この建物は、建築の雑誌に載ったほどの、優れた作品である。
ここが最終の見学場所になった。
人間の最後の舞台としてのコンセプトが素晴らしい。
長いエントランスも、その雰囲気を十二分に出している。送る人、送られる人、それぞれに心を揺さぶられる。
コンクリート打ち放しの壁に、Fixの窓があり、その窓辺に1つづつ違った小さなオブジェが並んでいる。
優しさと生を感じられる作品である。
新しい時も、年月を通した今も、内部は美しい。
この施設の良い所の1つは、貸し切りでの火葬が出来るのだそうだ。
駐車場の脇に咲いていた、沙羅の木。ナツツバキの花はこれからである。
ここが最終の見学場所になった。
人間の最後の舞台としてのコンセプトが素晴らしい。
長いエントランスも、その雰囲気を十二分に出している。送る人、送られる人、それぞれに心を揺さぶられる。
コンクリート打ち放しの壁に、Fixの窓があり、その窓辺に1つづつ違った小さなオブジェが並んでいる。
優しさと生を感じられる作品である。
新しい時も、年月を通した今も、内部は美しい。
この施設の良い所の1つは、貸し切りでの火葬が出来るのだそうだ。
駐車場の脇に咲いていた、沙羅の木。ナツツバキの花はこれからである。
製材所では、製材するにも経済的な寸法があって、一連の流れ作業の中で、皮むきから機械に掛けますので、特別大きいとそれ相当の設備が必要になってきます。金山では、普通の製材の他に、集成材の工場もありました。それも見学させて頂いております。
金山の山持ちは、大木は滅多な事では手放さないそうです。よほど経済状態が良くなかった時か、公共の仕事で特別の指定があった時のようです。昔ながらの人達が住んでいるので、「あの木手放したんが、よっぽどこえあんの。」と言われるようです。
ありがとうございます。
実は、今年UIAと言う世界の建築家の大会が日本で秋に行われる予定で、当初は金山町の町並みを見学したいと準備をすることになっていました。震災で大会は行いますが、金山町の見学は中止になりました。100年をかけて金山の町を変えていく壮大な計画を知って、建築家達が興味を示しているのです。
生活の糧があって人が住み始めた日本と大地に突然街ができる外国では価値観が違うのももっとですが、屋根の高さや敷地面積、屋根や壁の色を統一して歳月をかけて出来上がった町並みに、価値があるのだそうです。
金山町のような町並みを美しいと想える一方で、個々が好みの色彩と個性的な形式で家を建てていく日本。個々を美しい、素晴らしいと感動する心を日本人は持っても、調和という心は忘れ去れたのかもしれませんね。
銀山温泉のような奇抜な建物が登場しないことを願います。
日本は高温多湿で、そのうえ地震などの災害が多いので、家並みを残すのはヨーロッパあたりと違って大変です。戦後、初めて見るテレビの向こうに、豊かな電化製品や住宅、自動車を持つホームドラマが映り、これじゃ物量でも戦争には勝てなかったとする一方で憧れを持った。その想いが、日本の住宅を否定してきたのが、町を壊すきっかけだったような気もします。
銀山温泉!そうでしたね。