趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの城址歩き:玄番尾城址

2011-05-26 17:31:58 | 城址

勝敗は城の規模、堅固さとは関係ない
=長谷川先生と歩く柴田勝家の陣城:玄番尾城=

 実に綺麗、見事に管理保存された城址で、始めての方にはお薦めです
              (この日記の掲載期間:6月17日ー6月23日)


        主要な門の跡がこれだけしっかりと残っています 

          玄蕃尾城(げんばおじょう)とは:
「羽柴秀吉と雌雄を決する場所、あるいは領国越前を羽柴勢力から防衛
する為に強力な防衛拠点を築いた」と長谷川博美先生は解説されてい
ます。柴田勝家が置いた陣城(本陣)が玄蕃尾城です。滋賀県と福井県
との県境、余呉町柳ケ瀬の北西、内中尾山にあり、尾根伝いには他にも
強力な砦(行市山の佐久間盛政の砦他)を築いて羽柴秀吉との長期戦に
備えました。
地元では遺跡名称の玄蕃尾城でこの城址を呼ぶ事の方が
多いようです。


         幾重にも走る土塁の中を見学する参加者
    土塁
:敵の曲輪(主郭などのある区域)への進入を防ぐ盛土の囲い

          今日の日記のキーワード
なにせ目を見張る現場、そして長谷川先生のこれでもか、これでもか
の目からウロコのご案内にその全てをここに書ききれないんです・・・。
私はこの日記の公開が終わったら、追記をして教わった全てを記録し
ておこうと思っています。 そこで、今日の感想文は以下の通りです。

見学し易い現場 
お聞きするところ、定期的に草刈や掃除をされているとのことで、夏場
で普通ならば草木が生い茂るところ、いつでも城址の様子が一目瞭然、
見学し易いように配慮されていることです。当日も本当にびっくりしました。
今まで訪ねた城址ではなかったんではと思います。なお、この清掃の
本来は、勝家を崇めて福井市(の皆様でいいのかな?)挙げての取組み
だそうです。


       堀切の前で:雑木もなく綺麗に整備されています

なぜこんな不便な(?)ところに?
なぜ越前の関門と言える刀禰(とね)坂ではなく内中尾山に城を築いた
かと途中のバスの中で先生が参加者に意地悪く(笑)課題を与えます。

その疑問はこの玄蕃尾城の本丸跡に立って初めて理解が出来ました。
羽柴秀吉の本陣木之本と田上山(県立伊香高校の裏山)を明確に視認
する事が出来るのです。勿論勝家が開削した北国道(現国道365号、
北国街道)が下に開通していた事も見逃せないとのことです。


      本丸から羽柴勢本陣のある木之本、田上山が見通せる

それにしても堅固な守備体制
軽いリュックの見学者でさえ容易には登れない(他の城ではそうでもない
ような?)深くて急な堀切。それも長くて幾筋も切られておりまた、土塁は
高く幾重にも積まれています。兎に角これほど大規模な、もうこれは本陣、
陣城というより居城と言った方がふさわしい規模であると素人の私の感想
です。先生はこんな城を持って戦いに敗れるとは本来は考えられない
よね、
と仰います。 当時の合戦はその殆んどが裏切り、寝返りで勝敗が
分かれたと勝手に解釈しておりますが、勝家の敗戦もそこに理由があった
のかな? この城も使用期間が1年にも満たなかったと「近江の山城」
サンライズ出版、に書かれています。


          堀切が二重に儲けられています
 
どうしてこんな大土木工事が:刀狩
重機のない時代です。しかしそこは大国越前ゆえの大量人員が可能です。
興味深いお話しは刀狩で農具として農民に還元。鋤鍬(すき、くわ)の
土木工具が充実していたからだと先生のお話しです。 この刀狩は秀吉
よりも勝家の方が早く実施していたとの事です。


          
深い掘切の底に立つ見学者

見事に残る城址
噂には聞いておりましたが、さほどお城址なんぞに興味がないと言う方々
でも、ほー、これがNHKの大河ドラマ、「江」の時代のお城の跡かと目を
見張るであろうと思われる見学場所です。今まで見てきた城址の中で
一番分かりやすいことは間違いないと思います。

 
        先生のレジュメの一部         同、想像上の建物を入れた縄張り図
          
 (両資料共、掲載については長谷川博美先生の許可を頂いております)

長谷川先生のレジュメ、縄張り図
今、このレジュメを手元に置いて日記を書いています。長谷川先生の
レジュメは普段よくセミナーなんかで頂く言葉を羅列した物ではなくて、
家に帰ってから読んでも分かるまさに教科書そのものです。聞き漏らして
も大丈夫なんです。それと今回は推定される建物入りの縄張り図も用意

