趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの伊吹山レポート(秋季)

2012-10-31 10:18:11 | 伊吹山

  伊吹山は登山客で大賑わい
=それも麓から山ボーイさんの多いこと=
     紅葉も今年は結構きれいでした
   
   (この日記の掲載期間:11月2日~11月8日)


            三合目のススキ原から

10月30日 登りは霧の中 下りは快晴
深田久弥が指名した日本百名山に数えれられる滋賀県の最高峰
伊吹山(1377m)、毎年少なくとも春秋の二回は歩いてます。
山は歩く毎に違う発見があると云うけれどまだまだ修行が足らんの
Kennyにはもう一つ分からずそう云えるように半ば意識して歩い
て周囲をきょろきょろと。


             
   7合目付近

この秋はちょっといい登山でした!
実は晴れ男
と自負なんです。その前日 29日は写真仲間と快晴の
湖北へ撮影、ところがその一日前は嵐の一日。今日(30日)は登り
は濃い霧の中、まあ夕方までは持つし晴天の伊吹はよう知ってるん
で霧の伊吹もええやん、紅葉は撮れんがー、それでも気分よう歩い
ると7合目あたりからその霧が晴れたりが覆ったしてその内薄日が!

山頂に到着の頃は霧は勿論真っ青な空が、以降下山まですかっ晴れ、
なんとジンクス健在、野洲に着くと雨が降り出しました。上から四枚の
写真はそんな訳で下山時の青空の下で撮った風景です。


ブログに載るけどよい? ええ、いいいですよと山ボーイさん (8合目過ぎで)

山はまるでファションショー、ヤング達で賑やか
山ガールはもう当たり前、でも我がみさんは決してそんな衣装は・・。
(いや、あのー、いいんですよ、年齢に関係のないファションなんですから・・・) 今回
お会いした山ガールは本当にガール様です、もう寒い時期だからかな。
その効果でしょうなイケメン男性が増えて、結局ヤング登山者が急増
で山は年中花盛りです。中高年もちょっと場所を譲ってやる気分にな
ります、大歓迎ですー。元々は若者が多かったんでしょう、登山って。
戻ってきた若者登山者ということかな。 私のイメージは汗臭い山男世
界なんですが。

          九合目 この山 最後の急坂を登る登山者

でもー、「山はひとつ間違えば」 と言います。特に1000mを超す山
は日頃の鍛錬、体が冷えない装備などなど、今回は見ていてちょっと
心配なグループもおられました。三上山仲間のSさんが「日頃鍛えて
いる熟年にはかなわないのかもしれませんね」 とメールをくれました。
全く同感です。回を重ねる毎に山での心得が、しんどさの軽減、登山
を楽しんでいるいう実感を覚えます。


         登りの五合目 霧でなーんも見えません


         下りの五合目 下山時にはこの通り
まったー、カメラをもっと下向きに構えるべきやった、山がなだらかに写ってまいました。
実際はここからが本当の登り、9合目までは時には両手のお世話にもなる坂道です。


では登山開始



ここ上野登山口を8時15分に歩き始めました。野洲から車で(下道)
で1時間半で着きます。ここから1合目までは薄暗い山道、熊出没注意
の看板が不気味ですが、本当にこの時期この30分間は油断禁物、鈴
を鳴らして歩きます。この日はヤングに混じっての登山開始です。

    
  途中 昭和43年 スキー大会のジャンプ台に利用の山、    解説板
                      
(小サイズはクリックで拡大、以下同じです)

 



   
  二合目の元スキーゲレンデ              四合目のリフト跡  

 
五合目からはジグザグに急斜面を      そこを走って登る競技者
 山を走るか?


