趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:星ケ崎城の謎

2012-12-29 19:13:05 | 城址

 山城(跡)をこうやって眺めると面白さが倍増
  =土塁、堀切、曲輪、石垣に矢穴、=
        Kennyの滋賀から情報発信
      
 (この日記の掲載期間:1月4日~1月10日)

またまたマニアックな話題ですんません
竜王町の主催、滋賀県の山城の第一人者(くらいでの紹介では失礼か?)
中井 均先生の講座に参加しました。 

昨年 拝聴した先生のもう一つの講座 安土城は燃えなかった」 も
のブログでUPしております。そのページは
ここを

さて、冒頭の題名、なんのことか簡単に

そこが山城跡
(防御の為に山の上に建てた城や砦。平地にある城は平城
何か他の建物跡かを見分けるはその場所に
土塁(敵が進みにくくする為
に築
く高い土手)堀切(同、掘られた深い溝)、曲輪(くるわ:建物が建てられてい
たなどの
平たい敷地)の三つが揃っているどうかを見ればいい。 この三
がなければそれはお寺の跡などである。とは先生のご指摘です。


          矢穴(矢印) :観音寺城跡の石垣
     滋賀県文化財保護協会 HPより拝借の写真を加工引用

もう一つの面白い見方:石垣に矢穴があるか
矢穴
(やあな。大きな石を石垣などに使えるように割る時、きちんと割れるように幾つ
か一列にあけた穴
が石垣の石に有るかどうかです。穴があれば六角
の城
で、なければ信長系の城とある時期までの城では区別がつく。
これは初めてお聞きするお話です。 矢穴も始めて耳にしました。

       
            今回の話題にある城跡の所在図
                同上、保護協会HPより拝借

先ずは城跡かどうかの話です  
先生は星ケ崎城跡を取り上げました。理由は主催者の竜王町にその
城跡があるからです。先生の今日の見解、結論は「謎は解けなかっ
た」
と、歩かれてのお話でした。立派な石垣はあります。(下の写真)


               星ケ崎城跡の石垣

しかし城跡の三要素、土塁、堀切、曲輪がまったく見つからないのです。
石垣も権力の誇示から東側(よく見える人が往来する町側)ではなくて
西側にある。実はこの城のある山、星ケ峰の麓には最澄開基の西光寺
という僧坊を300有する寺院がありました。
今も宝篋印塔ほうきょういん
とう)、
石燈籠、平坦地が残っています。この城跡と云われているのはこの
お寺の奥院ではないかとの謎です。そこには星ケ崎城址と掘られた石碑
が立ってはおりますが・・・。 

         星ケ崎城の解説板クリックで拡大します)


。     
          城跡と断定の石碑           西光寺の解説板
               
  

  
              宝篋印塔 (西光寺跡)
   


星ケ崎城が城かどうかのもう一つ: 井上氏との関係
この山のすぐ近くに井上氏の方形館があります。そこで井上氏の居館
としての詰め城として星ケ崎城を見るかがもう一つの見方だとのご指摘
です。そうなるとお城だったという事になるんですね。

Kennyの星ケ崎城跡の訪問ブログレポートはここを

次は石垣の矢穴を見る:城のもう一つの楽しみ方
上にある写真で見ていただいた矢穴、城によってある石垣と矢穴がない
石垣があるそうです。そこから近江系(六角系)の城東海系(信長系)
の城という見方です。安土城にはその矢穴のある石垣はないとのことです。
つまり信長は東海系の技法で石垣を積んでいます。一方観音寺城は矢
穴があります。近江系の六角は観音寺技法で積んでいます。

  
                 観音寺城の石垣

つまり、
六角氏の城:観音寺城、小堤城山城
三雲城は石垣の石に矢穴がる。
信長の城:安土城にはその矢穴がない。

近江系・六角系・観音寺技法:
この石割技法は矢穴が特徴です。
観音寺城、三雲城・小堤城山城がその
例です。ところが同じ六角系でも佐生城星ケ崎城の石垣には矢穴が認
められない
。なぜか? 時期差か技術差か?? の謎でもあるそうです。

   
             くっきりと矢穴が  小堤城山城跡の石垣

では自分の目で
それで早速近くの小堤城山城跡に出かけてきました。見つけてきました。
確かに矢穴がありました!(上の写真)。私のこの城跡のブログはここを

お城、お城跡をこんな見方で歩く
今まで何年もお城跡を見てきてなんとなく土塁他二点セットは理解してい
たように思いますが石垣の矢穴、そう云われれば見たような、程度でした。
お城の石垣に観音寺技法、東海技法があるなんて全く知りませんでした。
これで
またお城を歩く楽しみが出来ました。

