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YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発

2012-03-18 00:10:07 | 雑記
何で今頃、こんな発表があるのだろうか?

使用済み燃料プール、特に使用済みでない燃料棒も入っていた4号機については、容器のない原子炉との認識があり、事態が深刻になっていた事故直後に、ほとんど発表も報道も無いのを不思議に思っていた。

この記事を読むと、4号機の使用済みプールが大丈夫だったのは、ただのラッキーだったのだ。

まだ日本は運があるのかも。


過去の関連エントリー

セシウム検出 (3-16-11)

フェミニストでも男女差別主義者でもない私

2012-03-17 17:26:42 | 雑記
アメリカ大統領選では、中絶と同性結婚の賛否が必ず話題になる。

どちらでも問題ないという認識であったが、ObamaCare での避妊薬、又、同性結婚を認める州が増えてきた事で、それらに関する連邦法が可決した時、大統領が拒否権を発動するかどうかという問題があるので、政治信念の一部と考えられる様になってきている。(その辺に敏感なオバマは、前回は同性結婚に反対していたが、現在は考え方が変わってきていると意味深な事を言っている)

さて、男女同権には賛成であるが、わざわざ法律を作ったりしなくてはならないのは、昔から男女差別をする人が存在し、今でも一定の割合居るからだ。

つまり、人間への尊厳が無い人は、いつの世も存在し、男女差別をするのだ。同性愛者を偏見し、人種差別のも同根であろう。

アメリカでタチが悪いのは、これら偏見、差別をなくそうという人達が憎悪の観念を持っていたりするからだ。

違いを受け入れられないという人々を理解するのも難しいが、被差別される事で憎悪の感情を持ってしまう事も同様に理解し難い。

男と女が同じというのは幻想に過ぎない。現代社会でも差別を受ける女性が大変なのには同情するが、もっと差別の酷かったと思われる昔でも活躍した女性がいると思うと、今は幸せな社会ではないかと、凡庸に思ってしまう。

全ての男はマザコンであり、結局は女には敵わないのである。それを認めたくない男達が、男にとっても生き難い社会を作ってきたのだ。「女の腐った様な奴」は、言い得て妙なのだ。(女性には失礼だが)

私は、フェミニストでもなく、男女差別もしない。但し、男と女が違っている事は、正確に認識している。それは、人種でも、セクシャルオリエンテーションでも同じだ。

カソリック厳密に守り5人も7人も子どもを産む女性を大変だと思い尊敬するし、自分の都合、意思で避妊、中絶をする女性も尊重する。

自分の娘二人にとって女性として生きいくのにアメリカは悪くないと思っている。出来る事なら、私の様なボンヤリとした男女の違いを認識した多くの人々に囲まれて生きていけたらと祈るのみである。

通訳業失格

2012-03-13 21:57:00 | 雑記
顧客の工場監査の準備の為に日本の提携会社から二人応援に来てもらい、一緒に2工場を回ったので、5、6年ぶりに通訳の真似事を三日間行った。

場面場面で、なかなかピッタリとした英語が出てこなくなったのには自分でもビックリ。

以前から通訳は下手くそとの自覚があったのだが、内容的な摺り合わせを中心に考える事が多かったので、英語が出てこなくなるという経験は無かった。(勉強不足を意訳で誤魔化していたとも言えるが)

今回は、通訳っぽくやろうと考えていた事もあり、日本語をそのまますっと英語にしようとするのだが、適当な単語と文章がなかなか出てこない。

全体的なレベルは酷かったのだが、自分でも不思議でならなかったのは、時々日本語の機微をピッタリと伝える惚れ惚れとするような英語が出てくる場面があった事だ。

このまま訓練でもしたら、結構上手な通訳になれそうな気もするが、柄ではない。

意識的に英語の勉強をしなくなって久しい。新聞、雑誌等を含めると英語での読書量はそこそこキープしているので、知らないうちに英語らしい表現が増えたのかもしれない。

一方でなんだか英語が下手になった事で、ますます怪しい日本人になりつつあります。

石川遼の英語とスイング

2012-02-25 09:41:58 | 雑記
WGC-Accenture Match Play Championship ではあっさりと2回戦で負けたのだが、1回戦勝利直後のグリーンサイドのインタビューで英語が上手になっているのにびっくりした。

