その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

灰、さようなら^^;

2023-07-21 08:43:58 | 転職

『半三郎君♂』…7度目のサマーカットですか^^;

迷犬『半三郎君♂』の膝(正確には「足」かい?)の色を見て、「栗毛」という色味を考え、これがホントの『膝栗毛』だわねぇ…などと下らないことを思っていた。(「膝栗毛」とは、膝を馬代わりに…つまりは、徒歩で旅行することが本来の意^^;)彼の場合は、人為的に『短足』に改良された犬種だから、旅行(徒歩)は難儀するに違いない。
そこから、さらに飛躍して「膝栗毛」…江戸時代後期の作家「十返舎一九」の名前の由来は何なんだろうなどという疑問が湧きまして…どうやら「十返しの香(蘭奢待:黄熟香)」が由来らしいことを知る。『10度焚いてもその香りが失われない。』といわれる名木の「黄熟香」…「香道」にも長けていたといわれている「十返舎一九」の辞世の句が「… 線香の 煙とともに 灰左様なら」と詠んだとされているから、最期まで洒落の利いた人のようにも思える。まぁ、この節定番となっている『半三郎君♂』のオシャレと掛けたお話でありますけれどね^^;


十返(とがえり)すれば…飽きる^^;

さて、10回繰り返すことを「十返(とがえり)」と言うらしい。「読書百篇、義おのずから見(あら)わる」などとも申しますが、凡人『おやじぃ』が「十返」「百篇」など書物を繰り返し読んだことがあるはずもない。そもそも、10回、10年と熱心に何かに取り組んだことがあるかということさえ、甚だ怪しいのでありますよ^^;
はてさて、今度、指摘を受けたら素直に受診しようと思っていた「健康診断結果」…案の定、血圧は『高値安定』、大腸は?あらら、目の異常も指摘項目が増えている。「2年連続で要受診が続いたら…」という初めの決意はどこへやら。「加齢による老化現象の表れであるわなぁ…。」と全く意に介していない。(何のために、人間ドックを受けているのか意味不明^^;)『指摘、十返者一苦』…こんなことを繰り返していたら、本日のお題「十返舎一九」の人生の如く、不自由で孤独な最期を迎えるに違いない。(享年67歳とされている。)そろそろ、自分の身体の衰えに真剣に向き合わなければいけない年齢なのにねぇ。今まで、一番長く続いたと思われる『夫婦関係』…自らの不摂生で「灰、さようなら」では洒落にならないもんなぁ(笑) いや、笑い事じゃないわ…。

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棚から天罰…?

2023-07-20 09:38:00 | 転職

「我に天佑あり」…芥川賞 市川沙央さんのことば

市川沙央さんの「ハンチバック」が、第106回芥川賞を受賞されたようである。(『おやじぃ』は読んでおりません^^;)気になったのが「我に天佑あり」という会見の言葉でありまして、折しも大相撲名古屋場所が開催されておりますから、以前「北天佑」という大関がいたよなぁ…なんて思い出しましてね。その四股名の由来は『北の天の下に生まれ、人の右に出る(Wikipedia)』とされているようだから「天佑:天のたすけ」とは、全く意味が異なっていたようでありますよ。そりゃ~そうだわねぇ…プロのスポーツ選手が、天の助けによって、横綱、大関まで上り詰めようなんて思わないだろうと思うから^^;
稽古、稽古…『天は自ら助くる者を助すく』…天分に恵まれていても、突然の怪我、病気で思いが叶わない人生なんてよくある話だもの。努力が報われて「我に天佑あり。」と言える人生も、努力が報われず「天は我を見放した。」と嘆くのも、それぞれの人生であり、「願いが叶わないのは努力が足りないから…。」と突き放せるのは『成功者』のことであって、その他大勢の平凡な『成功者』は、そこそこの『成功』に、そこそこの『幸せ』を感じているのではないかなどと思ってしまう『おやじぃ』でありますよ…それで良いと思っているのでありますけれどね(笑)


