趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその6

2014-11-25 09:35:48 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

  野洲三十三ケ所観音霊場巡り

               そのー6 最終章        
            4Ji、自転車を漕いで
   今回で33ヶ寺すべてを参拝しました

                Kennyの滋賀から情報発信

               (この日記の掲載期間:1月23日から1月29日)


        比良山系、琵琶湖方向に流れる野洲川堤防行くJiさん4人

今日は撮影をしながらの影でも写っています(今回でこのシリーズは最終
なのでこの4人ですとの意味で)。そして左からYASさん(左)、TAMさん
(中央)、KAKさん(右)と、この4人です。


第6回目(最終回)の今日は六つのお寺をお参りしてきました
                    (滋賀県守山市にあります)


第二十五番 東光寺  
第二十六番 福林寺
第二十七番 観音堂
第三十一番 円福寺
第三十二番 宝覚寺

第三十三番 観音寺

三十三ヶ寺の一蘭表と所在地は ここを 
                         
(上の ここを クリックしてください)

先ずは今日のルートを打ち合わせです



      お待たせーぇ、とYASさんが到着  でもまだ集合時間前です、遅刻やなんいです


         当企画の提案者、TAMからいつもの通り、どうやこんなところで、と説明です


さて、出発です
今回はネット検索で得た情報でそれぞれのお寺の歴史、特徴を入れてみ
ました。 一部を除き、守山市監修の情報です。 

第二十五番 東光寺 十一面観音



県内では珍しい二重屋根の本堂が特徴的な東光寺は、「湖東三十三ヶ所霊
場」のひとつとして親しまれてきた寺院です。開基の詳細は不明ですが、寺
伝によると延暦年間(782-806)に秋富長者の発願により建立されたといわ
れ、実際に古い時代の仏像が伝えられていることから、長い歴史をもつ寺院
であると推測されます。


          残念ながら観音菩薩さまにお目にかかかれることは殆どありません
                            事前に予約をすれば可能な場合もあります



第二十六番 福林寺 十一面観音


                            旧野洲郡下最古の歴史をもつ寺院

桓武天皇(737-806)の勅願によって最澄(767-822)が開いたといわれる、
歴史が古い寺院です。もとは野洲にありましたが、戦国時代に現在の場所
に再興されました。
また、境内の石造宝塔は、頼朝方の武将・佐々木高綱
(?-1214)が「宇治川の戦い」に出陣する折に建立したものです。





第二十七番 観音堂 十一面観音



おお探しの後、諦めて岐路につき、その途中ふと大曲自治会という黄色
の看板(上の写真)と背後の何かの看板に「観音堂前」の文字が目に入り
ましたした。 振り返るとお堂が!! 観音様が導いてくださった とみん
なで喜びあいました。




第三十一番 円福寺 観音様・・? (資料がなく)



立田町の南端近くにある小さなお堂が円福寺である。この本堂には木版の
般若経が六百巻伝わっていて、市指定となっている。十巻ずつ納箱され、さ
らにその十箱ずつが櫃に納められている。経には奥書があり、文安元年
(1444)に勧進僧宗祐と壇越浄観が野洲郡富田庄新宮社の御宝殿に奉納
したと記されている。円福寺はこの新宮社の神宮寺で、現在も境内には、新
宮社の神輿蔵がありその面影をとどめている。
そして今なお、この大般若経
を用いて転読が続けられている。転読とは経文を略して読むことで、六百巻
の経文の要点だけを読請することも全巻の読請に値すると考えられた。

                
                               ネットから拝借




第三十二番 宝覚寺 十一面観音

このお寺も探しに探しました。 資料ではやぶの中と。また近くの住民の
方に伺いますと、100mほど行ったところに工場がある。その裏側だが
もう廃寺だとの情報を得ました。 どうやら最近更地にしたような跡地が
あります。 また石造宝塔(下の写真)のみ残った跡地も隣接しています。
最終確認はしていませんが、我々はここが宝覚寺のあった場所
であろう
と、勝手ながら結論づけました。