聞き取りが甘い所もあり、ややトンチンカンな受け答えにもなっていたが、発音はパーフェクトといっても良い位であった。

世界で勝負したい気持ちは真摯で、英語の進歩をみても、そのために物凄い努力をしているのだろう。(私はスピードラーニングの回し者ではありません)

で、肝心のスイングの方は、残念ながら進歩がみられない。

自分自身の頭の中にある理想のイメージを追いかけているのだろうが、暫くは、若さに任せて、スイングなど気にせずプレーに専念すればどうだろうか?素質的にはローリーに引けをとらないと思うので、メジャーでも活躍出来ると思う。

現時点では柔軟性が非常に高いので欠点になっていないが、下半身が回り過ぎている。インパクト辺りで完全に右足がブラブラになってしまっている。柔軟性がある事で頭が残るので、問題にならないだけだ。

下半身の回り過ぎ(回過ぎ?)と器用な動きをする腰のスライドは、技術的な欠点だ。

しかし、どこかで変えなければならないという意識だけあれば、今は気にする時ではないと思う。あと2-3年は、ただただ才能に任せて世界と勝負した方が良い結果が出るだろう。

もしコーチに付くのなら、スクエア打法の後藤修先生以外には考えられない。石川遼の才能と後藤修の理論が合体すれば、日本人の悲願メジャー制覇は間違いないと思う。

ジャンボ尾崎と交友があるらしいので、ジャンボが後藤先生との過去に拘らず、石川遼と後藤修を繋ぐ労をとれば、日本ゴルフ界への最大の貢献として記憶される事であろう。

小林信彦

2012-02-16 06:45:45 | 雑記
小林信彦のファンだ、とキッパリ言える人って何人くらいいるのだろうか?

住んだ事の無い東京オリンピック前後の東京、日本の喜劇や喜劇芸人、興味はあるがなぜかのめり込まない「ミステリー」や「映画」等を、彼の文章を通じて理解してきた。

その上、書いた物で笑わす事の出来る希有な作家だと思う。

中絶件数推移データ

2012-02-15 00:13:59 | 雑記
ObamaCare で、避妊や中絶について考えているうちに、中絶件数が気になった。

出生数と中絶数をだらだら並べてみたり。そしたら少妊娠化が見えてきた〔追記あり〕」という記事に、詳しいデータが掲載してある。自分でも考えていた少子化との関係等にも興味深い考察がしてある。

日本では中絶件数が年々減っているものの、2009年でもまだ22万件を超えている。私の生まれた1961年を見てみると、件数は100万を超えており、出生数が159万なので、妊娠の中絶実施率は40%にもなる。(2009年でも中絶実施率は全体の17%) 減ってきているが、膨大な数にびっくり。

性教育とか、男女平等とか、いろんな要因も考えられるが、出生数と中絶数の合計は日本人のセックスの数を反映していると思う。(大雑把過ぎるのは重々承知だが)

二十歳頃、やりたい気持ちに満ち溢れたと自惚れていたが、自分より10歳以上の人々は20%以上もギラギラしていたのだ。訳も無く悔しい。

最近の若い人(ああ爺くさ)は、あまりその気にならないのだろうか?これは、男の責任と思うのだが、これも男の独り善がりか?

立ち上がれ(漢字が違う様な)、日本男児!

最近、本を読んでいない

2012-01-26 05:35:50 | 雑記
自分としては危機的な状況であると言う認識なのだが、如何せん意欲がわかない。特に英語の本がダメ。

大きな理由の1つに老眼があると思う。折角作った老眼鏡入り(プログレッシブ)のメガネはまだ使い始めていないので、本を読むこと自体が少し億劫になっているのかもしれない。(少し遠くから読むせいか、不思議と新聞や書類を読むのには苦労しない)

当然、物理的な本だけでは無く、キンドルはもっとダメ。

新聞購読にはキンドルは自分にとっては役に立たない結論を出していたが、本としても自分には馴染まないと言う結論が出そうになっている。

キチンと読まなくても、『積ん読』、たまに手に取る、パラパラめくる、という行為自体が、自分にとっての読書だという事をつくづく感じる。飽くまでも肉体的な読書がしたいのだ。(キンドル版を買ったものの、何冊かは物理的な本を購入し直そうとも思っている)