百日香の花言葉ねぇ…

さて、『天は自ら助くる者を助く』という言葉は、欧米人の成功談を集めた「自助論」の序文らしい。『おやじぃ』は、原典は「聖書」あたりと全くの勘違いをしておりましたよ。「人に頼らず努力せよ。」という戒めの言葉のようでもあるけれど、『おやじぃ』には『成功者』の突き放した言葉に感じられてしまうのでありますよ。
はてさて、人はどこかで、誰かに『助けられ』、また、その裏返しとして、どこかで、誰かを『(意識していなくても)助けながら』生きている存在ではないかと思っている。「努力せよ。」と語るのは簡単ではあるけれど、自分にできる『努力』が、必ずしも他の人もできる『努力』とは限らない。さらには、『努力』をしたからといって『棚からぼた餅』のごとく幸運に恵まれ続けることもないし、『努力』を怠ったからといって『天罰』が下るとも思えない。『不運』を嘆く人には、多少なりとも『助け』が必要であるし、上手く『不運』を抜け出せたなら、多少なりとも『助ける』側に回れないものかと…「天佑:天のたすけ」を待つまでもなく、身のまわりには『人佑:人のたすけ』が必ずあると信じたい『おやじぃ』でありますけれどねぇ。

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紫色にまつわる…

2023-07-19 09:27:04 | 転職

紫色のイメージは?

「色彩心理学」という研究分野もあるようで、「紫色」を好む人は感受性が豊かな分、傷つき易く、内に閉じこもりな傾向があるそうだ。(勉強不足であり、あくまで聞きかじり^^;)今では、赤と青を混ぜた中間の色くらいの認識ではあるけれど、染め物としては「紫草(ムラサキ)」の根や「貝紫色」(赤みのある紫)として、高貴な色として好まれたようであります。
初めて紫色のグラジオラスを見た時は、「珍しい」「きれいだ」と感じたのでありますが、見慣れてしまうと陳腐化してしまい、その感動も薄れてしまうもののようであります。赤が定番だったサルビアの花も「白」「紫」と品種改良が進み、不可能と言われていた「青いバラ」も遺伝子組み換え技術によって誕生しているようでありますよ。
「紫色」にまつわる言葉を検索していたら、子どもの頃によく作ったプラモデル…旧日本海軍の迎撃戦闘機だった『紫電改』の「改」は改良型を示す言葉だったと今頃になって知った次第であります。『零戦』の後継機として期待されたものの、改良の余地を多く残したまま、軍の求めで実戦配備された機体のようである。戦争による技術革新、改良はよくあったこととは思うのではありますが、あくまでも平和利用に向けて欲しいものだと思う『おやじぃ』でありますよ。


「冷奴」にマヨネーズですか?

さて、カツオの刺身を「マヨネーズ醤油」で食べると「トロ」の風味になる…漁師飯、漫画の影響と色々考えられる。トマトにマヨネーズ、塩、砂糖?(糖度が低い時代のトマトの食べ方?)ならまだ良し。がしか~し、「冷奴」にマヨネーズはアリ?料理人が丹精込めた『料理』に勝手に調味料を追い足しするのは失礼かも知れないが、この場合、料理人『ノロ社長』のお勧めだから構わないだろう…しかし『おやじぃ』は『むらさき(醤油)』だけでいただくことにして、マヨは遠慮した(笑)
はてさて、「パープルタウン(歌)」「パープルレイン(バラ)」と紫色にまつわる言葉、造語は多数あるようですなぁ…。そうそう、道教では徳の高い天子が現れるとき、仏教では高僧(念仏行者)の臨終の際に「紫雲」が現れるなどという教えもあるようではある。「紫電一閃」…研ぎ澄まされた剣が一瞬放つ鋭い光であり、事態の急激な変化を形容する言葉であるらしい。前述の『紫電改』もまた、青い稲妻や制空権の奪還を目指して名付けられたものなのだろうか…?長引くロシアのウクライナ侵攻…『紫色の雲』は、善政の現れであって、原爆をもって立ち上る『きのこ雲』であってはならないと願う『おやじぃ』ではありますが…漂う無力感ではある。

