YS Journal アメリカからの雑感

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奇縁まんだら:瀬戸内静寂

2010-10-08 08:12:40 | 新聞、雑誌から
日本経済新聞は、何とも不思議な新聞で、経済新聞と銘打ちながら、何でもかんでも網羅している、一カ所で全ての情報を得たいと思う日本人的な欲望と良くマッチしているのであろう。(必然的にそのように進化したのかも)この傾向は、週刊誌や月刊誌にも見られる。ヌード写真から政界の裏話まで、真面目に語る雑誌が他の国にあるのだろうか?

淡々として結構シブいスポーツコラムや解説は昔からファンであった。当たった事は少なかったが、たまに馬券を買う競馬ファンとしては、有力レースの予想記事はコンパクトで分かり易かった。

場違いと言うか、必然的と言うか、文芸関係の連載がある。

瀬戸内静寂の『奇縁まんだら』は、既に150回(という事は3年以上?)を超えている所謂、文壇交遊記である。1922年生まれの88歳なので、幅広い人々が登場するのだが、みんな死んでいる。(死んだ人の思い出をかいているのかな?)名前は知っていても作品を読んでない人が多く登場するので、自分にとっては楽しみがまだら模様の連載である。

大体、瀬戸内静寂の著作を一冊も読んでいないのである。若い頃やりたい放題をした挙げ句、仏門に入ったというイメージしか無いのであるが、88歳でお元気だという事を考えると、この辺に長生きするコツがある様な、無いような。

9月5日は、吉村昭の事が書いてあった。ガンの延命治療を拒否してなくなった事は知っていたが、記事では、自ら点滴の管を引き抜いて逝去されたそうだ。それも、奥さんが看病に専念するのを許さず、仕事に熱中している最中の出来事だったらしい。

吉村昭の作品は昔からファンであったが、その生き方(死に方)にも大きく影響されていくのだろう。じっくり書き込まれた作品は、折につけ、読み返したくなるものが多い。漂流記ものも多く、日本人とは、日本の外交は、と言う事を原点から考えさせられる事も多い。(アメリカ彦蔵の書評

10月3日は、小田実であった。僕のアメリカ青春3部作の1つ、それも一番影響を受けたと言ってよい『何でも見てやろう』の作者であるのだが、作家、活動家としてではなく、温かな家庭人としての側面が描写されていた。

80年代に代ゼミで本人の講義(それは英語の授業であったが)を受けて、自分の人生に大きなインパクトを与えた本の作者に対して、深い失望感を感じていた事を追体験的に思い出しながら、小田実は、所詮、食わせ者であった事に思い当たった。

瀬戸内静寂の様に直接の体験の交遊記を『奇縁まんだら』のように書ける作者も、そしてこのような交遊も無くなる様な気がする。自分がアメリカにいる理由や意義を考えさせられる人物が続けて登場したが、私ではなく自分の娘達に、生き方や死に方に大きな影響を与える作家(日本人に限らず)が、出てくるとは考え難い。

つくづく思うに、私は馬鹿で、時代遅れの田舎出身の若者であった。小田実に感動した事に酔って、彼のインチキを目の前にしても見破れなかった。

瀬戸内静寂の『奇縁まんだら』は、自分の中にある奇縁を炙り出す。


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