宮古民謡、名も無き農民達が口伝えに
=沖縄・宮古民謡コンサートを鑑賞=
(この日記の掲載期間:4月15-4月19日)
野洲市立図書館ホールでのコンサート
実演を聴いてみたかった!、三線
沖縄民謡(これで表現は正しいのかな?)は三線とあの透き通った歌声とホイっ
ホイっ(と私には聞こえる)あの掛け声。そして全く意味が分からない言葉(方言
としておこう)です。それがついに実現しました、それも地元野洲市で開催の
コンサートです。残るは津軽三味線なんですが、今回のように図書館の
小ホールで、家庭的な雰囲気で演奏を鑑賞したいですね。 といっても
このコンサートは超満員、椅子が足らない(ほど)でした。
師弟
貴族とかではなくて
宮古民謡は三線を弾きながら唄われます。島の名もなき農民達が
口伝えに唄われて来た「素唄(すすうた)」に近年三線のメロディーが
つきました。干ばつ飢饉と言った厳しい自然環境の中で豊作祈願の
唄・歴史上の英雄を称えた唄・恋歌が美しい言葉(あやぐ)で唄われて
います。(滋賀教室、あやぐの案内HPより引用)
題目、とうがにあやぐ・池間ぬ主(いきまぬしゅ)の舞踊
沖縄本島、八重山の島うたとは異なり庶民的文化の色彩が強く、琉歌
の影響もほとんど受けず独自に発展してきたとは別のネットでヒットした
記述です。そう云えば沖縄民謡、舞踊とは少し違うのかな?
この唄にも歴史的背景が
宮古島には「人頭税」と言う厳しい税制度がありました。その苦しさを
独りで抱え込まずみんなで力を合わせ集団の力で跳ね除けて来ました。
だから明るく楽しく、エネルギー溢れる唄が沢山残っています(同、滋賀
教室HPの引用)。 農作物は殆ど吸い取られ農民は雑草で飢えを凌ぐ
状態だったようです。やがて農民は立ち上がり1903年に帝国議会で
訴えが通り人頭税は廃止となった圧政です。
題目、舞踊 あぶじゃま 三線
今回演奏されたのは
沖縄県・宮古島に古くから伝わる「宮古民謡」について研究、指導される
天久兄弟宮古民謡研究所、滋賀教室あやぐの皆様、そして天久勝義
師匠(沖縄宮古民謡協会師範)ご夫妻も野洲市においでになり唄と演奏そして
舞踊を披露されました。
サンバ(三板)
宮古島
沖縄本島からさらに南西に300kmほど 離れたところにある大小8つの
島からなる宮古諸島。 この島々に古くから伝わる民謡が宮古民謡です。
天久勝義師匠の演奏と唄
実演はやはりいいな
滋賀教室指導者、飯田さんの本当に透き通ったよく通るお声、さらに
入門して何か月の方や長く指導を受けておられる方々の演奏と踊りに
魅了されました。アンコールに答えられて天久師匠が独奏と唄を披露
されました。軽快な調子が多い宮古民謡(なのかな?)の中でゆっくりとし
たテンポ、しっとりと・・・。 いやー本当にしびれました、いいですねー。
お断り:* 記載の殆どは当日の案内書やHPからの引用です
*記事および顔写真を含む写真の掲載は天久師匠、飯田様
の許可を頂いております。
天久勝義師匠のHP: http://www.samisen.org/
飯田様所属の滋賀教室案内掲載のHP:
http://www.city.yasu.lg.jp/cms/dantaidb.php?action_record&id=379§or_id=4
今日もご覧くださいましてありがとうございました