12月14日は何の日 と言えば、今も忘れ難い「赤穂浪士の討ち入りの日」と連想する位、日本人の心に刻まれており、必ずテレビでは「忠臣蔵」が放映されているが、今年もその日がやってきて、朝から高輪の泉岳寺へ出かけてきた。
泉岳寺駅からは、泉岳寺までぞろぞろと参拝客が続いており、中門から境内に入ると境内は大混雑となっていました。
本堂にようやくたどり着き参拝後墓所へは、長い列が出来ており、入れ替え制となっており待つこと約30分を要するほどでした。
途中には、吉良上野介の首を洗った「首洗井戸」や義士の慰霊塔が並び、墓参者が手向けたお線香の香りが立ち込めています。
ようやく墓所に入ると、狭い墓所には参拝者で埋めつくされており、四十七士の誰の墓かも確認が出来ない程の大混雑でした。
浅野長矩公のお墓の前では、多くの墓参者が取り巻きお線香を向けるのもままならない状況でしたが、各義士の墓前もお線香が山に積んでありました。
墓参後、忠臣蔵義士パレードの到着まで時間があったので、高松宮邸近くの大石内蔵助他16人の忠烈の跡へと向かうと、17士が切腹したところだそうで、ひっそりとした佇まいで、今は旧細川邸の立派な銀杏が散る庭園となっていました。
伊皿子坂から「歴史と文化の散歩道・芝高輪コース」を芝公園へと向かい、高輪の街を歩いてみました。増上寺まで散策してから泉岳寺へと引き返すと、丁度忠臣蔵パレードは、札の辻を過ぎたところで、泉岳寺に戻りパレードを迎えることとなった。
パレードが山門へ到着すると、陣太鼓を打ち鳴らして参道に入り 迎える参拝客から、「ヤスベイ~」 と大声が発せられて驚いたが、聞けば遥々新潟県から上京してきたのだとか・・・感激した~と喜んでおられた・・・
全国で赤穂義士祭が開催されていると聞くが、「忠臣蔵」は、「忠誠心を尽くし己を犠牲にする」元禄時代のロマンがあり、今失われつつある日本人の心であると思う。