趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその4

2014-10-19 16:08:31 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

   野洲三十三ケ所観音霊場巡り
               そのー4

            4Ji、自転車を漕いで
       =友のお声でチャンスをいただき=
                Kennyの滋賀から情報発信

                  (この日記の掲載期間:11月14日から11月20日)

この4Jiグループ、霊場巡りの背景は?
今の団地に住んで40年。 当初からお付き合いのTAMさんが自転車
で表題にある三十三ヶ寺をお参りしようと声を掛けてくれました。同じ
長いお付き合いの団地仲間、古希を過ぎた4人の爺(4Ji)、YASさ
ん、KAKさん、そしてKennyが、やろうやろうぜー、で
一致、貴重な体
験をさせて頂いてます。 今回は、その第4回目の三十三ヶ寺
お参り日
記です。

 
 野洲市内を通る旧中山道を走る4ji             お寺に通じる農道
 (止まって撮っていると遅れますので、私 自転車で走りながらの撮影です)

十三番 観音堂 (野洲市高木)


                   おお、これが観音堂や! 扉の隙間から覗き込みます


                           3人が見上げている先に掲げられています

この観音堂は春日神社の向かって右隣りにありました。お堂です
からそのイメージで探しており、一見民家を見過ごしていました。
どなたもおられず聞けませんでしたが、お堂の一部を残してこの
ように保存されているのでしょうね
、皆様の厚い信仰心を感じます。


                     それまでに資料で懸命に、どこやろ? と探します

こんな時は、名ナビゲータ、YASさん(写真中央)が大活躍です。 元々は
京都のお方なのに
当地の地理に詳しいのは、過去にボランテア活動か
なんかで市内を歩きまわったことがあるとか。 活動的な方です、こんな
時に経験が生かされています。



                                       春日神社 

十四番 安養寺(廃寺)
このお寺は、今はありません。今日はお寺跡にも辿れまでんでした。

十五番 荘巌寺 (近江八幡市安養寺町)


                                     荘厳寺 (聖観音)



野洲市と近江八幡市の境を超えてすぐの日野川沿いにあります。三十三
ヶ寺は野洲市、守山市、近江八幡市にありますが、このお寺は三十三ヶ寺
の内唯一、近江八幡市内にあります。



              これが聖観音の写真? ご住職様不在で聞き漏らしました


十六番 来迎寺 (野洲市小南)


                                   来迎寺 (聖観音)




                   嬉しいお言葉に出会えました

身の程知らずで偉そうな事をお許しいただくとして、「感謝」、今元気で
このように動いておれる、多くの友人とお付き合い頂いている、本当に
有難いことだと、何事においても日々感謝の気持ちを忘れずにお付き
合いを、行動をと心しております。 



そして、チャンスを与えられたらそこから生き甲斐、遣り甲斐を見出す。
隣りの芝生は・・・、はあかんと。
本当にこのお寺で嬉しい言葉に巡り合えました!

その日の朝、団地の公園、東屋で


                        その日の行動予定の確認です

野洲市の宝物の一つ、三上山が後方に見えています。 またテーブルの
背後の装飾の壁にも三上山が彫られていますね。 壁はこの周囲に沢山
あり、祇王、妓女のお話し、天保義民の歴史なども語られています。


                       TAMさんがしっかりと資料を揃えてくれます

KAKさん(写真中央)は何故かこの道に明るいお方です。過日はあるお寺
でご住職様を紹介してくださり、ご住職様からお話し(説教)まで聞かせて
頂きました。 

ほほー、それであんさんKennyの役目、得意は、って? 
なし、です。
皆さまに付いて行けばお寺に行ける。有難いことと感謝 しております。

さて、いよいよ残すところ6寺となりました
33ヶ寺巡り(お参り)も後 守山市内の6ヶ寺となりました。12月1日に
お参りします。 順調に行けば次回が最終回の日記となります。またご
訪問頂けれ
ばとっても嬉しいです。ありがとうございます。

道中の景色

 
 
市内、どこに行ってもお地蔵さんがあります。このお地蔵さん、殆どが
造成工事などで地面を掘っている時に発掘されたものです。 地蔵信
仰は平安時代に始まり、鎌倉時代には下火となって(・・も一つの説と聞い
ております)
埋蔵されてしまったようです。 今安置されている
お地蔵さん
は信仰最盛期の名残だそうです。



野洲市は近江米の産地です。収穫のあと、このように市内の田んぼ
には稲穂を立ててあります。 なぜ? 豊作の感謝? 次期、豊作を
願っての習慣?