されていました。これは助かります。正に歴史のロマン、あの髭ぼうぼうの
勝家さんが、ようこそと迎えてくださっているような
有意義な城址見学会
でした。

   主催:ウッデーパル・城郭フォーラム

   事務局:ウッデイパル余呉  http://woodypal.jp/

   講師:長谷川博美先生  http://h-hasegawa.jimdo.com/

   城址へのアクセス:「玄蕃尾城」で検索できます。車以外では
               ちょっ
と不便かも・・、鈴(熊よけ)もお忘れなく


       今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (8)
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Kennyの写真館:新緑を求めて

2011-05-26 17:30:31 | 写真

今年も新緑の季節がやってきました 
   =毎年出かける余呉湖周辺=

             (この日記の掲載期間:6月10日ー6月16日)

滋賀県内はどこからでもちょっと車を走らせば、もうフィトンチッドを一杯
浴びて、そして目の保養、散策、更にはカメラ愛好家には被写体に事欠き
ません。そんなん滋賀県だけやない?すんません、実は山やスキー場へ
の周辺の景色を除けば滋賀県以外をまだほとんど知らない新米自由人
でして少しずつ県外にも足を運んでおります。

この1ヶ月、こんな風景に接して参りました。作品としては拙作極まりない
のですが一緒に観ていただければ本当に嬉しく思います。どうかよろしく
お願い申しあげます。

       フィトンチッド:最近スキー仲間のトミおじさんから教えていただいた言葉です。
                             盛んに使わせていただいております。トミおじさんありがとう!


   早朝の余呉湖周辺、釣り人で賑わいます。 ヘラブナが目的です


 お若い方が数人、お聞きしましたら岐阜からですって。大きいバスをゲット


      絵になりますね。釣り人一人。実は木の陰にもうお一人

余呉湖、周囲6.4kmの神秘的な湖です。鏡湖とも呼ばれ朝夕の凪ぎの
時間は正に鏡面です。その湖水は湧き水、周辺の山々から沁み込む水
です。だったのですが、今は人工的に造られた川から流れ込んでいます。
また琵琶湖からもポンプで水を汲み上げています。一方、湖の東岸には
流れ出るトンネルが掘られています。すなわち今や下流の灌漑用のダム
の位置付けです。私が高校生時代に余呉湖の水を抜いて大工事をやって
いました。


     賎ケ岳の麓、国民宿舎前です。上3枚とは対面方向です

幸い今も風景は昔とあまり変らず、寒い時期にはわかさぎ釣りで賑わい
ます。この日は釣り人はヘラブナ釣りを楽しんでいました。しかし・・、釣
れるのは大きく成長したブラックバスが殆んど。そのバスは、琵琶湖から
前述のポンプに乗せて(吸い上げられて)もらってこの湖に移住してきた
のです。 見えないところで余呉湖は大変貌してしまいました。


     余呉湖面。鏡湖とも呼ばれています。水鳥が一羽こちらへ


  湖周道路は一部は車が一台やっと通れるほど。山から湖面に垂れ下がる
  枝が絵になります。広場を探して車を止め、ここまでバックしてきます。
 

           滋賀の余呉町以外と県外=

      
              野洲市にある大きな植物公園で


                   三上山の山道で-01

      
               三上山の山道でー02


         安土町(近江八幡市)にある考古博物館の庭

       
             奈良県天川村のみたらい渓谷ー01
    大規模な散策ルートもよく整備されて素晴らしい渓谷でした。
    秋にはまた違った風景が楽しめることは約束されたようなものです。


                同、みたらい渓谷ー02
       この橋は足がすくむ(竦む)高さにあります。ビルの10階、20階?
     特に高所恐怖症の私には・・・。


               同、みたらい渓谷ー03
    本来は橋などの造形物は撮影の場合邪魔以外の何物でもないのですが
    このように、自然に合ったデザインの物もよく見かけます。 むしろこれを
    生かして撮ってみました。


                         取立山(福井県)の自生水芭蕉
     友人が、水芭蕉を観に行こうと誘ってくれました。 そういえば私は
     水芭蕉を見るのは初めてです。栂池や尾瀬に行かなくてもこんな
     近くで鑑賞できます。でも来年は5月中にと思います。と言うのは
     ちょっとお花がお歳をとっていました。

