趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyのぶらりカメラを提げて:湖北の初夏 余呉湖周辺をあるく

2015-06-28 19:58:59 | ぶらりカメラを提げて

                               湖北の初夏 
                           余呉湖周辺を歩く
             
 この日記の掲載期間:7月10日~7月16日) 


                     賤ヶ岳山頂より余呉湖を望む     (秋の撮影)


                                        飛び立つさぎ

JR余呉駅下車、先ずは田んぼ道を進んで余呉湖に向います。 さぎが
長い首を上げてこちらを伺っています。少し近づいてカメラを向けると湖
に向って飛び立っていきました。






                                 ひえ(稗)取りでしょう

この隣村の農家生まれ育ちの私にはわかるんです。このひえは田の養分
をしっかり吸収しますんで、稲作の邪魔。このような地味な作業が欠かせ
ません。でもこれは当時おふくろの仕事でした。



ひえは日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米の増産
に成功した事で消費と栽培が廃れた。(ウィキペディアより)



                                    JR余呉駅前の民家

朝9時ころです。 大きなお家です。家の裏がすぐ田んぼ。屋根瓦に朝日
が当たり、作品としてどうかな・・と。



                                       田園の典型的な風景

苗の曲線、水面に写る山。 遠くに、やはり光を受ける屋根と、作品気取り
で撮って見ましたが・・・。





上下の写真で車、自転車が通っているのは余呉湖一周の道路です。





駅、余呉湖周辺から離れて集落に入ります



JR北陸本線の沿線です。サンダーバードしらさぎなんぞの特急列車
が通過して行きます





                道路の中心に線が走っています。 融雪装置です

この道路は国道365号線、北国街道です。 集落を走っており越前に通
じています。


           余呉湖  (賤ヶ岳の麓、元国民宿舎、余呉湖荘前から:秋の撮影)


余呉町: 四季が美しい、歴史、伝説なんでもあり

余呉の四季
現在は滋賀県長浜市余呉町です。 元は伊香郡でして私達にはこの方が
ピンときます。それは冬の厳しさです。今では少なくなったとは云え、豪雪
とはいわないまでも雪の多いところです。冬季、余呉湖のわかさぎ釣り
有名です。 そして初夏、秋の紅葉もまた格別です。

      
                                            余呉湖漁業協同組合HPより                             

賎ケ岳の合戦
この地は戦国時代の舞台でした。賎ケ岳の合戦で秀吉と勝家が対峙、
戦った激戦地です。周辺には砦が多く残っています。中でも大岩山砦
が有名で、中川清秀が佐久間盛政の奇襲に無念の最後を迎えます。

その知らせに思いもよらぬ速さで美濃から返した(美濃大返し:13里、
約52km の道のりを5時間で)秀吉に盛政は大敗、勝家の
敗北に繫
がります。 その地が今回歩いた余呉町です。


                          中川清秀の墓  大岩山(砦)

余呉の羽衣伝説
余呉の天女伝説は日本最古の羽衣伝説の一つ。天女の像が湖の近くに
建てられています。 ここ余呉湖の伝説、静岡県静岡市清水区の三保の
松原に残る伝説、京都府京丹後市峰山町に伝わる伝説など、天女の羽
衣伝説は日本各地に残っています。



                             余呉湖畔に建てられた天女の像


 私の過去のブログ  余呉の冬
               賤ヶ岳の合戦:勝家玄蕃尾城
                羽衣伝説

 
        今日もご覧くださいましてありがとうございました








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Kennyの歴史探訪:玄宮楽々園 「御書院」

2015-06-26 16:34:25 | 郷土史

  玄宮楽々園の御書院、特別公開
           普段は非公開、このチャンスに
                     彦根藩下屋敷

                            Kennyの滋賀から情報発信
                           (この日記の掲載期間:7月3日から7月9日)


                   毎日新聞の記事で特別公開を知りました (6月19日朝刊)