          お寺参りにはこの朝鮮人街道もよく通ります


今までの記録、ブログ

     三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは    ここを   

     前回 5月の第一回 観音霊場めぐりの私のブログは  
ここを

      前回 8月の第二回 観音霊場めぐりの私のブログは   ここを

    前回10月の第三回 観音霊場めぐりの私のブログは  ここを


        今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

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Kennyの山便り:御在所岳

2014-10-19 16:05:37 | 登山・ハイキング

           御在所岳
  鈴鹿の槍ヶ岳、鎌ヶ岳の山容が素晴らしい            
         御在所岳からの眺望
                    Kennyの滋賀から情報
                  (この日記の掲載期間:11月7日~11月13日)


      鎌ヶ岳  御在所山頂の「望湖台」 下から撮影

度しっかりと見たかった
写真を趣味とする友人の作品で御在所から見ると、
なお一層 三角錐が
が引き立つ
鎌ヶ岳が望めることを知り、10月半ばに武平峠から御在所
のルートを歩きました。 道中からの山容も綺麗ですが、やはり少し角度
が変わる御在所からだと周囲の山も含めてこれだけ形も変わってくるん
ですね、美しい鎌ヶ岳に感動しました。

                    
同、望湖台 下から撮影
鈴鹿の槍ケ岳
何度も御在所には来ているんやが気が付かずで、参った ! お見事です。 
綺麗な三角錐です。 上の写真なんて、山並みはまさに槍・穂高と見間違
えるほどの景色です。 この山は 鈴鹿の槍ケ岳 とも呼ばれています。私、
関西の槍ケ岳と聞いたような・・、でも改めてネット検索すると関西の、は
出てこないですね。

さて、登山開始です
午前10時、滋賀県側、鈴鹿スカイラインの武平峠、
トンネル傍の駐車場
から登ります。 快晴です。10月半ばでまだ紅葉には少し早いようです。


          鈴鹿スカイライン  滋賀県・三重県 県境のトンネル


                     登山口の表示

鈴鹿山系の土はこれほどにも崩れやすい?
いつの大雨で崩れたのだろうか、登山開始直ぐにこの状態で、登山道も
迂回です。


            上下の状態です




                          この土砂崩れの最上部

典型的な花崗岩地質の鈴鹿山系です。そういえば、滋賀県には天井川
たくさんあります。川に堆積する細かい砂の元がここにあります。また焼物
に適した粘土も豊富とのことですが、それもこの砂に源があります。(と、
講座などで聞いたことがあります これら全てがこの山の地質、花崗岩に
あるようです。

   
                    武平峠:御在所と鎌ヶ岳の分岐点

展望抜群、道険し
滋賀・三重の県境尾根歩きで360度、抜群の景色です。武平峠ルー
トは行程の70%が岩の間や大小の岩を回ったり登ったりの道で、
結構きつい登りです。でも所要時間が登山口から御在所山頂まで1
時間ちょっとです。小さなお子様もたくさん登っておられました。
普段歩いている方なら問題なし、と思います。


         下方に登山口のある鈴鹿スカイラインが見えています



     天気さえよければ、この通り別世界です  上下の写真




               滋賀県側  写真奥に琵琶湖か? 


