日経新聞で3月15日から18日までの4回連載で、一連のトヨタ問題を『ものづくり』の視点から論じたシリーズである。
△ 第1回 技術開発 消費者とともに 吉川 弘之
◯ 第2回 強すぎる品質の呪縛解け 畑村 洋太郎
X 第3回 複雑化が組織能力を超越 J・P・マクダフィー 藤本 隆宏
◎ 第4回 システム思考の革新急げ 木村 英紀
たったの4回連載なのに、玉石混交の珍しいシリーズであった。(私なりの評価を付けている)
△とXは、問題を観念的だけに考えているので、対策に具体性が無く、ゆえに顧客(海外を含む)に視線を向ける事で、設計や製造を突き詰め、問題を解決しようという提起である。これらの考えの延長線上に今回の問題があった訳だから、タコツボをより深く掘る事で問題解決につなげようという考えである。
一方、畑村氏は、消費者視点ではありながら、製品の出来ではなく、消費者の利便性からの見直しを提言しており、絶対品質を目指す事に今回の問題点を求めている。機械と人間にインターファエイスについての考察の初歩が示されており、高度化する機械とそれに追いつかない人間にジレンマに対する問題提起がある。
木村氏は、増大する「複雑さ」(機械そのもの、ユーザーとのインターファイス)に対応するシステム技術の遅れを問題の本質として捉えている。結論として、日本の工業技術が「匠の技」に頼るものと規定し、未だに個人の技と経験に依存していると指摘する。(『ものつくり敗戦』が面白そうだ)
まさに、『ものづくりの国際経営戦略』の書評の書評で感じていた事である。
肝心のトヨタ問題は、普通(?)に大型リコールの道程を辿っており、販売への長期的な影響、意味不明のカリファルニアのクラスアクション訴訟などは、後処理的に残ってはいるが、事態としては沈静化してきている。
トヨタがタコツボ的にやっているのか、日本の工業技術史から紐解いてやっているのかは、未だ見えてこないが、やっぱりトヨタらしくハイブリッドな対応なのではないかと思う。5-6年後に登場するフルモデルチェンジの車種が答えとなるのだろうが、その頃、この一連の問題の事を誰が思い出すのだろうか?(私は蛇の様に執念深く観察し続ける予定)
余談:今回のトヨタ問題を日本叩きだという論調があったが、既に的外れであった事はハッキリしている。(実は、深く沈降して着々と次の手が準備されているというパラノイヤもいるだろうなー。)悲しい事に、アメリカにおける日本の相対的地位は、低下の一途である。自惚れている場合ではないのである。
△ 第1回 技術開発 消費者とともに 吉川 弘之
◯ 第2回 強すぎる品質の呪縛解け 畑村 洋太郎
X 第3回 複雑化が組織能力を超越 J・P・マクダフィー 藤本 隆宏
◎ 第4回 システム思考の革新急げ 木村 英紀
たったの4回連載なのに、玉石混交の珍しいシリーズであった。(私なりの評価を付けている)
△とXは、問題を観念的だけに考えているので、対策に具体性が無く、ゆえに顧客(海外を含む)に視線を向ける事で、設計や製造を突き詰め、問題を解決しようという提起である。これらの考えの延長線上に今回の問題があった訳だから、タコツボをより深く掘る事で問題解決につなげようという考えである。
一方、畑村氏は、消費者視点ではありながら、製品の出来ではなく、消費者の利便性からの見直しを提言しており、絶対品質を目指す事に今回の問題点を求めている。機械と人間にインターファエイスについての考察の初歩が示されており、高度化する機械とそれに追いつかない人間にジレンマに対する問題提起がある。
木村氏は、増大する「複雑さ」(機械そのもの、ユーザーとのインターファイス)に対応するシステム技術の遅れを問題の本質として捉えている。結論として、日本の工業技術が「匠の技」に頼るものと規定し、未だに個人の技と経験に依存していると指摘する。(『ものつくり敗戦』が面白そうだ)
まさに、『ものづくりの国際経営戦略』の書評の書評で感じていた事である。
肝心のトヨタ問題は、普通(?)に大型リコールの道程を辿っており、販売への長期的な影響、意味不明のカリファルニアのクラスアクション訴訟などは、後処理的に残ってはいるが、事態としては沈静化してきている。
トヨタがタコツボ的にやっているのか、日本の工業技術史から紐解いてやっているのかは、未だ見えてこないが、やっぱりトヨタらしくハイブリッドな対応なのではないかと思う。5-6年後に登場するフルモデルチェンジの車種が答えとなるのだろうが、その頃、この一連の問題の事を誰が思い出すのだろうか?(私は蛇の様に執念深く観察し続ける予定)
余談:今回のトヨタ問題を日本叩きだという論調があったが、既に的外れであった事はハッキリしている。(実は、深く沈降して着々と次の手が準備されているというパラノイヤもいるだろうなー。)悲しい事に、アメリカにおける日本の相対的地位は、低下の一途である。自惚れている場合ではないのである。
イタリアは、プレイメイトさながらの軟派な車つくりをしてきました。
そうして、日本は、本当に実直に、大衆車を分担してきました。
モータリゼーションの成熟と標準化によって、インドも中国も良い車を作れる時代に変わりました。
日本は、後ろから追われる立場になり、ジャパンではなくテクノロジーでハイブリッドという価値(こと)をテーマにいまのろしを上げました。ガソリン車の派生であるかもしれませんが、それははやりエポックでしょう。バンガードになったその苦しみを過去(直近)の常識で説明してもおそらく失敗に終わるでしょう(日経のその記事は読んでないのでご容赦ください)。
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時代は違いますが、焼き物の時代、繊維の時代も同じように日本は苦しみながら、ジャパンと言うところに収束し、残るものは残り、去る者は去ったように思います。
対象がだいぶ異なりますが、時計における、
機械式→自動巻→電池時計→ソーラー電池
クオーツ→電波VS手巻機械式VSスプリングドライブ
みたいに、日本の自動車メーカー自体がそれぞれの個性の中で分化していく時期なのでは。
テーゼがあってはじめて創るべきものが見えてくる。
全く新しい新奇の道具を生み出すと言う意味での創生国家になるのか、既存の価値の上に工夫を重ねていくものつくり国家なのか?
おそらくはいまの日本はその最初のスタートラインを設定できないでいるように思います。その意味で25%削減はドンキホーテであっても、国是としてわかりやすい。
そういう人に真っ向からの反対はむずかしいので、日本が横綱朝青龍を引退に追いこんだみたいなもんですねと似てますねとコメントしています。
モンゴルのファンは引退させられたのは謀略と思いこんで大変不満に思っているそうですけど、それとこれは別なんていわずにダブルスタンダードに気づいてくれればいいのですが。
日本は、戻るべき所があるので、ハッキリしなくなる感じもあります。産業や会社で、どちらかに決めておけば良いのですが、迷っているうちに体力を落している感じです。
この対比は、抜群です。どこかで使わせてもらいます。