鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

オフ明け全員集合

2011年11月07日 | Weblog
2011年11月07日(月)

3連休明けとなった今日は15時より室内トレーニングを行った後、グラウンドでフィジカルトレーニングを実施しました。

三日間のオフを終えグラウンドに戻ってきた選手たちである。
気持ちはリフレッシュされたはず。
ここから
気持ちを引き締めて一つ一つ戦っていきたい。
リーグ戦残り三試合と天皇杯全てに勝利し、今季を終えたいところ。
気持ちを高めて試合に挑むのだ。
期待しておる。

マルキーニョス、いつかまた日本に戻りたい

2011年11月07日 | Weblog
マルキーニョス「いつかまた日本に戻りたい」
栄光の10年間と突然の悲しき別れ

2011年11月7日(月)


6クラブを渡り歩いたマルキーニョス(右)だが、とりわけ鹿島では多くのタイトルに恵まれた。【Getty Images】

 2001年の東京ヴェルディ加入以来、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド千葉、清水エスパルス、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台と10年間で6チームを渡り歩いてきたマルキーニョス。07年に移籍した鹿島ではリーグ3連覇に貢献するとともに、得点王のタイトルも獲得した。特筆すべきはその高い決定力だ。来日当初はけがで離脱することも多かったが、06年以降はコンスタントに出場し、5シーズン連続で2けたゴールを記録している。J1で積み重ねた得点数は歴代5位タイとなる109(11月3日時点)。リーグ史上最強の外国人選手の1人と言っても決して過言ではないだろう。11年には仙台に加入し、ゴール数のさらなる上積みが期待されていた。

 しかし、3月11日に東日本を襲った未曾有の大震災により、マルキーニョスの日本でのキャリアは突如として終止符が打たれてしまう。4月9日、仙台はマルキーニョスとの契約解除を発表。地震後はブラジルに帰国し、練習再開とともに一度はチームに合流したものの、相次ぐ余震と震災の甚大な被害を目の当たりにした精神的なショックは大きかったようだ。

 現在、マルキーニョスは母国ブラジルのアトレチコ・ミネイロでプレーを続けている。とはいえ、素晴らしい時間を過ごした日本を忘れることはない。「いつかまた日本に戻って何かの役に立ちたい」。これがマルキーニョスの次の目標だという。震災からの復興を目指す日本への愛情、クラブを退団するに至った苦渋の決断について、思いの丈を語ってくれた。

■本当に素晴らしい10年間だった

――あなたは2001年の東京V加入以来、Jリーグの6クラブでプレーしてきた。外国人プレーヤーとして、これだけ多くのチームで、しかも長きにわたって日本に滞在した選手はいないよね

 初めて日本のクラブからオファーをもらったとき、僕はコリチーバのFWとして絶好調だった。最初は、このままブラジルで頑張っていればブラジル代表に呼ばれる可能性だってあるから、外国に行かないほうがいいと思ったんだ。でも、いろいろ考えて、この挑戦を受けようと日本に行くことにした。

――1人で? それとも家族を連れて?

 1人で行ったよ。日本に限らず、きっと外国に行ったら最初はいろいろ困ることがあると覚悟をしていたから、驚きはしなかったけど、日本の食事に慣れるのにちょっと時間がかかったね。最初は食べられるものを口にして、徐々に慣れて、最後には納豆も食べられるようになったよ。ラーメン、焼肉、刺身など日本の食べ物は本当においしかった。今でも、時々日本食が食べたくなると、日本食レストランに行くんだ。

――あなたの日本になじもうという姿勢が成功のカギだったのかな?

 そうだね。少しでも日本に近づこう、日本のことを知ろう、そして、ピッチの中では絶対に勝ちたいという闘志の姿勢が日本のみんなに受け入れられたのかもしれない。本当に素晴らしい10年間だったと思うよ。

――6つのクラブ、それもいろいろな地域でプレーした。どのクラブの思い出が印象に残ってる?