淡海の城友の会の仲間から追加情報を頂きました(5日)
追加情報内容はコメント欄をご覧ください。八幡遊人さんありがとうございます。

お断わり:今回もご専門の先生のご講演で しかも初めて聞く内容と
       専門用語の連発です。聞き違いは十分考えられます。
       もし、これ違うよ、そりゃ逆だよ というところがありましたら
       ご指摘頂いた方が正しいと思います。 素人の日記とどうか
       お許しください。

       この日記の掲載は、中井 均先生のご承諾を頂いております。


               実に細かいお話でしたが、
        今日も訪問いただきありがとうございました


       

コメント (10)
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Kennyのスキー場便り:今シーズン初滑り

2012-12-25 19:13:52 | スキー



いつもご訪問くださいましてありがとうございます。会社を離れ こんな
事を知っておきたい、こんなことをやってみたいと徘徊を始めましたが、
その内に見聞きしたことをブログに記録することが出来ることを覚えて
3年目に入りました。 そんなことでこれからもここに留めていこうと思っ
ております。高尚なことは出来ませんがまたお立ち寄り頂ければこの
上ない喜びです。どうか
本年もよろしくお願い申しあげます。 (Kenny)

  今シーズンは近場で初滑り
    =木曽福島・やぶはら両スキー場=
        (この日記の掲載期間:12月28日~1月3日)

滋賀のスキー場も早々オープン

寒い12月です。でもその内にまた暖冬やでー、と なると思いきや
なんと寒い毎日です。毎年12月中に滑り初めをしておりまして 大
抵は相当遠出するのが 今回は
近場の木曽路で いつものスキー
仲間と滑り初めをしてきました。 早いスキーシーズンの訪れです。


       今シーズンも御嶽山がこのスキー場の真正面で迎えてくれます

木曽福島スキー場
木曽路、福島宿にあるスキー場です。標高1200mから1900mに
位置しており、スキー愛好家だけが楽しめるスキー場です。つまりス
ノーボードダーは滑走できません。もう数年通っており、また最近まで
私が所属していたスキークラブのホームゲレンデの一つです。ロッジ
でスキーを預かって貰えるとか休憩時にレストランでオーナーさんを
囲んでスキー談義などで気楽に過ごせるのが いわゆる常連客の有
難さなんです。


  
            ワンポイントレッスン Sさん(右)

仲間にも恵まれて
仲間のSさんは指導員の資格をもっておられます。暫く一緒に滑走
の後我々の滑りを見てその場で指導してくれます。私は回転でのス
キー板の乗り方を指導してもらい、今シーズンのレベルアップの目
標が出来ました。

レールターンが出来ていません。カーブした後2本のレールのような
スキーの跡が欲しいんです。そうするとスピードも出るし、なんといっ
ても綺麗な滑りになるんです。なるほど!で 今シーズンも課題をもっ
てスキー場に足を運ぶ楽しみが出来ました。気さくで優しいSさんは
我々仲間にとって嬉しい存在です。

といっても雪不足(でした)
12月21日時点ではゲレンデは全コースは開いていませんでした。
でも今の時代心配は要りません。人工降雪機で雪不足を補い全長
4500mのうち2500mで滑走が出来、初滑りには十分でした。
なお 12月22日時点で全コースオープンとなりました。ご安心を。


      
                  地元のちびっこ (
やぶはらスキー場) 
   
上はやぶはらスキー場で地元のちびっこです。今からこの環境、上手
くなるわなー。 私 Kennyもこの年齢の頃、同じ環境にありまして、だ
からスキーの達人、いや元へ  今この歳でもスキーをやっています。
もっも当時近くにスキー場もなく農道で直滑降、回転なんて そんなもん
知りませんです。
スキーは手製の竹スキーにゴム長靴でした。

 
                ???                             ガスかかってきて暫し休憩

やぶはらスキー場
二日目は同じ木曽路 隣の
藪原宿にあるやぶはらスキー場です。立ケ
峰(1689m)から一気に1100mまで約3kmを滑り降りる快感がたま
りません。木曽福島スキー場からほんの40分ほど北へ走った位置関
係ですがここは雪もたっぷりで全コースオープンです。

