鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

永木、いいところをインプットしながらプレイしています

2016年03月09日 | Weblog
緊急招集された鹿島MFの武器とは…ハリルも魅せられた永木亮太が放つ“熱”

日本代表候補合宿に参加した鹿島MF永木亮太 [写真]=兼子愼一郎

 選手ならば誰でも、日本代表チームに対して憧憬の念を抱く。国内組限定の“候補”合宿とはいえ、27歳にして初めて、それも追加で緊急招集されたMF永木亮太(鹿島アントラーズ)は、武者震いよりも懐かしさ、緊張感よりも居心地のよさを感じずにはいられなかった。

 千葉県内で7日から開催されている日本代表候補合宿。8日に午前、午後とそれぞれ約2時間ずつ、合計4時間の戦術練習をみっちりと積み、自身にとっての“初日”を終えた永木は「イメージどおりでしたね」と充実した表情を浮かべた。

「ベルマーレで培ってきたものはハリルホジッチ監督のサッカーにすごく合うし、これからも生かされていくと思う。チームにもスムーズに入ることができました」

 予期せぬ吉報は、合宿初日の練習が行われた7日の夕方に届いた。MF米本拓司(FC東京)が負傷離脱したことに伴う代替招集。年代別の代表を含めて日の丸に無縁だった永木の胸中には、時間の経過とともに期する思いが込み上げてきた。

「チームがオフで、自分の体もオフモードに入っていたのでビックリしましたけど。移動中にだんだんテンションが上がってきて、ホテルに着いた時には『やってやろう』という気持ちになりました。少しでも可能性があるから呼ばれたわけであり、この場所に来たからには何か爪痕を残したいと」

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督による講義のみが開催された昨年末の“食事会”にも永木は名前を連ねていた。そして今回の合宿メンバーにはFW金崎夢生を始めとする鹿島のチームメートが5人を数え、湘南ベルマーレでともにプレーしたMF遠藤航(現浦和レッズ)やDF丸山祐市(現FC東京)も選ばれていた。もっとも、ハリルホジッチ監督が掲げるスタイルへの予備知識があり、馴染みのある選手たちがいることだけが、永木にちょっとしたデジャブを感じさせた理由ではない。

 合流後すぐに開催されたミーティング。指揮官はコンパクトな陣形を保ち、高い位置からアグレッシブにプレッシャーを掛け続けてボールを奪うソーンプレスを要求した上で、永木によればこんな檄を飛ばしたという。

「前からプレッシャーを掛けに行っているクラブは、湘南と川崎フロンターレくらいだと。各チームとも戦術的には異なる部分があるので何とも言えませんけど、代表が目指しているサッカーは湘南に近いものがあると思わずにはいられませんでした」

 ハリルホジッチ監督自身、湘南のサッカーに親近感を覚えてきた。昨シーズンは幾度となくリーグ戦を視察に訪れ、8月のEAFF東アジアカップで抜擢したU─22日本代表(当時)のキャプテン、遠藤航には「いいサッカーをしているな」と声を掛けている。

 永木が中央大からベルマーレに加入したのが2011シーズン。曹貴裁監督の下で心技体を鍛え上げられ、確実な成長曲線を描きながら、常にA代表を意識してきた。異次元の強さでJ2リーグを制し、1年でのJ1復帰を決めた2014シーズンにはこんな言葉を残している。

「代表はそれほど遠い場所ではないと思っていますけれど、だからと言ってそればかりを意識しても仕方がない。要はどれだけ湘南の力になれるか。ひたむきに頑張っている姿を見てもらえれば、必ずチャンスは巡ってくると思っています」

 そして、J1とJ2を往復しながら切磋琢磨してきた遠藤が、東アジアカップで3試合すべてに先発フル出場を果たした。テレビ越しに盟友を応援し、帰国後はともに湘南のJ1残留に尽力しながら、永木が抱いてきた思いは確信へと変わっている。

「自信をつけて代表から帰ってきた航の姿を見ていると、逆に刺激を受ける。航とはずっと一緒にやってきたので、どのようなレベルの選手なのかはよく分かっている。その航が代表であそこまでプレーできたことで、自分にも置き換えられますから」

 永木にとって日本代表候補としての初練習となった8日の午前中には、横一線に並んだ4人の選手が1本のロープを約7メートル間隔で握りながらプレッシャーを掛け、相手をサイドへ追いやったところで人数をかけてボールを奪うメニューが組まれた。

 味方との距離感を保ちながら、前線や中盤の選手を含めたチーム全体で執拗かつ組織的にボールを奪取する――。自陣に引いて相手のミスを誘うのではなく、自分たちからアクションを起こし続け、高い位置からショートカウンターを仕掛ける戦術は、昨シーズンまで育んできた“湘南スタイル”と酷似していた。

「選手同士の距離感やほんのわずかなポジショニングの修正を、とにかく突き詰めてくる。細部にまでこだわってこそ勝利は近づいてくるという監督の哲学も感じました。サッカーに対してとにかく真摯に向き合っているし、だからこそ少しのミスでも普段なら言われないようなきつい言葉をかけられる。僕自身、すごくいい刺激になりました」

 昨オフに大きな決断を下した。2年続けてオファーを受けていた鹿島への移籍。JFA・Jリーグ特別指定選手として登録された2010シーズンを含めて6年間、喜怒哀楽とともに注いできた熱い情熱を胸に秘めながら、さらに成長することで恩返しとしたいと、永木は慣れ親しんだ湘南から新天地を求めた。