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おたまじゃくしは…

2023-07-18 08:25:07 | 転職

「カツオ」の父親は「波平」である^^;

1940年にリリースされた『お玉杓子は蛙の子』は、コミックソングだった?(『おやじぃ』の生まれる戦前のことだから当然知らない^^;)
子どもの頃に『シャグシ(杓子)たがって(持って)来い。』と言われて、それが「汁物用の杓子」なのか「ご飯用の杓子」なのかは、その場の状況で判断しなければならなかった。(子どもが間違えたからと言って、怒られることなどなかったけれど^^; 単に『へら』(しゃもじ)とも言っていたような気もする。)今では、「おたま」と「しゃもじ」の使い分けをしているから、間違えることはないとは思うけれど、それが水を汲むための「柄杓(ひしゃく)」を持って行ったら笑われていたかも知れない。そもそも、今時のお子ちゃまに「杓子(しゃくし)」と言っても通じないかも知れないなぁ^^;
そんな状態だから、「オタマジャクシ」は知っていても、「お玉杓子」と口走ったら、汁物に「オタマジャクシ」を入れるのかと子どもたちはギョッとするに違いない。一体、「お玉杓子」と「オタマジャクシ」はどちらが先なんだ?「お玉杓子」は、滋賀県多賀神社の縁起物「お多賀杓子」が語源とする説もあるから、「お玉杓子」が先に生まれたに違いない(笑)


そんなに重要なことでもないかぁ^^;

さて、世に「杓子定規」という言葉がある。元々は、曲がっている「杓子」を「定規」代わりに使うことであり、誤った基準でものをはかることの例えとされるのだけれど、「そんなに杓子定規なものの考え方をしなくても…」といった風に、今では応用・融通が利かないことを指す意味合いの方が強いのではないだろうか…。
はてさて、「オタマジャクシはカエルの子~♪」と歌って、まさか「マナズの孫・子」であると勘違いする方はいないとは思うのだけれど、世界には一対の「髭」を持つオタマジャクシや親ガエルよりもはるかに大きいオタマジャクシの「アベコベガエル」というカエルも存在するらしい。こうなると『初見』の時には大きな間違いをしでかすかも知れないなぁ…。汁物のお鍋を前に、「杓子(しゃもじ)」を持って来られてもよそれないけれど、ご飯を盛るのに「杓子(おたま)」なら何とかなるかも知れない。それが「水柄杓」ならば…鍋と器の大きさにもよるわなぁ^^;
「杓子定規」も使い方次第で何とかなるかも…「ねばならない」という考え方を脱して少しは柔軟に物事を考えてみましょうか?お歳のせいで難しくなってきているけれど(笑)

 

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知る者は言わず…

2023-07-17 08:14:53 | 転職

昔ながらの豆腐とサバ缶だった^^;

「四年ぶり」の例大祭(御祈祷は人数制限しながら実施していましたけれど…)、「直会(なおらい:神事後の飲食)」のご馳走は「豆腐とサバ缶」だった^^;
自粛前は、女性陣のお手伝いもあって刺身やオードブルなども出していたのだけれど、男どもだけで再開した飲み会は、おつまみも共用を避け、小分けのスナックや個別の「豆腐とサバ缶」なら大丈夫でしょうと若い頃の『伝統料理』を提供してみたところであります。
思い起こすと「崇敬者」や地元自治会長をお客様としてお迎えしても、消防団で『火伏せ』の酒も、慰労会も総て「豆腐とサバ缶」だった。地元の酒蔵も「崇敬者」のひとりであるからビールなど厳禁、最初から最後まで日本酒…『おやじぃ』たちが現役の頃から、少しは緩和されては来ましたけれどね。(飲めない者には、完全なアルハラだわねぇ^^;)今の若い世代からすると、地元に豆腐製造店があったことすら知らないし、『おやじぃ』たちだって、何故「豆腐とサバ缶」なのかを知らないのでありますよ。「男どもの料理だから…。」とか「昔はご馳走だったに違いない。」とか「安かったから…。」とか口々にその理由を考えるのだけれど、『伝統』というところに落ち着かせ、事の真偽(何故)
は誰も知らないのでありますよ(笑)


はて、「知っている」ということとは?

