)

2017年05月30日 | 仏閣
仏舎利宝殿までは蔵王堂からたった30段だけど、
ここから420段の階段がある脳天大神へ。

参拝したことが無かったから知らなかったけど、
ここは金峯山寺の塔頭だったのね。



所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山2482
宗派:金峰山修験本宗
御本尊:脳天大神
創建:昭和26年(1951)
開山:覚澄大僧正


【役行者像】


苦行に向けて役行者がお見送りをしてくれます。


【石段】


このままUターンして帰ろうかなと思う下りです。(^^;

当然の事ながら単なる多くの観光客は流石にここまで来ません。

だってしんどいもんな。
それは痛い程分かるわ。

ここを下りて参拝してまた登ってくるということは、
お寺にお参りしたいという思いと覚悟が無いと無理。

それでは私もいざ参る。


【不動明王】



【倶利伽羅剣】




杖が置いてあったので借りて下りて行きます。

やはり杖があると助かるわ。(^^


【お滝場】





【石柱】


何故か南無妙法蓮華経が刻まれていました。


【不動明王・役行者】



【石段】


まだまだ下っていきます。

ハァハァ・・・


【岩峯大神】



【石段】


もうちょっとです。

しかし、登りの事を考えると、いや、考えたらアカン。(^^;


【龍玉】


無事に到着。

お見送りの役行者像から約6分でした。


【身代り不動尊】



【白龍大神】


結界であるかのような朱橋を渡ると、
鐘楼でも吊っているかのような建物があるますが、
宝泉坊水子地蔵堂というものでした。

水子関係は撮影しないのがポリシーなので、
撮影はしておりません。


【観音像】


まずは本堂でお参り。

造りは神社の本殿のような感じだけど、
雰囲気はお寺の感じ。

神仏習合を感じさせる本堂でした。

その後、社務所前に祀られていた観音さんにお参り。


【石仏・祠】




いろいろありましたが、
一つ一つ撮影する気力がありません。(^^;


【波切不動明王】



【回廊】


お百度参りする場所です。


【境内】


ここまで車で来る事も出来るようです。

調べてみると勝手神社の横道からの林道コースと、
169号線から吉野大橋経由の林道コースがありますね。

そんな楽が出来るとは。

知らんかったわ。(^^;


【祖師堂】





【不動明王像】



【役行者像】



【五條覚澄大僧正像】


これにて参拝終了。

御朱印をいただいて、休憩室で湯で卵を食べてから、
金峯山寺まで450段を登っていきます。

いざ、登ってみると予想以上に楽でした。
そりゃ勿論ハァハァ・・・しましたけどね。

今年の白山登山を目指して運動しているので、
体力がついているようだ。(^^

今なら観音正寺の石段も歩いて行ける気がする。(笑)


【金峯山寺本坊】


本坊前でお会いした若いお坊さんは爽やかな挨拶をしてくれた。

きっちりと教育されていますね。

もし、これが挨拶が無かったらお坊さんの人格と、
お寺の品格を疑うところです。

挨拶って本当に大切だと思いますね。


【仁王門】


絶賛工事中。


【御朱印】


御朱印をお願いすると人数分のお下がりの湯で卵がいただけます。

休憩所にはちゃんとお茶と塩があったので、
とても有難かったです。(^^

吉田寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月15日 | 仏閣
時間は15時53分過ぎた頃、吉田寺の駐車場に着いた。

ぽっくり寺こと吉田寺の拝観時間は16時まで。

法隆寺に近いこのお寺は存在は知っていたが、
今まで参拝したことは無い。

うーん、どうしようかと迷ったが、
折角ここまで来たからにはと思い参拝することにした。

ちなみに吉田寺と書いて「きちでんじ」と読みます。


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:(伝)永延元年(987)
開山:(伝)恵心僧都(源信大師)


【縁起】
吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、
本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。

その後、平安時代末期永延元年(987)に恵心僧都源信が開基された。

丈六阿弥陀如来の前で念仏を称え、
祈祷を受けると長く病むこともなく天寿を保ち、
安らかに極楽往生をとげることが出来ると言われている。

通称「ぼっくり往生の寺」「ぽっくり寺」と呼ばれている。



【山門】


何だか禅宗のお寺かと思うようなワビサビを感じる山門です。

本堂までダッシュ。(^^;