                             三重県側  四日市港
あたりが見えています


                この尾根から見た鎌ヶ岳   


              登山口から30分、御在所山頂が頭上に迫ります


                 撮影スポット、御在所の名所、「望湖台」

360度の展望、遠くにはあの御嶽山も見えます。この日は遠望が効
かず見えませんでしたが。 夕日など絶好の撮影ポイントです。



                   望湖台から見た綿向山(左)、雨乞岳(右)

 
                                御在所岳山頂 スキーゲレンデ

  武平峠から御在所への登山道からの絶景を動画で ここを
  ナレーションで鈴鹿ハイウエーと云いますがスカイラインの間違いです)

        今日もご覧くださいましてありがとうございました。

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Kennyの歴史探訪:甲良町(滋賀県)

2014-10-08 06:52:14 | 郷土史

        三大偉人プラス ワン 

        こんな有難い歴史探訪がありました
     =滋賀県犬上郡甲良町=
        この町の出身、またはゆかりの・・

藤堂高虎、甲良豊後守宗廣 & 佐々木道誉  
                  
                           プラス
尼子氏
       Kennyの滋賀から情報発信
         この日記の掲載期間:10月31日から11月6日

甲良三大偉人 プラス一偉人そして 高野道 のお話です


犬上郡甲良町 ええー、そうなんや・・この方々がこの地から!
滋賀県生まれ育ちの私、Kennyは甲良町、聞いたような、知らない
ような
・・、いや正直なところ最近まで知りませんでした。犬上郡は
勿論知っていますが、平成の大合併で、滋賀県も昔の郡、町名は
消えている場合が多くそこが今はどんな名前になっているのかやっ
かいな事になっています。ところがこの犬上郡甲良町は合併はなく
そのまま継続なんだそうです。

         

この甲良町から三大偉人を輩出です!!
その名は 藤堂高虎、佐々木道誉 そして甲良豊後守宗廣 です。
更にうお一人(プラスワン)、尼子氏を忘れるわけにはいきません。
そこで4人 ゆかりの地をボランテアさんのご案内で歩いてきました。
甲良町で生まれ育ち、または甲良町と何らかの繋がりを持ってい
ます。

 この甲良町にこんな歴史が、そうか・・

せせらぎの遊園の町、観光ボランテアの皆様のご案内で

 
          今日の探索コース      右の地図をクリックし拡大してご覧ください

藤堂高虎


                             高虎公園

藤堂高虎、現在の甲良町在士生まれで浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉
に仕え、そして関ヶ原の合戦では徳川家康率いる東軍で戦功を立て、そ
の後も徳川家の重臣として仕えます。 背丈191cmの巨漢とも。

 
                 高虎生誕の地                 藤堂家 家紋入り灯籠

        藤堂高虎に関するウィキペディアの情報は ここを

佐々木道誉
佐々木道誉、
近江国の佐々木京極家に生まれ、鎌倉幕府打倒の兵を
挙げた足利尊氏に従い活躍した。婆娑羅大名の典型としても知られて
います。現在の甲良町 正楽寺に居を移し、勝楽寺城を築いた。


      今回は訪問しておません 入手のパンフレットから

        佐々木道誉に関するウィキペディアの情報は ここを


甲良豊後守宗廣
甲良町の有力な名工、甲良家に生まれます。30歳の時、初めて幕府
工事の棟梁に召されて以来、業績が評価されて日光東照宮「寛永の
大造替」の大棟梁となる。この東照宮は元和3年(1617)、同郷の
堂高虎
が作業奉行として造営され、寛永13年(1636)に甲良豊後
守宗廣
が上述の偉業を成し遂げました。



              甲良豊後守宗廣像  100mほど離れた探索の道中から撮影

 
              甲良豊後守宗廣記念館      館内にある日光東照宮関連の資料



     甲良豊後守宗廣に関するウィキペディアの情報は 
ここを


プラスワン、尼子氏


                                戦国の武将 尼子氏発祥の地

尼子氏、
この甲良町の偉人には取り上げられていないんですね。と云
うのも、尼子氏は2代氏宗のころ戦乱で落城し当地の広大な尼子城
共に歴史の上から消え、幻の尼子氏と云われています。つまり京極氏
の衰退と共に近江尼子氏は四散、特に出雲尼子氏を頼って近江を去っ
ていったようです。