「自分のベースは湘南で培われた。そして鹿島でしか得られないものがある。それはポゼッションであり、ボランチとしてゲームを読む力であり、勝者のメンタリティーだと思っている。特に勝者のメンタリティーは(試合に絡んでいない)現在でもすでに感じるほどなので、これから先はもっと大きくなってくる。自分としてもすごく楽しみだし、そうした経験も生かしながら代表へつなげていきたい」

 底知れぬスタミナで攻守両面においてボールに絡み続け、昨シーズンに2発を叩き込んだ直接フリーキックを含めて、右足から正確無比な中長距離弾も放つ。他の選手とは異なる特徴を持つが、もっとも永木の身体に搭載された武器はこれらだけではない。

 選手たちに対して口を酸っぱくしながらハリルホジッチ監督が常に要求している“デュエル”。一対一の攻防を示すフランス語を最も熱く、激しくピッチで体現するJリーガーの一人が彼である。

 中学生時代から永木を指導してきた湘南の曹監督は、「プレーには人間性が表れる」とよく言う。悲願のJ1残留を決めた昨秋のアウェイFC東京戦。1点リードで迎えた後半終了間際に、攣った足を必死の形相で動ける状態に戻し、まさに執念で守備に戻る永木の姿に、指揮官の涙腺はたまらず決壊してしまった。

 見ている者の心を思わず震わせる魂のハードワーク。遅咲きのダイナモが放つ“熱”に魅せられたからこそ、ハリルホジッチ監督も昨シーズンの段階から永木をリストに加えてきたのだろう。

 そして追加招集ながらチャンスを得た今、永木の心には「今回を最後にしない」という決意にも似た思いが膨らんでいる。

「ハリルホジッチ監督からは『今シーズンの湘南の内容もいいぞ』と言われました。自分を育ててくれたクラブだからやはりうれしいし、代表に選ばれ続けることで恩返ししたいという思いもある。鹿島へ帰ってからも湘南で培ったものをもっともっと出していかないといけないですね」

 指揮官が今シーズンのベルマーレにまで言及したのは、新天地でもっと頑張れという檄も込められているのだろう。宮崎キャンプで右太ももに肉離れを起こした影響で出遅れていた永木だが、5日の明治安田生命J1リーグ第2節、サガン鳥栖とのホーム開幕戦で途中出場。鹿島でのデビューを果たし、遅ればせながらスタートラインに立った。

 百戦錬磨のベテラン小笠原満男、次代を担う柴崎岳とボランチに強力なライバルが立ちふさがる状況こそが、永木が追い求めてきた“自らをさらに成長させられる環境”となる。

「満男さんの存在感というか、ポジショニングが的確でコーチングもすごい。いろいろな経験を積んできた選手なので、勉強することはたくさんあります。岳も落ち着いているし、技術があって視野が広い。自分と似たプレースタイルではないですけど、同じボランチとして尊敬していますし、いいところをインプットしながらプレーしています」

 鹿島で永木に与えられた背番号は、湘南時代と同じ「6」。クラブのレジェンドである本田泰人氏、中田浩二氏の象徴である背番号に自分の色を加えていくことで、鹿島で、そして2年後のワールドカップ・ロシア大会を目指すハリルジャパンで、確固たる居場所を築いていく。

文=藤江直人



チンチロリン


日本代表候補に追加招集された永木について記すサッカーキングの藤江氏である。
「武者震いよりも懐かしさ、緊張感よりも居心地のよさを感じずにはいられなかった」と綴る。
ハリルホジッチ監督のコメントや永木らからの情報にて、日本代表の戦術が湘南スタイルのように受け取れる。
そこが「居心地のよさ」という言葉になるのであろう。
そして、藤江氏の目にはそう映ったことは否定せずにおこう。
永木は、今季より臙脂のユニフォームに袖を通した。
そしてその鹿島のキャプテンである小笠原満男についてこう語る。
「存在感というか、ポジショニングが的確でコーチングもすごい」
多くのものを鹿島に入団したことで得ていくであろう。
鹿島のボランチとして、日本代表に選出されピッチに立つ日も近いと思われる。
楽しみである。


チンチロリン

カイオの突破が楽しみ

2016年03月09日 | Weblog
午前練習


9時30分からの室内ミーティング後、グラウンドでゲーム形式の練習を行いました。



チンチロリン


ゲーム形式の練習を行うカイオである。
昨日は別メニューであったが、今日は問題ない様子。
カイオの突破力は、磨きがかかり、助っ人としての威力を発揮しておる。
今の鹿島にとって欠くことの出来ぬ存在と言えよう。
カイオにボールを集め、ゴールを目指せ。
頼もしい選手である。


チンチロリン

アウトゥオリ監督、アトレチコ・パラナエンセの指揮官に就任

2016年03月09日 | Weblog
前セレッソ大阪監督のパウロアウトゥオーリがアトレチコパラナエンセの新監督に就任


前セレッソ大阪監督のパウロ・アウトゥオーリがアトレチコ・パラナエンセの新監督に就任。アトレチコ・パラナエンセは先週の金曜日にクリストヴァン・ボルジェス監督を解任していた。
パウロ・アウトゥオーリは昨シーズン、セレッソ大阪を率い、勝点取得率52%、17勝13分11敗の成績だった。
パウロ・アウトゥオーリは現在59歳。これまでに1995年ボタフォゴでのブラジル全国選手権、1997年のクルゼイロでのリベルタドーレス杯、2005年のサンパウロでのリベルタドーレス杯とクラブW杯制覇の経験がある。