この特別公開は6月28日で終了しています。9日間の公開でした。

 
                                御書院の玄関部分


                            庭園の方から見た御書院

楽々園の「御書院」とは?
楽々園は彦根城天守の北側にあり、4代井伊直興により延宝5年(1677)
から2年を要して造営された彦根藩の下屋敷です。11代直中の隠居に
際して大規模な増改築が行われ、全盛期を迎えたがその後は縮小傾向
に転じ現在に至っています。この下屋敷には玄宮園(庭園部分)楽々園
(建物部分)
が建立されました。 ( )内は現在の呼び分けだそうです

その建物は「御書院、地震の間、楽々の間」などで構成されており、
「楽々園」と呼ばれるようになるのは明治時代以降のことで、江戸時
代には「槻御殿、黒門外御屋敷」などと呼ばれていました。
(彦根市のHPから抜粋引用。表現を一部変えています)


                       上  御上段     下 上之御間


                                御書院内部

当日持参のカメラでは広範囲が写りません。下に拝借の写真を掲げました。
御書院内部の様子をご覧ください。 m(_ _)m

    
            彦根市HPから拝借      読売新聞の記事から拝借

 
      現地で入手の解説書にある写真  当日はこのように襖は全開していなかった







槻御殿(けやきごてん)とも呼ばれ、総欅(けやき)造の屋敷です。 
木造平屋
194平方メートルで、床が一段高い御上段上之御間、御次乃間、御
小座敷
の4室があります。上下の身分差を厳然としています。

大老 井伊直弼は、1815年(文化12年)この屋敷で生まれ17歳まで過ご
しました。


  

襖障子には松に鶴亀が描かれており、襖や貼り付け壁は全て金箔貼り
となっています。他に屋根は杮葺とか天井は、など他のお話もあります
が今日は省略です m(_ _)m


           


                          御上段  「菊蝶燕図」と云うのやそうです


                                        御上段



                                        庭 枯山水

これらは戦国時代のいわゆる合戦がなくなって久しいこの時代の文化遺
産です。井伊藩(家)では
玄宮園は藩の仕事、接客用として、楽々園は生
活の場として利用さ
れたと、当日の解説員さんのお話でした。

    
                                 玄宮園

     
                                      能装束 (博物館)

    
                    JR駅前通りを進むと彦根城が目に入ります

あとがきに変えて: こんな思いをもって・・・

玄宮園、博物館なども見学してその豪華さ、絢爛さに往時を偲んでおり
ました。

明治4年(1871)廃藩置県時点では23万石、その井伊家の今に残る
文化遺産です
。それらは日本の文化創造、発展に大きな役割をはたし
たことには間違いないですね。

その源泉は、石高、主にお百姓さんかぁ~・・。

一方、治水や耕地開発などで大名は領地の発展に力を注ぎました。一
例として、近江の北部を治めた浅井氏は餅の井落としで民の水問題を
解消した
名君で、以前に現地の見学もしています。

                 湖北の 餅の井落とし: 私の過去のブログは、
                         ここを


参考:感謝します
彦根市のHP
現地で入手のリーフレット
読売新聞
非常に詳しい解説のブログにヒットしました。紹介します
         
TRAVEL JP

なお、御書院内、博物館内の写真撮影はそれぞれに許可を得ています

          今日もご覧くださいましてありがとうございました



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4J、の自転車で行く:お地蔵さん巡りーその3

2015-06-18 12:36:37 | 5爺:野洲市内の地蔵巡り

 

       野洲市内のお地蔵さん巡り
       市内の路傍や街角にあるお地蔵さん
    4人の爺さん (4Ji)、
自転車を漕いで
                      第三回目 6ヶ所のお地蔵さん              

                Kennyの滋賀から情報発信   
                    (この日記の掲載期間:6月26日~7月2日)
 

       4Jiさん、いつもの集合場所です。(私達の団地内) 背後は三上山

モニュメントに描かれているのは平清盛の寵愛を受けた白拍子の妓王
(ぎおう)・妓女(ぎじょ)と妓王寺です。姉妹は当地、現在の野洲市出身
と言われています。

4Ji(4人の爺さん)の地蔵さん巡り日記です
同じ団地に住んでもう40年の爺さん4人仲間の自転車で行お地蔵さん
参り
日記です。自転車を漕いで、今日も運動を兼ねて地蔵めぐりをして
きました。 (昨年も一度取りあげています。今回はその3回目のUPです)


