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Kennyの郷土史:野洲川の歴史と文化

2013-10-22 13:10:47 | 郷土史

  もう今は近江郎はいない
 新しい野洲川があって本当によかった!
     先の台風18号の野洲川大増
で,
下流だけでは
    なくて
野洲市街地の洪水の危険も防いでくれました
   この増水を機に、元の野洲川南流と北流を見てきました
     いやー、本当にぞっとする、そんな印象でした


        Kennyの滋賀から情報発信
             (この日記の掲載期間:10月25日~10月31日)

先ずは下の写真をご覧ください

      
         
昭和35年の野洲川             同、昭和50年
                  (1960)                                        (1975)

                     
                                現在の野洲川
 真ん中に太い現在の野洲川、両側に元南流・北流の川の跡が見えます
     
 (写真はすべて国土交通省のHPから拝借しました)

そして最近の台風18号の時、緊張しました
 
    現在の野洲川のほんの少し上流の状態です。 台風接近時の大雨で
    (撮影:危険なので、
かなり水が引いた時間です:自宅近く)


 後日です、まだ多め。散歩中の方の位置まで増水しました。改めて水の怖さを

 

    こんな光景、恐ろしいほど!          普段は広い川の中央に流れる程度
      (前方の橋はJR在来線)          (10月30日, 2013 同位置から)
                                               

過日歩いた元の南流・北流です 今回の増水ならどうなる?


      ここは昭和28年の決壊箇所だよ、左の家は最近建ったけど、と
            (南流、守山市洲本町付近)

                        
                         昭和28年の決壊 洲本町交差点
                           (国土交通省のHPより)

撮影当日、上の写真正面に見えるコスモス畑で弁当を広げてい
た当時からここにお住まいのかなり先輩年齢のじーちゃん、ば
ーちゃんは、更に、「この間の18号の時は昔の事があるんで
なー、怖かった」と箸を止めて真剣な表情で語ってくれました、
口からご飯粒を飛ばしならも・・。



    南流のこの箇所、この川幅です100mもない(上の写真と同じ場所)
     (こちらの堤防から見ています。向こうの樹林が反対側の川岸です)


先の18号台風時の水量が下流の南北2本の川で処理が出来るは
ずがないと、ど素人の私の目にも明らかです。その川は曲がりくね
り、広い所や狭い部分があります。 2本の川があってもこれではね
・・・。  一方、新しい川の幅は約330mです。

 
 残る南流、水の流れはない            南流の琵琶湖河口部

           
                            北流の琵琶湖河口部

その野洲川、暴れ川だった

野洲川はかつて、「近江太郎」といわれたほどの暴れ川で、記
録に残るような大災害を何度ももたらしました。しかし、昭和
54年(1979)に
放水路(下流部の新しい野洲川)が竣工して、
今はもう近江太郎はいない安全な川となりました。
    
   洪水の様子(笠原公園の看板から)    竹生橋の親柱を現地に保存(北流)

昭和28年(1953)の洪水、新しい川のきっかけ
河口部周辺集落や農地に人災を含む甚大な被害となりました。
これを機に野洲川の大改修が立案、工事は8年の歳月を掛け
て始まり昭和54年に竣工、2年後に元の南北両流を締切り
ました。  改修工事の詳細は国土交通省のHPで

    
                 南北両流(天井川化しています)と新野洲川の比較
                            (下流、笠原公園の看板の一部)

上流の花崗岩地質から流れ来る土砂の体積、たび重なる洪水
で、その都度堤を積み上げてきた経緯から野洲川は天井川と
なり、それ故 洪水が避けられない川となってしまいました。

野洲川
滋賀県南東部を流れる川。一級河川。 鈴鹿山脈の御在所岳
に源を発してほぼ北西に流れ守山市で琵琶湖に注ぐ。延長
65キロメートル、淀川水系琵琶湖流域の約10%の地域を潤
す県下
最大の河川とのことです。