 九合目から見下ろしたカールのようなU字の谷とその突き出た先端

 
そして九合目に到着です。ここ(九合目)に立った時 いつも思うこと
があります。登って来たところはカール
状です。そして眼下の町並み
の手前にどーんと土が積もって出来たようなところが三合目です。そ
の草生した中に今もホテルがそのまま放置 またリフトも土台がその
ままです。困りますなーここはお山なんですが・・・・。

もう一つはこの地形です。その三合目の突き出た場所とこのカール
の部分です。カールは地滑りの跡で三合目はその岩石が堆積して出
たのではないのかと。 これが一番です。または真面に見て伊吹山は
石灰岩の山であり カールはその石灰層(水に溶けやすい)の浸食で出来
た地形(渓谷への過程)なのか、はたまた
氷河なんぞが削ったん
でしょ
うか?  兎も角面白い地形です。


 九合目から5分ほどの尾根歩きで山頂の御堂、山小屋が見えてきます

  
          
    五合目を歩く不肖私       御堂:伊吹山寺      私が常宿の山小屋
                
                    (日本武尊像下の小屋です)

御堂(伊吹山寺)は避難小屋として開放されています。ただし内部
はお線香の香りがきついですよ。

この両側はシーズンにはお花畑ですが今はもうお花はありません。
ここにはドライブウェイの駐車場からでも歩いて40分で来れます。

山頂到着(三上山仲間の皆様へ)
途中何度も写真を撮りながらですが 8時15分に出発して山頂には
10時55分でした。三上山での登山で結構足腰が鍛えられているん
ですね、所要時間としては以前では考えられないタイムです。でもゆ
っくりと小幅で しかし休憩は五合目で5分だけ取って足を冷やさなな
いようにして歩きました。風が強くてかなり寒かったですが登山中は
それでも結構汗をかきました。 

山頂から、そして途中のお花



山小屋の主人のお話では御嶽山が真っ白だと。その日残念ながら遠
望は利きません。いつも見えている乗鞍、白山も今回は靄の中でした。
一合目からも三上山が薄らと見えていました。

以下は三上山と今回なんとか見つけたお花です

  
  三上山が薄く

  

  

 

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (6)
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Kennyの写真館:写真仲間の写真展

2012-10-18 20:54:00 | 写真

   わいわいクラブ写真展
 =Kennyの
写真仲間の作品展です=
        (この写真展の開催期間:10月26日~11月1日)

わいわいクラブ
八田正文先生に写真を教わっている教室仲間の集まりです。
このクラブは先生の幾つかの教室の一つで先生宅のギャラリ
ーに生徒が事前に撮った作品を持って集まり、先生にご指導
を仰ぎながらわいわいと写真談義をさせていただくなど本当に
リラックスさせて頂き楽しく写真を教わっています。


          野洲図書館ギャラリーで開催された写真展

10月14日から7日間、野洲図書館ギャラリー(滋賀県野洲市)
期間中多くの来場者をお迎えし恒例の写真展を開催しました。

そこで日頃私(ブログ名Kennyのブログに訪問頂いている皆様、
そして期間中にご都合でお越しいただけなかった皆様に仲間の
作品を観ていただこうと先生、仲間のご賛同をいただき私のブ
ログでも開催させて頂きます。上述の写真展では一人2点の展
示でした
がここではスペースの関係で1点の展示とします。

                TDSTSさんの作品       


                          KOMBINAT

建造物の撮影で右に出る者はいません。 しかしそれだけでは
は生まれないと
評されるのがこの作品です。お昼の明るい内
に撮影ポイントを定めておき、そして何度も夜の現場に足を運
ばれるという超元気おじさんです。出来た作品、こりゃー目に
止まりますわな。仲間の面倒見もよく勿論当クラブのリーダー
です。生徒
の内では一番遠方からの通勤ですが体力抜群、苦
もなくやが車のトランクには常に金属の大きな耳かきみたいな
のが入ったバックが載っています、さすがです。

                  MRTさんの作品


                     ワン・ツウー・クイック

感性のMRTさんと私たちは彼女のことを呼びます。ダンスのステ
ップをこのように表現されました。 この作風! ご本人もこの分野
が趣味だと、ほほー、今回初めて知りました。 1km先からでもお
声が聞こえてくるほど超元気おばさま。わがクラブのムードメーカ
でもあり 作品について多く語るのは写真上達には大事なことだと
日頃から先生は仰っていますがそれを実行するところがこれまた
素晴らしいです。

