趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの桜便り:三上山から見えるーその2

2014-03-16 20:04:09 | 桜の季節

 三上山山頂から見える桜公園
         =その2=
(この日記の1&2の掲載期間は4月18日から4月24日) 

 

 工業団地桜並木、祇王井川堤桜並木、笠原桜公園

山頂からは様々な景色が楽しめます
琵琶湖、近江平野、比良・鈴鹿・湖北・湖南の山々、空気が澄ん
おれば遠くは生駒山も。そして今日の話題、春は桜です。眼下
には
御上神社、花緑公園、工場地帯の桜、隣りの町の公園の桜
もとっても綺麗です。


          工業団地桜並木

      
                             この企業団地へ行ってきました



           企業団地(南)から見た三上山










        

        祇王井川堤桜並木

   
ロマンの川、祇王井川。人工の川であるのは間違いないようです。この地域
の川は琵琶湖に向かって東西に(つまり高い方から低い、琵琶湖の方へ)。 
ところがこの川は南北に(つまり高低差を横切って)流れています。んー、
なるほど~


         上の写真の左側方向から


       こちからも三上山が見えます。そりゃそうだわな






 この堤ではこの位置から(西側)の桜が綺麗で好きです


                          笠原桜公園

        
 桜公園の右は野洲川です。この辺は放水路として新設された野洲川です。
 それまでは南北に別れた細い川で集中豪雨の増水の度に氾濫しました。


         三上山が綺麗な山容を見せていました かなり望遠での撮影です
















     笠原桜公園、満開の景色を動画で


あとがき
毎年あっという間に北陸、東北・・、へと桜前線は移って行き
ます。ところが今年は咲いている期間が結構長かったように
思います。花緑公園では桜、みつばつつじ、そしてシャクナゲ
が三点セットで咲いており、珍しい記録写真も撮れました。
写真の撮り直しも間に合い、そんな余裕を与えて貰っての桜
シーズンでした。

三上山仲間のみなさん、ありがとうございます
登山道や山頂展望台からカシャカシャと下手な技術で、さほど
センスもないのに、
おお やってるな、いい写真撮れたか? な
んてお声を掛けて貰い、こりゃ無理して「歴史物なんか」やっ
てんとお花なんぞの風流なこともブログにせんと、と桜を取り
上げましたがやはりお花物も大変難しおます・・、Nママさん、
Kバさん、皆様、本当にありがとうございます。それでも懲りず
にまた今年もカメラを提げて三上山周辺をうろうろしますが、
お許し方々何卒よろしくお願い申しあげます

   今日もご覧くださいましてありがとうございます

 

 


          


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Kennyの歴史探訪:彦根城

2014-03-16 19:57:43 | 彦根城

                      彦根城
   =徳川幕府西国支配、要の城=
        外から見た彦根城/随所にその防御が

     専門の研究員さんのご案内で探索です

       
               Kennyの滋賀から情報発信 

           (この日記の掲載期間:4月11日から4月17日)

           滋賀県そして各自治体に感謝します!!
            (25年度の講座最終回にあたり)


我達にはありませんよ、と
過日、彦根城探索で他府県から参加のお一人とのお話の中
で、
このような講座・探訪シリーズは私達にはありません、滋
賀県
はいいですね」、と。

 
  皆出席表彰者を代表され、お礼の言葉も述べられました


またシリーズ(一年間)皆出席の表彰で代表してお礼の挨拶
をされた方は 「これだけ 内容と魅力あるイ
ベントです、来年
度(26年)も参加したい」 と。  私も全く同じです

ありがたいことです
私も今、
郷土の歴史を知ることに喜びの毎日です。それもこ
れも県や自治体が主催のこのような行事、催物に参加させて
頂けるからです。
滋賀県では各自治体と連携して他府県に比
べ、
頻繁(のようです)に企画し力を入れて下さっています。

情報に耳を傾けておれば毎週のように講演、講座、探索がど
こかで開催されおり参加することが出来ます。 感謝します。

   今日もその一環、彦根城のお話です
   天守は国宝です。 ならば外回りにも何かあるぞ!!