【多宝塔】


お~、なかなか美しい多宝塔があるやん。

しかし時間が迫っているので本堂へ。


【本堂】


江戸時代の安政6年(1859)に再建されたもので、
なかなか堂々たる本堂です。

ここまでは無料で拝観出来ます。

御本尊を拝むには拝観料300円必要ですが、
絶対に見た方が良いと断言出来る御本尊がいらっしゃいます。

また、受付のお姉さんがとても綺麗な方で、
拝観して良かったなぁと思いました。(^^


【阿弥陀如来坐像】


撮影は禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。

本堂内部は思った以上に広くて、
奥深い本堂と繋がった奉安殿に祀られていました。

奉安殿は御本尊をお守りする為に防災設備を備えたもので、
昭和59年(1984)に建立されたもの。


少し薄暗い殿内に黄金色に輝くお姿を見た瞬間感動した。

これほどとは。

何で今まで吉田寺に参拝しなかったのか後悔したほど。

どこから見ても素晴らしいお姿で、
思わずぽっくり逝ってしまうところであった。(^^

時間が許す限り手を合わせながら拝ませていただきました。


また、外陣には木魚が何十個も置いてあり、
十日念仏会等の法要では皆さんが木魚を鳴らすのであろう。


【多宝塔】




大満足の本堂拝観後、多宝塔を望む。

寛正4年(1463)に建立された重要文化財で、
9月1日~2日、11月1日~3日に開扉し秘仏大日如来が拝観出来るそうです。

奈良県には重文の多宝塔は数少ないとか。

結構あると思っていたけど意外ですね。


【鐘楼堂】


安永3年(1774)建立されたもので、
梵鐘は昭和49年(1974)に真鋳されたもの。


【石仏】


向かって左が慈母観音菩薩、右が延命地蔵尊です。


【八幡神社】





【御朱印】


御朱印帳の絵柄も多数あり、
予約すればオリジナル御朱印帳も作成出来ます。


【煎餅】


美人のお姉さんと少し話したくて購入しちゃった。(^^;

あー、煩悩だらけ。(笑)

でも男だから仕方ない。(^^


【感想】
吉田寺に参拝して本当に良かった。

美しい御本尊様とお姉様にお会い出来たんだから。(^^

というか、すぐに会いたい毎日会いたい。(笑)

放光寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月15日 | 仏閣
片岡神社のすぐ近くにはかつて神宮寺であった放光寺があります。

こちらは聖徳太子四十六院の一つにも数えられている古刹です。


所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町2-6-1
宗派:黄檗宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
開基:聖徳太子



【縁起】


当寺はもと片岡僧寺また片岡王寺とも称せられ、
敏達天皇の皇后の発願により聖徳太子が建立したといわれる。

放光寺古今縁起によると当寺は敏達天皇の勅願所として、
同帝第三皇女片岡姫王が建立し、用明・推古・聖徳太子・舒明・孝徳の
各天皇や太子、奈良時代には聖武天皇がそれぞれ立願興隆につくされ、
荘麗な大伽藍と記している。

古今縁起によるに永承元年(1047)6月、雷火金堂に禍し、
廻廊・東中門・南大門を類焼し、康平三年(1060)に興福寺衆徒の為に、
洪鐘を奪いとられ、永保年中、五重塔朽損して三重に縮め、
保安3年(1122)12宇の僧房朽損甚だしいので縮めて十二間僧房とした。

以来、寺運は衰退した。

元禄の頃となり禅宗の一派として中国より伝来した黄檗宗の鐡牛禅師により再興。
以来黄檗宗の僧侶代々当寺に住し法燈が再び片岡の里に光を放ったが、
明治維新の廃仏毀釈により衰退。

現在毎年7月17日に大施餓鬼法要が営まれ、十七夜として親しまれている。


【山門】


数台分は停めれるスペースがありました。


【本堂】




本堂は残念ながら閉まったままでした。


【桜花庵】



【栄観音】



【しあわせ地蔵】


これは可愛過ぎる。(^^


【天文銘石灯】





【不動堂】



【不動明王】






そんなに上手に彫れていないと思うけど、
室町時代のお不動さんを拝めるなんて、
よく考えると凄いことですよね。

ありがたいことです。


御朱印はありますが、
御不在でいただけませんでした。

宗胤院(2017年4月1日参拝)

2017年05月07日 | 仏閣
今日は桜のイラストが欲しいと思い宗胤院へ。

その後は大和郡山市界隈の寺社を巡り、
龍田大社で御祈祷を受ける予定。

今回も充実した寺社巡りの予感。(^^


<2016年7月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/3d8fa857ed1a8b78814b90f52c0d4113

<2016年7月30日 宮下寛昇・ニノカルミゼ展>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/0edeac7108016002a96ce69848f31fbd

<2016年10月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7d656ab20321597e4d043866416c3eb5

<2016年12月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/b0580440e5ed63458fc35fdee943fa5d

<2017年3月12日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/632825bdf8a1c839501d8bb46074b143


所在地:奈良県葛城市當麻1263
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:宗胤上人


【山門】



【弥勒菩薩】


御住職の同級生が奉納したもので、
良い石をわざわざ使用しているので数百万円かかったそうです。

私には無理。(^^;

でも、この弥勒菩薩を奉納してから、
事業で1億2千万円もある理由で得したそうです。

それを聞いたから念入りにお参りしたのは言うまでもない。(笑)


【三重塔】





【イラスト】


これは御住職にいただいた「たとう紙」というもので、
色紙を中に入れて保護・保存するものです。




今回は桜をリクエスト。

素晴らしい。

鮮やかな桜に墨で描いていただいた幹や枝とのコントラストが最高です。(^^


書いていただいた言葉は最初は「さくらさくら」をリクエストした。

というのも、
倉木麻衣の名曲「さくらさくら...」が大好きだからである。

ファンの間では東北の大震災で心を痛めた彼女が、
震災にあわれた方々を癒す為に書いたと噂されている。

「誰の心にもある悲しみ 心に咲く夢が消すよ」というフレーズが、
心に響き、沁みいる素晴らしいバラードです。




結局、童謡の「さくらさくら」の歌詞が良いんじゃない?と
御住職が言うもんだから、私も同意。

「さくらさくら 野山も里も 見わたす限り」となりました。


今回も素晴らしいものを描いていただき感謝です。


【當麻寺境内】


本堂でお参り。

御朱印はいただいておりません。


【西南院】




奈良県北葛城郡にある百済寺の御朱印をいただきに西南院へ。

百済寺は後ほど。

真宗大谷派名古屋別院(2017年3月25日参拝)