尼子氏の創始佐々木(京極)道誉の孫 京極高秀の4男 高久で、高
久の嫡男 詮久近江尼子氏
、次男 持久は出雲国の守護代として
出雲尼子氏の粗となっています。やがて持久は勢力を拡大し京極氏か
ら独立
していき、出雲国の戦国大名として名を馳せています。
     
(以上、現地、尼子城の案内板を主に私の言葉で) 

     
                 尼子城跡 現地案内板  クリックで拡大してご覧ください

甲良町の偉人に入っていないのはこのような背景なのでしょか。甲良
町の地元にも尼子と云う性も残っていないとか・・。一方、藤堂という
性はあります。今回
の探索の道中でも藤堂と書かれた表札を見つけ
ましたよ!

      
     ある藤堂さん家の表札です お名前の部分は見えないよう加工しました



                   

                            尼子城土塁と堀跡
 

昭和63年、滋賀県教育委員会は 当時の竹藪から土塁と堀跡を発見。
室町時代の
この地の領主、尼子氏の居城(館)の一部と確認されまし
た。今は土塁公園として解放されています。   
           
 
                     尼子城の今も残る堀の一部             解説板(拡大します)

      尼子氏に関するウィキペディアの情報は ここを

高野道: 今日のは出来るだけこの高野道に沿って歩く探索
彦根藩主が高野の永源寺へ参拝したときに通った道だといわれている。
中山道高宮宿から甲良町・豊郷町・旧の秦荘町・湖東町・愛東町を経て
永源寺に行く古い道です。今では今日訪問した甲良町内でも途切れた
所や今は道が拡張されて当時の面影が残っていないところが殆どです。


                    今も残る道標 右永源寺 
と読めます。これが高野道です

 
        残る高野道の一部       集落内を走る現在の高野道 (今は拡張されています)


せせらぎの遊園の町、観光ボランテアの皆様
待ちにまった企画、探索でした。ガイドさんはとってもわかりやすい
解説をして下さいました。私自信、半年前にパンフレット片手に一人
で歩き(車で)ましたが、公園や館、記念館などはその場に行きつけ
ても、尼子城跡、家紋入りの灯籠、堀跡、そして高野道は初めて知り
ました。 ボランテアガイドの皆さま、ありがとうございました。



甲良町ってこんな歴史が一杯詰まった素敵なところでした。それと、
これこそ近江平野なんですね、東側の遠くに鈴鹿山系がありますが、
北海道を彷彿させる 山も近くにはなく ひろーい所、
甲良町でした。
                                                                           
 
         近江鉄道 尼子駅 に集合                       解説されるボランテアガイドさん


     今日もご覧くださいましてありがとうございました 

 

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Kennyの山便り:白滝山

2014-10-02 09:47:17 | 登山・ハイキング

登り・・んー、でも下りは浮きうき
     白滝山(1022m、大津市)
       滋賀の山を歩いています
     1996年発行の山と渓谷社「滋賀の山」52座
         
  Kennyの滋賀から情報発信
      この日記の掲載期間:10月24日から10月31

白滝山
大津市葛川坊村の明王院前を右へ林道に入り、駐車場まで2分。
そこから登山口まで30分です。 なお、
同院前から左に折れて橋
を渡れば武奈ヶ岳への登山道です。
山と渓谷社のこの本は、
は改訂版が出ていまして、掲載の山も多少入れかえて55座にな
っています。  この白滝山は入っています。