建物(天守など)が残っているお城の観光はどうしても建物
内部を見学して終わりがちです。しかしそこは家康が総力を
挙げて築いた(天下普請)お城です。城の外も是非見てみた
いですね。
この度、嬉しい機会に恵まれました。

    
       第一班は下高大輔氏(彦根市教育委員会)の解説で見学

   専門の研究員さんのご案内で彦根城の
外を見学です。 
  一人で歩いても見どころが分らずとっても無理ですよね

彦根城
関ヶ原の合戦で徳川勢が勝利。 天下統一を進める家康にと
って西国にはその後も、豊臣恩顧の大名が多い西国へのお
さえ
の拠点としてこの彦根城の完成が急がれました。1607
年には早くも天守が完成しましたが、お城そのものは1604
年の着工以来20年の歳月をかけ
元和8年(1622)に全面
完成しました。1600年の関ヶ原の戦いから15年の後
大阪
冬、夏の陣で一時的な中断もあったようです。


                国宝 彦根城天守 (3階建て、3重の屋根)

天下普請のお城
火の種が消えるまでは寝返りなどでいつ息を吹き返して、の不
安は同じ経緯で世を押さえた家康にとっても頭からは離れませ
ん。その動きを監視する、また抑える重要な拠点である近江、
この彦根の地に堅固なお城を大急ぎで築きました。 築城は諸大
名の力を結集した世にいう天下普請でした。

      難攻の証、防御の城を外から垣間見る
                私の興味、キーワードは五つ


そのー1  二つの正面: 大手門と表門
大手門:
彦根城には内堀の面して5つの門があります。大手門、
表門、黒門、山崎門、裏門です。その内の大手門と表門は城の
正面を意識して築かれています。築城に20年を要している間
に大坂の陣を機に縄張りの変更が行われたのです。大手門は城
に西に位置しており西国大名意識した守りの門です。また城の
正面が巡礼街道:下街道
(下段に注)に沿って築かれたと考えら
れています。


      大手門と表門の位置 (拝借:彦根城観光案内パンフレット)

           
                         クリックで拡大してご覧ください

表門:
やがて五街道のひとつ、中山道が整備されて彦根城の正
面も中山道側に開き、表門が正門に移行したと考えられます。

そのー2 大堀切


               天秤櫓(重文)の外に築かれた大堀切
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。



          西の丸三重櫓はこの大堀切に面して築かれています

そのー3 登り石垣


                登り石垣
全国的にも珍しい石垣で、城内に5か所あります。山の斜面を
正に登るように築かれており、斜面を移動する敵の動きを阻止
する目的です。

そのー4 櫓(やぐら)


                 西の丸三重櫓(重文)
櫓とは、城郭にある矢や鉄砲を発射するための重層または単層
の建造物の事です。 上の写真に見るように、道をぎ型に曲げて
敵を正面、側面、裏面から攻撃出来るようになっています。


そのー5 門



                      太鼓門櫓(重文)
本丸への最後の関門。また
登場合図用の太鼓を響かせた門とも。
門の両端の大きな石も特徴で、如何にも堅固な造りです。

こんな見どころも: 石垣 修理 矢穴

   

この天秤櫓の石垣はこの400年間に幾度か大修理をしました。
櫓の向かって右手がの石垣が「牛蒡積み」(ごぼうずみ)で越前
に石工が、左は幕末期の嘉永7年(1845)に積み替えた
「落し積み」です。


                         彦根市教育委員会発行の冊子から

石垣の仕上がりが櫓の左右で全く異なります。下の写真で比
較の上ご覧ください。現地での見どころの一つです。左右で
異なるなんて、体裁からしても面白いですね。


                            落とし積み(左側)


                           牛蒡積み(右側)