                 むどらしかさんの作品


                                
       冬樹

むどらしか、大分弁ですが正にその通りの方です。希望が丘文
化公園の芝生広場(東ゲート側)に一本だけ立つナンキンハゼ
の木をもう何年も、早朝 夕暮には旦那様を従えて四季を通して
追っておられます。その作品も過日の写真展に出展されました。
私はこの公園で自転車を楽しんでいますが その木の前を通過
する時にはむどらしかの木(実際は本名で仲間は呼んでいます)にこん
にちはと声を掛けます。さて
この作品はその公園の別の場所に
ある樹木をモノトーン感覚で撮られました。

                mamiさんの作品


                                         可憐

もの静かな中にも秘めたる闘志、現役の合間に時間を作り素敵
な作品の連発です。そこである作品について私がこれどうやって
撮ったん?と聞くと 静かに、
知らんよー 私適当にシャッター切っ
ただけなんよー、と。それが曲者なんやなー。お話の後 大抵の
場合 ほほっ とはにかむように微笑まれるところが可愛いです。
ん? 微笑むはいいとして はにかむ は言い過ぎって・・・。

               日之出さんの作品


                 浮御堂の朝

年間を通してこの場(湖西)で早朝にカメラをセットしてシャッター
チャンスを待ちます。我々は彼の本名でこの撮影ポイントを何々
ガーデンと呼んでいます。年間の日の出、日没の時間、軌道を
すべて把握、または即時PC画面にと もう脱帽です。ということ
で先の野洲図書館での写真展では彼がPCを駆使して作品の
展示配置図作成などなど素晴らしい写真展へと進めてくれました。
なぁー、頼りになる同期よ、来年もばっちりと頼むぜ! 

                            Daimamaさんの作品


                        静湖

東山魁夷の作風を彷彿とする作品とは会場にお越し下さった
多くの方々のお声です。そして更に魁夷の作品の白馬もいい
がこの二人の人物、これがなんとも言えない も評判でした。
登山がご趣味で旦那様ともよく出かけるそうで、この作品はそ
の時の尾瀬での一枚だそうです。それにしても人物を二人、そ
の上ちょうどいい間隔でうまく捉えられたものですね。ご本人は
さらっと そんなんちょこっと撮っただけよの肝っ玉かーさんです。
 
  
                                   YSKさんの作品


                                        おお寒

ご自宅の近く、児童も通学する道端での一枚です。昨シーズ
ンは湖南地区でもよく雪が降りました。このチャンスを逃さな
い、そのチャレンジ精神が仲間内での評判です。Kennyから
みればお姉
さんですが難しいパソコン技術も難なく熟されます。 
蜘蛛の巣を撮らせれば右に出る者はなし、蜘蛛の巣の魔術
師とも
。(注:これは関係者にしか理解できませんので訪問者
の皆様はなんのことかいな程度で・・)。 手芸など 細かい 作
がお得意の素敵なお姉さまです。

                                             太陽の子


                                        災たつ

もう長くカメラをなさっている優しいお姉さんです。作品は云うま
でもなく やっぱりちょっと違うなー、が誰もが認めるところです。
大きい写真展でも入選される実力派です。ところでね、皆で撮影
に行った時なー、「ねえねえKennyさん、この被写体どうやって
撮ったらいいの?」 はお姉さん、それって、かなんなーもう、止
めて欲しいんやけど・・・・。 

               マッシーさんの作品


                                       絢爛

下の池に降りそそぎ浮かんでいる花びらを強調したかったんや
がと。なかなかどうして、桜シーズンのいいい雰囲気が出ている
と思います。仲間きっての論客でもあります。会場にお越しのあ
るご婦人はお花好きやそうでこの作品にすっかり魅了されて

られましたよ、マッシーさん。

                                eiチャンの作品


                    篝火の下で

私は時に親しみを込めて写真の当の大先輩の事をおとーさん
と呼ばせていただく事があります。何かお手伝いをした時に
は「えらいすんませんなー」と京都弁でお礼を言われます。
写真作品はここで語るに及ばずとしてこの2年ほどでパソコ
ンをかなりのレベルにまでに到達されてデジタル時代の今カ
メラとパソコンを駆使して創作に余念がありません。この作
品は過日私達仲間を宇治の鵜飼に招待頂いた時の一枚です。