  
         近江富士第四(区)    地蔵さんには綺麗なお花が

三上山を望む新興住宅、近江富士団地の第四(区)という区域の自治
会館の一角にそのお地蔵さんはありました。 探すこと30分・・・

今回はリストにある地蔵さんの場所がなかなか見つからない!
地蔵さん探しに大変な時間を取られました。お聞きするも、「さてねー、
とか、越してきて日が浅いので・・・」と、途方に暮れることがしばしば
でした。新興住宅街では典型的な現象を感じます。

その点、さすがは地元のおばーちゃん


                   今回もお会いしました! 地元のおばーちゃん

一方、地元(元々の集落といいますか)の方は問題ありません。 「おばー
ちゃん、またお会いしましたな!」とお声を掛けると、「ああ、そうやったね、
覚えていてくれてありがとう。今日もな、友達に会いに行くんや、沢山友達
を作って、お話して楽しんでます」と。 前回は、はいはい、どこそこですと、
お蔭で一発で行きあてました。我々暇族にとっては参考にしたい前向きな
先輩おばーさんです。(なおこの4人は結構友人が多くそれぞれの毎日を楽しんでい
る方だと思います、仲間3人のやる気に敬意を表して・・)

   
                 近江富士第五(区)        公園の端、民家に沿って

今度は探すこと、20分・・・、辿り着いたお地蔵さん傍の民家のお母ー
さん、「本当に有難いお地蔵さまですよ」と。


  
                  南桜 報因寺

           
                          木造立像で本堂の中にあり外からお参りしました


  
                            北桜 県道沿い

            
                                          三上山の東側、麓近くです


                             昼食は三上山を目の前に臨む公園で

       

                      多聞寺 木造立像で、本堂の外から手を合わせてきました
                                   三上山(東側)の麓にあります


       
                                       辻町  子安地蔵堂

       

       


道中、リストにはない沢山のお地蔵さんが安置されています
なんとそれらのお地蔵さんは道端、あぜ道、お寺の一角、公園などなど、

屋根つきもあれば、雨ざらしも。 それも日頃私も自転車や車でよく通っ
ている所なんです。


                          元々の集落の小川縁に


                                 新興住宅街に


                               新興住宅街の一角に


                        田園の中に新しく設置された道路脇に

これらのお地蔵さんは土地開発やほ場整備の工事の途中で発掘され、そ
の場に安置された場合が多い、と今までのお参りで知りました。野洲市内
しか知りませんが、この地は本当にお地蔵さま信仰の厚いところで、私達
もお参りしたすべてのお地蔵さんにしっかりと手を合わせてきました。


 
                               JR線路際の道路傍に


道中、風景を楽しみながら自転車を漕ぎます


                            野洲川堤防から三上山を

その日、私達の団地から最初の訪問地、近江富士団地に向かいます。
近道の野洲川堤防を走りました。山をよく見てくださいね、同じような形
の二つの山が重なっています。向こうが三上山の雄山、手前が雌山で
す。ちょうど田植が終わった頃でした。

         今日もご覧下さいましてありがとうございました

                         *********

補足として、

4Jiが見てきた地蔵さん:「地蔵ー仏教美術と信仰」
野洲市歴史民俗博物館発行の中に、野洲町地蔵信仰というペー
ジがあり、その一覧表「地蔵ー仏教美術と信仰」に64か所のお地蔵
さんがリストアップされています。その内、前回までの二回で28箇所
を訪ねていますが、今日は第三回目、6箇所を回りました。

 

お地蔵さんとは?
仏堂に安置されるより各地の寺院境内、村の入り口、峠、あぜ道、
四辻、墓地の入り口や墓地内などの野外に安置され、堂内安置よ
り野山、路傍に多い。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通
安全の神として信仰されている。 これは地蔵信仰、庶民信仰の表
れだろう、と。

   私のブログ:過去二回のお地蔵さんめぐり、

           第一回 地蔵さんめぐり 

         第二回 地蔵さんめぐり

 


