無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

はやぶさ

2010-07-21 12:55:28 | 社会
小惑星探査機「はやぶさ」の後継機「はやぶさ2」について、 文部科学省は14日、開発計画の検討に入った。 計画では14年7月~15年に打ち上げ、H2Aロケットによる 打ち上げを含む総事業費は270億円。
はやぶさ2は、はやぶさが到着した小惑星「イトカワ」より形成年代が古く、 有機物や含水鉱物に富むとされる小惑星「1999JU3」を目指す。

こんなニュースが7月14日に発表された。これはこれで喜ばしい。全国で公開されている「はやぶさ」の映画も好評らしい。また相模原のJAXAでは、はやぶさの等身大模型(私の中で擬人化してるw)を見るために訪れる人が昨年の数倍に上っていると言う。これも喜ばしい。

ところが、ここに来て、喜ばしいと言うより、香ばしいと言うか、焦臭い記事が出た。

財団法人日本宇宙フォーラムでは、はやぶさの帰還を記念して、記念メダルを発行するという。メダルは3種類。大型の純金製(直径45ミリ、60グラム)は50個で1個52万5000円。他に小型の純金製(同26ミリ、12グラム)が200個で同10万5000円。純銀製(同55ミリ、85グラム)は1000個で同2万1000円。金銀セットは200組で、1組12万6000円。

いったい何なんだよ!日本宇宙フォーラムなんて、知らないし。
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田沢ダム

2010-07-21 12:38:28 | 建築・都市・港
私たちが山菜採りに通った坂本林道が、田沢ダムの建設によって、あの山野草もこの山菜も沈むと騒いだのは、いつ頃の事だったろう。ミスミソウを移植しようと、平田町の愛好家達も活躍した。坂本林道には、あんなに足繁く通ったのに、ダムが出来てからは、数える程しか行っていない。人間の記憶も薄れるもので、新しい道路では、ここが何処か、走っていても見当がつかない。



田沢ダムは、治水の為と言うより、酒田市の水道に供給する為のダムである。以前の酒田市の水道は、最上川から引いていた。おかげで水が涸れる事はなかったが、県内唯一流れる最上川は、清らかな物も、県民の汚物も、一緒くたに運んでくれて、それを消毒するために入れる薬剤の量も多かったのだろう、県内一美味しくない水道と言われてきたのだ。



新しいダムが出来ても、やっぱり他の地域の水の方が美味しいと、私は思う。

以前、走っていた旧道も水の中に沈んだ。ダム湖の向こうに見える道路は、そのまま湖に沈み込む形になっているので、前からとても気になっていた。行ってみたいと思った。
この辺だろうと、見当をつけて降りて行くと、最終が広場になっていて、対岸からダムが見えるようになっていた。下りの道路の先の、右に見える立て札が広場の辺りである。で、湖に突き刺さる道路の方は、関係者以外立ち入り禁止のゲートの奥になっていた。車では行けなかったが、歩いてなら大丈夫だろう。ただ、休日にもかかわらず、この広場にも道路にも、人っ子一人いないのでは寂しすぎる。



ピントが何処にいったやら~♪。
甘い木イチゴのような実を着けているのは、コウゾらしい。(和紙の原料)



マタタビの実は、虫コブになっていた。
漢方薬としては珍重されるだろうが、私はやっぱり普通の形のマタタビの方が良い。



これは田沢湖ダムから随分と離れた某地域の水汲み場。
庄内には、名水と呼ばれる湧き水の出る所が沢山あるが、ここの水が今のところ一番美味しいと思う。
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旧阿部家

2010-07-21 00:38:24 | 建築・都市・港
旧平田町の阿部家の事は以前から知っていた。何度も家の前を通った事があっても、寄った事はなかった。それは、阿部家の前を通り抜けた奥に、坂本林道と言う、山菜と茸が沢山採れる楽園があったからだ。坂本林道の奥の奥で、20数年前に見たナメコの群生は、今でも脳裏に焼き付いている。高さ1.2mチョイ、切り口は約60cm、根元はそれの3倍ほどのブナの切り株に、傘の直径が5cmに満たない同じサイズのナメコが、根っこの裏側にもびっちり隙間なく覆っていたのだ。全体が黄金色に輝いていた。これほどの光景には遭った事がなかった。あの頃は、一緒にキノコ採りに行っていた母も元気だった。このナメコだけで、3人のリュックがパンパンになった。ま、そんな話はまたの機会にすることにして、今回は酒田市指定文化財の阿部家へ寄ってみよう。