  
                    賑わう やぶはらスキー場

土曜日でもあり多くのスキー、ボード客で賑わっていました。 
                              
定宿、ゲレンデのレストラン:木曽福島

 
     定宿 M山荘              ゲレンデのペンション&レストラン K

当スキー場内の K レストランや木曽路の各スキー場に近いこの宿は
常連客としてお付き合いただき 居心地のいいスキーの旅が出来ます。
これがまたいいんですね。

乗鞍岳、白山が真っ白でした


                           乗鞍岳が真近に大きく


             遠くに白山が、本当に真っ白でした

 いよいよスキーシーズン入りです。 これからはこの話題が多くなり
 ますが、どうか付き合いくださいますようお願い申しあげます。
                 

   今日もご覧くださいましてありがとうございました

 



 

 

 





 

コメント (8)
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Kennyの郷土史:清龍寺徳源院

2012-12-10 16:45:17 | 神社・仏閣

  歴史の宝庫、滋賀を歩けば
    =清龍寺徳源院(京極氏菩提寺 米原市)
       Kennyの滋賀から情報発信

          (この日記の掲載期間:12月21日~12月27日)


          清龍寺徳源院 (滋賀県米原市)
         

 
  お寺の案内版              庭園
 (クリックで拡大します
  

          

              
京極氏の菩提寺です
お寺は滋賀県米原市のJR柏原駅から歩いて20分の北西方
向にあります。このお寺で目を見張るというか、今回紹介した
かったのは京極氏歴代の墓塔・供養塔である石造の
宝篋印
(ほうきょういんとう)が30余基も集められて、並んでいること
です。


             京極氏歴代の宝篋印塔

          
            解説板      宝篋印塔配置図 
        
(小サイズはクリックで拡大します。以下同じです)

   
集められている
京極氏第22代高豊が寛文12年(1672年)に近隣に散在し
ていた歴代の
宝篋印塔をここに集め、順序を正して整備した
ものが現在に伝えられている京極家の墓所です。

 
                    
           代高氏(道誉)             初代氏信   
             
         

京極高氏(道誉)
ちょっと知っている名前を上げてみます。京極氏第4代目道誉
(どうよう)です。派手好きで婆娑羅大名ばさらだいみょう)とも呼ば
れています。このお寺の近くに北畠具行(きたばたけともゆき)のお
墓があります。後醍醐天皇を中心とする倒幕計画に加わり失敗
道誉によって鎌倉へ護送される途中、元弘2年(1332)この
地で斬首されましたが、一方で道誉は幕府に減刑を嘆願します
が叶わぬこととなったそうです。

 
            19代高次                         三重の塔(22代高豊の建立)

京極高次
浅井三姉妹お初さんの旦那様です。なんでも幼少のころは信
長のところへ人質に、成人して秀吉に仕えていたそうです。関ヶ
原の合戦では徳川方に付き大坂からの軍を大津で足止めにす
るなど功を上げて京極家の継続のきっかけを築いた武将です
よね。京極氏はうまく時流(誰が天下を取るか)を読む事に長け
ていたようです。


                    北畠具行(ともゆき)の墓(米原市)

                 
                     解説板

京極氏、六角氏ってややこしい
えらそうにこんなブログを書いていますが、ほとんどすべてが当
日の県や地元の研究員さん、お寺の住職さんからお聞きしたこ
と、頂いた資料を参考に単に私の言葉で記載しているに過ぎま
せんです。
そこで京極氏、六角氏を簡単にこんな具合に。

                     宇多天皇
                    ・
                    ・
                  佐々木経方
 
                    ・                                       
                     ・
                         佐々木秀義
                    |
                  佐々木定綱
                    |
                  佐々木信綱
                    |
            大原重綱  高島高信 六角泰綱 京極氏信
            (ウキペデア、手元資料から)

 
やがて近江は北部が京極氏 南部は六角氏が治めます。同
じ家系とは言っても当時は内部抗争が絶えず、京極氏は跡継
ぎ騒動の間に家臣の浅井氏に主が移り、北部は浅井三代と
変遷
しますがわずか三代で信長に屈します。一方六角氏は猛
威を振るいますが最後はやはり信長に滅ばされます。