         ここが、そのお宝覚寺跡なんだろうか? 最近地ならしたように見えます

                           
                                宝覚寺:ネットから拝借


                              石造宝塔のみ残っています


第三十三番 観音寺 聖観音


              源頼朝が平氏打倒を祈願した寺院

天平元年(729)、聖武天皇の勅願を受けた慶俊(大和大安寺の僧)が地元の
官領と協力して伽藍(寺院の建物)を建立し、自ら彫刻した
聖観音菩薩像を
安置した寺院です。

山門からやや離れたところに植樹されたフジは、「平治の乱」(1159)で父
が平
清盛に敗北し、逃亡中だった源頼朝(1147-1199)が平氏打倒を祈願
して植樹し
たものと伝えられています




   ブログ仲間 めりいさん の観音寺参拝リポートで詳細を!

             めりいさんのブログ 観音寺 水保町

              めりいさん、ありがとうございます

道中の風景

                                    新野洲川(放水路)                        

この辺は増水時の氾濫対策で新しく出来た野洲川(放水路)です。それま
では南北に分かれた細い川で、幾度かの河川決壊被害に襲われました。
昭和46年(1971年)9月から放水路工事に着手することになり、その後、昭
和54年6月に新放水路への通水を行い、昭和60年度(1985年)に落差工
から下流について工事がほぼ完成しました。
今ではこのように広くて、秋に
はススキアシ?)が美しい河川です。

        
                   昭和40年頃                        昭和50年頃
                             (
野洲川下流土地改良区のHPより拝借)

 
            その放水路(新野洲川)が琵琶湖に流れ込みます 正面は比良山系


        野洲川上流、東(鈴鹿山系)の方向を見れば遠く、三上山が美しい山容を
                           (上下の写真は同じ橋の上から撮影しました)


御礼:
非常に地味な紀行日記ですが6回に亘り「野洲三十三ケ所観音霊場巡り」
にご訪問いただきありがとうございました。 この初めての分野は、サラリー
マンの生活、俗世界しか知らない私にとっては貴重で、いろんな意味で今後
に生かせる素晴らしい体験でした。

この自転車で行く霊場巡りにお誘い下さった、TAMさん、YASさん、KAK
さんに御礼申しあげます。 一日25km以上の自転車走行はほぼ余裕で
した。日頃、野良猫(さんには失礼ながら・・)のようにほっつき歩いている
ことの奏功と嬉しく思います。


         今日もご覧下さいましてありがとうございました



コメント (2)
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Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその5

2014-11-18 18:47:41 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

  野洲三十三ケ所観音霊場巡り
                       そのー5         
            4Ji、自転車を漕いで

       =友のお声でチャンスをいただき=
                Kennyの滋賀から情報発信

             (この日記の掲載期間:12月13日から12月18日)


   近江平野   長閑な田んぼ道をJiさん三人が   今日はKAKさんお休み
    YASさん(左)  正面の山は近江富士・三上山です   TAMさん(右)
                          (私は記録係、写らないんです)


第5回目の今日は八つのお寺をお参りしてきました
         (第七番 宋泉寺以外は守山市内です)

第一番   東門院
第二番   福寿院
第三番   安楽寺
第四番   慈眼寺
第七番   宋
泉寺(野洲市)
第二十八番 観音寺
第二十九番 少林寺
第三十番  観音寺

三十三ヶ寺の一蘭表と所在地は ここを 
               
ここをクリックしてください)

お寺の多くがそれぞれ近くて沢山回れました。では出発です
         (今回は、8ヶ寺のお話で、ちょっと長くてすみません・・・)

第一番 東門院(守山町)


                 天台宗 十一面観音  


                  語り合う YASさん、TAMさん  
            皆様結構 仏の分野にお詳しいです。 脱帽!