2017年05月06日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが真宗大谷派名古屋別院です。

こちらは通称東別院と呼ばれていて、
近くには西別院である本願寺派の本願寺名古屋別院があります。

西別院は以前参拝していますが、
大伽藍を擁する東別院は初めての参拝となります。



所在地:愛知県名古屋市中区橘2-8-55
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:元禄3年(1690)
開基:一如上人


【縁起】
真宗大谷派名古屋別院は尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、
東本願寺第16代一如上人によって開かれた真宗大谷派の寺院です。

元禄3年(1690年)尾張藩第2代藩主・徳川光友より、
織田信秀の居城・古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。

文政6年(1823年)、新たな本堂が竣工。
この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。
緊急の措置として別院の古御堂が東本願寺の本堂とされた。

明治期には愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。

昭和20年(1945)3月12日、名古屋大空襲の被害を受け、
本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。

現在の伽藍は戦後再建されたものである。


【山門】


これは立派な山門です。

京都の本山よりも遥かに立派なものです。


山門の左右前に無料駐車場がありました。






最初の山門は宝暦7年(1757)に建てられ、
その後、明治14年(1881)に再建したが戦災により焼失。
現在のものは昭和43年(1968年に建てられたもの。

山門階上には釈迦如来像、弥勒菩薩像、阿難尊者像が安置されているそうです。


【中門】



【本堂】




これまた堂々たる威容を誇る本堂です。

元禄15年(1702)に建立されるも戦災により焼失、
昭和37年(1962)に再建されたもの。


【内陣】




真宗らしい雰囲気の内陣です。


【御本尊】




湛慶作とのこと。


【境内】


本堂から見た山門。


【対面所】




阿弥陀堂かと思っていたら定例法話が行われる対面所でした。


【内陣】







【古渡城趾碑】





【明治天皇名古屋大本営碑】



【明治天皇行在所旧址碑】



【鐘楼堂】



【境内】



【東別院会館】


最近ではアイドルのコンサートも行われていますね。(笑)


これにて参拝終了。

御朱印や参拝記念証はありません。


【オアシス21】






夜になるとこのようなライトアップをされていて、
とても綺麗でした。(^^


これにて名古屋遠征も終了。

カトリック布池教会大聖堂や政秀寺や萬福院等、
行けなかったところもあったが、それはまたの機会に。

永平寺名古屋別院 奉安殿護国院(2017年3月25日参拝)

2017年04月28日 | 仏閣


臨済宗の徳源寺の次は曹洞宗の永平寺名古屋別院へ。

この道は山門前の桜通で、名古屋にはこのような広い道が多い。

だから走り易いと思っていたが、
とんでも無い道に遭遇して焦った。

それがこんな道。




これはネットで拾った画像ですが、
右車線を見ておかしいと思いません?

普通右折車は必ず右端ですが、
この道では右折レーンが真ん中より二つ目になっているんです。

名古屋のバスが走っている大通りでは、
こんな訳の変わらん道が存在しています。

この着色された右端のレーンはバス優先道路みたいだけど、
他の地域だとバスの優先道路は左端のレーンです。

さすが名古屋、まさしく我が道を行くといった感じですね。(苦笑)

今回初めてこんな道に遭遇したのでマジで戸惑う。(^^;

それで恐る恐る真ん中の右折レーンで待っていると、
左右のレーンをビュンビュン飛ばす車がいて怖かったわ~。

しかもバス優先レーンを飛ばしている車が多くて、
さすが運転が荒いことで有名な愛知県です。(苦笑)

大阪の和泉ナンバーの車も運転が荒いことで有名ですが、
名古屋に住んだことのある知人曰く、愛知県は特別だそうです。(苦笑)


ふぅ~、永平寺名古屋別院に参拝して心を落ち着けて整えよう。


所在地:愛知県名古屋市東区代官町41-32
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:文政4年(1821)
開基:徳川斉朝
開山:瑞岡珍牛禅師


【縁起】
文政4年(1821)に尾張十代藩主徳川斉朝公が、
瑞岡珍牛禅師に帰依し、隠居所として建立された慶雲軒に始まり、
境内地は七代藩主宗春公が隠居した御下屋敷の一角である。

瑞岡珍牛禅師は永平寺五十世玄透即中の提唱した古規則の復古を
推進した高僧で、二世は弟子の黙室良要が就き、
尾張徳川家の祈願所として基礎を固め、慶雲軒を尾張の曹洞宗教学の中心地とした。

三世円爾は寺号の取得に努め、永平寺五十七世戴庵禹隣を勧請開山として、
永平寺直末となり護国院を公称、安政3年(1856)には永平寺六十世臥雲童龍によって、
四門首の次席につぐ格式に序せられ、珍牛禅師の法孫によって法燈が継承されていました。

しかし明治初年に尾張藩主徳川家よりの財政援助が無くなり疲弊しましたが、
門内大英が復興に努め、承陽大師遥拝所の称号を本山より賜り、
東海地区の中心寺院として再発足することになりました。

昭和20年(1940)戦災の為全山消失し、直ちに再建に着手したが、
資金枯渇により頓挫。

そこで永平寺熊沢泰禅は昭和33年(1958)に永平寺別院として昇格させ、
本堂、庫裏を再建、不老閣を某旧家より移築、
次いで開山堂、座禅堂等の伽藍が整備され、別院としての景観を整えました。