チンチロリン


アトレチコ・パラナエンセの監督に就任したパウロ・アウトゥオリである。
すぐに次なるクラブが決まるように、実績十分な指揮官である。
セレッソの監督としては対戦が叶わなかったが、いずれまた対戦したいところ。
楽しみにしておる。


チンチロリン

日本代表候補・永木亮太、また呼ばれるように頑張っていきたいです

2016年03月09日 | Weblog
日本代表候補トレーニングキャンプ2日目 午前午後と戦術トレーニング!
2016年03月09日



日本代表候補トレーニングキャンプ2日目は、午前、午後と2回のトレーニングを行いました。
午前中は前日のトレーニングに引き続き、守備戦術を中心としたメニューに取り組みました。監督の指導は選手間の距離といった細かい部分にまで及び、選手たちも集中力を求められましたが、最後まで活気あふれるトレーニングとなりました。
午後は攻撃戦術を行い、午前中の守備トレーニング同様、ハリルホジッチ監督がピッチ内を動き回って精力的に指示を出し続けました。ピッチ内では監督の目指すサッカーが表現され、プレースピード、パススピードとスピードあふれるサッカーが見られました。
トレーニングキャンプは9日までとなり、最終日の午前中にトレーニングを行って終了となります。



選手コメント
林彰洋 選手(サガン鳥栖)
前回の代表活動を通して、まだまだ足りない点があると感じ、サガン鳥栖でそれを意識しながら練習を重ねてきました。それでもまだまだだと思わされる部分を今回感じたので、引き続きさらに意識を高く持って日々のトレーニングに臨みたいと思います。GKが弱いとチームは強くならないと思っているので、チームの肝となる存在になるために、GKの仲間たちと日々切磋琢磨していきたいです。

永木亮太 選手(鹿島アントラーズ)
今までの選手生活の中で初めてこのような活動に参加することになりました。プロとしてプレーを始めてからずっと目指し、意識し続けていた舞台に急遽参加することになりましたが、いつでもいけるようにずっと準備をしてきました。まだ今日のトレーニングに参加しただけですが、スムーズに入っていけたと思います。昨年までの自分のプレースタイルとこのチームが目指すものが似ている部分があるので、評価をしてもらえたのだと思っています。自分の良さをチームの目指しているものへとさらに重ね合わせ、良い方向に高めていきたいです。この合宿で要求されたことを意識しながら、まずは鹿島アントラーズでしっかりプレーをしたいと思います。先発の座を掴み、結果を出さないと呼ばれないと思うので、また呼ばれるように頑張っていきたいです。




スケジュール
3月7日(月) 17:00 トレーニング [フロンティアサッカーフィールド(秋津総合運動公園内)]
3月8日(火) 10:30/17:00 トレーニング [フロンティアサッカーフィールド(秋津総合運動公園内)]
3月9日(水) 10:30 トレーニング [フロンティアサッカーフィールド(秋津総合運動公園内)]
※スケジュールは、チームのコンディションや天候等により急きょ変更する場合があります。



チンチロリン


コメントを発した日本代表候補の永木である。
「自分の良さをチームの目指しているものへとさらに重ね合わせ、良い方向に高めていきたい」と述べる。
現日本代表の求めるプレイスタイルと永木のそれが合致していることは良いこと。
それは鹿島に於いても同様と言えよう。
だからこその二年越しのラブコールとなったのである。
永木本人が言うように、先発の座を掴み、結果を出して欲しいところ。
また、練習に励む夢生の姿が写る。
合宿初日は負傷にて別メニューとあったが、二日目は問題なく練習に合流した様子。
良い面をアピールし、日本代表を牽引する存在となっていくのだ。
活躍を楽しみにしておる。


チンチロリン

27歳を機に大きな一歩を踏み出した永木選手を紹介

2016年03月09日 | Weblog
自身初の移籍決断!鹿島アントラーズ・永木亮太とは?
tkm 2016/03/09 08:05

昨年まで湘南ベルマーレで六年間、大黒柱として中盤に君臨していた永木亮太選手。2013年にキャプテンに就任し、ピッチ内外でチームを引っ張ってきました。今まで移籍オファーを断ってきましたが、今年は自身初の移籍をついに決断。移籍先は常勝軍団・鹿島アントラーズ。自身の成長を促すべく、満を持して移籍となりました。27歳を機に大きな一歩を踏み出した永木選手を紹介します。


by ゲキサカ

移籍先は常勝軍団・鹿島アントラーズ

永木選手は今季に鹿島アントラーズからオファー受け、移籍することを決意しました。「目標は日本代表のユニフォームを着ること。」と明言しているように、より一人の選手として成長すべく、今回のオファーを受けたようです。鹿島アントラーズは、昨年のナビスコカップ優勝を含め、17冠のタイトル(国内最多)を獲得している日本を代表するクラブです。また、これまでに中田浩二、柳沢敦、大迫勇也など数多くの日本代表選手を輩出してきました。ですので、永木選手の目標に合ったクラブとも言えるでしょう。しかしながら、永木選手のポジションはボランチ。鹿島のボランチといえば、元日本代表の小笠原満男選手と現日本代表の柴崎岳選手がスタメンで活躍しているため、熾烈かつ厳しいポジション争いが繰り広げられることでしょう。永木選手には負けずに頑張ってもらいたいですね。


by SOCCER KING

恩師は前監督・貴裁(チョウ・キジェ)

今では日本代表への呼び声高い永木選手。そんな永木選手が今に至るまでには一人の恩師のおかげがあったようです。その相手は湘南ベルマーレを率いる貴裁監督です。永木選手が初めて監督にあったのがジュニアユースの頃、そこから一時は離れはするもののプロ生活も含め、計7年間永木選手は監督から指導を受けました。ジュニアユース時代にはサッカーをする前に、監督の規律や礼儀を重要視する指導がサッカー選手である前に、一人の人間として永木選手を大きく成長させたようです。

また、現在のポジションであるボランチも監督がコンバートしました。中一までトップ下を務めていた永木選手を監督は急にボランチにコンバートし、それが現在のプロの世界でも通用しているというのは監督を褒めるしかありませんね。そして今回の移籍に関しても「選手は、成長意欲を持っていないといけない。」という監督の言葉もあり、移籍を決断したようです。これらのように永木選手が活躍する背景には、監督の影響がとても大きかったようです。

武器は豊富な運動量とフリーキック!