                    蝸牛さんの作品


                      春風の訪れ

湖西のご自宅から琵琶湖を眼下に朝夕の景色を、そして四季
の風景をと日々素晴らしい環境の中で撮影を楽しんでおられ
ます。最近この風景の一枚が大変大きな写真展で入選されま
した。今度はちょっと場所を変えての一枚です。暖簾の揺れ
が爽やかでいい写真ですねと会場でのお声です。右端にある
お花は椿だそうです。春風・・・。私にとっては優しいお姉
さま的存在です。

                     USJMさんの作品


             田植えの後

新進気鋭なんて言葉がありますわな、ひょっとして彼にはこ
の言葉がふさわしいのではと念のため広辞苑のお世話に。
新しく登場して認められ、意気込みや才能が鋭いひと」ど
うです、ぴったりやないですか!長く写真を習っている私達
を大変刺激しておられます。 そんなわけでこのような作品
をどんどん撮っておられます。何しろ現役のバリバリ、そう
遠くへ出かける時間もなく大抵は自宅の周囲だそうで近くに
も被写体はなんぼでもありの一枚です。

                  Kennyの作品

       
               おとぎの国

ブログ管理者(開設者)、Kennyです。信州栂池高原スキー場
でリフトに乗っている時に出会った一枚です。早朝の陽を受けて
心和むシーンに同じリフトに何回も乗ってこの場を通り撮影しまし
た。この場所は夏のキャンプ場であり冬は人が入らないのでこの
ようなふんわりした雪に覆われていました。 登山、スキー仲間は
私が途中で、また仲間と離れて写真を撮ることを半ば諦め調で
認めてくれています。代償は足の提供と長時間の運転手です。


     今日もご覧くださいましてありがとうございました


                 

                          


     



コメント (4)
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Kennyの郷土史:天保義民

2012-10-15 21:24:56 | 天保義民:農民一揆:滋賀県

  幕府役人に詰め寄った農民
 =近江の
天保百姓一揆 三上・甲賀騒動=
  その一揆は現在の野洲市が主の舞台
     (この日記の掲載期間:10月19日~10月25日)

今回も少しは知っておきたいと思ったお話です
この地(野洲市)で江戸時代に近江の天保一揆というお百姓さん
の一揆
があったんです。
私が頻繁に登る三上山の登山口に天保
義民碑
騒動の絵図
があります。また同山登山道脇の巨岩にぽ
っかりと空いた大きな穴
あり江戸幕府の役人市野茂三郎らが
逃げ込んだと記載の看板もあります。下の写真はその絵図です。
   (一体物の看板ですが掲載の都合で絵と文に分離加工しました)

      
       指導した土川平兵衛辞世の句      一揆の絵図  
         
(このブログの小サイズの写真はクリックで拡大します)       

天保一揆
江戸時代、天保13年(1842年)10月15日その一揆は勃発しました。
甲賀郡の農民が結集、野洲郡、栗太郡(旧地名が理解し易いので)の農民
を加え数千人が翌16日に幕府の役人、市野茂三郎の陣屋を囲みます。
これに恐れ慄いた幕府側に10万日日延べを約束させます。幕府の面
子上中止とせずこのように日延べとしたのかな・・・。

       
12歳からの「滋賀の歴史」滋賀県中学校教育研究会社会部会編より拝借                

なぜ一揆が、天保の改革
税(年貢)の増収(増徴)策が理不尽でこれに抗議したのがこの一
揆です。今、世は正に財政難と云われていますが、江戸幕府も初期
から幕末まで常に財政難に陥っていたとの事です。そしていよいよ窮
地に陥った幕府は老中水野忠邦による天保の改革に取り組みます。