現在は座禅会、写経会や会社の研修会等に寺院を解放し、
一般の方々との交流を深めています。


【山門】


平成17年(2005)に建立されたもので立派なものです。

境内に車を停めることが出来ました。


【寺紋】



【本堂】


とても立派な本堂です。




平成28年(2016)に再建されただけあって、
ピカピカで大変綺麗ですね。(^^

参拝した時は知らなかったけど、
地下室もあるようです。

多分納骨用だと思います。


【内陣】


簡素だけど貧乏臭く無いのが曹洞宗らしい。(^^




御本尊様も曹洞宗らしく小さなものです。

こちらも新しく感じました。


【一葉観音】



【白山社】


今年こそは白山に登拝するぞ。


【十三重石塔】



【舎利塔】



【地蔵尊】



【宝篋印塔】



【桜】


まだ早かったです。

【御朱印】


若い雲水さんの案内で別室に通され、
お茶菓子までいただきました。

とても素晴らしい振る舞い、対応をしてくださったので、
御朱印代は500円にさせていただきました。

決してお菓子を貰ったからでは無い。(笑)

徳源寺(2017年3月25日参拝)

2017年04月27日 | 仏閣
建中寺の次は車で5分程の近くにある徳源寺というお寺へ。

ここは臨済宗のお寺ですが、
そういや名古屋市内の臨済宗のお寺って、
小さい檀家寺ばかりというイメージですね。

というか、京都の臨済宗の本山が凄過ぎるだけかな。

お寺に到着すると大型の無料駐車場がありました。


所在地:愛知県名古屋市東区新出来1-1-19
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:文禄元年(1592)
開基:織田信雄
開山:忠嶽和尚


【縁起】



【山門】


臨済宗らしい簡素な山門です。


【佛殿】




梅干し和尚と呼ばれた道一和尚が浄財を集めて建立されたもの。

殿内には涅槃像と五百羅漢が祀られているとか。






涅槃像を見ると微笑ましくなるのは何故なんだろう。(笑)

昔の写真を見ると昭和初期までは佛殿も無く、
外で寝ていらっしゃいました。


【中門】


昭和初期にはこちらが正門だったそうです。


【勅使門】



【地蔵尊】









【庫裏・大玄関】


昭和55年(1980)に建立されたもの。


【瑞心の庭】



【本堂】


昭和28年(1948)に再建されたものですが、
鉄筋コンクリートで味気ない感じです。




嬉しい事に堂内に入ることが出来ました。

修行の場だけあって簡素な内陣です。

ここで座禅が組めそうですね。


【御本尊】




渋い色合いの釈迦三尊像が祀られていました。

御本尊に拝めて良かった。(^^


【開山堂】




中央に卓洲禅師、右に蘇山禅師の木像が安置されているそうです。

昭和10年(1935)に建立されたもの。

こちらには入ることが出来ません。


【鐘楼堂】


創建当時に政秀寺より移築されたもの。


【太子堂】




こちらも堂内に入れました。(^^






こちらも簡素な堂内です。


【位牌堂】


本堂と繋がっていました。


【鎮守社】


これにて参拝終了。

あと、禅堂があるようですが、
残念ながら近づくことも出来ませんでした。


御朱印は書ける人がいないということで、
いただけませんでした。

それでも参拝して良かったと思えたお寺でした。

ワット・パクナム 日本別院(2017年3月19日参拝)

2017年04月23日 | 仏閣
香取神宮から成田へ車を走らせる。

成田や茨城県にこんなに魅力的な寺社があるとは嬉しい誤算で、
宗吾霊堂や神崎寺等、他に行きたい寺社を華麗にスルーして、
ワット・パクナム日本別院という面白そうなお寺へ向かう。

名前から推測されるように、
ここは日本のお寺ではありません。

タイにある有名寺院の日本別院となります。

日本に居ながらにしてタイの寺院の雰囲気を感じれるんですから、
楽しみで仕方無かったよ。(^^




ちょっと北海道を思わせる田園の中にポツンと、
色鮮やかな建物が見えた。




あれがあのワット・パクナムかと、興奮を隠せない。

到着すると大型の無料駐車場があった。



所在地:千葉県成田市中野294−1
御本尊:釈迦如来
創建:平成10年(1998)


【縁起】
バンコクにあるワットパクナムパーシーチャロンは、
アユタヤ王朝時代の後期に建立され、タイのなかでも規模が大きな寺院です。

前僧正のプラモンコンテープニーの瞑想の教えが有名なのと、
その威光を求めた信者たちがいつも寺院を訪れております。

日本別院はアメリカやニュージーランド等、
海外にあるワットパクナムの海外寺院と同様に、
テーラワーダ仏教国でない国に住むタイ人の為に開設した寺院です。

成田市の大栄町に1998年11月30日オープンしました。
タイ国と同じ227の戒律を堅持した僧侶5名が派遣されています。
そして1999年11月14日から本格的なタイ式布薩堂(ウボソ)の建設が開始され、
2005年4月10日に完成しました。

年間の行事はバンコクにあるワットパクナムと同様、
年4回の仏陀行事以外にタイ正月の行事(ソンクラーン)や、
ワットパクナムパシーチャロンから僧正が来日しての、
僧衣贈呈式(トーカテイン)など14の行事があります。



【ウボソ】




ウボソとは日本語では布薩堂というそうです。

外観は中々美しい色使いで下品には感じませんね。

参拝した時はてっきり本堂かと思っていたけど、
HPを見たら本堂ではありませんでした。(^^;




