三筋の町、水口町 (滋賀県甲賀市)
東国から近江への押えの拠点、水口岡山城
その城下にある防衛上の三本の通りを見てきました
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:9月12日~9月18日)
先ずは下の写真をご覧ください:三本の縦筋
水口城資料館で入手のパンフレットの表紙写真借用 (赤いマークは私の記載)
この写真を入手出来ただけで満足です
いつの日か航空写真で、このように町の中に意図的に築いた三本の
道の実像を見てみたいと思っていました。 これで実感が沸いてき
ました。
また、この道だけをじっくりと歩いてみたいとも・・。 実行です。
水口城歴史資料館に展示の資料を撮影拝借 (赤いマークは私の記載)
三筋の道路脇に、今は何も残っていないけれど・・・
もう430年も前のこと、当時の遺跡は三本の道の脇に見当たりません。
関が原の合戦後の江戸時代以後のものでしょうか、問屋場跡、呉服町、
漆師屋町などがあったところに石柱の標識が立っています。今日目にし
た土蔵、塩問屋は江戸時代からの流れだそうです。一軒のお菓子匠が
旧東海道沿いにありました。 お聞きすると創業は江戸時代に遡ると。
同上 (赤いマークはこの資料の無断使用を邪魔する為に敢えて入れました)
お願い:当資料館で、個人の趣味での使用を条件に撮影をさせて頂きました。
この資料の無断使用はご遠慮くださいね。たのんます m(- -)m
しっかりと残っている三筋の道!!
水口岡山城跡も近年の発掘調査が話題になっています。本丸は総石
垣で城郭は滋賀県でも最大級。 という事は日本でも最大級でよすね。
三筋の道とは?
その城への進入を防ぐ迷路的役割を果たした三筋の道はしっかりと
残っており、近江と鈴鹿峠を隔てた美濃他、東の国との軍事的要塞
として位置づけた当時の豊臣政権の思いに耽るには十分過ぎる歴史
探索でした。 戦国時代当時の様子を私達はこの水口町が残してくれ
た遺産から容易にうかがい知ることが出来ます。
では今日の目的、三筋をそれぞれ辿ってみます
この三筋の道の間隔はそれぞれわずか30mから50m位なんですね。
この場所は上の絵図の三筋に分かれる「左端の位置:西側」 真ん中の道が旧東海道
その手前 上の絵図で旧東海道の左(西側)から見た 「三筋の道」入口部
(私は旧東海道に立っています)
最初は向かって左の道から
写真上部に水口岡山城の大岡山が見えます
曳山が納められた建物(山蔵) 古の町名、祠なども
途中、左に大岡山が見えます 麓に大岡寺が
真ん中の道(旧東海道):ここでUの字に左の道へ進みます
高札場跡 左の道が旧東海道
やがてこの場所に出ます。江戸時代、幕府や領主が発布する法令を領民、
旅人に告示する場所。 今度は旧東海道(左の道)を進みます。
旧東海道は途中、左右(絵図の右・東側から見て)の道に分岐
ここでまた道は分かれます。 旧東海道はここを右側の道に進みます
旧東海道
旧東海道に江戸時代操業のお菓子匠が
そのお菓子屋さんの前
向かって右側の道:ここでまたU字に折れて
ここは絵図の左(西側)です 以下はここから一番右の道を歩きます
江戸時代からの塩元売り卸とか 土蔵
この道筋にこのような建物がありました。 前におられたおじさんと暫し
会話です。 下の写真の祠も各町にあり、その数は50ほどのことです。
町内にはおおよそ50のお祠があるそうです 愛宕の火の神様をお祭りしています
三筋の道を東(絵図の右)に抜けて再び旧東海道へ
旧東海道(上に掲げた絵図の一番右端の一本道)の古い町並み
旧東海道にレストランがあります その一本道の古い町並の旧家を使って
ちょっと寄り道、情報
大岡寺
三筋の絵図の左(西側)から見て一番左の通り中央すぐのところにあります。
(拡大します)
(拡大します)
この建物の中に曳山が納められています
水口岡山城について
天正13年(1585)羽柴秀吉によって大岡山に、上述の理由(要塞)として
築かれ、関が原の合戦で東軍(家康)に滅ぼされてこの城は廃城となり
ます。
水口城について
他にもこの水口町には水口城がありますが、この城は徳川将軍上洛時
の宿舎(御殿)としての目的で、三代将軍家光が使った他には殆ど利用
されずに、しかし幕府は江戸末期まで維持管理していたそうです。
水口岡山城、水口城、水口宿に関する概要の過去の私ブログは ここを
今日もご覧下さいましてありがとうございました
水口の三筋の道をじっくり歩かれたのですね。
私も「三筋の道」とか「紡錘形」とか、耳で聞いても何のことか意味が分からなかったのですが、今年の春に水口の町を歩いて、初めてその意味が分かりました。
まさに百聞は一見にしかず・・です。
でも、こんなにじっくりは見ていません。
kennyさんの記事を読んで、改めて町並みをじっくり見させて頂きました。
行かずして歩いてきたような気分です。また一方ではぜひ
私も訪れてみたいと思いました。
江戸時代以降の面影しかなくとも今はやりの想像の翼を
ひろげてそれより前の時代も含めイメージを膨らませたいと
思いました。
また滋賀県の各地の町をご紹介ください。楽しみにしています。
今日もコメントを下さっためりいさん(いつもコメントを下さっています)は、八幡遊人さんや私と同じ淡海の城友の会のメンバーさんです。彼女のブログを是非ご訪問ください。 本当に遠くまで足を運ばれて日記に認めておられます。 私の大事な歴史書です。 URLは: http://oumiji.jugem.jp/?eid=300
いつもコメントありがとうございます。
めりいさんは以前にKennyさんから紹介いただきブログを
時々訪問させていただいてます。
先ほどうかがいましたら、伏見城のことが書かれていました。
外国人の観光地訪問No1の記事をたしかに少し前に読んだ
記憶があります。さすがにめりいさんも上手に書かれていますね。
これからも皆様のブログをのぞかせていただきます。
よろしくお願いします。
八幡遊人に私のブログを紹介していただいて、ありがとうございます。
私も八幡遊人のブログを訪問したいとおもいますので、URLを教えていただけますか?
それにしても、kennyさんは早起きですね。
わたしは夜型人間で、いつも夜遅くパソコンを開けています。