48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

東海道細切れラン 穂積から関ヶ原へ 2

2019年08月29日 00時15分39秒 | 東海道をランニング
8月26日 月曜日 東海道細切れラン 穂積から関ヶ原へ 2

中々書く時間が無いので、今回は細切れです。記録集としては全然意味が無いホントの自己満足。これは自覚しております。
東海道を全部走ったからと言って、何が面白いのだ?と自問する事もありますが、こういうテーマを掲げると、行った事が無い所を走れるのだ。
「この走った感動を皆さんに伝えたい!」って事は全然思っておりません(笑)、
「こんなバカも走るんだ」と読んで笑ってやって下さい。
このバカはとうとう垂井の町に入りました。
この道路は「御首道」と呼ばれておりまして、千年前に平将門の首が打たれて・・・という言い伝えのある道です。こんな石碑が建っておりますが、ごく普通の田舎の道路で、所々に農家が点在している長閑な農道です。

垂井自体ホントに小さな町なので、岐阜県民でも知らない人が多いのではないか?
鉄道オタクなら、垂井の町を大きく迂回する東海道本線の迂回線を思い浮かべる方もいると思うけど、小さくて話題にもならない町です。垂井町の方々、すまん。
農道をテクテク歩いたり走ったり(笑)してますと、さすがに暑くてアイスを買ってしまいました。嗚呼太る。ガリガリ君のブドウ味です。この後は国道に合流しましたが、交通量は多いものの歩道が広く景色も良いので、そんなに苦になりませんでした。
よくわからんお寺?神社?の横を通りました。看板を見ると、
「神仏両部 大道教」の看板が。どうやら神仏混合の新興宗教みたいです。私がジムでお世話になっております「総合格闘技大道塾」とは全然関係ありません(笑)。
国道から相川沿いの堤防道路を歩きます。この辺りになるともう走る事が出来ん。電池切れである。
でもね、10月に100キロウォーキングがあるから、歩く練習もしなければいけないのだよ、明智君。
JR垂井駅に到着。駅前の看板には、古戦場の地図がでかでかと載っていて、駅から見える丘が徳川家康が最初に陣取った「桃配山」との事。その背後には毛利軍が陣を敷いた「南宮山」があるらしい。
おおおお、ここから古戦場かあ!私の乏しい戦国時代のデータが頭を駆け巡っております。
しかしながら駅のはずれにあった、垂井城跡の「平塚為広」という城主・武将の事は知りませんでした。すいません、俄か歴史ファンです。
旧中山道を行きますと、小林家という古い文化財の民家。江戸時代後期の物らしいです。街道沿いなので、戦国時代以降の文化財も多いみたい。
垂井の町はずれにある神社。小さいけれど写真映えするので、ここで休憩を取りました。
垂井の町からは中山道を進んでいるのですが、道の両サイドは旧農家の古い建物が多く、気持ちの良い散歩道です。こういうでかい家には犬が飼われている事が多く、前を歩く度に吠えまくられております。
俺は不審者ではないぞ~。
国道を歩道橋でまたぐ際に、関ヶ原方面の東海道線をパチリ!貨物がよく通っております。物流の大動脈ですな。あの向こうの山間が関ヶ原かあ。
垂井の一里塚跡です。浅井軍の陣跡でもあります。スペースの都合上、載せれない写真が沢山あります。ああああ、残念!
さて垂井町はここまで。この先は関ケ原町。歴史好きにはたまらんコースです。
地元の人が畑耕してたら、人骨が出たりして(笑)。

最後、古戦場で喜んでるオジサンは、パート3で。

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