無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 郡鏡コミセンにて

2024-09-17 12:32:31 | 歴史
飽海地域史研究会と郡鏡コミニティセンターのコラボによる「郡鏡・山谷の歴史文化ルネッサンス」 が開催された。


午前の講座では元山形県埋蔵文化財センター職員の黒坂雅人氏による「縄文高畑遺跡と中世の埋蔵銭」と題して
酒田市田沢の高畑中学校跡地に所在する高畑遺跡(山形県遺跡番号464-007)についてお聞きした。





郡鏡コミニティ振興会会長挨拶


来賓の県議会議員挨拶


来賓市議会議員挨拶



講師の黒坂雅人氏は縄文にかなり詳しい。
高畑遺跡は、酒田市田沢の高畑中学校の地から見つかった。縄文人は海岸段丘の日当たりの良い所に住居を構える。
高畑は地元の人々は「たかはた」と呼ぶが、県の博物学の上では「たかはたけ」と呼ぶそうだ。


初回は、明治12年(考古学が花開いた年)松山町の羽柴雄輔とあの松森胤保が調査に入った。
羽柴雄輔は奥州人類学会や奥州博物学を率いた人物である。

上記の挿絵は羽柴の作品である。
いろはの番号が振られているが、左上の「ろ」だけ土偶の足で、他は石器である。
「ち」は扇型の斧だが、要の黒い部分はアスファルトである。アスファルトは木の棒との接着に使われた。





これは他の遺跡で発掘された有名な遮光土偶。
この遮光技術は現在でもイヌイットの人たちがサングラスとして使用している。
土偶はまともな姿で発掘された物は少ない。
どこかが欠けている物が大半だ。


山谷新田遺跡(山形県遺跡番号464-023)からは土偶が多数発掘されている。
イカ星人かと思うほどの顔が着いている。


これも土偶で、お腹の真ん中が割れている。


破片を集めて復元した。中には子供たちが手伝った物もあると言う。


とことん使われた石皿。食べ物をつぶす為に使われた。


山谷新田遺跡(県指定464-032)の沢筋の集落跡。


土の断面に赤い部分があり、焼け土ではないかと言われている。


縄目の文様があるのが縄文土器である。
時代が古いほど細かい模様で、後期(晩期)になるとコブが着いたり、大雑把で粗い模様になると言う。


午前の講座が終わると、地元の方々がお師匠さんになって、藁細工が始まった。













亀の出来上がり


様々な藁細工が飾られていた。


お昼は地区の食生活改善委員会の皆さんの手作りの芋煮弁当 
(今日は山形でJIAの芋煮会と重なった。)




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