ここから中に入ることが出来ました。(^^

中に入れるなんて嬉しいわ~。
久しぶりにワクワクしてきた。(^^










とても煌びやかな内部です。

外観と同様、派手な色ですが品があるんですよね。

タイの国王が参拝しても全く恥ずかしく無い感じがします。

見ていてとても楽しい。


【釈迦如来】






奥に進むと仏様がいらっしゃいました。

こちらは釈迦如来だということですが、
見た目はいかにもタイの仏様ですよね。

高野山で見たタイの仏様は電飾とかあって閉口したもんだけど、
ここのはそんな下品さはありません。




日本で言うところの御前立でしょうか。

釈迦如来の前は恐らくワット・パクナム所縁のプラ モンコン テープニー僧正か、
タイで有名な歴史的な名僧なんでしょう。




どこの国でも縁の下の力持ちがいますね。(笑)


【肖像画】


 

恐らくタイのワチラロンコン皇太子殿下(現国王)夫妻かな。


 

プミポン前国王夫妻と思います。

合掌。


とりあえず内部の参拝を終えて外に。


【ウボソ】


ここが正面なのかな。


【ヤック】
 

元はインド神話の鬼神で、日本でいうと金剛力士ですね。


【ウボソ】






グルっと一周回って撮りまくったった。(^^


【本堂】


どうやらこちらが本堂のようです。




嬉しいことにこちらも中に入れました。(^^








釈迦如来と僧侶が祀られていましたが、
僧侶の像は威厳のあるお顔をされていました。




手前には涅槃仏等が祀られていました。

一体一体に賽銭箱もありました。(笑)


【手水舎】



【鐘楼】



あとサーラーと呼ばれる大食堂・休憩所や僧侶宿泊棟がありましたが、
これ以上は中に入れませんでした。

これにて参拝終了。

参拝していて非常に楽しかったし、
タイの寺院に行きたくなりました。(^^

分かり切ったことだけど、
御朱印はありません。(笑)

牛久大仏<東本願寺本廟>(2017年3月19日参拝)

2017年04月18日 | 仏閣
今回の旅で牛久大仏に参拝することになった。

今までは茨城県の牛久まで遠いなと漠然に思っていて、
参拝することはよっぽどの事が無いと無理だろうと諦めていた。

しかし、成田空港から車で高速に乗れば僅か30数分で到着する距離。

成田空港って意外にも茨城県に近かったのね。(^^;

これはもう参拝するしかないっしょ。(^^


所在地:茨城県牛久市久野町2083
宗派:浄土真宗東本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:平成元年(1989)
開基:興如上人



【牛久大仏】


めちゃくちゃ大きい墓地をグルーっと回りながら、
大型無料駐車場に到着。

日曜とあってか結構な混雑。

客層を見ると観光客やファミリーが多いなという印象。






やっぱりでかいわ。(^^


さぁ、早速参拝開始。

遊園地のような拝観入口で800円を支払って入場。

大仏胎内にはいらなければ拝観料は500円です。


【發遣門】


これは反対側から見た門で、
二階部分には釈迦三尊像が祀られていました。


【親鸞聖人像・鐘楼】



【牛久大仏】


デカい!デカ過ぎる!

実際に見ると圧倒されちゃいますね。






これだけデカいと逆に胡散臭くなるもんですが、
この大仏さんからは威厳を感じました。

新興宗教なら尚更ですが、
威厳を感じるのは東本願寺だからなのかな。


【大香炉】



【横超の橋】



【牛久大仏】




裏手に回って胎内に潜入。


【胎内】


エレベーターの中のような真っ暗な部屋に入って、
暫くナレーションを聴いた後、明るくなって先に進みます。

するとこんな光の世界が待っています。






階段で2階に登ると大仏さんの写真パネルや、
原寸大の模型が置いてある部屋がありました。




5階までエレベーターで昇ると、
85メートルの展望台の隙間から四方の景色が見れます。

隙間が狭くて見え難いったりゃありゃしない。(^^;

また仏舎利が安置されていましたね。


階段で4階に降りると売店。

3階は約3,400体の胎内仏が祀られていて、
金色の世界が圧巻でした。

ここは写真を撮っていません。


3階部分でも御朱印がいただけるようでしたが、
この時は職員さんが御不在でいただけませんでした。




2階部分は写経空間や念仏の間がありました。

これにて胎内見学終了。
正直ガッカリ感はありました。

1回入ったらもういいかな、という感じ。(^^;

牛久大仏って大規模霊園の中に大きな大仏があるテーマパークといった感じで、
浄土真宗系にある阿弥陀堂や御影堂等の伽藍が無いので、
よくあるお寺という感じはしませんでした。

これがもし大仏さんが安っぽくて胡散臭く感じたのなら、
牛久大仏は廃れていく一方だと思うが、
あの威厳のある大仏さんに救われているね。

牛久大仏は何度でも見たいのは確かです。

それにしても東本願寺は何故この牛久の地に、
巨額の費用を使ってまで大仏を造ろうと思ったのだろう。

茨城県は親鸞聖人所縁の地なので、
新たに巨大な伽藍を擁した本山クラスのお寺を作ってもいいのに。


【本願荘厳の庭】


大仏さんの足元にあるお庭。

鯉のエサやりが出来ました。


【御朱印】


拝観入口横と大仏胎内の二カ所で、
本願寺派では珍しく御朱印をいただけます。

しかも四種類。(笑)