さて、最近「私は知らなかった。」と語り、「これだけ騒がれて知らないはずがない。」と噛みつかれ、第三者がさらに不毛な論議をする傾向にあるようでありますなぁ…。(『おやじぃ』もその一人かも知れない^^;)どうやら「その情報は知っている。(見聞きしたことがある。)」ということと、「その真偽を知っている。」ということを同列に扱い、論点がズレていることに気付いていないようであります。
はてさて、これだけSNSが発達し、気軽に何でも投稿できる世の中に身を置いていると、見聞きした『情報』の断片を、自分の思いという絶妙な『調味料』でつなぎ合わせ、新たな『情報』として再発信できますからねぇ…『むか~し昔、名主の権兵衛さんの夢枕に弁財天が現れ、祭礼には豆腐とサバ缶を使いなさいというお告げがあったと聞いている。』などと、いい加減な作り話をしたとしても、誰も傷つかないし、信じてもらえないとも思いますけれどね。「知る者は言わず、言う者は知らず…」という老子の言葉があるようだ。(由来は一切関係ないけれど…)自分の思いに都合の良い『情報』をかき集めて『知ったフリ』をする…「これもオラのことだよな。」と自戒しながら、人を傷つける発信だけは気を付けようと思う『おやじぃ』でありますが…ことの真偽は(笑)

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おそれ、うやまう…

2023-07-16 08:20:04 | 転職

何とか「前夜祭」も無事終了して…

「たかまのはらに、かみづまります…あまつかみ、くにつかみ、やおよろずのかみたちともに…」拝殿で宮司が奏上する「大祓詞(おおはらえし)」を低頭しながら言葉を追い掛けておりますが、意味不明…お経と同じで、訳が分らない方が『ありがたい』のかも知れない^^;
そもそも「例大祭」は本日(昼祭り)であって、「前夜祭(イベント)」をお祭りと誤認しているのだから、『神霊』をお招きするなどという『配慮』はどこか欠落しているようであります。それでも、集落で早朝に集まり、神社の清掃と飾り付けを終えて、夜には子ども連れで参拝していただけたから、『神様の力』はあなどれない…『御神体は長さ三尺(六尺?)の絵巻物』などという言い伝えも聞いたことはあるのだけれど、その存在はもう誰も知らないのでありますよ。
熱心な『仏教徒』でもなく、ましてや『神様の存在』を信じている訳でもない。それでも護り、頭を下げるのは、心の奥底に『畏れるべきものの存在』があるのかも知れないなぁ…折しも、秋田県内での大雨による災害の報があり、この世の中には、人間の力では如何ともし難い『生存を脅かすもの』がある。神仏の存在を信じていなくても、こうした『畏敬の念』を失ってはいけないとだけは感じている『おやじぃ』であります。


『猫神さま』じゃ~^^;

