運動会シーズンを迎えて毎週 各地の学校運動会が開催されていますが、地元では日本一の体育祭とも言われている湘南高校の第70回体育祭に久しぶりに出かけてきました。
湘南高校は、創立97年を迎えまもなく百年を迎える伝統の高校ですが、我が家の息子や娘が部活動などで汗した母校でもあり、愛着を抱き応援してきました。

早朝から保護者やOBなどの来訪者が約5000人以上詰めかけて、応援席は全て埋め尽くされていました。

以前とはすっかり校内の雰囲気も変わっていましたが、校門に立つシンボルの樹齢80年以上の2本のクスノキは貫禄或る樹形を作っていました。

校舎の前には、初代校長の荒木先生の銅像も立ち懐かしさを覚えていました。

湘南高校の体育祭は、全校生徒約1000人がクラスごとに9つのカラー(色)に分かれ、さらにその中で、総務、競技、仮装、BB(バックボード)、大道具、小道具、衣装の7つのパートに分かれて夫々の役割を担い盛り上げています
特に名物のバックボードは、各学年のクラス毎に、藍・紫・灰・黄・黒・・茶・緑・白・橙の9色に編成されて校庭の南側に個性豊かな巨大な画が並べられています。


午前の部では、三本綱引きやスエーデンリレー、ムカデリレー、騎馬戦などが行われ、息子たちの活躍した迫力ある光景を想い出していました。





午後の部では、最大の呼び物の仮装・大道具・小道具・踊りが行われますが、お昼休みではOBや中が時代の同窓生なども応援に駆け付けていたようで、仮装の準備に追われながら和やかな交流が行われていたようです。



仮装が始まると、撮影場所取りも大変な苦労でしたが、幸いいい位置を確保出来て約2時間身動き取れない中で、各組の素晴らしい演技と仮装に魅入っていました。
紫組の「妖怪乱舞」の仮装・演技です。


藍組の「城下町」の仮装・演技です


緑組の「聖火リレー」の仮装・演技です。

橙組の「橙鎧躍動」の戦国時代を描いた仮装・演技です。


黄組の「小人の国」の仮装・演技です。


茶組の「鎌倉旅」の仮装・演技です。

灰組の「イル―ジョン」の仮装・演技です。

白組の「白熱肩幅」の仮装・演技です。

黒組の「源平合戦」の仮装・演技です。


各組の迫力ある演技と仕掛けの多い大道具などの中身の濃い演技に観客から感動の大拍手が送られていました。
思えば半世紀以上前には、我が高校時代の体育祭では巨大な張子を造り、入退場行進も軍隊行進のように楽しんだ想い出がありますが、時代の差こそあれこの体育祭以上の想い出が蘇っていました。
湘南高校は、創立97年を迎えまもなく百年を迎える伝統の高校ですが、我が家の息子や娘が部活動などで汗した母校でもあり、愛着を抱き応援してきました。

早朝から保護者やOBなどの来訪者が約5000人以上詰めかけて、応援席は全て埋め尽くされていました。

以前とはすっかり校内の雰囲気も変わっていましたが、校門に立つシンボルの樹齢80年以上の2本のクスノキは貫禄或る樹形を作っていました。

校舎の前には、初代校長の荒木先生の銅像も立ち懐かしさを覚えていました。

湘南高校の体育祭は、全校生徒約1000人がクラスごとに9つのカラー(色)に分かれ、さらにその中で、総務、競技、仮装、BB(バックボード)、大道具、小道具、衣装の7つのパートに分かれて夫々の役割を担い盛り上げています
特に名物のバックボードは、各学年のクラス毎に、藍・紫・灰・黄・黒・・茶・緑・白・橙の9色に編成されて校庭の南側に個性豊かな巨大な画が並べられています。


午前の部では、三本綱引きやスエーデンリレー、ムカデリレー、騎馬戦などが行われ、息子たちの活躍した迫力ある光景を想い出していました。





午後の部では、最大の呼び物の仮装・大道具・小道具・踊りが行われますが、お昼休みではOBや中が時代の同窓生なども応援に駆け付けていたようで、仮装の準備に追われながら和やかな交流が行われていたようです。



仮装が始まると、撮影場所取りも大変な苦労でしたが、幸いいい位置を確保出来て約2時間身動き取れない中で、各組の素晴らしい演技と仮装に魅入っていました。
紫組の「妖怪乱舞」の仮装・演技です。


藍組の「城下町」の仮装・演技です


緑組の「聖火リレー」の仮装・演技です。

橙組の「橙鎧躍動」の戦国時代を描いた仮装・演技です。


黄組の「小人の国」の仮装・演技です。


茶組の「鎌倉旅」の仮装・演技です。

灰組の「イル―ジョン」の仮装・演技です。

白組の「白熱肩幅」の仮装・演技です。

黒組の「源平合戦」の仮装・演技です。


各組の迫力ある演技と仕掛けの多い大道具などの中身の濃い演技に観客から感動の大拍手が送られていました。
思えば半世紀以上前には、我が高校時代の体育祭では巨大な張子を造り、入退場行進も軍隊行進のように楽しんだ想い出がありますが、時代の差こそあれこの体育祭以上の想い出が蘇っていました。