ここは教義を発展維持するお寺というより、
家族の皆が楽しめるテーマパーク&墓地という位置づけだからこそ、
御朱印を授与しているのであろう。

永寿院(2017年3月19日参拝)

2017年04月17日 | 仏閣
板橋不動尊近くを時間潰しでブラブラ。

基本的に農家が多い。

家を見てみると土地がやたらと広い。

母屋があってもう一つ家があるのが普通で、
車も2,3台持っているばかり。

茨城県の農家は金持ちばかりなのかな。(笑)

2013年度の調べでは一住宅当たりの敷地面積が、
全国で一番広いのが茨城県。

それに意外にも県民所得が全国8位で、
土地が安いので広い土地に住めるようです。

そんな家を見ながら歩いているとお寺発見。

参拝するしか無いでしょ。


所在地:茨城県つくばみらい市板橋1908-イ
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明


【山門】


大きな墓地がある檀家寺ですが、
なかなか立派な山門です。


【本堂】




奥様に堂内に入れていただいて、
拝むことが出来ました。

凄く嬉しい配慮感謝です。(^^

念の為に御朱印の有無を確認しましたが、
御朱印は無いとのことです。

大慈恩寺(2017年3月18日参拝)

2017年04月11日 | 仏閣
日本寺と妙興寺の多古町から15キロ程離れた大慈恩寺へ移動。

長閑な風景を見ながら気持ち良く走れます。
渋滞知らずというか、ほとんど車が走って無い。(笑)


所在地:千葉県成田市吉岡183-1
宗派:真言宗智山派
御本尊:釈迦如来
創建:天平宝字5年(761)
開基:鑑真和尚


【縁起】


唐の大律師鑑真和尚の開基と伝えられ、
鎌倉時代以降は千葉一族の大須賀氏の厚い保護を受けて繁栄した寺院です。

寺域内には真源の名が刻まれた延慶3年(1310)銘の梵鐘があります。
室町時代に入ると足利尊氏の弟直義より御教書が下され幕府の勅願所となり、
尊氏兄弟が鎌倉幕府滅亡後のたび重なる戦乱による戦没者の霊を弔う為に発願した、
一国一塔の内の一つ、下総利生塔も建立される等、室町幕府の庇護を受けた。

光明天皇の時に勅願寺となり明徳2年(1391)
後小松天皇から「大」の一字を賜って以来、
慈恩寺から「大慈恩寺」と称されるようになったと伝えられています。

江戸時代に徳川幕府から代々20石の朱印地を与えられ、
御朱印寺の格式をもっていました。


境内には本堂、庫裡、宝蔵、勅使門、通用門、鐘楼があります。
また釈迦堂跡、多宝院跡、地蔵堂跡、利生塔跡がある他、
足利直義碑、秀雅上人碑、多くの下総板碑が本堂裏手の築山を中心に散在しています。


【弁財天】


大型の無料駐車場が二カ所ありました。


【勅使門】


香取神宮への奉幣使が通れる門だそうです。


【地蔵堂】




顔の大きな地蔵菩薩が祀られていました。


【通用門】



【参道】



【本堂】




格式の高さを感じる見事な本堂です。


【内陣】




不動明王が見えた。

この寺の御本尊は釈迦如来のはず。

おかしいなと思いつつよく見ると、
不動明王の後ろに金の光背と左右に金色の脇侍が見えた。

御本尊の釈迦如来は不動明王の後ろに祀られていると思われます。


【弘法大師像】




若い頃の弘法大師でしょうか。
凜とした意志の強さを感じるお顔をされていますね。


【境内】


向こうに洞穴が二カ所ある。

行ってみよう。


【石仏】



【洞穴】




中に入ってみたが足元の板がバキバキに割れていて、
これ以上すすめませんでした。

実際はジメジメしてもっと暗かったです。(^^;




もう一つの穴からも潜入。

ガキの頃を思い出して楽しくなってきた。(^^




二つの穴は繋がっていて、更に奥に空間がありました。

ここは漆黒の闇で何も見えないし、
何だか不気味だったので退散。(^^;


【鐘楼堂】





【本堂】


本堂を見納めして本日のメインである新勝寺へ向かう。


御朱印は御不在でしたのでいただけませんでした。

妙興寺(2017年3月18日参拝)

2017年04月10日 | 仏閣
日本寺から徒歩圏内にあるのが妙興寺というお寺。
こちらも日蓮宗となります。

参拝した時はあんまり近いと思っていなかったので、
車で行ったけどナビに住所を入力をするも反応無し。

何でやねん。(泣)

とりあえずナビの画面をスクロールしてお寺を発見し、
車を進めるが場所が分かり難い。

狭い道を何とか走り着いたのが西参道の階段。

車を停める場所が無いやん。(泣)

うーん、どうしたもんかと車を走らせる。

正直、諦めかけてた。

お寺近くの広い道路を走っていると、
横道に駐車場の小さな案内板発見。

ここは一回通り過ぎてたぐらい分かり難い。

しかも横道が狭いので大丈夫かと心配になるほど。

少し進むと墓地があって駐車場もあり、何とか到着。(^^


所在地:千葉県香取郡多古町南中344-2
宗派:日蓮宗
御本尊:曼陀羅・日蓮聖人像
創建:正安2年(1300)
開山:日辨上人


【縁起】
日蓮上人の直弟子、中老日辨によって正安年(1300)年に創建されました。
二世日忍の時に現在の峰の地に移り、山号を正峰山と改めて以降、
通称「峯の寺」と呼ばれています。