さて、神仏の存在は別にして、『自分が今ここにあること』にも素直に感謝したい。退職前は、思いもしなかった同居猫『シロ♀』との出会いもまたひとつ。彼女の母親であるノラ猫の『ジーコさん♀』には、子育てについて色々教えられたものである。(残念ながら、『おやじぃ』の子育て期間には間に合わなかったのが残念ではあるけれど^^;)
はてさて、生産組合の「御神酒」を手に、とぼとぼと歩いていると、どちらのお宅にも『屋敷神』が祀られていることに改めて気が付く。(『おやじぃ』の家は、別の市町村からのJターン組であるから、『屋敷神』は祀っていない。)少なくても米沢上杉藩の系譜を継ぐ家々だから、ご先祖さまが祀ったに違いない。『神仏を護る』『家を守る』ということが、最近、とみに厄介だと思い始めている『おやじぃ』であるから、ひとつの『厄介』からは逃れられているとも思っているのだけれど…。『人を守って』きてくれたはずの『神様』も、その『神様』を護る人(人口)が少なくなっているのでありますよ。時代の流れに合わせた『護り方』も考えていかなければいけないかも…少なくとも、『おやじぃ』が『畏れて』いるのは、生身の人間の方かも知れないけれど(笑)

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救いのヒーロー…

2023-07-15 05:48:59 | 転職

『ぶりぶりざえもん』だわなぁ…^^;

アニメ「クレヨンしんちゃん」に登場する二足歩行の豚のヒーロー(自称)…「私は常に強い者の味方だ」と公言して憚らない^^; 「クレヨンしんちゃん」自体が1992年(設定5歳児)のスタートらしいから、我が子らと同じ世代のはずである。
何故に突然?集落神社のお祭り(イベント)もコロナ禍で中止を余儀なくされて、今夜はイベント再開…はて、この場合『3年ぶり』なのか、「4年ぶり」なのかと考えた次第であります。「ぶり」は、「再び同じ(期待する)状態が現れるまでに、それだけの時間が経過した意を表し、満で数えるのが基本」だそうだから、「4年ぶり」の開催と言うのが正しいようである。それでも、イベントの部分は、様子見をしながら「カラオケ」や食べ物(オードブル)は控え、「生ビール」「飲み物」くらいは出してみようか?程度の再開でありますよ。『自粛』という名の足かせで、開催を控えてきたのか、『自粛』という好都合の理由を盾に煩わしさから逃れてきたのかは色々考えるところもありますけれどねぇ…「地域コミュニティの醸成」なんて言うと恰好も良いけれど、もしもの場合の『共助集団』の維持。風通しが良く成ればいいのでありますよ。


どこまで出来るか分からない?

さて、「再開」とは言うけれど、どこまでやれるか分からない。あまり派手にやるとこれからを担う役員の重荷にもなってしまう。この3年間の『自粛』という名の『助け舟』で、楽しみよりも煩わしさの方が大きくなってしまいましたから、その間、平均年齢も確実に4歳上昇し、果たして何人がイベントに参加していただけるのかも不明でありますよ。(役員にはサクラとして動員は掛けますけれど^^;)
はてさて、昔は約1ヶ月も前から、若い衆が集まり、寄付帳を手に集落内外を回り、舞台掛けまでしていたのだけれど、今ではそんな元気もどこへやら…「幟」を上げる旗竿も高齢化でケガでもされたら一大事と上げなくなってしまいましたよ。「常に強い者の味方である」救いのヒーローである『ぶりぶりざえもん』も、「やらなくても良いんじゃない。」という『強い者』の声に、当然のように流されております。それはそれ、これはこれ、お魚の出世魚「鰤(ぶり)」も成長スピードから出世するまで4年は掛かるようである。4年掛かって出世、成長できれば良いけれど、『衰退』という二文字も頭に浮かぶ…今の『救いのヒーロー』は、『嫌気』という空気も敏感に感じ取らなければいけないのかも知れないなぁ…それでは準備に出掛けます(笑)