Kindle Fire 買ってついでに音楽の聞き方も変えようかと思ったが、文化的な生活は前時代的なままになりそうだ。(環境が許すかぎり)

読書については、自分を奮い立たせる為に、取り敢えず、アマゾンで本を購入した。(というか、単純に欲しかっただけでるが)

個人的に要約、紹介しようと試みて途中になっている "Liberty & Tyranny" の筆者 Mark Levin の新刊 "Ameritopia" だ。(ついでに "Oil 101" も)

既に大ベストセラーになっている。

メガネを変えて、とっとと読み終えて、書評くらいは、と考えている。


過去のエントリー

なんだか、Kindle Fire が欲しくなってきたぞ (11-6-12)
Kindle(キンドル)使用レポート (6-30-11)
取り敢えず、Kindle(キンドル)を買ってみるか (6-14-11)

Martin Luther King - I Have A Dream Speech

2012-01-15 22:17:25 | 雑記


有名な "I have a dream" の所は、12分位から。明日は、Martin Luther King の誕生日です。(正確には、1月15日だけで、いつも1月の第3月曜日に設定されている。州によっては祝日でもない。)

I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.

Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.

But one hundred years later, the Negro still is not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. And so we've come here today to dramatize a shameful condition.

In a sense we've come to our nation's capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men, would be guaranteed the "unalienable Rights" of "Life, Liberty and the pursuit of Happiness." It is obvious today that America has defaulted on this promissory note, insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check, a check which has come back marked "insufficient funds."

But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. And so, we've come to cash this check, a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice.

We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God's children.

It would be fatal for the nation to overlook the urgency of the moment. This sweltering summer of the Negro's legitimate discontent will not pass until there is an invigorating autumn of freedom and equality. Nineteen sixty-three is not an end, but a beginning. And those who hope that the Negro needed to blow off steam and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual. And there will be neither rest nor tranquility in America until the Negro is granted his citizenship rights. The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation until the bright day of justice emerges.

But there is something that I must say to my people, who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice: In the process of gaining our rightful place, we must not be guilty of wrongful deeds. Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred. We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and discipline. We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence. Again and again, we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.

The marvelous new militancy which has engulfed the Negro community must not lead us to a distrust of all white people, for many of our white brothers, as evidenced by their presence here today, have come to realize that their destiny is tied up with our destiny. And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.

We cannot walk alone.

And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.

We cannot turn back.

There are those who are asking the devotees of civil rights, "When will you be satisfied?" We can never be satisfied as long as the Negro is the victim of the unspeakable horrors of police brutality. We can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities. We cannot be satisfied as long as the negro's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one. We can never be satisfied as long as our children are stripped of their self-hood and robbed of their dignity by signs stating: "For Whites Only." We cannot be satisfied as long as a Negro in Mississippi cannot vote and a Negro in New York believes he has nothing for which to vote. No, no, we are not satisfied, and we will not be satisfied until "justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream."

I am not unmindful that some of you have come here out of great trials and tribulations. Some of you have come fresh from narrow jail cells. And some of you have come from areas where your quest -- quest for freedom left you battered by the storms of persecution and staggered by the winds of police brutality. You have been the veterans of creative suffering. Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive. Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina, go back to Georgia, go back to Louisiana, go back to the slums and ghettos of our northern cities, knowing that somehow this situation can and will be changed.

Let us not wallow in the valley of despair, I say to you today, my friends.

And so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

I have a dream today!

I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of "interposition" and "nullification" -- one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.

I have a dream today!

I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight; "and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together."


This is our hope, and this is the faith that I go back to the South with.

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope. With this faith, we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this faith, we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.

And this will be the day -- this will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning:

My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing.

Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride,

From every mountainside, let freedom ring!

And if America is to be a great nation, this must become true.

And so let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire.

Let freedom ring from the mighty mountains of New York.

Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania.

Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.

Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.

But not only that:

Let freedom ring from Stone Mountain of Georgia.

Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee.

Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi.

