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趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyのそうだったのかーそのー6 (番外編):その後知ったあれこれ

2019-06-11 20:31:22 | 熊野古道

         熊野古道、聖地熊野
               番外編
     あと少し記録しておきたくって

      今回の内容もNHKの番組からの引用です: 感謝
          先に「大辺路」を歩いて、聖地熊野をもっと知りたく



熊野古道世界遺産登録15周年記念番組
NHK「紀の国スペシャル」から
先にこのブログで、そのー1からー5と、熊野古道と大辺路について
その大半を「NHKブラタモリ」からの引用で備忘録としてUPしました
が、今回更に上述の特別番組がありました。そこで知ったことをもう
少し記録しておきたく。

 
                                                  NHK放送番組画面より
              (以下の映像も全てNHKの放送画面からの引用です)


熊野が聖地、先ずは上皇の頻繁な参詣があった  
上皇の参詣を促す、そこには山伏などの古の働きがあった(先のブログ
で取上げました)  上皇といえども神仏の力をも頼る不安定な時代故か。
 

         


熊野比丘尼(くまのびくに)
もう一つのこのNHKの番組では熊野比丘尼が全国を歩き熊野の教え
を広めたと。

 
         熊野比丘尼         曼荼羅の一部分         上皇の参詣  

 
                          熊野比丘尼の活動の様子でしょうか


                      那智参詣曼荼羅 熊野比丘尼が持ち歩いた   

神仏習合
更に信仰を集めた大きな要因に、仏教の渡来があります。熊野はそれを
排除するのではなく、仏教を一体のものとして融合し身分の上下、男も
女も、富める者もそうでない者も分け隔てなく受け入れた事です。


                    熊野本宮の曼荼羅 
 
神仏習合、この曼荼羅に現れています。 阿弥陀如来は熊野本宮大社
の神様が、千手観音は熊野那智大社の神様が、薬師如来は熊野速玉
大社の神様がそれぞれの姿を変えたものだと。

庶民も参詣を
これらのことを背景に鎌倉、室町時代には上皇など貴族や皇族だけ
ではなく武士や庶民までもが三山詣でをするようになった。


三山にはそれぞれの大社の神様が祀られている!
三つの神社は11世紀ころに熊野三山としてひとつのまとまりにな
りました。これがそれぞれの大社の神様が祀られている背景です。

 
                        熊野本宮大
          夫須美(ふすみ)     家津御子(けつみこ)    熊野速玉(くまのはやたま)

大社の一つ熊野本宮大社は創建から今年で2051年目だそうですよ。
ちなみに、一番新しい熊野那智大社でも1700年の歴史があると。

ところでこの本宮大社は元々大斎原(おおゆのはら)にあったが明治の
大洪水で神社が流され、残った社殿と共に現在の場所に移築された
そうです。


           三つの神社が密接に関係していたことを表しています

三山のご神体




         熊野本宮大社:熊野川   熊野那智大社:滝   熊野速玉大社:コトビキ岩
  
  
  那智の滝: ご神体を表すのがこの鳥居です。 この先に滝はあるが社殿などはないですね

最後に伝説を、八咫烏
熊野三山を歩くと八咫烏がつきものだそうで、私が訪ねた那智大社
でも八咫烏が語られていました。



八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場。
神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和
朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。神
武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良
まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する
「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。 
 (熊野本宮大社のHPより) 

    
                  JFAのシンボルマークは
        「ボールをゴールに導く」
 の願望からだそうですね

よみがえりの聖地
熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には 「浄土
への入り口」 として多くの皇族や貴族がお参りするようになった。
浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。
そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人
々の信仰を集めています。

熊野本宮大社のHPからの引用ですが、この一文で「なぜ熊野は
日本の聖地に」の背景が理解できたように思います。

NHKに感謝: 今回も記載内容のすべてを放送番組から引用さ
                   せて頂きました。これらの放送を通して聖地熊野
                   を知ることが出来ました。