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逃げ場所と居場所…

2023-07-14 10:05:00 | 転職

「ヒメヒオウギズイセン」の花言葉は…

仕事をサボって(仕事から逃げて)、日々配信されているドラマを延々と見続けていたら、『既視感』を感じるようになってきた…「人生にはそれぞれのドラマがある。」などと言ってみても、視聴者も納得できるような『落とし所(結末)』に仕上げないと、逆に『違和感』につながってしまうのかも知れない。『幸せな結末』『信賞必罰』etc.…世の中、思い通りに行かないことの方が多いはずなのに、それが『別れ』であってもお互いの『幸せ』が前提であり、『悪』が栄えてはいけない手筈になっている^^;
ならば現実はどうなのだろう?『イジメによる自殺』『芸能人の自殺』etc.…これもまた繰り返される『既視感』…『イジメ』や『晒されて』、『逃げ場所』を失ったなどと結論づけられてしまうのだけれど、そうでもしないと『生き続けている』側の人間には理解できない『行動』なのかも知れない。
『おやじぃ』自身もメンタル不調を訴える(または様子の)同僚に、「逃げて良いよ。」と相談して来た経験もあるけれど、果たして具体的な『逃げ場所』を的確に声掛け出来たかはどうかは疑問である。『クリニック』、『心の相談室』も『逃げ場所』のひとつかも知れないけれど、不調の『原因』を取り除いてあげなければ、不調の心理状態からは解放されないと思うのでありますよ…。


『晩酌会』…これまた『既視感』?

さて、動物に自殺という『行動』はあるのか?確かに「喜怒哀楽」という感情は推し量られるけれど、『自らを省みて、意図的に生存という命題を断つ意思決定はできない。』という考え方が支配的なようである。ミツバチの『防衛行動』も主人や配偶者の死に対して餌を食べなくなる行動も、自殺ではなく『自滅行動』と理解しないと、『人間の崇高な意思決定過程』は守られないという思い込みも働いているようである。
はてさて、「完膚無きまで」という言葉がある。どうやら中国唐代に、クーデターの仲間に加わらない同僚に対して、お灸で全身にヤケドを負わせたという故事が由来となっているらしいのだけれど…。どうも思い込みの『正義感』というやつで、『完膚無きまで叩き伏せて』おいて、『自殺』という行為に対して口をつぐんでしまう。『おやじぃ』とは面識もなく、関係のない人なのにねぇ…『逃げ場所』がないと「心の視野狭さく」に陥っている貴方に伝えたい。『逃げ場所』がないと思っていても、貴方にとっての『居場所』が必ずあると…その『居場所』は決して、「死の先」にある場所ではないと『おやじぃ』は確信しているのだけれど…。「ヒメヒオウギズイセン」に「良い便り」という花言葉がある。貴方に「良い便り」を届けてくれる人が必ずいるはずだから…。

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天然ものでっせ^^;

2023-07-13 07:55:54 | 転職

「都こんぶ」も有名ですが…

酢の物が苦手というだけで、食べられない訳ではない。そんな『おやじぃ』だから、子どもの頃、駄菓子の「都こんぶ」に手を出すことはなかったのだけれど、こうして「酢こんぶ」を出されると、ひとつだけは口にしてみる。やっぱり甘酸っぱいねぇ^^; ところで、『白い粉』の正体は何ものなんだ?と次なる疑問が湧いて来る。干し柿や干し芋ならば、糖分がしみ出した物であると言えるのだけれど、昆布から糖分がしみ出るとも思えないし…やはり気になる方もいらっしゃるようで、中野物産「都こんぶ」の場合は『秘伝の粉』らしい。食品表示法で添加物の記載が必要だから…ソルビトール(甘味料)、食塩etc.といったところらしいのだが…。
そして「北海道産天然昆布」というラベルが気になった…「天然」とわざわざ表示するのは「養殖」もあるのかい?と次なる疑問が湧いて来る。内陸部に育った影響で、昆布漁は海底からコンブを刈り取るイメージが染みついてしまっているのよねぇ。統計年次は定かではないのだけれど、北海道産では6割程度が「天然物」ではあるようだ。何故かしら「天然」と表示されるだけでありがたく感じてしまうから不思議だよねぇ…(笑)


今夜は「送別会?」だった^^;