第二番 福寿院(古高)

                                           天台宗 千手観音


                          観音様はおられるのかな?
                     博物館やその他の施設に移管保存のケースも多いです

このお寺も探すのにひと苦労でした。寺名や山号も全くお堂に見当たり
ません。お近くの住民の方にお聞きしてこれが福寿院と、なんとか辿り
つきました。


第三番 安楽寺 (勝部)


                  黄檗宗(おうばくしゅう)
 千手観音

 立派なお堂ですが、比較的こじんまりとした境内でした。


第四番 慈眼寺 (吉見町)


                         天台宗  十一面観音

 
     最近 建て直したようです    檀家の方かな、のご厚意でお堂に入れて貰いました


第七番 宋泉寺(野洲市野洲町妙光寺)


                                        浄土宗

このお寺には、三十三ヶ寺を含む観音様の小さい像(俗に言えばミニチュア)
が多数祀られてい
ます。 なお、27年2月7日~3月15日まで当 宋泉寺
の仏像が野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)で特別公開されます。
詳細は当博物館にお問い合わせください。

 
     山崩れが: 台風18号の豪雨でこのお寺も危機一髪だったそうです

    
                                山崩れの跡が今も

当日、避難指示が出てこのお寺の皆様、周辺の住民は無事だったと
のお話しでした。 長く国道8号線から見えた青いシートはここでした。


第二十八番 観音堂


                        浄土真宗  聖観音

 
                                武道天神境内にあります

神仏習合(神仏混淆・こんこう)の名残と言っていいのかな? (cf:神仏分離)


第二十九番 少林寺


                            臨済宗  如意輪観音

 
  おおっ、やはり一休さんだ   
  

第二十八番 観音堂とほぼ同じ場所にあります。


第三十番 観音堂


                    宗派、どの観音様か? 調べ中です
                         


             蜊江神社の境内にあります これも神仏習合の名残ですね

                        

道中の景色


                   妓王寺          妓王妓女          祇王井川

私達の団地には野洲の歴史、伝説などのレリーフ(でいいのかな?)が幾つ
かあります。


                            野洲市は銅鐸の町

野洲市の大岩山(集落の名称)から日本一大きな銅鐸や多数の銅鐸が発掘
されました。


4Ji 古希を過ぎた4人の爺の、お寺参り
この
団地に住んで40年。 当初からお付き合いのTAMさんが自転車
で表題にある三十三ヶ寺をお参りしようと声を掛けてくれました。同じ
長いお付き合いの団地仲間がやろうやろうぜーで集まったYASさん、
KAKさん、そしてKennyの4人組です。

野洲三十三ケ所観音霊場
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音
菩薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道が定め
られました。一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納め
ます。 (ネットからの引用です。感謝)

(注)野洲郡内とは、野洲町、中主町、守山町は 二度のかな? 市町村合併前は野洲郡
   の各町でした。 現在は野洲市(元野洲町と中主町)、守山市となっています。

     今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (2)
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Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその4

2014-10-19 16:08:31 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

   野洲三十三ケ所観音霊場巡り
               そのー4

            4Ji、自転車を漕いで
       =友のお声でチャンスをいただき=
                Kennyの滋賀から情報発信

                  (この日記の掲載期間:11月14日から11月20日)

この4Jiグループ、霊場巡りの背景は?
今の団地に住んで40年。 当初からお付き合いのTAMさんが自転車
で表題にある三十三ヶ寺をお参りしようと声を掛けてくれました。同じ
長いお付き合いの団地仲間、古希を過ぎた4人の爺(4Ji)、YASさ
ん、KAKさん、そしてKennyが、やろうやろうぜー、で
一致、貴重な体
験をさせて頂いてます。 今回は、その第4回目の三十三ヶ寺
お参り日
記です。

 
 野洲市内を通る旧中山道を走る4ji             お寺に通じる農道
 (止まって撮っていると遅れますので、私 自転車で走りながらの撮影です)

十三番 観音堂 (野洲市高木)


                   おお、これが観音堂や! 扉の隙間から覗き込みます


                           3人が見上げている先に掲げられています

この観音堂は春日神社の向かって右隣りにありました。お堂です
からそのイメージで探しており、一見民家を見過ごしていました。
どなたもおられず聞けませんでしたが、お堂の一部を残してこの
ように保存されているのでしょうね
、皆様の厚い信仰心を感じます。