              日本の四季
みんなに平等に与えられた日本の自然の美しさ。でもこの自然を求めて
ちょっと行動を起こすか否かで自然に触れる、楽しむ度合いが相当違う
ように最近思うようになりました。 この2,3年この時期、湖北の新緑を
見に行っております。湖南とは若干の時期のずれがあるようです。そして
同じ緑、黄緑なんですが湖北と湖南では何かが違うような・・・、まあいいか、
色も綺麗で、若葉そのもの、初々しさが・・・。 いやー、すんません、私の
出身地と言うこともありまして・・・。

     
                          野洲市内

現役時代は、おお桜か、緑が綺麗やなー、今年も春が来たかと通勤ルート
の公園の四季が日本の四季でしたが、今余裕を持って、そしてカメラを提
げて、時には車を飛ばす。またある日には登山を兼ねて自然に親しむ、
こんな今に感謝しております。 秋にはまた野原、山々が色づきます。
楽しみです。
 

    今日もご覧くださいましてありがとうございました



 

 

コメント (11)
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Kennyの城郭址歩き:星ケ崎城址

2011-05-19 18:51:47 | 城址

       街道をにらむ山城
=滋賀県の学芸員さんと歩く星ケ崎城址=

このお城、自宅からほんの10分の山に:
こんな近くに山城(山の頂きにある城)が! やっぱり滋賀県
には1300以上のお城があったんだと実感します。星ケ崎城
は大変重要なお城だったそうです。

          (この日記の掲載:5月20-5月26日) 


     道の駅「かがみの里」駐車場から見る星ケ城のある山

星ケ崎城の役目:本社と支店との関係とでも言えばいいのかな?
六角、信長、秀吉など戦国大名、大名級が支配する拠点(六角な
ら安土の観音寺城、信長は安土城、秀吉は大坂城)に属して街道
の監視の役割を果たす部類のお城・・。と言うことは支店に相当
するお城のようです支城とか番手城と言います。(支店というの
はKennyの勝手な表現です)

野洲市の隣り蒲生郡竜王町、私の自宅から車で10分、8号線沿
いの
道の駅、「竜王かがみの里」の前にある標高200mの山、
星ケ峰にその城はあります。


       駐車場から星ケ峰山頂に向かう見学者

監視の役目:城にはこんな分類があるんやそうです
城は大まかにこんな分類が出来ると主催者の学芸員さんのお話し
です。それは戦国大名級の勢力が領域を支配するための城が一
つ、もう一つの分類はその大名に属して領域に築城して主に沿線
街道を監視
する城です。

そう言えばお城はその殆んどが街道に面して築城されていますね。
今まで見て来た(このブログでも取り上げた)、多喜山城(栗
東)横山城(長浜)、小堤城山城(野洲)、三雲城(湖南)など
はす全てがそうです。「街道をにらむ」城です。



今回の見学会:
「近江の城郭 六角VS織田」、
城郭遺跡を探訪する連続講座です。
主催は滋賀県教育委員会(担当:文化財保護課城郭調査担当と
滋賀県立安土城考古博物館で今回が最終回でした。講座は先ず
県の学芸員さんの見学前の講義、そしてその後城址見学です。

表題の講座では6箇所を訪ねる企画です。今までに伊庭城址
(能登川町)、目加田城址(愛荘町)、瓶割山城遺跡(近江八
幡市)、大森城遺跡(東近江市大森町)、佐生城址
遺跡(東近
江市五個荘)、そして今回の星ケ崎城址(蒲生郡竜王町)と昨年
7月から順に見学して来ました。

滋賀県(近江)には1300以上のお城が:
これはもうよく知られたことです。都が近く、日本の東西(南北も)を結ぶ
街道の多くが近江を通過する。「近江を征するものは天下を征す」、
今回頂いたレジュメにある趣旨です。


          しっかりと残る主郭の石垣


      横長の面を持つ石を使った野面積み

今日の星ケ崎城址:
鏡山の北東、星ケ峰にあります。眼下は東山道(中山道)です。
佐々木氏の流れを汲む鏡氏の居城とされていますが詳細はよく分
からないそうです。城の主郭は20mx35mの周囲を石垣が廻
る長方形で、南面には虎口があるそうですが素人の私にはちょっ
とわからないです。石垣はしっかりと残っていますが、他の土塁
や堀切などの残存状態はよくないようです。


          星ケ崎古墳

展望はよくて安土の観音寺城、西は三上山(残念ながら三上山は樹
があり見えませんでした)、北は水茎岡山城、琵琶湖が。南は石部、
三雲へ至る街道が一望できる位置です。道の駅の駐車場から約20
分、よく整備された山道を散策して城址に辿れます。途中には星ケ
崎古墳、西光寺址、重要文化財の石灯篭や宝匡印塔(ほうきょうい
んとう)などがあります。