 どのクラブも、僕にとっては忘れがたい思い出の地だよ。

■鹿島のナビスコカップ優勝には胸がいっぱいになった

――日本ではたくさんのタイトルも獲得してるよね。特に鹿島ではJリーグで3連覇を達成している

 鹿島では素晴らしい経験をした。僕はこれまでプレーしてきたクラブで、チーム内の得点王だったけど、鹿島では(2008年シーズンに)初めてリーグの得点王になることができたんだ。忘れられないね。

――その鹿島がナビスコカップで優勝したね

 優勝は本当にうれしいね。今でも、鹿島のオズワルド(・オリヴェイラ)監督はじめスタッフとは連絡を取っているから、お祝いの言葉を伝えたよ。一緒に戦ったメンバーのことを考えて、本当に胸がいっぱいになったんだ。

――ブラジルにいても、Jリーグは見ているの?

 こっちで放映しているNHKで時々Jリーグの試合が流れるから、見てるよ。

――鹿島と仙台、あなたにとって忘れられない2つのクラブが今回の震災、津波で大きな被害を受けた

 本当に胸が痛むよ。僕自身、3月11日は仙台にいてあの地震を体験したんだ。

■日本を離れることは悲しかった


震災後に一度はチームに合流したものの、最終的には退団することが決定。「とても悲しかった」と当時の心境を語っている【写真は共同】

――地震の瞬間は何をしている時だったの?

 練習を終えて、イタリアンレストランで仲間たちと食事をしていた時だった。突然激しく揺れだして、じっと座っていることもできなかった。すぐに外の広い駐車場に出たんだけど、激しい揺れはまるで終わりがないかのように長く感じられた。この世の終わりだと思ったよ。

 揺れが収まった後、クラブに集合して、これからどうすべきか話し合い、外国人たちは自国に、日本人選手も仙台を離れることにした。近くの町まで車で出て、そこからバスで東京に出て、成田から飛行機でブラジルに向かったんだ。

――飛行機の中ではどんな気持ちでいた?

 助かったという安心感と同時に、日本での10年間のこと、プレシーズンを一緒に準備してきたみんなを残して日本を離れることを思うと、胸が苦しくて悲しかったよ。

――ブラジルに着いて家族はさぞ安心しただろうね

 数日間、僕と連絡が取れなかったから、もう死んだんじゃないかと絶望的になっていたみたい。だから、本当に喜んでくれたよ。

――でも、あなたはしばらくしてまた日本に戻った。怖くはなかった?

 地震直後の時点では、家族を安心させるためにも一度ブラジルに帰ったけど、監督と約束したんだ。落ち着いたら、絶対に日本に戻るって。一度口にしたことは、絶対に守るのが男だと思ってるから、ブラジルの家族は心配したけど、日本に戻ったんだ。

――この時点で、日本を離れることを決心していたの? お別れのために日本に戻ったの?

 いや、この時は退団するなんて決めていなかった。仙台に戻ってみたら、余震がまだ続き混乱していて、いろいろ話し合った結果、ブラジルに帰ることになったんだ。とても悲しかったよ。

■やり残したことがある気持ちでいっぱい

――いつかまた日本に戻りたいと思う?

 もちろん。まだやり残したことがある気持ちでいっぱいなんだ。日本での10年間は、僕の人生にとってかけがえのない時間だった。多くの優しさ、支えを日本のみんなからもらったことは決して忘れないよ。

――ブラジルに戻ってアトレチコ・ミネイロに入団した。今のチーム状況は?

 僕は途中でけがをしてしまったんだけど、今は復帰したところ。アトレチコは、ブラジル全国選手権で20チーム中15位(第32節終了時点)。次年度のリベルタドーレス杯の出場権は厳しいけど、スダメリカーナ杯出場圏内には上がりたいね。

――現在35歳だけど、次の目標は何かな?