手前が馬屋のある土間の入り口で、奥の壺のある所が客用の玄関である。



建物は平屋の茅葺きで、建坪75坪位だと言う声が家の中から聞こえてきた。他の客に説明しているらしい。右奥には、稲蔵の建物がある。



土間に近づくと、中から「どうぞお入り下さい。」と声が掛かった。土間の奥の囲炉裏で、男性が薪をくべていた。内部は撮影可能だそうで、遠慮無く撮させて貰った。

右側に馬が繋がれている。農耕馬は家族同様に大事にされる。母の実家も同じように馬がいた。噛まれると危ないから触るなと言われても、真っ先に馬に挨拶し、米ぬかや飼料の草を与えながら、ベタベタ撫でたものだった。馬の瞳は優しく睫毛は凄く長かった。この阿部家にはもう馬はいない。ハリボテの作り物の馬がいたり、人間の代わりのマネキンに出会うと、ビクッと逆に驚いてしまう。



単に写真を撮るのではなく、時間があったら、一つ一つ道具を見ていくと、面白いとおもう。



一坪か一坪半ほどのせまい機織りの為の部屋があった。



部屋の形は田の字型をしている。ただ神棚があったが、仏間がない。



座敷の大黒柱は面白い位置に立っていた。この方が見せ場はあるのだと思うが、四方から大鴨居が突き刺さっていないだけ、ちょっと物足りない。



神棚の後ろの部屋は、通常一家の主の寝室になる。現在は、そちらの部屋で「土人形」を飾ったり、作ったりしていた。



瓦屋根の部分が単独の大きな仏間だった。浄土真宗なので、絢爛豪華と言うわけにはいかない。以前見学した柏倉邸には及ばないが、個人の仏間としては、立派なものだった。きちんと挨拶し、拝んでくる。



蔵の入り口についた。



生活用品が沢山並んでいる。



この年代物のとっくりには、憧れる人が多いのだろうなと思う。



御猪口も良いが、昔懐かしいかき氷のガラスの食器も味わいがある。



鉄瓶の数々。あれ?アイロンが混じっていないか?



これは重箱などの塗り物。



上段は曲げ物。秋田の曲げわっぱが有名だと思う。
面白い形の湯たんぽがあった。



これは抹茶茶碗。(もっと良く見てくれば良かった。)
私たちが作った本間焼きを並べても、見栄えがするとか・・・。←こらこら



これは蔵の2階。階段は箱階段のような上等な物ではなく、普通の階段だった。
人形や女性の髪飾りなどが多く展示してあったので、そちらは撮さなかった。←こわがり



この展示は良いのだろうか。この時代は密造酒なんて、取り締まりはなかったのか。
正真正銘の地酒は、さぞかし美味しかったろう。



蔵の錠前



蔵の扉の金物



鍵の部分の裏側。どうなっているのか触ってみたが、動くことはなかった。



台所にかまどはなかった。普通に調理台が着いていた。それは近年まで使われていたからだろうと思う。湯殿も見つからなかった。現在阿部家は、公民館のような使い方をされている。



これは離れの稲蔵の展示品。馬の鞍や、真ん中に見えるのは、消防用のポンプではないだろうか。面白い物が沢山あった。



土蔵を撮す。窓が中央ではなく、少しずれている。見せるために作った住居ではなく、古い物を保存した物なので、見せ場の写真を撮るのは難しかった。道路からだと土蔵も入れて全景を撮ることも出来るのだろうが、入り口に新しいトイレがあって、それが邪魔で写せなかった。

最後に、少し気になることがあった。建物や生活用品などは、民俗学の立場からも、指定文化財として残して展示する事に、何のためらいもない。ただ、あの仏間の仏壇や仏像も、そのまま残っている事に違和感があった。阿部家の子孫は、必要としなかったのだろうか。いやいや、詮索はしない方が良いのかも知れない。
コメント (6)
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