威風堂々たる構えの山門は明和2年(1765)、三世日精の代に建てられ、
多古藩主の定紋が附されています。

寺には弘安2年(1279)に日辨に与えた日蓮直筆の曼陀羅、立正安国論草稿の他、
日辨御持扇地紙、日祐・日尊・日親の曼陀羅、正木大膳時茂、原胤栄の制札等、
多数の寺宝が所蔵されています。


【総門】


まさに古刹といった雰囲気が漂っていました。(^^


【参道】


車は奥の山門まで行くことが出来ます。


【山門】




こんな田舎に、いやもとい、長閑な場所にこれほどの山門があるとは。

江戸末期にこの山門を造る為に必要な浄財集めは大変だっただろうね。

現代において、この地域でこれだけの浄財が集まるか、と聞かれれば、
現在の信仰心の薄さから察するに無理だと思う。


【二天尊】


宝暦9年(1759)作の毘沙門天。




宝暦8年(1758)の増長天。


【鐘楼堂】





【鎮守社】



【境内】


更に中門があり奥に本堂があります。


【中門】



【本堂】




なかなか年季の入った本堂です。

残念ながら閉まってました。


【お堂】


更に古臭いお堂があった。

これはもしやと行ってみると・・・




やっぱりもぬけの殻で荒れてました。


【庫裏】


御不在でした。

普段御住職は他のお寺にいるということで、
このお寺は無住だそうです。

これほどのお寺なのに無住とは信じられん。
よっぽどお坊さん不足なのかな。(^^;

という訳で御首題はいただけませんでした。

でも、見事な山門が見れたから参拝して良かったです。

日本寺(2017年3月18日参拝)

2017年04月09日 | 仏閣
日本にはお寺は幾つあるかご存知だろうか?

文化庁宗教年鑑平成28年度版によると、
仏教系は76945もの宗教法人があります。

その日本の沢山あるお寺でありそうで中々無い名前が、
その名もズバリ日本寺。

千葉県香取郡にその名前のお寺があります。
読み方は「にちほんじ」です。


例え寺名が日本寺であっても、
行きたいと思うお寺じゃ無かったら行きませんが、
事前調査ではなかなか良さそうだったので参拝することにした。

後日調べてみると千葉県の鋸南にも日本寺がありますが、
とんでも無くデカイ石仏の大仏や百尺観音が祀られています。

参拝してみたいが場所が場所だけに行きづらいのが難点です。

ちなみにインドには印度山日本寺というお寺もあります。


所在地:千葉県香取郡多古町南中1820-1
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:元応元年(1319)
開山:日祐上人
開基:千葉胤貞


【縁起】
千葉胤貞と親子関係にあった日祐上人は、大本山中山法華経寺の第3代貫主となり、
千葉氏嫡流の篤い外護を受けて千田荘(現在の多古町)等に多くの日蓮宗の寺院を建て、
また他宗より日蓮宗に改宗する活動をしました。

日本寺は千葉胤貞より土地の寄進を受けて日本寺の前身である東福寺を建立します。
室町時代に千葉宗家はこの千田荘で親族同士が争い滅亡。

戦国時代末期、日円上人が飯高壇林、小西壇林と共に、
日本寺を中村壇林として開壇しました。

壇林とは仏僧の学問所でどこの壇林を出たかで法縁が決まり、
どの寺に配属されるというように、現在も続く強固な関わりを作ったとされています。

日本寺は飯高壇林とともに特に徳川家より篤い外護を受けており、
水戸黄門(徳川光圀)はこの日本寺より第21世日耀上人を迎えて、
水戸三味堂壇林を創立しています。

また、現在の飯高壇林には僧侶がおりませんが、日本寺には現在も貫主がおりますので、
日蓮宗の各宗派より壇参や写経に訪れる僧や門徒があり、信仰の寺として有名です。


【山門】


山門横に空き地のような無料駐車場がありました。






芝山仁王尊の威厳のある仁王門を見た後だと、
簡素な造りだし、どうしても物足りなく見えます。(^^;


【扁額】





【参道】




杉並木の参道は雰囲気がとてもいい。

ただ花粉症の方は要注意。


【石塔】



【一切経堂】



【本堂】


本山だけあってなかなか立派な本堂です。




しかし内陣は質素なものです。

日蓮宗の本山クラスだとキンピカな内陣で荘厳なんだけどね。

でも、内陣を見れて拝めて良かったです。




本堂は横から見るととても本堂には見えない。


【鐘楼堂】



【水戸黄門御手植え紅葉】




あくまで「伝」ですから真贋は問わないでおこう。


【境内】


こちらには鎮守社等があるようだ。


【岡田稲荷社】


岡田って。(笑)

こんなん初めて見たわ。(^^;




パンパンとお参り。


【狛狐】



【妙見七面宮】






地元豪族の千葉家の守護神であり、
現在は日本寺の鎮守社です。


【境内社】



【豊田稲荷社】




こちらは豊田です。(笑)

豊田稲荷から勧請されたものかな。


【狛狐】


妙見七面宮の後ろのお堂に置いてありました。




その横にもう一つのお堂が。




中を見るとギョッとしたわ。(^^;

狛狐っていっぱいあると不気味なんですよね。(苦笑)