永木選手は90分間、笛が鳴り終えるまで走り続けることができる無尽蔵のスタミナの持ち主です。そのスタミナを存分に活かし、試合中は攻守にわたりチームに貢献します。さらに、一級品のフリーキックも兼ね備えています。かなりのスピードが出るにもかかわらず、縦に落ちていくボールを蹴ることができ、いくつか直接フリーキックでゴールネットを揺らしてきました。永木選手のキックが「まるでクリスティアーノ・ロナウドみたい」と言う人いるほど素晴らしいキックを持っています。動画もありますので、ぜひ一度ご覧ください。

動画

鹿島には小笠原選手や柴崎選手もフリーキックを得意としていますが、全くと言っていいほど種類が違うボールを永木選手は蹴ることができるので、鹿島としてはまた新たにオプションが増えた形になります。はやく鹿島での永木選手のフリーキックからゴールが見てみたいですね。そんな永木選手は現在日本代表候補合宿に追加招集中!今後より一層鹿島で活躍することができれば、目標である代表定着が現実になるかもしれません。そんな永木亮太選手に今年は要チェックです!

プロフィール

国籍:日本
生年月日:1988年6月4日(27歳)
出身地:神奈川県横浜市
身長:173cm
体重:72kg
在籍チーム:鹿島アントラーズ
ポジション:MF
背番号:6



チンチロリン


永木について記すshooty誌である。
永木のサッカー人生には貴裁監督の影響が大きい様子。
川崎ユース、湘南での指導で、サッカー選手として以上に人間として成長させてもらったとのこと。
その貴裁監督にトップ下からボランチにコンバートされ才能が更に開花した。
日本代表候補にまでなっておる。
貴裁監督は鹿島移籍の後押しもしており、我らとしても感謝するところ。
永木の活躍が楽しみである。


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京都橘高校・岩崎悠人くん、頭ひとつふたつ抜けるくらいの存在にならないといけない

2016年03月09日 | Weblog
U-19日本代表の注目FW岩崎「高校サッカーでは頭ひとつふたつ抜けるくらいの存在にならないといけない」
16/3/9 07:36



 U-19日本代表候補FW岩崎悠人(京都橘高)が今年の高校サッカーで「頭ひとつふたつ抜けるくらいの存在にならないといけない」と誓った。昨年はU-17日本代表、U-18日本代表、そして日本高校選抜でフル回転の活躍。特に大雨の中で行われたU-17韓国代表戦(3月、サニックス杯)では水たまりのできたピッチで一人別のレベルにあるかのような馬力、ボディバランスを活かした突破、群を抜く動き出しの量などで韓国DFを圧倒するなど、各チームで存在感を放ってきた。

 一方で所属する京都橘高ではなかなか結果を出すことができなかった。期待値の非常に高かった全国高校選手権では厳しいマークの中、素晴らしい突破で抜け出すシーンもつくったが、無得点に終わりチームは初戦敗退。個人としても、全国大会初ゴールは持ち越しとなってしまった。1年時から注目を集めてきたFWも今年は高校ラストイヤー。それだけに「最後の年なんで。今年のチームも面白いチームなんで、インターハイも、選手権も去年以上の成績を目指してやっていきたいです」と力を込めた。

 この日、国内でリハビリ中の日本代表DF内田篤人がU-19日本代表候補合宿に訪れ、激励。「誰がどこで見ているか分からない」などのメッセージを受けた。岩崎は「きょうは(U-23日本代表監督の)手倉森さんも来ていましたし、誰かが見ているんで常に100パーセントでやらないといけないですし、上手く行かなくても絶対に誰かが見てくれている」。

 将来へ向けたアピールをするという面だけでなく、自分のプレーを分析してくれる人に勇気づけられたこともあるという。「結構Jのスカウトさんとも話をするんですけど、ちょっとしたところの動き出しをほめてくれたり。見てくれているので調子が悪くてもそういう言葉に助けられた」。その言葉をエネルギーとして、成長に繋げてきた。

 昨年は年代別日本代表のチームメートでもあるFW小川航基が自身にプレッシャーをかけながら飛躍を遂げた。今年、岩崎は高校サッカーで突き抜ける存在になる意気込みだ。「そうならないとプロではやっていけない。高校サッカーでは頭ひとつふたつ抜けるくらいの存在にならないといけない」と高い目標を掲げた。自身よりも1、2学年上の世代であるU-19日本代表の熾烈なFW争いでも結果を出し続けて、抜け出す存在になる。

(取材・文 吉田太郎)



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意気込みを語る京都橘高校の岩崎悠人くんである。
鹿島が興味を持つこの逸材が、高校サッカーとU-19日本代表にて躍動してくれるであろう。
楽しみである。


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遅咲きのボランチは今、ハリルジャパンという新たなステージでさらなる飛躍の時を迎えようとしている