                     それまでに資料で懸命に、どこやろ? と探します

こんな時は、名ナビゲータ、YASさん(写真中央)が大活躍です。 元々は
京都のお方なのに
当地の地理に詳しいのは、過去にボランテア活動か
なんかで市内を歩きまわったことがあるとか。 活動的な方です、こんな
時に経験が生かされています。



                                       春日神社 

十四番 安養寺(廃寺)
このお寺は、今はありません。今日はお寺跡にも辿れまでんでした。

十五番 荘巌寺 (近江八幡市安養寺町)


                                     荘厳寺 (聖観音)



野洲市と近江八幡市の境を超えてすぐの日野川沿いにあります。三十三
ヶ寺は野洲市、守山市、近江八幡市にありますが、このお寺は三十三ヶ寺
の内唯一、近江八幡市内にあります。



              これが聖観音の写真? ご住職様不在で聞き漏らしました


十六番 来迎寺 (野洲市小南)


                                   来迎寺 (聖観音)




                   嬉しいお言葉に出会えました

身の程知らずで偉そうな事をお許しいただくとして、「感謝」、今元気で
このように動いておれる、多くの友人とお付き合い頂いている、本当に
有難いことだと、何事においても日々感謝の気持ちを忘れずにお付き
合いを、行動をと心しております。 



そして、チャンスを与えられたらそこから生き甲斐、遣り甲斐を見出す。
隣りの芝生は・・・、はあかんと。
本当にこのお寺で嬉しい言葉に巡り合えました!

その日の朝、団地の公園、東屋で


                        その日の行動予定の確認です

野洲市の宝物の一つ、三上山が後方に見えています。 またテーブルの
背後の装飾の壁にも三上山が彫られていますね。 壁はこの周囲に沢山
あり、祇王、妓女のお話し、天保義民の歴史なども語られています。


                       TAMさんがしっかりと資料を揃えてくれます

KAKさん(写真中央)は何故かこの道に明るいお方です。過日はあるお寺
でご住職様を紹介してくださり、ご住職様からお話し(説教)まで聞かせて
頂きました。 

ほほー、それであんさんKennyの役目、得意は、って? 
なし、です。
皆さまに付いて行けばお寺に行ける。有難いことと感謝 しております。

さて、いよいよ残すところ6寺となりました
33ヶ寺巡り(お参り)も後 守山市内の6ヶ寺となりました。12月1日に
お参りします。 順調に行けば次回が最終回の日記となります。またご
訪問頂けれ
ばとっても嬉しいです。ありがとうございます。

道中の景色

 
 
市内、どこに行ってもお地蔵さんがあります。このお地蔵さん、殆どが
造成工事などで地面を掘っている時に発掘されたものです。 地蔵信
仰は平安時代に始まり、鎌倉時代には下火となって(・・も一つの説と聞い
ております)
埋蔵されてしまったようです。 今安置されている
お地蔵さん
は信仰最盛期の名残だそうです。



野洲市は近江米の産地です。収穫のあと、このように市内の田んぼ
には稲穂を立ててあります。 なぜ? 豊作の感謝? 次期、豊作を
願っての習慣?


          お寺参りにはこの朝鮮人街道もよく通ります


今までの記録、ブログ

     三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは    ここを   

     前回 5月の第一回 観音霊場めぐりの私のブログは  
ここを

      前回 8月の第二回 観音霊場めぐりの私のブログは   ここを

    前回10月の第三回 観音霊場めぐりの私のブログは  ここを


        今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

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Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその3

2014-09-01 10:50:39 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

    野洲三十三ケ所観音霊場巡り
                  そのー3
               4Ji、自転車を漕いで
          =友のお声でチャンスをいただき=
                   Kennyの滋賀から情報発信

                     (この日記の掲載期間:9月26日から10月2日)


           毎日お参りしているお母さん、色んなお話をしてくださいました

 この4Jiグループの霊場巡りの背景は?
現 団地に住んでもう40年。以来ずーっとお付き合い頂いているTAM
さんが実にユニークな自転車の旅を考えてくれました。お話しを頂いた
長いお付き合いの仲間、YASさん、KAKさん、そしてKennyがええや
んか、やろうやろうぜー、で
一致、表題の三十三ヶ寺をお参りしようとな
り貴重な体験をさせて頂いてます。 今日はその第3回目、五ヶ
所のお
参りの日記です。