             「矢穴」: 城内の石垣の随所で見に入ります

矢穴
は、大きな岩石から石垣サイズに割る時にくさびを入れ
る為に開けた穴です。お城の石垣ではこのような矢穴をよく見
かけます。でも全国のお城では、中には墓石や宝篋印塔、お地
蔵さんなどが転用されているのには驚きです。 急を要した築
城の現れですね。

彦根城は戦い未経験の城
このような堅固な縄張りのお城ですが、築城後に到来の太平
時代で一度も戦いを経験することはありませんでした。従い
今の天守は修理などの手は加えられてはいますが、築城当時
の実物です。

 やはり 「ひこにゃん」 なんだ


                           城内ではこんなイベントも

                当日のひこにゃんの動画は ここを


お城の周囲は


          天守のある本丸から目前に佐和山城のあった山が


                 JR彦根駅から歩くこと直ぐ、天守が見えてきます

巡礼街道(下街道)とは:
彦根城の築城以前に彦根山には観音信仰の寺として彦根寺が存在。巡礼者
が往来する道があり、それが巡礼街道です。その街道沿いには後に安土城、
八幡城などが築城され、これらの城下を繋ぐ道、下街道も整備されました。

参考資料

               
                      編集・発行: 彦根市教育委員会

  今日もご訪問くださいましてありがとうございました

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kennyの滋賀から情報発信:能面

2014-03-16 19:47:08 | 能面

能のお面をこつこつと彫って
  そんな皆様の作品展を見てきました

         能繖会 第8回能面展
        Kennyの滋賀から情報発信
        (この日記の掲載期間:4月3日~4月10日)

なぜ滋賀県は「面打」がとても多く盛んな県なんだろう
          これが私の最大の関心事なんです




滋賀は「面打」がとても多くて盛んな県
実はこの世界を趣味とされる友人が私には二人おられます。
お一人は先輩社友のUさん。そして今回、招待状を下さった写
真仲間のMさんです。Mさんは、会員で武悪と云う作品を出展
されました。

Uさん(大阪府在住)から滋賀県は面打が多くが盛ん・、のお話を
お聞きしていた頃から一度そのさわりだけでも見てみたいと思
っていましたが、 この度長年の願望が実現です。

   
                      当日の会場

(なお、ここから先は私が記載の文末は、というそうです、とご理解下
 さいね。以下の文面は、彦根城博物館編集・
発行の冊子「能と雅楽」、
 更に
能面展でお聞きしたお話を参考に書かせていただいた日記です)

面打(めんうち)
能面
を作(彫)ることを「打つ」といい、作者を面打いいます。
これはU氏から教わった能面で初めて知った言葉です。

     
       写真拝借:平凡社 能面入門
      

なぜ滋賀県はそれだけ面を打つのが盛んなの?
私の興味はこれが第一なんです。本当に滋賀県って何でも
揃っているんですよね。例えば 国宝の数、城跡の数、関西
なのにスキー場だってある。そして今日の面打でしょう!


          会場の白雲館  (滋賀県近江八幡市)

先ずは彦根藩主、井伊家の存在が大きい
江戸時代、彦根藩、井伊家が盛んに演能を行ったことは大い
に関係があるようです。井伊家の、
特に15代直忠の時代に
収集の能面 能装束は殆どを網羅する大コレクションで
す。

その背景は、当時江戸幕府は能を式楽(儀式で行う楽舞)と
しており諸藩もこれにならい盛んに演能を行っており、例外
ではなく彦根藩、直忠は特に能面の収集、新たな制作を行い
ました。
      
   
           彦根城博物館内にある能舞台 (当館のHPから)


                     パンフレットから

      彦根城博物館で井伊家 家宝の能面が鑑賞できます
  詳細は 彦根城博物館HP幽玄の美」の項にあります    

ところが更にすごい事が背景に: それは「木地師」です
なぜ滋賀が、
これだけは聞き出したいと会場へ。即質問です。
流石は解説役の会員のAさん(初対面)、貴重な情報を提供く
ださいました。それは木地師(詳細は青字をクリックしてくださいね。
それぞれにリンクします。 以下も同じです
です。
なんと滋賀県東近江市蛭谷(ひるたに)全国の木地師の発祥
地だった
のです(知りませんでした)。