2016年03月09日 | Weblog
【日本代表】“初日”にもかかわらず、永木亮太がすんなりとチームに適応できた理由
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2016年03月09日

「ここに来たからには、爪痕を残して帰りたい気持ちはある」


初日ながら好アピールできた永木。ハリルジャパンの印象については「イメージどおり。こだわっているところはすごくこだわっているし、細かく指摘してくれる」と語る。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 3月8日、2日目を迎えた日本代表候補キャンプで、負傷離脱した米本拓司に代わって追加招集された永木亮太が合流した。

 昨年末の代表候補ミーティングには呼ばれていた永木にとって、あくまでも候補だが実質的な代表活動は今回が初めて。その“初日”は午前と午後の2部練習が組まれ、「思ったよりハードだった。充実した練習内容で、レベルが高いなかでできたのですごく面白かった」と振り返る。

 午後のゲーム形式のトレーニングでは、局面をガラリと変えて逆サイドの選手にピタリと合わせるミドルパスを通し、スタンドがどよめくシーンもあった。練習メニューの理解に問題はなく、一つひとつのプレーは常に堂々としていて、チームに難なく適応できていた印象だ。本人も「自分のプレーはある程度、出せていたと思う」と手応えを口にする。

 今回は追加での招集である。それだけに、余計に「チャンスと捉えるしかない」と良い意味で割り切れるだろうし、あとは自分を思い切り表現するだけ。

「ここに来たからには、なにか爪痕を残して帰りたい気持ちはある」

 27歳という年齢を考えれば当然かもしれないが、臆することなく、消極的にもならず、求められる役割を当たり前のようにこなす。この日のパフォーマンスを見る限り、指揮官には良い印象を与えたのではないだろうか。

 今季から鹿島に新天地を求めた永木は、周知のとおり、それ以前の5シーズンは湘南に所属していた選手だ。

「話を聞いている限り、ベルマーレでやってきたことは、この監督(ヴァイッド・ハリルホジッチ監督)のサッカーにすごく合うと思う」

 ハリルジャパンの守備の基本戦術のひとつは、自らアクションを起こして積極的に奪いに行くこと。そして、ミーティングで指揮官はふたつのクラブを口にしたという。

「前からプレッシャーに行っているのは、ベルマーレとフロンターレぐらいだとは言っていました」(永木)

 ハリルホジッチ監督が名指ししたまさにそのクラブで、永木はプロとして成長してきた。チームメイトと比べて代表での経験はまだまだ浅いかもしれないが、現チームの戦術は造作なく吸収し、理解度を深めているのかもしれない。だからこそ、すんなりとフィットできていたのだろう。少なくとも相性は良いはずだ。

 遅咲きのボランチは今、ハリルジャパンという新たなステージでさらなる飛躍の時を迎えようとしている。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)



チンチロリン


日本代表候補合宿に合流した永木を巣材するサッカーダイジェスト誌の広島氏である。
「この日のパフォーマンスを見る限り、指揮官には良い印象を与えたのではないだろうか」と記す。
永木自身も湘南でやってきたことは合うといっており、またハリルホジッチ日本代表監督も湘南と川崎の名を挙げたとのこと。
川崎のユースで育ち、湘南にてプロキャリアを積んだ永木は、申し子と言ってよい。
この永木については、指揮官のお気に入りということであろう。
このまま、代表定着を狙って欲しい。
また、ハリルホジッチ日本代表監督は鹿島の名を挙げなかったが、代表候補に6名を招集したところからも、鹿島もまた前からプレッシャーにいっていることを理解しておろう。
日本代表の試合以上に鹿島のサッカーに注目である。


チンチロリン

シャルケ・篤人、U-19日本代表候補を激励

2016年03月09日 | Weblog
内田 U19に辛口エール「この中の何分の一かは消えていく」

サプライズ訪問したシャルケの内田(前列中央)と記念写真におさまるU―19日本代表イレブン
Photo By スポニチ


 シャルケのDF内田が、東京五輪世代に辛口エールを送った。右膝のリハビリで帰国しており、都内で行われているU―19日本代表合宿を訪れた。

 練習後に全員の前であいさつ。既に公式戦に出場した選手を挙手させ、「この中の何分の一かは消えていくので頑張ってほしい」と助言を送った。最後は「シャルケにも来てね」とフォローし、全員と記念撮影をして会場を後にした。
[ 2016年3月9日 05:30 ]

内田がU-20W杯目指すU-19代表候補を激励!!「誰がどこで見ているか分からない」世界経て次のステージへ
16/3/8 20:19



 世界で自身の存在を示し、戦ってきた先輩の言葉が若き才能たちを刺激した。都内で合宿中のU-19日本代表候補は8日午後、GKを入れての8対8や6対5+GKのオフェンス・ディフェンスなどのトレーニング。今年10月にU-20W杯アジア最終予選(AFC U-19選手権バーレーン2016)を戦うU-19代表候補の選手たちは意欲的に汗を流していた。そのU-19代表候補を現在リハビリで帰国中の日本代表DF内田篤人(シャルケ)が激励。トレーニングをピッチ脇、スタンドから見つめた内田はトレーニング終了後、清水東高の先輩でもある内山篤監督率いるチームの前に立ち、メッセージを送った。
 