 ブラジルでもリーグ優勝したい、そしていつか日本に戻りたいってことだね。

――では最後に、日本のファンへメッセージをお願いできるかな

 僕は日本のみんなのおかげで、素晴らしい10年間を過ごすことができた。心から感謝をしているんだ。日本が立ち直ることを心から祈っているし、いつか日本に戻って何かの役に立ちたいと思っているよ。

<了>


マルキーニョスのインタビューである。
数々のコメントに胸が熱くなるのを抑えられぬ。
いつか日本に戻るという言葉に対し、我等も期待したい。
きっと、きっとまた会える。
楽しみにしておる。

ジーコ、日本代表にエール

2011年11月07日 | Weblog
イラク監督・ジーコ「ブラジルで会おう」
2011.11.7 05:02


日本にエールを送ったジーコ氏 (撮影・志田健)

 サッカー・日本代表合宿(6日、ドーハ)日本代表は午前、カタール・ドーハに到着。ブラジルW杯アジア3次予選のタジキスタン戦(11日、ドゥシャンベ)、北朝鮮戦(15日、平壌)に向け、事前合宿を開始した。当地には同予選で中国と対戦するイラク代表が合宿中。率いる元日本代表監督のジーコ氏(58)がサンケイスポーツの独占取材に答え、MF遠藤保仁(31)=G大阪=らかつての教え子たちを激励した。(ペ ン・志田健、玉木充、カメラ・大橋純人)

 日本への愛は変わらなかった。ジーコ氏はドーハ市内のアル・アラビ競技場での練習を終えると、「敷地外に出ろ」とピリピリのイラク協会職員をよそに、ややふっくらした顔に笑みを浮かべて切り出した。

 「日本がドーハに来るとは知らなかった。次のタジク戦に向けて、彼らにぜひ『グッド・ラック(幸運を)』とメッセージを伝えてほしい」

 8月にイラク代表監督に就任。イラク情勢からドーハ開催となった11日のW杯3次予選A組・中国戦に向け、3日から合宿中で、偶然の“遭遇”に、かつての教え子たちに熱いエールを送った。

 ジーコ氏の下で初代表入りしたMF長谷部、DF栗原らをはじめ、日本代表監督時代に縁のある選手は今も数多い。ザッケローニ現監督への遠慮もあり、練習訪問は明言しなかったが、励みになるはずだ。

 特に「エンドー、コマノ…。懐かしいね」と、06年ドイツW杯をともに戦った2人の名を挙げ、柔和に笑った。DF長友の不参加で、左サイドバックでの先発が濃厚なDF駒野は、「この2試合で最終予選(進出を)決めたい」。MF遠藤も「自信をもってプレーするだけ」。恩師の思いに応える意気込みだ。

 イラクは日本と同じく、中国、ヨルダンとの2連戦で3次予選突破が決まる可能性がある。ジーコ氏は「最終予選、いやブラジルで会おう」と“アベック突破”を熱望した。4月には震災被災者支援の慈善試合をブラジルで開催するなど、日本への愛は不変。“サッカーの神様”のエールを背に、ザック・ジャパンがドーハで始動した。(志田健)
(紙面から)


サンケイスポーツの独占取材を受けるジーコである。
相変わらず、前向きな姿勢が嬉しい。
是非ともイラクをブラジルW杯へ導いて欲しい。
ジーコの采配が楽しみである。

水戸・隆行、勝利へ導く

2011年11月07日 | Weblog
【J2:第34節 水戸 vs 北九州】試合終了後の各選手コメント(11.11.06)
●鈴木隆行選手(水戸)
「全体的にボールが回ってよかったけど、チャンスらしいチャンスを作れなかったのはちょっと気になる。チームの成長に関しては、加入したとき『ダメかな』と思っていたけど、期待を裏切って(苦笑)、全体的に伸びてきている。僕自身も感心しています。選手個々が経験を積んでプロとして戦えるようになっている。今はボールをつなげるし、どのチームとやっても技術的に負けていないと思う。試合の中で集中力が切れて失点することが多かったので、そういうときには声をかけている。実際、ミスは減ったと思う。残り試合、いい状態を保って来年につながる試合をしたい。この流れを続けていきたい」

[ J2:第34節 水戸 vs 北九州 ]

0-0で前半終了するかと思われた45分+3、水戸はPKのチャンスを鈴木隆行(写真)が決めて先制点をあげる。鈴木隆行は今季4点目のゴールとなった。

PKで勝利に導いた水戸の隆行である。
隆行の加入で水戸は確実に進化した。
来季が楽しみと言えよう。
我等も対戦を心待ちにしておる。