 
      京極氏館跡              観音寺城跡(六角氏)
   伊吹山の麓、伊吹神社境内全域   安土の繖山(きぬがさやま)一帯

京極氏は浅井氏に保護され小谷城には主郭よりも高い位置の
京極丸に収まり、信長攻撃もかわしてその後も家を残します。
京極氏は伊吹山、山麓に拠点を置きます。六角氏は安土の観
音寺城が拠点です。

ちなみに京極氏は京都の京極高辻に館を、六角氏は京都の六
角堂に屋敷を構えたからそのように呼ばれています

              (この項はKennyの理解です)

Kennyのブログ現地訪問レポート:

 

      京極氏の拠点、館についてはここを

      六角氏の観音寺城についてはここを


 
    道標もしっかりしています           散策地図(駅で入手)

JR柏原駅周辺
滋賀県教育委員会文化財保護課が月によっても異なりますが
ほぼ毎週
のように歴史探訪イベントを開催して下さっています。
今回は米原市柏原(かしわばら)町を歩きました。なんと元弘の変
(南北朝時代)から戦国時代そして柏原宿の江戸時代まで頭を
切り替えながらその時代の様子を遺跡や今に残る古民家など
を実際に目にして歴史を遡ることが面白いです。

このブログではその内、京極氏について、特に徳源院を取り上
げました。
JR柏原駅に観光地図が用意されています。散策ル
ートはそれで十分です。

    今日もご訪問頂きありがとうございました

コメント (16)
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Kennyの山のお話:伊吹山

2012-12-05 05:28:11 | 伊吹山

   伊吹山のここがわからん
     =なるほどそうやったんや=
  県主催の講座、伊吹山の文化的景観に参加して
              (Kennyの滋賀より情報発信)

 
講師先生の紹介
米原市教育委員会文化財保護室の高橋順之氏です。先生は地元の
お生まれで伊吹山を見て 歩いて育ち 伊吹山そのものでしてお話しに
現実味、迫力があります。講座の会場は県立安土城考古博物館です。



             名神高速 伊吹SA付近から早朝の伊吹山

いい山です、伊吹山
毎年少なくても3回は伊吹山に登ります。麓の上野から2時間50分
もあれば山頂です。真冬は誘われてもごめんですが春、初夏、晩秋
伊吹山は山でこその風景が格別です。それは平地での、800m
1370mのそれぞれの自然がそこにはあるからです。また伊吹山は
お花の山で有名です。


                     日本武尊石像 (大正元年建立)

ここになぜこの像が
日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中伊吹山に荒神
がいることを聞きその荒神を征伐するために伊吹山に登ります。

山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため弓矢で威嚇し
さらに進んだところ急に熱を出し気を失います。このイノシシは山の
神の化身で怒りにふれたからです。 怪我をして退散、醒ヶ井に流れ
る地蔵川の湧水、居醒の清水で傷を癒すがその時の怪我が元で能
褒野(三重県亀山市)亡くなりました。石像は亡くなった三重県の方を向
いています。(この項、ブログ伊吹山もりびと会から大意を引用させて頂きました)


                 講座当日の画像資料


伊吹山のここがわからん
ところで、1合目を過ぎると視界を遮る樹木がない。その上一部を除
山頂までは草原を歩いているようで夏は日陰がなくて難儀します。
崖っぷちにお堂が、あれは何んだ? なんで伊吹山に山容を変える
程のセンメント工場が出来たの? 伊吹もぐさ、等々他にも私にとって
この山には知らない事がまだ一杯ありますがこれらの疑問がこの講
座で一気に解消です。

   
            草刈り場 (長方形の白い部分)

雪がれば五合目から上の草刈り場がなお一層はっきりします。
そうか
草刈り場でしたか、それでここは下から見ても いつ歩いても草原に
見え 草原そのものだったんです。昭和30年頃までは一合目から山頂
までお花畑だったそうです。そしてここは地元住民の生活の糧を得る
重要な山でした。それは薬草、農耕用牛馬の餌、肥料用の草をここ
で採取し、麓に降ろしていました。薬草は元々あったそうですが 織田
信長がポルトガル宣教師に命じてヨーロッパから持ってきた薬草を植
えて薬草園を開かせたことで伊吹山は薬草の山となりました。

高橋先生は当時の何枚もの写真(モノクロ)で解説されましたが残念な
がら写真提供者の許可を得ていませんのでここに掲載は出来ません。
作業の様子、背負子での用具の荷揚げ、放牧など、当時の非常に貴
重な映像です。

                            