さて、「酢こんぶ」でお決まりのビールを飲んでいたら、携帯が鳴りましてね…アララ、勤め人時代の同僚の「送別会」をすっかり忘れてしまっておりましたよ。コロナ禍で早期退職した元同僚たちとの酒宴も送りおくりになっておりましたから…その間、一人は病気で他界し、丁度三回忌の命日を迎えようとしておりますよ。
はてさて、その元同僚たちも、退職年齢を迎え、そして退職年齢が引き上げられ、または嘱託職員として処遇はバラバラ…生まれ年が5年の違いだけで、雇用環境や制度が大きく変わっているようでありますなぁ。若かりし頃の昔話や近況を語り合いながら…やっぱり『勤め人』はしっかりしておりますよ『頭』が…こちとら曜日の感覚さえ危うくなっておりますから^^;
イケス(会社)や綱に繋がれて、『養殖』されている会社員と、自由を求めて飛び出した『準天然もの』…少しは『天然もの』もありがたく思われても良いはずなのに^^;
進んだのは『天然ボケ』だけかい?いやいや、ストレスで病気になってしまった元同僚もいるようだから、『頭』と『肉体』はボロボロでも、『心の病』だけは避けられたと思い直している一夜でありましたとさ(笑)

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バーナス(婆無)効果…

2023-07-12 08:58:39 | 転職

「ナス焼き」をいただきながら…

はて、「ナス」の効果効能って何だろうと考えた。カリウムが含まれ、高血圧やむくみの解消になる。色素の「ナスニン」にアンチエイジング効果があり、『がん予防』にもつながる。(いずれも程度の問題で、いかほどの効果があるかどうかの確証はない^^;)
「割りばし(バー)」と「揚げナス」の『バーナス効果』いや「バーナム効果」…「誰にでも該当する曖昧な表現にもかかわらず、さも自分のことを言い当てられているように感じてしまう心理現象(日本経営心理士協会HP)」を言うらしい。「あなたは今悩んでいることがありますよねぇ?」とか「あなたは今まで苦労されてきましたねぇ?」などと『占い師』に言われ、この『占い師』は『当たる』と信じ切ってしまい、自分の身の上話をペラペラと話してしまう。『占い師』を訪れた『動機』さえつかんでしまえば、あとは9割方差し障りのない『アドバイス』を与えれば問題解決…果たして、本当に『悩み』は解決したのだろうか?(誰にも言えなかった『悩み』を聞いてもらっただけでもある程度の効果はあるかも知れないけれど…。)まぁまぁ、高齢者に向かって「ナスの効果効能」として「高血圧」「むくみ」「アンチエイジング」『がん予防』etc.と『魔法の言葉』を並べることと変わらないかも知れない^^;


白いタチアオイの花言葉は「
高貴」「神聖」…

さて、「しあわせになろうよ」という長渕剛さんの曲がある。「出会った頃の二人に も一度戻ってみよう♪」…なるほどねぇ、「結婚」という『勢いの時』に戻るのではなく、戻るのは「出会った頃」であるから、その頃ならば二人は、お互いの気持ちの有り様を駆け引きしていたに違いない^^;
はてさて、話のネタは「バーナム効果」に戻り、「あなたは今までパートナーで散々苦労してきましたねぇ…?」と『占い師』に言われたら、大概の方は、はたと膝を打ち『あることあること』次から次へと話が出て来るに違いない^^; こんな時、よく当たると評判の『占い師おやじぃ』は…決して「同調」せず(相槌くらいは打つけれど^^;)かと言って「否定」もしないだろうなぁ…これまた、大概の『あることあること』は、『おやじぃ』にも当てはまることに違いないから^^;
「これから先の老後に不安はありませんか?」…これを『バーナス(婆無し)効果』という^^; 居て当たり前と思っていること自体が、大きな勘違いであるから、『あることあること』を数え上げないで、少しは『幸せ』だったことも思い出してみましょうよ…「無い!」即答ですか?これを『話(ハナス)にならない』というのだけれど、オラのことだよなぁ…反省していない(笑)

 

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