音無親水公園を後にして石神井川の川沿いに咲くサクラ並木を観ながら上流へとむかいましたが、石神井川は住宅街を流れその両側は高いコンクリート壁の防波堤に囲われている特異な川沿いの光景でした。
音無橋を出発すると、旧醸造試験場跡の公園では赤レンガ工場の脇に真っ白なオオシマサクラが大枝を伸ばして帆掛け舟のような姿を見せていました。
遊歩道を約1km進むと、住宅街の一角に「音無サクラ緑地」があり、旧渓谷を跨ぐように「緑の吊り橋」が掛けられています。
生活の一部にもなっているようですが、約15mの本格的な吊り橋は、珍しいですね~
石神井川は大きく蛇行して流れているのも歴史を感じ趣きがありますが、その名残りの風景として凹部にあった「松橋弁財天洞窟跡」が今は水辺の公園となっているようです。
その先のもみじ緑地あたりでは、満開のサクラの枝を川面に大きく伸ばしていました。
サクラの枝には鳥達も花見を楽しんでいましたね・・・・
観音橋のたもとには、谷津大観音が突然現れてビックリで、近くの寿徳寺の観音様だそうで、まだ建立して8年の新しい観音様でしたが、何故此処に?あるのでしょうか?
川沿いの花見を楽しんでいるようです(笑)
満開の見事な桜並木を眺めながら進むと、埼京線を越えて板橋区に入ります。
板橋区に入ると、加賀藩の前田家の屋敷跡だったそうで、加賀公園や金沢小学校、加賀橋など加賀の名前が付けられていましたね。
加賀橋から望む石神井川の桜の光景です。
加賀公園では、丁度昼時でしたので昼休みに花見を楽しむ花見客で大変な人気でした。
その先には、旧中山道と交差しており、板橋区の名前の由来となっている「板橋」が掛けられていました。
案内によると、江戸時代の板橋は宿場街として賑わったようで、日本橋から10キロ642メートルと記されています。
板橋から下流を望む光景です
さらに桜並木は続きますが、約1000本の桜並木の春を堪能して、次の目的地の神田川、目黒川へと急ぎました。【続く】
音無橋を出発すると、旧醸造試験場跡の公園では赤レンガ工場の脇に真っ白なオオシマサクラが大枝を伸ばして帆掛け舟のような姿を見せていました。
遊歩道を約1km進むと、住宅街の一角に「音無サクラ緑地」があり、旧渓谷を跨ぐように「緑の吊り橋」が掛けられています。
生活の一部にもなっているようですが、約15mの本格的な吊り橋は、珍しいですね~
石神井川は大きく蛇行して流れているのも歴史を感じ趣きがありますが、その名残りの風景として凹部にあった「松橋弁財天洞窟跡」が今は水辺の公園となっているようです。
その先のもみじ緑地あたりでは、満開のサクラの枝を川面に大きく伸ばしていました。
サクラの枝には鳥達も花見を楽しんでいましたね・・・・
観音橋のたもとには、谷津大観音が突然現れてビックリで、近くの寿徳寺の観音様だそうで、まだ建立して8年の新しい観音様でしたが、何故此処に?あるのでしょうか?
川沿いの花見を楽しんでいるようです(笑)
満開の見事な桜並木を眺めながら進むと、埼京線を越えて板橋区に入ります。
板橋区に入ると、加賀藩の前田家の屋敷跡だったそうで、加賀公園や金沢小学校、加賀橋など加賀の名前が付けられていましたね。
加賀橋から望む石神井川の桜の光景です。
加賀公園では、丁度昼時でしたので昼休みに花見を楽しむ花見客で大変な人気でした。
その先には、旧中山道と交差しており、板橋区の名前の由来となっている「板橋」が掛けられていました。
案内によると、江戸時代の板橋は宿場街として賑わったようで、日本橋から10キロ642メートルと記されています。
板橋から下流を望む光景です
さらに桜並木は続きますが、約1000本の桜並木の春を堪能して、次の目的地の神田川、目黒川へと急ぎました。【続く】