 お断り: 記載内容に関しては私の聞き違い、解釈の間違い箇所が多々
            有るかも 知れません。 素人の忘備録、日記とご容赦ください。

       
             今日もご覧くださいましてありがとうございました                                                                 
(6月14日、19 UP)


                 いつもご訪問くださる皆様へ  
      これから先、しばらくの間ブログの更新はありません。
      この6回の順次更新で時間を取ってしまいましてね(笑)

               ありがとうございます

 

              


Kennyのそうだったのかーそのー5 (最終章):熊野はなぜ聖地になった

2019-05-30 17:31:11 | 熊野古道

          熊野古道                                                      そのー5「最終章」
          この章で熊野古道の日記は終わりです
     序章」そのー1の日記から合わせてご覧頂ければ幸いです                             

      熊野はなぜ日本の聖地になったの
           それは、こんなことのようですよ
     紀伊山地の誕生と古の並々ならぬ努力が 

知りたかった「熊野が日本の聖地」
先ずその1は:紀伊山地と海
紀伊山は急激な隆起によって誕生1000m級の山が海に近い
これが山と海が聖地となった背景です。そこで熊
野は神が住む聖
と崇められるようになりました。


      
                上下 NHK放送画面より拝借 感謝

         

隆起、これはよく耳にするフィリ ピンプレートのユーラシアプレート
への潜り込みによるものですね。


神は現世の罪を許す、仏は死後の救済
蟻の熊野詣でと言われるように、上皇のみならず民衆までが熊野詣
でを盛んに行うようになりました。神と仏の融合、当時の民の罪滅ぼ
しと極楽浄土への祈願なんでしょうかね。

     
                                     辺路
     
正に、神秘的な古道 新宮市の観光HPより拝借 感謝
              (こんな一枚を撮りたかったな~)

三山は平安時代に三山で一つの聖地にまとまる
熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社

古道を整備して上皇の参拝を促す
それを山伏がプロデュース

上皇に参拝を。更に山伏が全国津々浦々に出向いて信仰を全国各
地に広める活動をしました。古道整備は山伏(僧侶)や地元の民です。

山伏は熊野の立役者で、那智の滝の存在も大きかったようです。

    
                               石畳の古道(中辺路)   那智大社 大門坂 


                         大辺路 人力による切通しでしょうか

 
        大辺路                伊勢路 松本峠
        
 
              上下3枚 新宮市観光HPより拝借 感謝

               
                                                小辺路


こんな話も「補陀洛渡海」

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)観音様の浄土 


                        JR那智駅の近く


                           補陀洛山寺


                                               補陀洛渡海船



       
                                  NHK放送画面より引用 感謝

海の果てに浄土があり日本の最南端、つまり海の果て。この寺のお坊
さん(山伏・住職)が自ら代表になって民衆を浄土の導くために海の果
てに向かった。9世紀から18世紀にかけて20人以上がこの船で旅だ
った。熊野は南の端、海の果てに浄土がある。熊野は山から海までが
聖地だった
という事です。

    
                    NHK放送画面より引用 感謝

最後はちょっと重苦しいお話でしたね。 熊野古道の記録日記はこれで
終了です。

NHK、新宮市観光協会、他に感謝します
熊野古道については何も知らない
ので5月の初に、先ずは大辺路を歩
いてきました。運よく、出発直前にNHKブラタモリで熊野古道の放送が
ありました(4月20日、19)。 これを参考に今回の旅は数倍もの有意義な
熊野古道歩きとなりました。また旅の準備、ブログ掲載においてもNHK
の他、新宮市観光協会のHPを参考にさせ頂きました。その上、勝手乍
らブログに引用させて頂きましたことにお礼申しあげます。


貴重な情報を与えて頂き、大変勉強になりました。とっても嬉しいです。


お断り:記載内容に関しては私の聞き違い、解釈の間違い箇所が多々有るかも
     知れません。素人の忘備録、日記とご容赦ください。

        今日もご覧くださいましてありがとうございました
                                      
(5月31日、19 UP)

                 いつもご訪問くださる皆様へ

       これから先、しばらくの間ブログの更新はありません.