         正面の小高い山に水茎岡山城、琵琶湖

 
     石灯篭            宝匡印塔

こんなにもお城の多い環境が:
日本史には興味がありいずれはと思っていましたが、お城には特
に興味があった訳ではでもない私がいつの間にか城址歩きをして
おります。思いもよらぬ事でしたが、このお城のお話しをお聞き
する事によって自然と日本史を(特に私の好きな戦国時代)学ぶ
ことに繋がっていました。


      当日、準備に忙しい学芸員さん

滋賀県では城郭の研究が盛んに行われており幸いにもこのように
県の学芸員さんが私達の強い味方(先生)として導いてください
ます。

さしたる興味のなかった者にも今は何を差し置いてもお城と聞け
ば参加したいと。その上知らなかった事を知る喜びをありがたい
ことと感謝しております。「淡海の城友の会」に入会して本当
に良かったと思います。

   今日もご覧下さいましてありがとうございました

 

コメント (4)
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自前の木の芽:山椒の話

2011-05-12 18:42:34 | 我が家のお花、樹木

     今年は自前の山椒で若竹煮

  =これまではお隣りから頂いていた木の芽・山椒=

              (この日記の掲載期間:5月27-6月2日)

木の芽、山椒の芽。 毎年このシーズン若竹煮が嬉しいです。でも山椒
芽が欲しいですね。 竹の子にわかめ、そして山椒。 これは私の場合、
お袋の味そのものです。田舎の母屋の裏に大きく育った山椒の木が
ありました。毎年この季節、おやじは味噌汁にも木の芽を浮かべて食べ
ていました。   

      
            自前の山椒の芽です

ついに今年は自前で存分に
この何年かはお隣さんから頂いておりました。と言うのは長く育っていた
田舎から移植した木が枯れてしまいました。 そのうちにまた実家からと
思っていましたが、何年か経った一昨年の春お隣さんから木の枝を頂き、
挿し木をしてみました。6,7cm程の枝の一端を斜めに切って挿しておく
だけです。こんなんで本当に?と半信半疑でした。

 
 今年(2011年)5月21日、こんな立派に         昨年(2010年)の5月

まだ木は小さいですがしっかりと枝がはり結構沢山の葉っぱが
実りました。これから年を重なるに従い枝ぶりもお隣りの木の
ように立派に成長していくでしょう。 

     
      お隣りの山椒の木               今年5月21日の親の木

毎日の水やりを欠かさず
根っこがないのだからその分たっぷりと水だけは要るだろうと毎日朝晩
欠かさずに水やりをしました。 秋になって枝に針のような突起が出ている
のが見えました。これはひょっとしていけるのではと。

  
       翌年(2010年)春に芽吹きました
 
昨年の3月ころ、感動の菜っ葉です。信じられない、最近にない喜びでした。
枝を土に挿しておくだけで芽がでる、植物の生命の不思議さを実感です。
予備にと更に何本かを挿し木にしましたが、すべての挿し木に芽がで
ました。
 

       
             芽がでた予備の挿し木 

成長も早いです
もう大丈夫です。水やりも朝だけで十分。芽が出て半年後の昨年9月に
はこんなにも大きくなりました。 ところが葉っぱがいつの間にかなくなって
います。よく見ると、害虫がへばりついており葉っぱを食べていたのです。
以降割り箸でその虫取りです。

      
        2010年9月、だいぶ大きくなりました

陽光と肥料
ところで、下の写真の木は家の裏で同じ時に挿し木した木です。ところが
成長は遅く、家の表にある木(上の写真)とは相当の差があります。違いは
日当たりと肥料の差です。 植物の生育に養分、陽光の重要性を再認識
しました。


   肥料と日当たりの差は大きい(右の割り箸と比べても)

 

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

 

 

コメント (9)
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Kennyの城址歩き:近江の城郭 六角VS織田

2011-05-11 19:27:41 | 城址

            街道をにらむ山城  
  =滋賀県の学芸員さんと歩く星ケ崎城址=
 
 
         星ケ崎城のある星ケ峰(道の駅・かがみの里から)

このお城、自宅から車でほんの10分:
こんな近くに山城(山の頂きにある城)が! やっぱり滋賀県には1300
以上のお城があったんだと実感します。 星ケ崎城は大変重要なお城
だったそうです。

星ケ崎城の役目:本社と支店の関係とでも言えばいいのかな?
六角、信長、秀吉など戦国大名、大名級が支配する拠点(六角なら
安土の観音寺城、信長は安土城、秀吉は大坂城など)に属して街道
の監視の役割を果たす部類のお城。と言うことは支店に相当する城
のようです支店はKennyの勝手な表現です)。