これら多くの狛狐は江戸時代あたりから奉納されたものなのかな。


【御首題】


御住職は京都に行かれていたので、書置きをいただきました。

宗胤院(2017年3月12日参拝)

2017年04月05日 | 仏閣
以前参拝した時に発注した墨画が出来上がってると聞き、
車をブッ飛ばし宗胤院へ。

予めこんな墨画がいいと、大まかに御住職にお願いしていたが、
どんな仕上がりになっているか楽しみです。


去年の12月以来の参拝です。


<2016年7月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/3d8fa857ed1a8b78814b90f52c0d4113

<2016年7月30日 宮下寛昇・ニノカルミゼ展>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/0edeac7108016002a96ce69848f31fbd

<2016年10月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7d656ab20321597e4d043866416c3eb5

<2016年12月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/b0580440e5ed63458fc35fdee943fa5d


所在地:奈良県葛城市當麻1263
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:宗胤上人


【風景】


田園風景から當麻寺の三重塔が見える風景を見てると、
とても癒されます。


【黒門】



【糸繰堂】




糸繰堂?

こんなお堂があったっけ。
全く記憶が無い。




中将姫と如来像が祀られていました。

うーむ、今まで見逃していたとは信じられん。(^^;


【當麻寺境内】




はぁ~、いいですね~。(^^


しかし、せめて唐招提寺や薬師寺辺りに當麻寺があったなら、
もっと観光客で賑わうのに。

當麻寺は観光客にとったら交通の便が悪いから仕方無いけど、
奈良に観光で訪れたなら當麻寺に訪れないと勿体無い。


【當麻寺本堂】



【三重塔】


絶賛工事中。


【宗胤院】




早速、御住職に御挨拶をしてイラストを描いてもらう。


【イラスト】
今回は色紙に書いてもらおうとおもって、
ダイソーで買った色紙を持参。

安物だけあってやっぱり描き難いみたい。

元々御住職は良い色紙をお持ちになっているので、
そちらで良いですよと言うと、
こういう書き難い色紙でも何とかするのが、
書き手の腕(←ここ強調)だと仰る御住職。

そういうことならばということで、
今回は墨画で滝を描いていただくことにした。




出来上がったのがこれです。




安い色紙は墨や絵の具が吸わないので、
とても書き難いので、そういう場合もちゃんと描き方があるそうです。

同じくダイソーで買った額縁に色紙を入れて飾っていますが、
さすが御住職の画力があって、とても良い感じです。(^^

通常、色紙のお代は3000円ですが、
色紙を持参したから2500円にディスカウントしていただきました。(^^




こちらは御朱印帳に描いていただいたもので、
紅梅をリクエストしました。

こちらもとても良いです。(^^


ますます下品な絵になってる京都の某寺や、
下手なお絵描きをしている大阪岬町の某神社のそれらと比べると、
雲泥の差ですよ。

申し訳無いがお金を出す程では無いと思うよ。

絵だったら何でもいいというものでは無い。

そう思うのは私だけじゃないはず、と信じたい。






こちらが私が御住職にお願いしていた作品です。

素晴らしい。

感動ですよ。




この大木と枝の墨画のタッチがたまらない。

画に合わせて額縁も御住職にオーダーしていただきました。
額縁のお代は確か1万円だったかな。

額縁の色の渋さが絵にとてもマッチしていて最高ですね。

合計金額は内緒。

ン万円しますが、これほどの芸術作品だと安いですよ。

部屋に飾れるし、何百年も残せる美術品なので、
御住職の描くイラストが好きで何度も訪れている方々は、
オーダーした方が絶対良いですよ。

断言します。
画を見た時の感動は一生モノです。

だから是非とも入手していただきたい。

サイズによって値段も変わってきますので、
そこは御住職と御相談ください。

ボッタクリ金額を請求する御住職では無いのはご存知ですよね。
そこは安心してください。

買った者から最後に書かせていただきますが、
画を購入して後悔することは絶対無いと断言しよう。

伊賀寺町通り 上行寺~妙昌寺(2017年3月4日参拝)

2017年04月02日 | 仏閣
伊賀寺町通り5つ目のお寺が上行寺。

こちらは藤堂高虎の菩提寺であり、
元々は和歌山の粉河に創建され、
藤堂高虎により伊賀城下に移転してきたお寺です。


<上行寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1165
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:天正16年(1588)
開基:藤堂高虎


【山門】


車は境内に停めることが出来ました。


【本堂】


当たり前のように閉まってました。(泣)


【妙見堂】





【日蓮聖人像】



【藤堂家墓碑案内図】



【御霊屋】
 



後ろが一般の墓地で通路が狭くて撮影しにくかった。


【藤堂高虎墓石】





御不在でしたので御首題の有無は不明です。



<妙昌寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1161
宗派:法華宗本門流
御本尊:十界曼荼羅
創建:天正16年(1588)
開山:不明


【山門】




なかなか立派な山門です。

大阪の寺町もそうだけど、
伊賀寺町通りも日蓮宗系の寺院が覆いですね。


【境内】



【本堂】


本堂は閉まっていました。

法華宗本門流だから本堂拝観は檀家だけかな。


【鬼子母神堂】





【紅梅】



御首題の有無は不明です。

以上、伊賀寺町通り七ヶ寺参拝終了。

全て観光寺ではありませんので、
特にお勧めのお寺はありませんが、
歴史好きなら藤堂高虎の菩提寺かな。