                 ここをさらに右に進む 登山届を出してからね

 
     駐車スペースがあります                ジグザグの林道を進みます




                    駐車場から30分でワサビ谷コース登山口に

こんな山です: 気分、雲のち晴れ
下の地図をご覧ください。 今日の登山はワサビ谷から入り、白滝谷
へ下るコースです。 5時間30分でした。

 
                 昭文社の地図より   赤マークはKennyの書き込み

 
       沢に沿って山裾を進みます               ワサビ大滝

ワサビ谷はひたすら谷を歩き、唯一、ワサビ大滝が目を楽しませて
くれます(だけですかな?)
。このワサビ谷は天気で言えば気分は
曇り空
かな、景色は全くない谷歩きの山道です。紅葉の時期なら雰
囲気は変わるでしょうが。でも私は事情ありで登山再開の今、そして
なんと云っても52の山を登るのが目的、まったく気にはなりません。


                    白滝山 山頂  展望はありません

山頂に展望はありません。でもその後の渓谷に期待!
お弁当の後、下山はオトワ池から白滝谷に回り込みます。夫婦滝
過ぎたころから景色は一変、素晴らしい渓谷です。気分は快晴です。


                          山頂から下ること5分、オトワ池

ちょっとした渓谷: 白滝谷
白滝谷を高いところから、また渓谷の底からと谷を左手に見ながら
下りて行きま
す。巨岩、やや大きな石、平たい石が幾重にも重なり、
その間を綺麗でかなりの水量が流れおちています。滝の音も所どこ
ろでしています。それぞれの石は白く、長い年月で角が取れ、今は
まだ緑の渓谷にも柔らかな雰囲気を醸し出しています。




       写真中央の山道、木の階段を下り  渓谷の大きな岩に寄り添って撮影


          角が取れてまーるい岩、 君たちはいったい何千・何万年歳 なんや?


 
                                                       合流する別の沢の滝

紅葉の頃には
下山時、渓谷に綺麗な夕日が射しております。惜しいことにまだ紅
葉には早く、10月末のそのころには一層見応えのある白滝渓谷に
なっていることでしょう。 (この登山は9月末です)


                      紅葉の時期はもっと映えるでしょうな~

ちょっと道が分りにくいところも
わさび谷側でワサビ大滝
を過ぎて伊藤新道に入る道には十分注意
して辿ってください。標識に惑わされて、赤いリボンのついた水のな
いガレ場の沢は登らないでね。
私達はそこに入って道なき道を赤い
リボンを頼りに尾根を直登するコース(たぶん間違って入った人の為
にリボンを付けてくれたのでしょうね)を必死で登ることになりました。

 
          この沢を登りました                    その挙句、こんな急登、道も不確かです 
 だって赤いリボンがあるんだもんな     でも栗は沢山落ちていました

山頂に到着した他の登山者は正道を来られて私達は間違いに気が
つきました。 その分、家人は沢山のしば栗を手にしました。 母はつ
よし! ならば栗拾いか~、なるほどね。でも気楽やの~~とも
一方、私はルート確保に傾注。  赤いリボン、あかいりぼん~~


                           興味はあるが挑戦は・・・

おお、若者よ 複雑 、私 いつの間にか ”
おお若者” なんて、そんな年齢に
白滝谷を沢登りする若者グループと言葉を交わします。しっかりとした
装備と見えます。 私が「一枚撮るよ、ブログにも載せるがいいか?」と。
「ええいいです、ではこんなんでどうですか」とポーズをとります。
4,5
人のグループでした。 ん? 沢の下流に「
危険につき、沢には入らない
で」とも書いてあったな・・・。


          5時間弱の山行を終え牛コバの林道に帰着 駐車場まで後40分

あとがき:
滋賀県の山、52座もあと余すところ5座となりました。残った10座ほど
は理由があっての事です。知名度(登山者が少ない)、アクセス、情報
が少ないなどです。このところUPしている日記は道中の苦労話が必ず
入っていますが、理由はここにあります。 どうかこれからもお付き合い
のほどよろしくお願いします。

上の駐車スペースの写真に車がたくさん見えますが、どうも殆どの車
は武奈ヶ岳、南比良、打見へ縦走などの登山者でしょうか、白滝山へ
の登山道中ではたったの二人しかお会いしませんでした。

           今日もご覧くださいましてありがとうございます




 

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