8月の第2回目に続いて、今回(9月)は5ヶ寺を
円光寺、浄円寺、常泉寺、常念寺。そして観音寺ですが、このお寺は今
はなく(廃寺)、現在観音さまが安置されている福泉寺の6ヶ所5ヶ寺を
お参りしてきました。 この5ヶ寺を含めて、33ヶ寺中13ヶ寺をお参りした
事になります。

4Ji とは
古希を超えた4人組の爺さんで 同じ団地の仲間です。

         
                TAMさん、私、YASさん(左から) 今日の行動計画を

     
                       4Ji,野洲市内を自転車で生き生きと

野洲三十三ヶ所霊場とは(この項は毎回記載させて頂きます)
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音
菩薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道が定め
られました。一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納めま
。 (ネットからの引用です。感謝)

(注)野洲郡内とは、野洲町、中主町、守山町は 二度のかな? 市町村合併前は野洲郡
   の各町でした。 現在は野洲市(元野洲町と中主町)、守山市となっています。


 では霊場巡り、第三回目の出発です

第8番 円光寺 聖観音



 

                                                                  (案内板、拡大します)

 
                         九重の塔(重文)

第9番 浄円寺   聖観音

 
  野洲に嫁いできましたと。 今日も手を合わせてお参りです。  案内板、拡大します

第10番 常楽寺 観音大士


                        静かな境内です。  奥にお堂が


          お堂、観音大士は見えません           常楽寺と読めます

第11番
 浄念

 
                       山門、境内と見事なもんです              案内板、拡大します



第20番 観音寺ー福楽寺



観音寺は廃寺となって現在は更地になっています。このお寺にあった
観音さまは現在は福泉寺に安置されています。そこでこのお寺を訪ね
ました。ただその観音さまはどこに安置されているのかはわかりません
でした。ご住職様が、その日不在で・・。

 
  
  西国三十三ヶ所の像がお堂内に             荘厳な本堂内

このお寺はいつも解放(扉が大きく開けられていました)しておられるのだろう

か、仏教歌もスピーカから流れていました。 境内に敷設の保育園の園
長さんにお断りしてお堂に入らせていただきました。


 観音寺跡と思われる場所(未確認です) 中主小学校の東あたりとの事でした

事前に情報を得ていたので地図を頼りに おおよその見当をつけて探し
ましたが
場所は特定できませんでした。


道中の風景 初めての地にも足を運び


       里芋か? 近江米、もう収穫が始まっていました  後方に三上山 

                                    境内にもお地蔵さんが

お地蔵さんに目が行きます
先に私のブログで野洲町の「地蔵信仰」を取り上げました。あるんです
ね、野洲市にはいたる所にお地蔵さんがおられます。赤い前掛けがい
つも新しいです。TOPの写真にご登場のお母さんのお話しでは、毎年
何度か地元の皆さんで取り替えているんだそうです。


     近江平野を漕ぐ YASさん、TAMさん  (KAKさんは今日はお休みです)


     三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは    ここを   

     前回 5月の第一回 観音霊場めぐりの私のブログは 
ここを

      前回 8月の第二回 観音霊場めぐりの私のブログは  ここを


 
          今日もご訪問頂きありがとうございました

 
 

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Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその2

2014-08-29 14:26:51 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

野洲三十三ケ所観音霊場巡り
            そのー2

     4Ji、自転車を漕いで
  =友のお声でチャンスをいただき=
       Kennyの滋賀から情報発信

      (この日記の掲載期間:9月5日から9月11日)

5月の第一回目 五つのお寺
に続いて
この団地に住んでもう40年。以来ずーっとお付き合い頂いているTAM
さん
から表題の三十三ケ寺をお参りしようと仲間に入れて貰い、嬉しい、
貴重な体験をさせて頂いてます。今日はその第二回目、
三カ所のお寺
の日記です。