そりゃー、
木材工作に長けているのは明白、なんらかの流れ
で近江での能面造りに繋がるのは私でも容易に理解出来ます。

三つめ、演目の題材も滋賀には: まだまだ理由が!
竹生島逢坂山三井寺など豊富
な上に都(京都)の影響も、
と当のAさん。(それがどんな演目の内容に繋がるのかの詳細は時間
れで、上に掲げたリンクは後日のネット検索です)


   
                 写真拝借:平凡社 能面の世界
                   
それでなんだ!、特に滋賀が盛んなのは
江戸幕府が能を式楽として位置づけ、諸藩もそれに習い、滋賀
には発展の土壌があった。なぜ滋賀がこれだけ盛んに? の謎が
一日にして解けました。

そんなの知って何になるの、ですが、未知の世界を垣間見た喜
びの、目からうろこの一日でした。

では少し能面に付いて: しかし、これは理解するにも
一日にして成らず


              観世流能楽師 田茂井廣 道師の講演

能面の丁寧な解説の他に 仕舞演目の一部を演じるが3演目あり
ました。 目の前で能を! 感動ものでした。

能役者を召し抱える
江戸幕府は、観世、金春(こんぱる)、宝生(ほうしょう)、金剛、
喜多の5座
の能役者を抱え、彦根藩では喜多流が深く浸透し
ました。能が当時 時代を風靡する土壌は贅沢に揃っています。

それにしても色んな表情のお面が
能の面(のうのおもて)といいます。能の登場人物は老若男女、
神や鬼神、幽霊や怨霊そして妖精も。その役柄を演出に応じ
て多くの仮面を使い分ける必要があります。何百種もあるそ
うですが、会場で頂いた解説書の分類で作品の一例を掲げると、

  
  尉面(白色尉)            女面 (小面)
                男面(小喝食)

       
     
異相面( 小癋見)    仏体面(武悪)   

     *写真:平凡社「能面入門」から拝借しました 
     *会場で配布の解説書での分類です
 
     *能面の読み方(ふりがな)は末尾に掲げました

その歴史は
南北朝時代から室町時代は能面の創作期。桃山時代から江戸
時代には能面の形がほぼ出来上がりました。そして室町時代
三光坊(さんこうぼう(同、クリックしてください)を粗とする世襲面打
が代々制作に携わるようになります。

近江伊関・二代目、次郎左衛門親政 (世襲面打家の一つ)
能面(室町時代) 展示がありました


能面の素材は
檜木が多いようですが、中には桐、楠もあります。檜木です
と結構重いそうです。


                     ヒノキ材 (会場に展示)

全く未知の世界にまたのこのこと・・お願い
ここまで、わかったような事を日記として書き留めてきまし
たが、なにせ全く初めて覗いた世界です。記載文、内容に間
違い、誤解などが多々あると思います。どうか素人の日記と
ご容赦くださいますようお願いいたします。

幽玄の世界
と云うそうです。しばしそんな世界に浸ってきました。この
能面展は去る3月28日から30日まで、近江八幡市の白雲
で開催されました。

                ・・・・・

能面の読み方、意味(当日配布の解説書を私が端折って)  
尉面(白色尉):   じょうめん(はくしきじょう):尉(老人)神の面
女面 (小面) :  おんなめん(こおもて):若くてかわいい女面
 
男面(小喝食): おとこめん(こかっしき):禅寺の少年行者 
異相面(小癋見):いそめん(こべしみ):鬼神。緊迫感をみなぎらせる
仏体面(武悪):   
ぶったいめん(ぶあく):主に仕官する人の名。
力感
                                 に満ち格調高く(ネットで)


参考文献

    
        彦根城博物館編集・発行

     その他: 平凡社 「能面入門」、ネット検索

 今日もご訪問くださいましてありがとうございます

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