近江国の検地
土地の広さに応じた納税(年貢を納める)をしているか、新開地(農民
が自主的に開拓した田畑)に対しても納税しているか、新開地に向い
た土地はないかと調べる(検地)役目として今日のお話の主役の一人
市野茂三郎が検地奉行として派遣されてきました。ここまではまあ
当然の姿なんですがその時代が悪かったのです。当時は天保の大飢
饉の時代で冷害や不作が続き全国各地で一揆や打ち壊しなどが頻発
しています。さらには米の高騰、肥料の値段上がりなどと悪循環が生
まれていました。


  土川平兵衛書状 肥料が高騰したため取り調べを願う打ち合わせを召集
  写真: 「近江天保一揆とその時代」野洲市歴史民俗博物館編から拝借

理不尽な検地:間竿(けんざお)
の寸法
なんとしてでも増収を図ろうとする幕府、検地の度に負担が重くなり新規
開拓の地も持っていかれる実情に不満が募っていたところ間竿の1間の
尺度の誤魔化し、しっかり測量せず推測で村高を決める、揚句には賄賂
を取る。また彦根藩には手が出せず素通りをするなどに遂に我慢ならず
農民は立ち上がったわけです。

この一揆の様子:
一揆は10月14日から16日のかけての3日間であり当の市野茂三郎に
新開地などの見分の中止を約束させて解散し、見分に協力する村役人
数軒の打ち壊し以外には強力な武力衝突なく終わったそうです。


     写真: 「近江天保一揆とその時代」野洲市歴史民俗博物館編から拝借


天保義民:悲話
ただでは済まない身分制度の厳しい時代、大津代官所に赴任した役
人から拷問を受けて何人もの人々が絶命する取り調べを受けます。
さらには一揆の指導者を中心に11名が江戸送りとなり市野の不正を
訴えたと言う。しかし彼らは帰ることはなかった。その中に頭取として
三上村(野洲郡)の庄屋、土川平兵衛がいます。なお他の10名の多
くは甲賀郡内の村役人と農民でした。

  
   土川平兵衛の像:三上小学校で      平兵衛の墓と解説板 
                               背後に三上山

近江天保一揆の顕彰
今も関係各地で義民顕彰が行われており、当地野洲では毎年10月
15日に三上山の麓にある保民祠、天保義民碑の前で天保義民際が
行われています。

  
      天保義民碑          同碑の上部     義民碑の解説 


今回の日記
一度は調べてみたいと思っていたところ、最近市内で「天保一揆と近江」
と題しての講座に恵まれました。その講座でお聞きしたお話と
当日販売
されていた書物「近江天保一揆とその時代」、さらに以前
に買っておい
た「12歳から学ぶ滋賀県の歴史」を参考にこの一揆を
覗いてみました。

情報の補足

間竿の不正:
      5尺8寸の間竿に6尺1寸の目盛を書き込んで検地。しかしこの
      事を事実ととるか幕府の不正を責める比喩と見るかも検討に値
      することだと勉強会でのお話でした。市野茂三郎を調べる限り人
      物像が異なるとの説には興味を抱きました。つまり一揆の勃発
      は
日頃の鬱憤が背景ではと云うことです。

参考(教材)にした二冊の書籍: 下に書籍の表紙写真があります
      12歳からの「滋賀の歴史」 滋賀県中学校教育研究会社会部会編
          決して12歳からに惑わされる書物ではなく取りあえずの知識を得る最高
          の書物だと認識しております (サンライズ出版)

        
「近江天保一揆とその時代」 銅鐸博物館野洲市歴史民俗博物館編
          詳しく近江に限らず当時の一揆にも言及。古文書、現地写真が満載です

巨岩にある穴(洞窟) 
         市野茂三郎が逃げ込んだとも云えるが市野が三上山の山頂
        部のその存在を知る筈もなく、はやり騒動で死に至れば大変
        面倒に
なるのを避けて匿ったとの説にも納得です。                    

          
           参考書籍            洞窟         洞窟の解説板

お断り:この日記は過日、銅鐸博物館(野洲市)で開催の歴史講座そして上に紹介の
     書籍を参考に書きました。講師のお話しの聞き違いや文献の誤読、端折り過
     ぎなどで間違いが多々あるかもしれませんがどうか素人の個人的な日記とし
     てお許しください。