   私の住む野洲市、本当に立派なお寺がいっぱいです、先ずこれに驚きです


野洲三十三ヶ所霊場とは
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音
菩薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道が定め
られました。一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納めま
。 (ネットからの引用です。感謝)

(注)野洲郡内とは、野洲町、中主町、守山町は 二度のかな? 市町村合併前は野洲郡
   の各町でした。 現在は野洲市(元野洲町と中主町)、守山市となっています。

4Ji とは古希を挟んだ4人組の爺さんで 同じ団地の仲間です。


         4JI:TAM,YAS,KAK各氏 そして撮影は私Kennyです

 では霊場巡り、第二回目の出発です

第17番 高福寺(現在は廃寺) 十一面観音
このお寺は廃寺となって現在は更地になっています。このお寺にあった
十一面観音は現在は蓮長寺に安置されています。 そこでこのお寺を
訪ねました。

                                  

 
                  元高福寺の十一面観音(賓国) がここに安置されています
                    予約をすれば拝観も可能です
                   

 
                                             
  クリックで拡大します              
  

                           立派なお寺ですね、欄間なんかも・・・


                              当日は地蔵盆で賑わっていました


                                   高福寺跡?
                           
第18番 西得寺  静観音



この西得寺ではKAKさんのご交友のお蔭でご住職様と親しくお話しする
機会に恵まれました。 (なお、その時は私は所用で同席は出来ませんでした)



                                  この境内にもお地蔵さんが


第19番 観音堂   南無観世音菩薩


              観音堂、前の道路に面して神社と並んでお堂がありました

この観音堂もお寺の境内にあるものと想定していましたが、上の写真の
通りで神社と通りに面して並んでいました。近隣の住民にお聞きして直
ぐに辿れました。と
云っても例外ではありません。 第五番、野洲市内の
十輪院(前回
の日記で取り上げました)と同じ観音堂形態です。

      
                        (参考)第5番 十輪院 

 
         この観音堂にもお地蔵さんが             南無観世音菩薩の石碑も


道中の風景 初めての地にも足を運び


               近江米、もう収穫ま近か   後方に三上山


                        田んぼ道傍にお地蔵さんが

お地蔵さんに目が行きます
先に私のブログで野洲町の「地蔵信仰」を取り上げました。全く知らなか
った世界を垣間見て以来、地蔵さんに目が行きます。
あるんですね、い
たる所にこのようにお地蔵さんが安置されています。 そして
必ず生き生
きとしたお
花(生花)が供えられています

     三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは  ここを   

    前回5月の第一回の観音霊場めぐりの私のブログは 
ここを

野洲三十三ヶ所霊場とは、のあと少し補足です
野洲川の下流域は篤い仏教信仰に支えられた土地であり、なかでも観音
信仰は現世利益の仏を求めて庶民のあいだに広まった。寛保2年(1742)、
西国三十三ヶ所霊場や近江三十三ヶ所霊場にならって野洲郡内の観音菩
薩を安置する33ヶ所の寺院を対象に湖東三十三ヶ所の巡礼道がそれぞれ
に和歌を添えて定められた。

一番守山の東門院に始まり三十三番水保の観音寺で納める。
全行程13里
足らずの道のりは野洲川扇状地を一巡りするもので、当時の人々の日常の
生活圏に即していたものと考えられる。巡拝の道すがら口ずさむ御詠歌は、
素朴な民衆の文芸のこころを表現するだけでなく、地域社会の連携を深め
る共通の拠り所でもあった。

天保13年(1842)、野洲川流域の農民4万人が幕府検地役人の横暴に立
ち向かった一揆、三上騒動の広がりもこのような信仰を通したきずなと無縁
ではないであろう。
昭和の初めには三十三ヶ所霊場巡りは絶えたといわれ、
今日巡礼の名残をとどめている所は多くない。
 (この大変貴重な情報はネット検索でヒットしました。その解説文をそのまま引用させて頂き
  ました。感謝致します。 Kenny)


 
     今日もご訪問頂きありがとうございました

 

コメント (4)
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