無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

郷土の先人達

2010-08-22 10:25:34 | 社会
本間郡兵衛さんの記事の時にも、「荘内日報の郷土の先人・先覚」を載せたが、これは1988年頃から新聞に連載されたものである。実は、私の祖父も曾祖父もこの記事に載っていて、実際の新聞のコピーは、後生大事に取っておいてある。インターネットの時代が始まって、これがアーカイブで荘内日報社のホームページに現れた頃、いつになったら私の先祖に辿り着くかなと、心待ちにしていたのだ。曾祖父の方は、少し前に載っていた。

萬谷さんに呼ばれて長谷川先生にお会いしたのも、本間郡兵衛さんの歴史を追って祖父の記事に辿り着いたのも、古くさい言葉だが、巡り合わせかなと思っている。ちょうどその日が祖父の誕生日だったからだ。もう一つお目出度い事に、家族が一人増えた。予定日を通り越して心配していたら、祖父と同じ誕生日に生まれてきた子がいる。この日を待っていたんだろうと思う。もうみんなデレデレと可愛くて仕方がない。

曾祖父も祖父も、田村寛三さんが取材に来て書いてくれた。あれだけ短い文章であっても、取材や資料は多かったと記憶している。曾祖父の写真は、本家には残っていなかった。これも色々と事情がある。曾祖父と祖父とは仲が良かったようだ。親の言いつけで養子になり、漆塗りの職人になった次男坊を、気に掛けていたのだろう。その孫(私の父)を「職人の子は職人になれ。」と、これまた大工にしたのも、曾祖父だ。偉い先祖がいたのだと気が付くのは、大人になってからだった。

酒田に住んでいれば、本間家とは何らかの関わりを持つ人が多いのだろう。祖父も漆塗りでは本間家への出入りの職人だった。それが切っ掛けで本間家の乳母だった祖母と一緒になる。祖母の写真の中に、見知らぬ人達との物がある。本間家の人達だった。本間万紀子さんの先代先々代の方々との写真だ。祖母は40代で亡くなり、伝え聞く話と写真だけになったが、祖父は101歳(数えで)まで生き、大往生を遂げた。
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4 コメント

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Unknown (Andi)
2010-08-22 19:02:27
歴史をひもとく楽しさ、そして、ご先祖さまが歴史に関わっていたことを発見する醍醐味を味わえるCakeさんは、ラッキーですね。

おめでとうございます! 同じ誕生日に生まれたのは女の子ですか?男の子ですか?
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Andiさん (cake)
2010-08-23 08:53:07
私たちは、先祖があって生まれてきた事を、時々忘れていますね。もう一度原点に戻らねばと思います。Andiさんから頂いたキーホルダー、毎日バックに着けて行動してます。(^^)
新人は、男の子でした。(^o^)
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Unknown (yukacan)
2010-08-24 01:32:35
すごい祖先をおもちですね。そうやって見ると六角灯台に親しいものを感じます。おじい様のユーモアあふれるエピソードやお写真で見るお顔はやっぱりcakeさんがその面影をしっかり受け継いでいらっしゃるように感じました。曾おじい様に受け継がれた数学の素養も・・・。
新入り君はイケメンですか?おめでとうございます。
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yukacanさん (cake)
2010-08-24 09:00:23
新人君は、イケメンだと皆で騒いでおります。退院して家に帰ってくるのはもう少しですが、今年は異常に暑いので、病院の方がゆっくり静養できるのかなと思います。

謎かけのような先祖のお披露目でしたが、yukacanさんは、六角灯台まで、すぐに辿りついたようですね。もっと過去を遡って行くと、珍しい名前にも出会えます。もしかすると、日本人は何処かで皆が繋がっている可能性もあります。yukacanさんとも親戚だったりするかも知れませんね。
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