       今日もご覧くださいましてありがとうございました

                    ************

                     お礼
    
野洲図書館ギャラリーで開催しておりましたわいわいクラブ写真展
期間中多くのお客様をお迎えして、本日(10月21日)終了致しました。

会場にお越しくださいました皆様には有りがたく厚くお礼申しあげます。

              10月21日、2012  当会員 Kenny    

コメント (6)
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Kennyの山歩き:天山

2012-10-10 09:05:30 | 天山

天山、360度の展望を手軽に
=天山(あまのやま)303m、希望が丘の南陵に=
      
(この日記の掲載期間:10月12日~10月18日)
     


  天山山頂から比良山系、琵琶湖、沖島 眼下には希望が丘文化公園

山頂から
先ずはどーんと三上山が鎮座、私達三上山仲間が朝のひと
時 交流
する感謝の山です。右にカメラを振っていくと妙光寺山、
田中山、相
場振山と続きます。これらの山は三上山からの北尾根縦走路にあり
ます。そして尾根は異なり希望が丘北陵コースの山が見えてきます。

城山、古城山、立石山などと尾根は続き鏡山(竜王山:384m)が最
高峰と低い山々ではありますがこの尾根は琵琶湖、比良山系、鈴鹿
山系の展望を楽しみながらの素晴らしい縦走路です。天山山頂から
はこれらの山々が目の前に並んでいます。


                  三上山(432m)

天山(滋賀県野洲市)
多くの登山道がありますが、主となる道はここに紹介する希望が丘
コース
(希望が丘文化公園側)と花緑公園コース(花緑公園側)の
二つです。天山は希望が丘東ゾーンから伸びる南陵コース上にあり
その縦走路から分岐して片道約10分のピストンです。


             天山登山口 (希望が丘文化公園側)

今は(15日)もう看板が見えます。道もこのように草は被っていません。

            
       希望が丘公園から天山   球技場:この端に登山口
            への登山道 
                  (小サイズの写真はクリックで拡大します。以下同様)


              三上山山頂から天山

360度の続きです
目を遠くに移すと琵琶湖を挟んで比良山系、遠くには野坂岳(敦賀市)、
横山岳、金糞岳、伊吹山と続きさらには霊仙山、御池岳、綿向山、雨
乞山。そし
て阿星山から金勝、湖南アルプスと素晴らしい360度です。


           背後に薄く伊吹山が写っています

    天山山頂から鈴鹿山系、湖南アルプス方向

   
      御池岳      綿向山、雨乞山     湖南アルプス方向

この山に登ってみようと、でも山道は草に覆われ
過去に東ゾーンから縦走した時に登っていますが殆ど覚えていませ
んでした。自転車やカメラ仲間と散策時、天山登山口の看板が気に
なっていまして 過日実行しました。しかし・・・・、このコースからはあ
まり登山客はいないようで、いきなり草で道がありません。 登山口で
散歩中
の親切なおじさんが「行かない方がよろしいでー、以前になー
私は引き返してきましたんや」と。草が覆い被り道が分からず迷うと
アドバイスです。

 
      登山口でさえもう道が見えません       こんな具合になりました

でもねー、面白そうやし行きます 草は覚悟で・・・
ぼうぼうは通りがかりに察知、分かっており鎌はリュックに入ってい
ます。なるほど縦走路合流(20分)までは雑草、シダや枯れ枝で整備
作業はとても一回では身体が持たないのでその日はさーっとで終了。
刈った草やリボンで目印を付けますから迷うことはありません。

でー、もうこのコースは花緑公園コース(ハイキング客が多いので道は
良い)よりも歩き易く、距離も短く登山気分はこのコースがお奨めです。
なお、この登山道は迷うほどの奥深い山道ではありません。20分程で
縦走路に出ます。 途中一旦車道に出ます(東屋があります) 


       左端の白い標識の所から再度山に入ります              

なお草刈は事後に管理者に報告(匿名)、とっても喜ばれましたが本来
は他人の土地、勝手にやってはいけません。ところがこの公園では私は
過去にもやっている前科者で「ありがたい」と仰っていただける事が分か
っているボランテア活動ですので事後の報告で済ませました。これからも
時々通わせてもらう道ですので。 冬もいいぞ、雪を被った山々の景色。