            この5回の順次更新で時間を取ってしまいましてね(笑)

                  ありがとうございます

 

 

 


Kennyのそうだったのかーその4:熊野古道、大辺路⑧を歩く

2019-05-28 17:04:08 | 熊野古道

            熊野古道、大辺路                      
                   そのー4
     上皇や貴族の熊野参詣は大辺路ではなかった?      
          そのー5(最終章)まで順次UPします         
                           今回のお話は、
          国道42号線歩きで、これはたまらん

     

大辺路の2日目、区分⑧を歩く
最初はうきうき、途中から、これではとギブアップ
2日目はJR紀伊浦神からJR古座までの12kmの古道歩きです。


   

 先ずは「うきうきした」ひと時:JR紀伊浦神を出発


         大辺地、区分の地図  JR古座~JR紀伊浦神間


       
              駅を出てすぐに「踏切」を渡ります


                熊野灘を愛でながら・・、さすがは!


          この地の特徴、隆起の典型 周辺のあっちこっちに小富士?


                 朝の光を浴びて、古道、素晴らしい!

    
                     第一目的地 清水峠

あれれ~、車が走る! 早や国道?  いやな予感・・・

        「清水峠入口」に下りてきました いよいよ国道歩きです
            
(入口とは、我々は古道を逆方向に歩いております)
                   上の地図の地点


次に、ここからがそんな筈ではなかったのだが~です
この清水峠入口から先、古座に向かっては海岸線に沿って歩きます。
それは「
枯木灘や熊野灘の風景を愛でながら」です。古道は海岸線
にまでせり出した紀伊山地の僅かな平地を縫って開かれていました。
確かに景色は最高の筈です。

その古道は今、国道42号線です
天気も最高でうきうきと美しい古道を満喫していたのは僅か40分
ほどです。後はびゅんびゅんと行き交う車に怯えながら
歩行です。


             僅かな隙間を・・。下はJR紀勢線


         やがて遊歩道に出ました。暫し上を走る車の音を聞きながら


         ところが、10分後には再びこんな自動車道を歩くことに

ここでギブアップ、JR田原駅を目指して
今日の出発地点、JR紀伊浦神から、結局は1時間30分で古道歩きは
止める事にしました。 コンクリート歩き、山中ではなく、日がまともに照
り付けます。


                   紀伊田原駅

この先、JR古座までの古道に後ろ髪を引かれる思いながら
実はこの先が本来の海岸線添いの古道になります。しかし地図を見る
と、しっかりと国道と熊野古道が重なっています。この判断、後悔が
あったとしても自業自得と。

                      JR田原駅構内

古道からの景色は車窓から
幸い40待ちでJR古座方面行の電車がありました。結果一つ早い
特急で古座から新大阪へと帰路に着きました。

今日予定の古道歩きを1/3で終了したことになります。





ちょっと気になって、他のブロガーさんを検索(参考までに)
勿論、この海岸線に沿う大辺路に大満足の投稿も多いです。滋賀県
の例えば私が住む野洲市を通る中山道も国道や県道そのものが街
道であったり、公道は全てが、ではなく一部は集落の中に入ったりも
します。 これと同じことで、うきうきの所も沢山あるはずです。

以下ブロガーさんの寄稿一例です(それぞれ寄稿の一部です)

例1.国道歩きが多い。歩道がないところも多く車に用心!
大辺路
    の標識は多いが 管轄によって全然ちがう。・・・どこを案内してる
   んだかわからん標識も多い。・・・紀伊浦神~那智へは丁寧な案
   内標識。特に紀伊浦神からの青い手作り標識にははじめて歩く
   ひと視線のほのぼのした標識でなごまされた。

例2.今回、・・・大辺路は中辺路に比べ、 歩く人が少なく・・・。
   ・・大辺路の海岸線の景色は楽しみで、今後下調べを十分し
   ながら・・・。


例3.国道からの景色  ギブアップの後はこんな景色なんだな~

 

