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Kennyのカメラを提げて故郷へ:集福寺集落と賤ヶ岳の合戦

2018-09-14 15:04:36 | 郷土史

                                       集福寺
                          お寺の名前ではありません
                      滋賀県北部にある小さな集落です
           8月半ば、稲は実り、ミンミンゼミが元気に鳴いていました


                  のどかな 集福寺 集落です

滋賀県北部の集落、集福寺
琵琶湖の北端から国道8号線を福井県敦賀市に向かい北上し、JR
近江塩津しおつを過ぎて最初の集落が今日の話題の集福寺です。
本当に長閑、新鮮な空気、自然が一杯残る雰囲気、いいですな~


セミが賑やかに、小川のせせらぎ、稲穂が。また小さな集落にも必ずと言
っていいほど村の鎮守様
があります。この集落のお宮
下塩津神社(しも
しおつじんじゃ
です。

  
     この神社、延喜式にもありちょっと取り上げてみました                    拡大できます
                                                              
 (クリックしてください)


           集福寺、行市山の所在地      (Yahoo 地図から引用)

ところでまたどうしてこの集落を?、目的は?
実はこの小さな集落、集福寺を今から430年前に柴田勝家の軍勢
隊をなして、背後の行市山からそれも夜半に通り過ぎていったのです
            
それは
 賤ヶ岳の合戦 です。
                   (↑ クリックしてください)


                    柴田勝家の武将、佐久間盛政の軍が行市山からこの集福寺を通りました
                           (賤ケ岳山頂にある案内板から)


知る人ぞ知る集福寺。 しかし「賤ヶ岳の合戦」が話題になって
もこの集落の、このお話はまず出てはきません。そこでちょっと
立ち寄って来ましたので紹介したい、が郷土史に興味のある爺
さん
の意図です。 実は、旧伊香郡西浅井町(現長浜市)は私の
故郷なんです。夏の故郷を味わいに帰省の途中 訪ねてきました。



                                佐久間盛政の陣地、行市山  集福寺集落から


もっとも、今それを伺い知るものがこの集落に残っている訳では
ありません。そこに立って見て、思いを馳せる、ロマンですな~。


集福寺をビデオに収めてきました (1分)

                          

当時を語る合戦の舞台に今ある案内板から

            
                            (大岩山に設置の案内板から)


                     行市山 佐久間盛政の砦   (撮影:2006年4月)


                  佐久間盛政の 大岩山(中川清秀)奇襲のルート
                             (同、案内板から)



(備忘録) ところで集福
この集福寺と言う名称、この集落には多くのお寺が存在していたと聞い
たことがあります。 

そしてここからは私の邪推ですが、名残なのか、この集落には何々坊
いう幾つかの山の
名前
が今も残っており、宿坊だったのか。 その谷からは何体もの地蔵さんが出てきます。

坊を調べてみると
、大寺院に属する小院、僧侶の住居(宿坊ですね)とあります。 と言うこと
は、その谷にはお寺があった。 最近ではあるが、利用した宿坊は真言宗、金剛峰寺(高野
山)の末寺で、宿坊であり
お寺でした。 

        今日もご覧くださいましてありがとうございました
                     
(9月15日、18 UP)

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