From every mountainside, let freedom ring.

And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

Free at last! Free at last!

Thank God Almighty, we are free at last!

ニューヨーク旅行、覚え書き

2012-01-08 18:05:45 | 雑記
年末のニューヨークで一番印象に残ったのは、勿論、



Intrepid Sea, Air and Space Museum である。こんな空母が第二次世界大戦の末期に25隻も就役したのだ。

空母ばかりではなく、潜水艦、そしてコンコルドの展示もあり、大人なら半日でじっくり楽しめると思う。女3人連れて、ニューヨークで空母を見たいと言う無理な企画を通した為に、結局、メトリポリタン美術館、アメリカ自然史博物館、近代美術館は外から眺めただけであった。

ワシントン DC でもそうだったのだが、子どもが大きくなって興味を示すか、一人で行くしか、じっくりと美術館、博物館を見学出来るチャンスはありそうにない。

ミシガンからのお上りさんだったので、基本的に観光スポットを中心だったが、一番驚いたのは日本人が少なかった事。ちょっと時期が微妙に外れている様な気もするが、地元っぽい人を含めて日本人の姿が少なかった。冬休みの海外旅行は、寒いマンハッタンより南の島におでかけするのだろうか?

5番街への進出、日本でも英語での会議、大学一年生の採用といろいろ話題を振りまいているユニクロの34丁目のお店にも行ってきた。ポジションとして Gap と一体何が違うのかというのが正直な感想である。

これからアメリカ全土へのテンポ展開をするのだと思うのだが、ちょっとこじゃれて、少し高めの価格設定では、難しいのではないかと思う。衣料を売るコンセプトとしては、アメリカでは珍しくないし、インパクトが弱いと思う。何かそのほかのアイデアがくっ付いているのだろうか?

家内は、ちょっと裾の長いダウンのジャケットをサイズがピッタリという事で買ってきたのだが、暖かくて良いそうだ。品質勝負なのかもしれないが、量を売りたいアパレル系で品質重視は売値をコントロール出来る様にならない限り、コスト高の要因でしかない。

もう1つ合点が行かないのは、なぜ、ユニクロというカタカナを残しているのだろうか?

結局、ワールドトレードセンターの跡地も、参加した一日観光のバスからちらっと見ただけだったが、不思議なもので、現地に行った事で心の整理が付いた。

田舎者である私にとって、久しぶりの大都会は、なんだかんだ言っていろんな意味で刺激的であった。

副島隆彦の「野村証券破綻」と板垣英憲の「天皇家の金塊16京円」

2011-12-25 00:25:46 | 雑記
まずは、副島隆彦の「野村証券が潰れる」(いつまで、残しておくのやら)は、勇み足のようだ。野村証券が公式に否定している。


そして、もう読むだけにしたつもりの板垣英憲大先生であったが、金の事で余りにいい加減な事を度々書いているので、副島隆彦の勇み足に刺激されて一言。

いい加減発言の引用始め

天皇家が中国台湾の「李家」(イルミナティ13家の1つ)に預けていた「金塊」の1部(16京円相当)を引き出して、東日本大震災の復旧復興と米国経済再生に半分ずつ提供することを決め、すでに実行しつつある。日本国内では、日本銀行を頂点に、「3つのメガバンク→地方銀行」に流して、中央・地方の大企業・中堅企業に配分して、東日本大震災の復旧復興に当てているという。

引用終わり

天皇家の金塊の一部で16京円との事だが、12月22日の金相場、グラム 4,291 円で計算すると 37,287,345 トンになる。現在世界の金の総量は、198,000 トンと言われており、オリンピックプール 3.42 杯分。16京円分で、オリンピックプール 644 杯分になるのだが、台湾のどこに保管されていたのだろう。(これでもまだ一部なのだ)

その上『「3つのメガバンク→地方銀行」に流して、中央・地方の大企業・中堅企業に配分』とかすると,これらの企業の会計処理はどうなるのだろうか?私の乏しい知識では、「雑収入」位しか思い付かない。「御下賜金」と書くと、監査法人も見逃してくれるのだろうか?