例4.上皇は熊野詣でに中辺路を?
   ・・・
上皇や貴族が平安時代後期から鎌倉時代にかけて盛んに
   熊野参詣を重ねたのは中辺路を往復してのものであり大辺路
   を通ったことを示す記録は見当たらないという

             次回は最終章(そのー5)に続きます

 

          今日もご覧くださいましてありがとうございました
                                               
       (5月29日、19UP)
 

 

 


Kennyのそうだったのかーその3:熊野古道、大辺路⑨を歩く

2019-05-23 20:45:35 | 熊野古道

           熊野古道、大辺路
                     
そのー3
          そのー5(最終章)まで順次UPします   

          枯木灘や熊野灘の風景を愛でながら
          時間に余裕のある庶民や文人墨客が歩いた古道

       今回は道に迷って難儀したお話が主です

では古道歩き開始、と言っても距離がある!
田辺市から那智勝浦町の浜の宮まで92kmの古道です。そこで旅行者
には田辺市から紀伊勝浦町に向けて9区間に分けて①から⑨と、歩く
ように案内
しています。




私はその区間を「逆に」歩きました 
から
へと、事情ありで。
実はこれは間違いでした。 これから歩か
れる方にはから、つまり田辺市側から紀伊勝浦町方向(JR那智駅方向)
へ歩くことをお勧めします道案内は逆方向にはあまり考慮されていない
のではと思いました。 (すみません、トラブルは自己責任です)

田辺市に向かって「逆方向」が実は思わぬトラブルに
道に迷いました、2回も・・ちょっと焦りましたよ!


                        第一回目のトラブル
      写真上部の赤い線、そこを直進してしまいました(
X印の方へ)
        こちら側(写真の後方)にはちゃんと道しるべがありました

                
                 
              これがそうです。これを見つけてやれやれと
             まだここは町の中で余裕ありでしたが・・


第二回目のトラブル、古道探し
古道から外れて
難儀しました!


              林道を進んでしまい、その先は行き止まりに
              古道はどこだ~と引き返し、40分のロス。
         そこには不明確と思える案内板が
。これでは逆方向からだと
                   林道を直進してしまうぞ~。 また古道も見落としますね
                                                   
(私のボヤキ、独り言)
 

            この案内板の数十m先にある 山裾の殆ど見えない
             細い道(古道)を登らなければ
ならなかったのです


                    こちら(紀伊浦神)側から歩いてくる方には問題ないですよね。        
             参りましたね~  一時はここで打ち切り、タクシーをとも・・


                                  やれやれ、なんとか古道に戻りました             
 
では、歩いた大辺路の の様子を
JR那智駅から出発です。
その日は約16km、所用時間7時間でした。 
(7時間の内、道に迷ったロスタイムの1時間強を含みます)


         駅や町のおじさんに道を聞いて古道に辿りつきました
        
JR那智駅からここまで道しるべはないも等しいです
                     手元に地図はあるもののそれがなかなか・・・



                JR那智駅(右端)から出発、赤い線が古道です


              地図の ,がそれぞれ道に迷った個所です

上の二枚の地図がこの日歩いたコースです。(JR那智駅~JR紀伊浦神間)


                                 駿田峠


                            古道らしさが            

ここまで比較的順調で古道歩きを楽しんでいます。 ずーっと山の
中で海岸線とはいっても景色はありません。 UP-DOWNも結構
あります

この古道は何度か国道を歩き、横切ります


      この案内板、向かい側(写真左)から歩いてきた者には目立たない
                      いやな予感が・・
我々は写真左から国道をこちらへ。 ところがこの看板見落としました。
町中なので、お庭掃除中のおじさんに聞いて200m引き返し事なきを。


                       偶然この標識が目に入り間一髪!