 
          道を塞ぐ枯れ枝                    今は・・

第一見晴岩で
下方からのバシバシする音にその日見晴台でお会いしたYさん、まあ鈴
が鳴っているんで人間と分か
ってはいたがと。 私が山道に散らばった枯
れ枝を片付ける音、鎌の音です


そこからの眺めが大好きで暇があったらここに来ているそうです。確かに
山頂は勿論 この見晴岩からの眺望も素晴らしい、見っけものです。ここ
は平たい岩のスペースが広くてコーヒタイム、お弁当も自在です。

   
     縦走路合流点に出ると見晴岩が この岩の向こうに!!

で、そこからの
写真はって? ない、すまんすまん、足を運んでね(^o-)


   と意地悪したけどやっぱり掲載するね(15日)  石のテーブルあり!


蜘蛛さんごめん、でもすごいね
里山の常識蜘蛛の巣です。その数たるや、もう堪忍してーなと云いた
くなります。顔にベター、木の枝を振り回しての歩行です。ところが3日
後に再度足を運んだらもう立派な巣が何か所か出来ています。そりゃ
食っていかんならんのやから当然やがまた破壊者になってしまいました。

   
               道のど真ん中に

            
  
こんな木の枝を上下して              登山道の何か所かに道標が
   歩きます、蜘蛛の巣対策

三上山は360度の展望はなし
独立峰なので本来はあってもいいのですが、山頂は樹木で限られた
方角の展望のみです。その意味で景色を楽しむ山として本当に有難
い山を近くに見つけました。天山はハイキング感覚で1時間もあれば
ゆっくりと往復出来ます。標識も完備しており楽に登れます。車ですと
花緑公園コース(登山口に駐車場)の方が便利かな。

           
   花緑公園側登山口   希望が丘公園側登山口   希望が丘文化公園アクセス


            希望が丘文化公園芝生広場から天山

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

           *************

       
     わいわい写真クラブ作品展開催中


           会場の野洲図書館ギャラリー

   
期間:2012年10月14日(日)~10月21日(日)

          開館時間:10:00~20:00
             土日:18:00迄  
             月曜日:休館です
            
10月21日:16:00迄

    会場:市立野洲図書館ギャラリー
          野洲市辻町410  077-586-0218

    指導:八田正文先生


     熱心に作品を鑑賞される来場者、カメラがご趣味の方か・・・


    Kennyも二点出展します。 皆様のご来場をお待ち
    申し上げております

コメント (10)
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Kennyの郷土史:湖北十ケ寺

2012-10-01 20:57:49 | 郷土史

  近江国(北郡)にも一向一揆
  =湖北十寺と一向一揆、元亀争乱=

えらい堅い題名ですが信長軍が浅井軍を滅ぼした時期の
争いを元亀争乱といい、その裏側(にあってあまり一般的
には知られていない)にあるもう一つの戦いで近江湖北に
ある十のお寺(一向一揆衆)は戦いました。 そんなお話です。
勿論私も故郷にあった史実ですが今回の講座で初めて知
りました。


     元亀争乱の最後の舞台 虎御前山(信長砦)と小谷山(小谷城) 

箕浦、さいかち浜合戦で戦った一向一揆衆
十ケ寺の一つ、福田寺の境内に「殉教万人塚」と刻まれた塚がある
そうです。元亀2年(1571年)5月に湖北の地で起きた一揆衆と信
長軍との戦いを箕浦(みのうら)合戦さいかち浜合戦といい、その
弔いの塚です。

どうして近江北郡(伊香、浅井、坂田)に一向一揆が
時代は足利義昭・織田信長が勢力を伸ばしている時で信長が本願
寺を破壊するとの動きを察した大坂本願寺顕如が突如攻撃を
開始したのです。門徒衆に送った顕如の檄文は壮大な動員を蜂起
させ、いわゆる「石山合戦」が始まりました。