『天皇家からを 37,287,345 トン もの金を与えられる日本国民は幸せである』のだろう。でも、1億3千万人で山分けしたら、一人当たり12億3千万円になるので、マドロッコしい事をするより、現金をバラまいた方が国民は喜ぶと思う。でも、因に、日本通貨の流通量は85兆円程しかありませんけど。

最近、金相場が軟調なのは、市場に世界中に存在している総量の約188倍もの金が急に流通し始めたからに違いない。

みんな!ニューヨークへ行きたいかーっ!!

2011-12-24 20:40:58 | 雑記
「オーッ!」と盛り上がっているのは、私だけ。(今でも、時々、「自由の女神は裸足か?」などどくだらない事を口走ったりする。正解は、サンダルを履いているので、バツ)

家内は、娘達の2週間の冬休み中、イベント無しでは持たないという消極的理由。上の娘は気持だけで研究不足、下の娘はディズニーの方が良いと駄々をこねる始末。

でも行くのだ、それも車で、そして泊まるのは貯まっているポイントを使って(ただで)ニュージャージー側。4泊5日だが、実質は3日。

お上りさんにつき、初日は「あっとニューヨーク一日観光」を予約済み。(自分で計画したら3日掛けても、こんなに見れそうにない)

2日目は、私がどうしても行きたい「イントレピッド海上航空宇宙博物館」と買い物(?)、夕食はニュージャジーの友人家族と。

3日目は、博物館か美術館、もしくは、またしても買い物(?)

家内は、どうしてもユニクロに行きたいらしい。

2日目以降は、ダラダラしそう悪い予感がある。どこへ行っても、気力不足、体力不足の家族である。(計画不足、予算不足もある)やっぱり、海でのんびり Outer Banks, NC が一番性に合っている気がする。

朝鮮の冬

2011-12-23 07:47:09 | 雑記
今の私では理解出来ないと思った「アラブの春」であったが、金正日の死去に伴う朝鮮事情も、分からない。

ボンヤリ思い付くのは、今後の北朝鮮に対する各国の動きの根本は、北朝鮮が持っているとされる「核兵器」をめぐる活劇になるという妄想(?)であろう。

中国とアメリカが中心に対応していくのだろうが、金正恩だろうが、軍部だろうが、核の管理をしっかりやってくれるシナリオがベストであろう。(両国とも難民や拉致問題といった様なノイズを基本的に気にしてないと思う)北朝鮮の次の独裁者も、核のボタンに手をかけて、食料や燃料をねだるだろうが、押したら終わる事が分かっているので、そういう意味で安全なのである。

一番困るのは、現体制を維持する意図の無い者の手に渡る事であろう。流出する可能性もあるし、暴発の危険性も考えられる。

北朝鮮の国内が混乱してくると、予測不能になる前に手を出さざるを得なくなる。既に核爆弾として何十個も存在しているようなので、イランの様にウラン濃縮施設を空爆でおしまいという訳には行かず、それらの地域を占領しなくてはならないであろう。そうすると、中国とアメリカが分担してやる事になると思われる。

中国やアメリカが占領に向けた軍事行動を始めない限り、北朝鮮の国民生活はさておき、国家としては安泰と考えられるのでは。

日本に取って一番困るのは、北朝鮮が弾けても、中国とアメリカが、自分たちにとって直接被害の影響が少ないと計算し、朝鮮半島に置けるバランスが崩れないと考えれば放っとかれる事であろう。そうすれば、韓国と日本は、大忙しになりそうだ。


過去の関連エントリー

結局、誰も何も分かっちゃいない (関連新聞記事追加 2-15-11) (2-11-11)

次期主力戦闘機選定予想

2011-12-07 12:56:11 | 雑記
今年中に次期主力戦闘機が決定するらしい。候補は、F-35, F-18, EurofighterTyphoon の三機種。

40-60機の調達が予定されており、総額で $4B (約 3,100 億円)、今年の軍事商談としては、世界最大級との事である。

なぜ、唐突に、こんな事に興味があるかというと、東日本大震災の津波で被災した航空自衛隊松島基地(宮城県)のF2戦闘機18機を136億円掛けて分解調査をし、そのうち6機を購入費よりも高い計約800億円をかけて修理して使うという記事を読んで、なんでそんな事をするのだろうと、ずっと思っていたからだ。