野洲市の隣り蒲生郡竜王町、私の自宅から車で10分、8号線沿いの
道の駅、「竜王かがみの里」の前にある標高200mの山、星ケ峰に
この城はあります。

   
         学芸員さんの案内で城址に向かう参加者

監視の役割?:城にはこんな分類があるんやそうです
城は大まかにこんな分類が出来ると、主催者の学芸員さんのお話しです。
それは、戦国大名級の勢力が領域を支配する為の城。もう一つの分類
がその大名に属して領域に築城して主に沿線街道の監視をする城です。

そう言えば、近江のお城は多くが街道の近辺にありますね。今まで見て
来た(このブログでも取り上げた)、多喜山城(栗東)、横山城(長浜)、小
堤城山城(野洲)、三雲城(湖南)などは全部そうです。 「街道をにらむ
城です。写真を教えていただいている先生から、多喜山城址を紹介い
ただいた時に、先生がこのにらむと言う言葉を使われました。こう
いう意味を表していたんだとそれが今回の見学会で得たおきな収穫です。

  
                星ケ崎城址

 滋賀県(近江)には1300以上のお城が:
これはもうよく知られたことです。都が近く、日本の東西を結ぶ街道の
多くが近江を通過する。「近江を征する
ものは天下を征す」、今回頂い
たレジュメにある解説の趣旨です。


今日の見学会:
「近江の城郭 六角VS織田」、城郭遺跡を探訪する連続講座です。
主催は
滋賀県教育委員会(担当:文化財保護課城郭調査担当)と滋賀
県立安土城考古博物館で、今回が最終回でした。いつも滋賀県の学芸
員さんの見学前の講義、そしてその後の城、城址見学です。

表題の講座では六箇所を訪ねる企画で、今までに
伊庭城跡(能登川町)、
目加田城跡(愛荘町)、
瓶割山城遺跡(近江八幡市)、大森城遺跡(東近
江市大森町)、佐生城遺跡(東近江市五個荘)、そして今回の星ヶ崎城跡
(蒲生郡竜王町)を昨年の7月から順に見学してきました。

  
           主郭部のいい状態で残る石垣

今日の星ケ崎城址:
鏡山の北東、星ケ峰にあります。眼下は東山道(中山道)です。佐々木氏
の流れ(の表現でいいのかな?)を汲む鏡氏の居城とされていますが詳細
はよく分からないそうです。城の主郭は20mX35mの周囲を石垣が廻る
長方形で、南面には虎口があるそうですが素人にはちょっと分からない
です。石垣はしっかりと残っていますが、他は残りは良くはないです。

   
            横長の面を持つ石を使った野面積み

展望はよく、安土の観音寺城、西は三上山、北は水茎岡山城、琵琶湖
が。南は石部、三雲へ至る街道が一望できる場所です(ただし特に樹木
に葉っぱが茂る頃にはその全ては見えませんが)。道の駅の駐車場か
ら約20分でよく整備された山道を散策して城址に辿れます。途中には
星ケ崎古墳、西光寺址、重要文化財の石灯籠や宝筐印塔(宝篋印塔:
ほうきょういんとう)
などがあります。

 
       宝筐印塔
                     石灯籠  

   
                 星ケ崎古墳

余談ながら:
この星ケ崎城と水茎岡山城(琵琶湖沿い)を直線で結ぶと、北が近江八幡、
南が野洲の境界です。現地で学芸員さんから、境界から見て北側と南側で
田んぼの並び方が違うでしょうと! 確かに田んぼの向いている方向が
違います。 なにか歴史的な背景があるようです。

 

 
       城址から水茎岡山城のある山(正面)、琵琶湖方向

 こんなにもお城の多い環境が:
日本史には興味がありいづれはと思っていましたが、お城には特に
興味があった訳でもない私がいつの間にか城跡歩きをしております。

思いもよらぬことでしたが、この城址のお話しをお聞きすることによって
自然と日本史(特に私の好きな戦国時代)を学ことに繋がっていました。
滋賀県では城郭の研究が盛んに行われており、幸いにもこのように県
の学芸員さんが私たちの強い味方として導いてくださいます。

    
        当日の講座を準備される学芸員さん


さして興味のなかった者にも今は何はさて置いても参加したい、その上
知らなか
った事を知る喜びを覚えます。ありがたいことと感謝しております。 

「淡海の城友の会」に入会して本当によかったと思います。

    今日もご覧下さいましてありがとうございました。


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