  上下の写真は同じ橋の上から撮影:上流方向 前方に三上山が見えます

         正面が琵琶湖で、野洲川の河口部です 上下共現野洲川です
                 (兎にも角にも広くて全てが大きいです)

服部遺跡
流域は広大な三角州が形成されています。新しい野洲川はそ
の中央に掘削されました。その時、守山市で発見された服部遺
跡は、弥生から平安期に及ぶ大集落遺跡だそうです。

     
       発掘された銅印模型           解説板(拡大します)
(守山市埋蔵文化センター敷地内:実物は今、野洲市民俗博物館で展示中)

参考資料: 国土交通省のHP、野洲市民俗博物館の企画展
        案内(野洲市のHP)
を参考に私の理解と言葉
        で記載しました。

お知らせ:秋季企画展「野洲川の歴史と文化」開催中
資料や展示物、ビデオが用意され野洲川の歴史を知る事が出来ます。
   会場:野洲市歴史民俗博物館 
   会期:平成25年10月5日~11月24日
    (この間に休館日があります。詳しくは当館のHPで
 日本一大きな銅鐸の里帰り展と合わせてご覧頂けます

以下、写真資料です


        3.5mの段差を作っています 右端は魚の遡上水路
地形は琵琶湖に向い下がっていますが、野洲川の流れが急に
なることを防ぐ為の工夫です。また魚にも配慮されています。



            現野洲川から見た元南流は遠く離れています
野洲川元南北両流の間は日本最大の湖成三角州を形成して
います。その三角州の中に現野洲川を引きました。



  現在の野洲川、大きいです。草木が倒れています、台風18号の爪跡です


  元の北流の一か所を住宅地に開発中 前方の樹木の位置が堤防だった

また、別の川跡では農地、公園やグランドゴルフ場などに整
備されていました。一方、残っている流れのない元の川では、
地元のあるご婦人は 少しの流れを作って欲しい。溜まった水
が綺麗
であればいいのだが、と。(濁っていました)


   三上山山頂付近から見た新しい野洲川 正面に琵琶湖、背後に比良山系 
                  空気が澄んで実にすっきりした風景です

       ご参考:新野洲川(放水路)の背景  
              
     笠原公園の解説板から(拡大してご覧ください)

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

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4 コメント

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野洲川! (マルネッコ☆彡)
2013-10-29 21:20:48
とても興味深い記事でした!
野洲川は昔は河口前で二つに分かれていたんですねー。
以前から気になってはいましたが、元の北流の…今住宅地に造成している辺りは、車で走っていても明らかに「堤」ですもんね。
昔の地形図が欲しくなりました。それを持って私も昔の川の跡を辿ってみたいです。

返信する
嬉しいね、ありがとう (Kenny)
2013-10-29 22:21:29
そうなんですよね、私もそれを意識したのは比較的最近です。 私のカメラの先生が野洲周辺の写真を改めて(というか、いろんな角度から常に追っておられます)撮られた時に南北流がありました。その内に一度と思っていましたが、あの18号でした。

とっても嬉しいコメントです。ありがとうございます。

11月の石山での先生のコンサートを楽しみにしています。  Kenny
返信する
お久しぶりです (Rieちゃんです)
2013-11-07 15:05:55
やっぱり18号の時 心配して見に行かれたのですね
うちの娘も野洲川河川敷まで 見に行ったようです 怖いですね 自然の前では人間は成す術ありません
返信する
ほんと、久しぶりですな (Kenny)
2013-11-07 15:53:02
そうなんですよね、怖いもの見たさの興味本位の類です。でも知っておくのも大事かと、雨風がやや弱くなった頃でした。カメラを持ったらもうあきません、気が付いた大橋の中ほどまで行っていました。橋が流されたどないすんねん##。慌てて引き換えしました。もっとも車は往来していましたが。 コメントあるがとうございます。Kenny
返信する

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