 年代別日本代表の後輩たちの視線を浴びる中で口を開いた内田は、半数以上がプロの選手たちに対して必要以上に語るのではなく、短めの言葉で世界へ出て行くことの重要性を語った。そして自身がケガを負った膝を大事にすることと「頑張れ」という言葉を微笑みながら伝え、選手たちと記念撮影も。練習会場を後にした内田は「(世界)大会ひとつ逃すと変な意味、スカウトの目もなくなっちゃう。誰がどこで見ているか分からない。そういう先のことを考えても(世界大会に)出ていた方がいい。世界を見るのもそうだし、世界に出ていくためにもU-20ワールドカップには出ていた方がいいと思います。きょう手倉森さんも見に来ていましたけれども、(U-)23への道もあるし、いいね、若いって。可能性は無限大ですよ」。この日はリオデジャネイロ五輪への出場権を獲得しているU-23日本代表の手倉森誠監督もU-19代表候補合宿を視察。彼らには自分次第でチャンスを掴む可能性がいくらでもある。

 内田は清水東高時代、静岡県選抜の一員として国体に出場したものの、所属チームでは激戦区・静岡を突破することができず、全国高校選手権や全国高校総体には一度も出場することができていない。それでも年代別日本代表の右SBとして多くのスカウトの視線を浴びたことでまた評価を高め、争奪戦の末に鹿島へ進むことを決めた。そしてすぐに名門クラブでスタメン起用されたDFは年代別日本代表としても06年のAFCユース選手権(現AFC U-19選手権)に出場。世界切符獲得に貢献し、翌07年のU-20W杯にもU-20日本代表として出場してベスト16入りを経験している。その後、鹿島、日本代表不動の右SBとして、ドイツの強豪・シャルケの主力として戦ってきた。

 内田やMF柏木陽介、DF槙野智章、MF香川真司らが出場した07年のU-20W杯を最後に日本は4大会連続アジア予選で敗退。U-20の世界大会に出場することができていない。この日刺激を受けた選手たちは、日本の世界大会出場のために戦うことはもちろん、個人としても欲を持って戦い、世界へ羽ばたいていくチャンスを掴むことができるか。先輩DFの言葉に、選手たちは確実に気持ちを奮い立たせていた。高校2年生ながらすでにG大阪のトップチームへ昇格しているMF堂安律は「やっぱり上の選手とやりたいですし、やるからにはプロなんでチャンス掴んで上に上がっていくしかない。そういう面ではきょうは刺激受けましたね」。また6日の甲府戦でJ1デビューを果たしているSB初瀬亮(G大阪)は「世界では自分の年でデビューしている海外の選手もいますし、年齢関係なく、世界に出れば、海外の目も向いてくると思いますし、そこへ行くためには日本で活躍しないと呼んでもらえない。(国内で活躍し、アジアを突破して)U-20ワールドカップに出たいと思います」と力を込めた。

 後輩たちにエールを送った内田は、U-19日本代表の選手たちに日本のサッカーを元気づけて欲しいという思いも口にした。「なでしこ負けちゃったし、フットサルも負けちゃったし、(日本が)あんまり最近元気ないんで頑張って欲しいと思っています」。U-19日本代表はもちろん、U-20W杯へ出場することを全力で目指している。この日、先輩からの言葉にまた世界への思いを強めたイレブンが、アジア突破に挑戦する。

(取材・文 吉田太郎)

[U-19代表]うっちーが後輩の激励に「1年目から試合に出ないといけない」


uchida U-19 右ひざ負傷のため国内でリハビリを行っているシャルケの内田篤人が、来年開催されるU-20W杯出場を目指すU-19日本代表の激励に訪れた。
 U-19代表は高校3年生やプロ1、2年目の選手で構成されており、Jリーグで出場機会を得ている選手は多くない。内田はそうした選手たちに対して、「(プロの世界は)4、5年でいなくなってしまう選手も多い。だから、いち早く試合に出てほしい。1年目から試合に出ないといけない」とエールを送った。
 内田と同じ清水東高出身の内山篤U-19代表監督も「1年目から試合に出ている人が代表にも入っていく」と、選手たちの奮起に期待している。今シーズン、東京五輪世代でもある彼らは、内田から授かった言葉をそれぞれのクラブで体現できるか。(松尾祐希)
(BLOGOLA編集部)



チンチロリン


U-19日本代表候補合宿を訪問したシャルケの篤人である。
若き選手らにエールを送った。
厳しいことも、現実も、そして希望も語った様子。
触発され、より高みを目指し、成長していって欲しい。


チンチロリン

小笠原満男、いかに語り継いでいくかが大事なのではないかと感じた

2016年03月09日 | Weblog
鹿島小笠原、震災から5年「復興したとは言えない」
[2016年3月8日22時19分]


東日本大震災復興について語る鹿島MF小笠原(撮影・青木沙耶香)

 鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(36)が8日、茨城県鹿嶋市で震災発生から5年の思いを語り「とてもじゃないけど復興したとは言える状況じゃないし、まだ仮設住宅で住んでる人も何人もいたり風評被害もいまだに根強い」と訴えた。

 サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動を今でも行っているが、震災から5年経ち、「10歳未満の子たちが東日本大震災と言ってもピンと来てない子がいる。いかに語り継いでいくかが大事なのではないかと感じた」と話す。

 また、正月に帰省した際には、行方不明者がまだ2500人ほどいることを知り、胸を痛めた。「人それぞれにストーリーがあって、傷を癒えてない人や家族がいると感じる。子どもたちとサッカーで接する機会があるが、少しでも楽しい思いになるような活動を心掛けている」。

 12日にはアウェーで仙台と対戦する。「本当に胸が痛くなるような1日ですけど、そこで試合することによってまた東日本大震災が注目されて、みんなが何か思い起こすきっかけでもいいし、防災意識を持つきっかけでもいい。誰か何かのためになる試合であって欲しい」と願った。