 
         湖北十ケ寺の一つ福勝寺を見学        同寺の門(拡大します)

湖北十ケ寺
”湖北も例外ではなく” 「湖北十ケ寺」とよばれる寺院が本願寺との
パイプ役になり反信長体制がしかれました。 この十ケ寺はある意味
では砦であったようです。門徒衆が壊滅することを防ぐ為に長男はこ
の寺に留まり後方支援を、次男以下が戦いに加わったようだとのお
話もちょこっとでました。従い土塁や堀などが築かれてそれが今も残
っています。  (湖北十ケ寺については: 湖北十ケ寺 に掲載があります)

 
                 福勝寺に残る土塁             土塁、堀の解説
                                        (拡大します)

一向一揆の戦いは  
浅井軍と信長軍が箕浦やさいかち浜でぶつかった合戦ですがこの
浅井軍を構成していたのが顕如の依頼で蜂起した門徒衆、それは
湖北十ケ寺の一向一揆だったのです。

しかし、彼らの戦いは浅井軍の目指していたことではなくて、信仰を
守るため、信仰生活のために戦った一向一揆であろうと参考にして
いる歴史雑誌「みーな」の中の論文です。

湖北の元亀争乱
元亀元年(1570年)6月、織田信長の近江侵攻が開始され以降元
亀4年(天正元年)8月の小谷城落城までの3年間を元亀争乱と呼ん
でいます。そのきっかけは信長の横山城の攻撃だそうです。以降信
長の手を緩めぬ攻撃が続きます。

 
           姉川合戦図 現地の看板より         解説(拡大します)


上洛命令を黙殺する朝倉義景の攻撃、浅井軍の信長離反、信長の
朽木谷経由での京への退散。その後体制を立て直して姉川合戦、
さらには今日の主題、一向一揆が蜂起し箕浦やさいかち浜で秀吉軍
との合戦。最後は信長が虎御前山の本陣から浅井軍に総攻撃をか
け浅井三代50年の歴史は幕を閉じます。これが湖北の元亀争乱の
あらましです。


           朝倉義景の居城跡 (一乗谷)

近江は歴史の宝庫
今日の話題、このことを知るきっかけはいつもの通り滋賀県教育
委員会文化財保護課主催の講座とさらに今回は長浜市教育委
員会
の皆さんの案内での現地見学です。近江は特に戦国時代の
歴史の舞台です。奥が深いことだと思いますしついついこんなマニ
アックな日記になってしまいました。

 
    元亀争乱で浅井軍で戦った下坂氏の館    解説(拡大します)

今回の現地見学会では十ケ寺の一つ、福勝寺下坂氏館跡
見学しました。下坂氏は北近江の土豪で京極氏、浅井氏に仕え、
面白いのは浅井氏滅亡の後信長の誘いを断って帰農した人物
だそうです。もう生きるか死かの生活はいやだと云ったのかどう
かは兎も角として、信長のお声に背いてよくぞ生き伸びたともの
だと思うのですが・・。
     
        下坂氏館での写真、解説
       
(下の写真はクリックで拡大します)

   
  虎口跡          堀跡         縄張り図など    解説

                          
                                上の解説文にある門と不断光院

       

参考文献: 1.当日配布の資料
        2.2010年6月発行 「みーな」 vol.107
     (この日記に記載の大部分をこの二つから拝借いたしました)

お断り:当日の講座、現地での説明そして上記資料を参考に日記を書きました。
     しかし誤解、間違いが多々あるかもしれませんが素人の趣味の世界と
     どうかお許しください。

    

 今日もご訪問くださいましてありがとうございました。

                *************

 
          写真展のお知らせです

       
       わいわい写真クラブ作品展

   
期間:2012年10月14日(日)~10月21日(日)

          開館時間:10:00~20:00
             土日:18:00迄  
             月曜日:休館です
            
10月21日:16:00迄

    会場:市立野洲図書館ギャラリー
          野洲市辻町410  077-586-0218

       指導:八田正文先生


    Kennyも二点出展します。 皆様のご来場をお待ち
    申しあげております

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