アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

ホトケノザ

2015年03月01日 | 緑の季節

 シソ科のホトケノザが咲き始め、群生している空き地ではピンクの絨毯を敷き詰めたようです。春の七草の一つにあるホトケノザは子オニタビラコのことで、食用になり、七草粥の食材となります。アリの好物でスミレの種につくオライオソームがホトケノザにもつき、種はアリによって運ばれるものと思われます。

 シソの花言葉は「調和」です。組織における「調和」とは、異質の人材をそれぞれの長所短所を程よく組み合わせ、組織全体として高い機能を発揮させることを言います。現役時代、私は自分の信念に従って行動し、上司に「あいつは絶対イエスと言わない」と困らせたものです。マレーシアでの長期在外研究では、組織はマレーシア農業研究所(MARDI)との共同研究を求めたのですが、私は行政機関のムダ農業開発公団(Muda Agriculture Development Authority 略称 MADA)との共同研究に拘ったのです。というのは、MARDIの研究者は欧米の方に顔を向けており、マレーシアの農業には関心が薄いのです。彼等からはマレーシア農業に関する知識はあまり得られないのです。私の研究はマレーシアの農業技術開発が課題ですので、MARDIとの共同研究にはメリットがないのです。

 一方事業実施機関のMADAは、山積する現地の様々な問題に日夜取り組んでいる組織で、高い問題意識を持っているのです。3ヶ月毎に情報交換会を開催し、現地特有の問題を引き出すとともに、問題を解決する現地適用技術を開発しました。日本の技術は環境条件の異なる現地にはそのままでは適用できませんので、現地条件と「調和」させたのです。私が行政職から研究職に職種変更して現地に乗り込む前に、日本の農業研究の権威者たちが現地を訪れたのですが、有効な提案はできずすごすごと引き下がざるを得なかったのです。私の目覚しい業績に対し彼らは、「おまえのはコンサルタントで研究ではない」と非難し、MARDIとの共同研究に乗り換えるよう繰り返し要求するのです。頑として応じない私に「マダ」「ムダ」なことをやっていると辛辣な非難を浴びせたのです。

 私の活動はマレーシア側からは全面的に支持され、共同研究は1996年まで25年間に亘り継続したのです。私の3ヶ月毎のMADAとの情報交換会はマレーシアにおける最先端農業技術情報交換会と位置づけられ、農業局、排水灌漑局、それにMARDIまでオブザーバーとして参加するようになり、マレーシア国内の「調和」のとれた技術開発態勢が整ったのです。

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