                   行導岩 (八合目の西方向に)

伊吹山修験の霊場です。三修上人(さんしゅうしょうにん)が奈良時代に
山岳信仰の霊地として伊吹山を開いたそうです。(現地解説板の情報です) 
江戸時代には山岳信仰の霊地として槍ヶ岳を開いた幡隆上人(ばんり
ゅうしょうにん
)もこの行導岩
で修行をしています。

                
             詳細はここをクリックしてください

                         手掛岩 (九合目の西方向)

その昔は山の六分より上
は女人禁制だったそうです。そんな中修行
中の夫に会いにきた
が強風が。その岩にしがみ付き岩には今も手の
跡がとあります・・。(現地解説板の解説)

            
          詳細はここをクリックしてください


                    当日の資料映像

伊吹山は戦国時代の戦場、砦でもありまた。上平寺館跡、上平寺城
跡、弥高寺跡 これらは鎌倉時代~戦国時代 北近江を支配した名族
京極氏にかかわる遺跡として史跡指定されています。例えば
弥高寺跡
は上平寺遺跡の西側尾根上に位置する寺院跡で、天文5年(1536)
には40坊以上があったと記録されます。竪堀等もみられることから京
極氏によって上平寺とともに城郭として改修されたとのことです。

                 弥勒堂 (山頂)

弥勒堂(みろくどう)は伊吹山山岳信仰の中心的な施設だったそうです。
詳細は下の現地解説文をご参照きださい。


                  
                 現地案内板(拡大します)


    伊吹山は海底火山が隆起して生まれました (当日の映像資料)

セメント工場:山容の変形は、
隆起は1億5千年前のことです。 ウミユリやフズリナの化石が発掘さ
れています。このことがセメント会社が進出した背景です。

伊吹山は約3億年前に噴火した海底火山でした。地層は約2億5千年
前の古生代に海底で形成されその時期にサンゴ礁が出来たため、良
質の石灰岩が産出する場所として着目されました。セメント需要の急
増により伊吹山の石灰岩も大量に採掘されてきました。そのため、山
容が変形する程になりました。(ウキペデアより抜粋引用)

   
                    石灰石採掘前の山容(赤い線)

上の写真は当日資料として使われたスクリーン映像を参考に私が
同じ角度から撮った写真に赤い線を引きました。


いぶきやま(さん)
伊吹山を いぶきやま いぶきさん、皆さんはどっちで呼びますか?
私は最近まで いぶきさん です。 先生のお話では滋賀南部は前者、
北部は後者 いぶきやま のようだと。しかし北部生まれの私は前者
(さん)です。
先生はこれに関しては信仰心の強い、または何らかの繋
がりがある地域では さん というそうです。確かに私の生まれ育った村
には白山神社という小さな祠が村の鎮守さまの中にあります。そんな
土地柄だったのかも知れません。

追記(12月15日)
今日、同郷の友が来訪。我家に掲げている伊吹山の絵画を見て、おお
「いぶきさん」やな、と。 事前の話はなしにです。確信です。


世界記録
それは降雪量です。伊吹山は有人観測史上1位の1182cmの積雪記
録を持っています。これは日本記録と同時に世界記録でもありギネスブ
ックに登録されています。1927年(昭和2年)2月14日のことです。また
一日に降った
量でも2.5mの記録を持っています。その有人の観測所
は今はもうありません。

 
            伊吹山気象観測所          解体現場 2010年10月

まだまだ話題は尽きないが
お花畑には固有種がどっさりと。そばどころ、古い歴史のスキー場が
あった。石材も豊富でした。伊吹山は
日本の中心、くびれの部分に位
置するんですね。しかも東山道が横切る位置でもあるんです。等々い
ずれまた機会を見て取り上げます。


                当日の映像資料

お断わり
この日記は先生のお話と私が実際に山を歩いて、またネットで得た情
報の
補足で書いています。先生のお話を聞き違えたり勘違いがあるか
も知れませんがどうか素人の日記とお許しください。

高橋先生のお話は「伊吹山の文化的景観」と題して1時間半、風土と
人々の営みに至るまで多岐に亘る内容でした。ここではその内関連
する内容を引用させて頂きました。


この講座、先生のお話を掲載することについては主催者、講師先生の
ご了解を頂いております。

       Kennyのこの秋の伊吹山登山記録はここから         

      今日も訪問いただきありがとうございました


 


 

 

 

 

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