鹿島小笠原が復興へ、福島の野菜を各スタジアムに
[2016年3月9日7時8分 紙面から]

 岩手県出身で、東日本大震災の復興支援活動を続けている鹿島MF小笠原満男(36)が8日、茨城・鹿嶋市のクラブハウスで震災発生から5年を前に「とてもじゃないけど復興したとは言える状況ではない」と訴えた。

 12日にはアウェーで同じくホームタウンが被災した仙台と対戦。「胸が痛くなるような1日ですけど、試合をすることでまた震災が注目され、何か力になるきっかけになったら」と願った。シーズンオフには被災地でサッカー教室を開くなどしているが、今後の活動について「Jリーグ全体の問題と考えてもいいのでは」と提起した。

鹿島・小笠原、震災発生から5年を前に思い語る「まだ復興進んでいない」
 J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動を続ける岩手県出身の小笠原満男が8日、茨城県鹿嶋市で震災発生から5年を前に思いを語り「まだ復興は進んでいない。全国の人に、人ごとだとは思ってほしくない」と切実に訴えた。

 シーズンオフには被災地に赴いて子どもたちに向けたサッカー教室や新しいグラウンドを整備する活動をしているが「地震、津波を知らない小さな子もいる。いかに大人が語り継いでいくかが大事」と話した。

 12日には同じくホームタウンが被災した仙台と対戦。「複雑な気持ちはあるが、震災を思い出すきっかけになるのは悪いことではない。お互いにとっていい試合であれば」と期待した。

【鹿島】小笠原、年1回でも震災語り継いで「防災意識につながる」
2016年3月9日6時0分 スポーツ報知

 MF小笠原満男(36)=鹿島=が8日、東日本大震災から5年となる11日を控え、取材に応じた。時間の経過とともに「人の記憶が薄れていくのは仕方がない」としながらも、「年に1回でいいので、あの時のことを思い出してほしい」と訴えた。

 1月には福島・南相馬でサッカー交流会を開催。「5年がたって、記憶に残っていない子供たちも増えた」と感じており「先生やサッカーのコーチは、子供たちに震災のことを語り継いでほしい。それが防災意識の向上につながる」などと語り、他地域でも教訓とするよう求めた。

 小笠原は、出身地の岩手・盛岡市や、高校時代を過ごした大船渡市が被災。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となり、震災直後から物資支援、グラウンド設置などに携わってきた。

東北出身のJリーガーに何ができるのか。鹿島・小笠原満男が語る、復興とサッカー 「いつまでも助けて、助けてっていうわけにはいかない」
[2016年03月09日]


「復興しているようには、とてもじゃないけど見えない」と語る小笠原満男だが、見据える先は…

人前に出るのは苦手で、話をするのも好きじゃない。そんなひとりのサッカー選手が、今も復興支援活動の先頭に立ち続けている。

震災後、東北出身のJリーガー有志と共に任意団体「東北人魂」を結成した小笠原満男が、その5年間の歩みをふり返った。

■サッカー選手だからできる支援もある

インタビューの席に着くなり、小笠原満男はため息交じりにこう漏らした。

「正直、復興しているようには、とてもじゃないけど見えないですね。5年たってこれかぁ、っていう思いが強い。でも、逆に言えばそれほどの大きな被害だったってことなんですよね」

小笠原は高校進学とともに親元を離れ、岩手県沿岸部の大船渡市でサッカーに明け暮れる毎日を送った。

震災直後、車に物資を積んで向かったその思い出の土地は見るも無残に変わり果て、小笠原は言葉を失ったという。それからは被災地と自宅のある鹿嶋市を何度も往復し、物資を届けて回ったり、避難所を訪れては被災者を励ましたりと精力的に行動した。

しかし、日を追うごとにひとりで何かを行なうには限界があると感じ始めていた。そんな時、同じ東北出身のJリーガーである今野泰幸(ガンバ大阪)や熊林親吾(現・ブラウブリッツ秋田U-18監督)らから声をかけられ、“サッカー選手だからこそできる支援”を東北出身の選手たちでできないだろうか、という話になった。

サッカー選手の自分たちだからできることとは、サッカーを通して子供たちの笑顔を取り戻すことだ。

早速、手分けして、東北出身の現役Jリーガーに片っ端から連絡を取り、任意団体「東北人魂を持つJ選手の会(通称「東北人魂」)」を立ち上げる。会の発足当初は、子供たちにボールやスパイクを贈る活動をメインに行なった。

「せめてボールを蹴っている間だけでもつらいことを忘れられるんじゃないかなと思って、いろんなところから選手おのおのが集めて、被災地に送っていました」


今年のオフも東北各地で子供たちと一緒にボールを蹴ってきた


小笠原の他、柴崎岳(鹿島)、今野泰幸(ガンバ大阪)ら東北6県出身の現役Jリーガー有志によって発足した「東北人魂」。写真は2012年、ソニー仙台(JFL)の選手たちと


しかし、少しずつ復興へ向かおうとしている街には、スポーツ用品店を営んでいる人もいる。次第に物資を送ることはそんな人たちの再起の妨げになってしまうのではないかと考えるようになった。

「被災地に行った際にふと耳にしたことがあったんです。いろいろ支援で送ってくれることはとても嬉しいのだけど、同じ物を商売として取り扱っている人は、売れなくて困っているって。それを聞いた時、ハッとさせられました。自分たちがよかれと思ってやっていることが、逆に迷惑になっていることもあるんだなと」