現在日本の主力戦闘機は、ベトナム時代からという年代物のF4で80機あるが、順次退役する予定らしい。

F2は、F16をベースにロッキード・マーティン社と三菱重工の日米共同開発の歴史があり、三菱重工で生産されていたが、今年9月に生産打ち切りとなっている。

(F2は支援戦闘機、F4は要撃戦闘機という役回りらしい。現在配備されているのはこの2機種とF15(これも要撃戦闘機)との事)

津波での修理で感じた不自然さは、次期主力戦闘機選定が遅れて遊ぶ事になった三菱重工の工場を稼働さす為の苦肉(格好?)の策で、次期主力戦闘機選定と絡んでいるのではないかと思ってしまう。(F2を追加調達する予算は見送られている)

その勢いで、次期主力戦闘機選定を全く無責任に予想してみよう。

まず、いくら日本生産に協力的(95%までまかせると言っているらしい)てあっても EurofighterTyphoon は無いだろう。F35が有利だと考えられているらしいが、開発が遅れいる(また三菱重工の工場が遊んでしまう)、高いし(財政難だし)、日本での生産も制限付きという事なので、ズバリ、F18で如何でしょうか?


参考記事:WSJ 12-5-11 Japan Weighs Options for Pricey Fighter Jets

正気率 99.74% (3σ)

2011-12-04 05:50:35 | 雑記
メガネの度が合ってないし、何と言っても老眼が忍び寄ってきているので、ほぼ2年振りに、メガネを作り直す事にした。

近視が少し進み、老眼もハッキリと出てきているとの事で、プログレッシブというレンズにすることにした。上は遠くを見るため、中はコンピューターのため、下は近くを見るため、と段階的(プログレッシブ)になっており、昔のバイフォーカルの様に、いかにも老眼鏡が入っていますという事は無い。(ひょっとして当たり前!?、一応、老眼鏡初心者なので、その辺の事情分からず)

で、視力検査のとき、当然アメリカなので、アルファベットを読むのだが、どうしても「ヨ」に見える文字があり、私は、確信を持って「E」と応えていたのだが、後で考えてみても「ヨ」にしか見えなかった。

家に帰って、アルファベットを書き出してみたのだが「ヨ」に見える文字が無い。私がみたのは何だったのだろう?

小学校一年の下の娘が、今でも時々平仮名やアルファベットを裏返しに書く事があるが(私は、保育園の卒業アルバムに「さう」の代わりに「さう」と署名した忌々しい過去がある)、読む行為で、こんな勘違いをするなんてショックだった。

そして、もう1つ。

アメリカの住所は、最初に番地を言い、ストリート名と続くのだが、数週間前、住所を聞かれて、自分の番地(710、セブン、テンと呼ぶ)を言おうとして、「セブン」と言った後が続かず、「セブン」、「セブン」と繰り返した後、やっと「テン」が出てきた。

自分自身でも、狂ってきたのか、ボケてきたのか確信がないのだが、日常生活に困っていないので、一応、自動車業界らしく、正気率 99.74%(3σ)辺りではないかと、楽観的に考えている。

こんな事が立て続けに起こった直後に、極東ブログの「[書評]幻聴妄想かるた+解説冊子+CD『市原悦子の読み札音声』+DVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』付(ハーモニー著・編集 )」を読んだら、呑気に楽観的に構えてもいられない。

それにしても、この「幻聴妄想カルタ」は、凄そうだ。

私も、「むりやり私は天皇にされるところだった」と「レストランでうんこの話がしたくてしょうがなくなる」の間で生きているので、よく分かる。

「むりやり私は天皇にされるところだった」ほど高尚ではないが、小さい時に自分が天皇の御落胤では無いかという妄想をした事があるし(ああ恥ずかしい)、「レストランでうんこの話がしたくてしょうがなくなる」は、はっきり言って実践している。

「幻聴・妄想が激しい」と疲れるそうだ。文字がひっくり返ったり、番地がすぐ出なかったりしただけの正気率 99.74%でも、俺って大丈夫と不安になるので、正気率が90%位になると、日常生活を送る自信が無い。

取り敢えず、シックス・シグマを目指して頑張るか。