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Kennyの歴史探訪:列車壕 滋賀県米原市

2015-06-15 14:06:03 | 戦争遺跡

                   戦争遺跡を歩く 
      岩脇山「列車壕」滋賀県米原市
          地元の皆様が保存管理
          Kennyの滋賀から情報発信
            (この日記の掲載期間:6月19日から6月25日)

岩脇(いおぎ)列車豪 
過日、一人で洞穴の外から見てきました。内部に入るには事前の許可、
連絡
が必要だと伺っています。

 
            岩脇山を貫通している洞穴の一本  向こう側入口まで130mとか


                                    洞穴入口の看板


                           洞穴の内部と向こう側の入口が見えています

戦後はゴミ捨て場として長く放置されていましたが、地元岩脇まちづくり
委員会の皆様が戦争の悲劇を風化させないためにと整備保存に努めら
れ現在に至ります。



岩脇列車壕とは?
列車壕は、太平洋戦争末期に米原駅の蒸気機関車を空襲から守るため
に掘られたものです。米原駅(滋賀県)は、北陸線と東海道線の分岐駅
であり戦時中は兵士、武器、弾薬を輸送する重要拠点でした。
米原市の
岩脇山には2つの未完成の列車壕があり今は見学することが出来ます。



                    手前に一本と奥に見える金網フェンスの所にもう一本


                                     もう一本の その入口


         入口から少し入ったところより撮影      こちらの壕は掘削半ばで終戦に

戦時中の物資不足の中、火薬・スコップ・ツルハシ・トロッコを用い、まさ
に人海戦術で掘られました。


蒸気機関車(避難)壕は2本計画され、1号壕は130mで貫通。2号壕
は山の両面から各52mまで掘り進められましたが、ここで終戦を迎え
ます。 つまり2本とも一度も使われることはありませんでした。



                            上と同じ位置から入口を撮っています


ここを見学しょうと思ったきっかけ、
”戦争遺跡を発掘(見つけて)保存しよう”

約二年前に滋賀県平和祈念館が主催され、県戦争遺跡研究会会員 滋賀
県立大、中井 均教授のご案内で大津市の三井寺、皇子山周辺を歩いた
ことが
あります。 その時、ぜひ今日の話題、岩脇列車豪の見学をと勧めら
れました。戦後遺跡にも目を向け、大事に保存していくべきだと先生方は
動いておられます。  古代、中世、近代の遺跡だけではなくて、現代の遺跡
にも。以後、歩く楽しみが増えました。



                  岩脇公民館前にある案内板  赤いマークは私の記入

列車壕の一方の入口はこの公民館から歩いて2,3分の場所にあります。
私はその公民館側から見学しましたが、現在のJR東海道の線路側(公
館とは反対側)
からも見学できるのではと思います。


                               案内板の壕の部分の拡大図

        
                    現地の詳細な解説              上の写真をクリックして
                                                                               拡大してご覧ください 


                                   車移動での案内図

彦根市から見て国道8号線と21号線の分岐、「西円寺」信号を8号線に
取りJR線を越えてすぐを側道に降りてください。さらに左折して8号線を
くぐり抜け(高架下)、200m位か、岩脇公民館に駐車 (短時間なので無断で
すが止めさせていただきました)





                                  岩脇バス停からみた岩脇山


                                           岩脇公民館


ご参考:
2013年に戦争遺跡を見学、その時の記録です
この時は皇子山、三井寺周辺を中井先生のご案内で歩きました。


                   出発前に趣旨、行動予定をお話になる中井均教授


以下、主な見学場所の写真です

 
              若鷹の碑                                紀念碑 (西南戦争の戦没者)       

 
       日露戦争出征紀念 (百体観音堂)             弾薬庫跡

  当時の私のブログ:    中井均先生のご案内で戦争遺跡をめぐる 
                                       2013年7月にUP


まだ見ていない・・・、いづれは訪ねたい

   
              八日市掩体壕 (えんたいごう) (京都新聞から拝借)


       今日もご覧くださいましてありがとうございました


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