               兎に角この茶色の案内板を見つけることに集中
                  電柱にここは海抜2.9m標識が


                      おお、よしよし、二河峠だ
                   今日の予定の半分来たな~
             この先で道を失うトラブルがあるとは知らずに・・・

           海路を併用しながら利用したと思われる古道、とのこと
                 その日初めて海が見えました


     
                        市屋峠地蔵 

そしてこの後、先述の難儀がやってきます
このブログのTOPで詳細を。 どうか皆様も案内人なしの場合は
お気を付けください。旅の本にも、大辺路は案内人があるといい、
とありました。 少なくとも、逆歩きはまずいようですね(笑)

休平峠まで来て、これで安心


                     JR紀伊浦神駅への林道が真近かに


                 林道に出てきました。 間もなく今日の終点です 

大辺路の最終区間(観光協会が定義の区を歩いて
この日はよく写真で見る石畳、石段の古道は一か所もありませんでした。
山歩き、登山道のような道。町の中のアスファルトの道、田んぼ道です。
大辺路の「風景を愛でながら」ではなかったけれども、これが熊野古道
なんだと、初めて体験する貴重な一日でした。

      
                     これ、滋賀県の三上山、麓一周の散策路です
      石畳のない区間の熊野古道を彷彿とさせるでしょう~

JR紀伊浦神駅からはタクシーを・・、バスもなく
民宿のJR紀伊勝浦駅までの予定の電車には道に迷ったロスタイムで
乗り遅れることに。ところが次の電車は1時間半ありません。茶店もな
にも無し。実は途中からの雨で上半身が濡れてしまい、寒さで待てませ
んでね(笑)

                        こんな一日でした
 
                    そのー4に続きます     

                 内容: 熊野古道、大辺路の日記第⑧区間です

                   今日もご覧くださいましてありがとうございました                                
                                                                            
  (5月26日、19UP)        

 


Kennyのそうだったのかーその2:熊野那智大社・那智の滝

2019-05-22 22:35:51 | 熊野古道

        熊野那智大社・那智の滝
                        そのー2
                    そのー5(最終章)まで順次UPします

            NHK「ブラタモリ」に感謝
 神仏習合の名残 十一文関跡? 滝の誕生は?

先ずは熊野那智大社へ

                 祭日でもあり大にぎわい、海外からの客も多く



 
                          大門坂を登って行きます
                    ここまではJR紀伊勝浦駅からでバス30分



                 石段の石はこの地の砂岩 (後述)



       
                         大門坂の途中にある十一文関跡  

                          
                                                 
  古道脇の木立に滝が見えます

               通行税を徴収していました。有料と知っても引き返す人はいなかったとか


                  那智大社から  登ってきた石段

神仏習合の名残
ここからの内容はNHK「ブラタモリ」の放送から引用させて頂きました。感謝


               神社の境内に護摩木  寄り添うように隣は青岸渡寺




            柱に溝を埋めた跡が  橋が架かっていました (丸印)


                   



              
左:青岸渡寺の三重の塔  右:那智の滝は大社のご神体

那智の滝、誕生の秘密



       ➡  
              上昇してきたマグマが冷え固まり流紋岩となりました
                   やがて砂岩の侵食が始まります

                                                  ↓

          
        上の絵図はNHK「ブラタモリ」の放送を参考に私が作成




            
NHK「ブラタモリ」の放送画面から  注釈は私の記載

このように那智の滝は砂岩と流紋岩の境目で砂岩が侵食されて誕生しました。

なお、「砂岩」は大門坂の石段に使われている黒い滑らかな石です。

       ビデオ映像:熊野那智大社、那智の滝、南紀勝浦漁港、古道 大辺路

NHK「ブラタモリ」に感謝します:
この熊野古道探索日記はその殆どの内容をNHKの放送「ブラタモリ」の番組から
引用させて頂きました。実はこの番組のお蔭で有意義な熊野古道歩きを体験させて
頂きました。旅の前に偶然にもこの放送がありました。熊野古道に関しては何も知
らないのと同然、大変勉強になりました。

 

お断り:このシリーズは殆どがNHKの番組、観光協会の資料を参考に書いた日記
    です。
「私に解釈の誤りが多々ある」と思います。その節は素人ゆえ、ど
    うかお許
しください(ブログ監理者)


                                          そのー3に続きます
 
              
    内容: 熊野古道、大辺路の日記です

                   今日もご覧くださいましてありがとうございました
                               
(5月23日、19UP)