東北人魂のメンバーたちとあらためて自分たちにできることを話し合った。

「手探りでしたね。何が必要とされるのか。何が喜んでもらえるのか。たくさん話し合った結果、やっぱり現役選手らしく、直接サッカーで子供たちと触れ合うことが一番いいんじゃないか、ってことになったんです」

それからは「自分たちの本業を疎(おろそ)かにせず、無理をしない」をモットーに、オフを利用しては被災地に皆で足を運び、子供たちとサッカーを通して触れ合う活動をメインに続けてきた。この春で6年目を迎える。

「最初の頃は子供たちにかける声ひとつにしても、いろいろ考えさせられましたね。例えば、『サッカー頑張れよ。諦めるなよ』って言うと、『諦めたくないけど、サッカーやる場所がないんです』って返されたり。小さな体で大きな辛いものを抱えているのかと思うと、胸が苦しくなりましたね」

そうした現地の生の声を聞くことは、「悲しい思いを共有するだけでなく、活動のあり方を考える上でも役に立った」と小笠原は話す。

「被災地で触れ合い活動をする時は、必ずメンバー皆で被災した現場も視察することにしているんです。現地の方に説明していただくことで、あそこにグラウンドがあったとか、近くにイベントに使えそうな体育館があるとか知ることができますよね。そうすることで、じゃあ今度はこの地域出身の選手がいたはずだから、彼をメインでこういうことをやろうかとか。その場でどんどん案を出し合えるんです」


内田篤人(中央)、吉田麻也(右)ら日本代表の欧州組が駆けつけたことも


サッカー教室などの合間には必ず被害を受けた地域に足を運ぶ


母校のある大船渡市には、2013年に多目的グラウンドも整備した


そして、声を聞くことによって実現したこともある。

「『走り回れる場所がない』という子供たちの声が多かったので、グラウンドを造るプロジェクトを立ち上げました。まずは自分の母校(大船渡高校)のある大船渡市に話を聞いていただいて、市長はじめ市民の方々や自治体の方々、そして全国からの寄付金のおかげで、2013年の春に多目的なグラウンドを整備することができたんです。

でも、冬場など天候によっては泥だらけになって使えないこともあるので、次はそこを人工芝に替えられたら、いつでも皆が使えるようになっていいなぁ、と次のステップに進んでいる最中です」

震災から5年が経ち、被害の記憶は風化しつつある。支援も少なくなっている。しかし、小笠原はこう語る。

「いつまでも助けて、助けてっていうわけにはいかないですからね。去年の鬼怒川(きぬがわ)の洪水被害とか、今年に入っても台湾の大地震とか、あちこちで悲しいことが起きている。そうした中で(支援の)全部を東北にって言うつもりもない。ただ、そうした難しさはあるけど、ああいう大きな災害から学ぶ姿勢はやっぱり大事ですし、同じ被害が起きないように伝えていかなければいけないと思います」


“サムライブルーの料理人”こと旧知の西芳照氏(左)も支援するひとり

そう言うと最後に、今後の東北人魂の活動に対する思いをこう話した。

「今後もできる人でやっていきたいなとは思っています。被災した所へ行って子供と触れ合い、一緒にサッカーするっていうのが、立ち上げの時からの一番の大きな目標で、そこは続けていきたいですね。それで近い将来、若い選手から、『実はあの時、一緒にボール蹴ってもらったんです』って話が聞けたりしたら嬉しいし、そんな選手が出てきてほしいです。そして、今度は同じJリーガーとして東北人魂の活動ができたら幸せですね」


その活動は「東北人魂」という枠を超え、多くの仲間に支えられてきた

1年に1回思い出してほしい」。復興支援を続ける鹿島の小笠原が記者会見。12日に仙台戦


「3月11日」が近付いてきた。東日本大震災から5年が経過しようとしている。12日に仙台との試合を控えることもあり、同じ被災地である茨城のJ1鹿島の小笠原満男が記者会見に臨んだ。
 このオフも、自らが主宰する「東北人魂」の活動や、Jリーグのふれあい活動で東北の被災地を訪れた小笠原。5年前の震災が起きた日は、清水とのアウェイゲームに向かうため高速道路を走るチームバスの車内にいた。
 「高速道路でバスが止まった。テレビが付いていたので情報源はそれだけだった。いろいろな人に連絡したけれど誰にもつながらなかった」
 居ても立ってもいられず数日後被災地へ向かう。目に入ってくる息を呑む光景。避難所に立ち寄るも、なんと声をかけていいのか分からず、逆に「どうしているの?」「サッカー、頑張ってね」と声を掛けられた。力になるつもりがなにもできず、逆に力をもらったことを、「いまでも避難所に行ったことが正解だったのか分からない」と自問し続ける。
 あれから5年が経過しようとしている。
 「なに不自由なく生活してきた俺と、被災地の人の5年は違う」と前置きしつつ、いまだに仮設住宅で暮らしている人も多いことなどを挙げて「とてもじゃないけど復興したとは言えない」「人間なんだからどうやっても忘れていってしまう。でも、1年に1回思い出してほしい」と訴えていた。
(鹿島担当 田中滋)



チンチロリン


震災発生からの5年の思いを語った小笠原満男である。
まだまだ復興は進んでおらぬ。
心が痛むことも多い。
忘れつつある者もおろう。
しかしながら、風化させるべきではない。
「震災ダービー」といった呼び方は不謹慎ではある。
とはいえ、こうして忘れつつある非被災者の記憶を呼び戻すことも必要かも知れぬ。
今週末、アウェイにて仙台と対戦する。
大いに盛り上がる、熱い試合をして、全国のサッカーファンを喜ばせ且つ胸に刻み込ませたい。


チンチロリン