相場旗振山、後編
ひとつ前の、そして次の山も歩く
(野洲の旗振山の前後)
この機会に3つの山を見てみたい
安養寺山ー旗振り山ー岩戸山(十三仏)
(栗東市) (野洲市) (近江八幡市)
本当に3つの山は互いに見えるの?
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:7月1日~7月7日)
今回歩いてきた三つの山容と山の位置
旗振山 (283.3m 野洲市)
安養寺山 (234m 栗東市)
岩戸山 (325m 近江八幡市)
さー、いよいよ興味深々
旗振山 (野洲市)から他の二つの山が見えるかな?
見えて当然なんです、とうぜんなんでしょうが、ちょっとこの目で
見てみたくって・・。
安養寺山 は、しっかりと見えました!
左の三上山の裾野の右に安養寺山が、今もなんの障害物もなく
岩戸山 この山も!
上の写真の反対側(背)に岩戸山が、これも何の障害物もなく見えます
こんなに離れています、二つの山
野洲市の 旗振山 と 近江八幡市の 旗振山(遠くに霞んでいる山です)
これだけ離れています
次に、一つ手前の安養寺山(栗東市)から旗振山(野洲市)を
実はこの山の、旗を振ったであろう山頂は樹木に覆われて周囲は見えませんでした
(樹木で見えない、これは仕方がないですね)
この写真は山頂への途中、林道からみた野洲市の旗振山です
そしてもう一つの山、岩戸山(近江八幡市)から旗振山を
この山の頂きからもしっかりと見えました
その上こんなことが・・・
山頂の岩に野洲市の旗振山方角を示す矢印が
確かに、その方向に旗振山が見えました(赤↑のところ)
ビデオ映像:岩戸山から他の3か所の旗振り山を望む
この上をクリックしてください
3つの山頂は以外と狭いですね
野洲市 旗振山
旗竿固定の穴
ビデオ映像:旗振り山から安養寺山・岩戸山を望む
この上をクリックしてください
栗東市 安養寺山
工事中でもありちょっと難儀な登山道 山頂に展望はありません
左に見える石段を上がると近道(これがルート?)です
近江八幡市 岩戸山
十三仏への登山道と同じ道。延と続く石段。夥しい数の石仏
山の名称: 野洲市のはたふりやまはここでは旗振り山(旗振山)
を使いました。地元の散策ルート図では相場振り山が使
われています。 私の使い分けに特に意味はありません。
私のブログ: 相場振り山、第一回目はここをご覧ください
この上をクリックしてください
以下備忘録:
内容は全て 柴田昭彦氏 「旗振り山」 からです。
望遠鏡: 山は見えるが旗は見えない
そこで、望遠鏡を用いて通信が出来る距離にこの旗を振る拠点
を築いたそうです。その距離、おおよそ6里(24km)、7里以上
先に設置した例は極くまれとか。
通信の所要時間
堂島から和歌山へは3分、13峠を経由。 京都へ4分、大津ま
で5分でした。
相場通信の道具
昼は旗、夜は松明。 また提灯なんかも使われたそうです。旗は
晴れや曇天、背面の障害物による明暗で旗の大きさや色を使
い分けます。大旗で一畳から一畳半。 小旗で半畳から一畳位
でした。
旗の振り方
情報を盗まれないような工夫があり複雑だが基本は上下左右
回数。さらに台付と称してあらかじめ決めた減算はその工夫。
雨や霧の日は
晴れるのを待つか米飛脚に頼ったそうです。 明治の後期には
電報が出てきます。
旗振りはいつから
挙手信号の始まった江戸時代、1706年より後と考えられると
のことで、以後電話の普及により大正7年には旗振り通信は
完全に消滅と、書籍 「旗振り山」 柴田昭彦氏、のお話です。
お断り: 柴田昭彦氏の書籍を参考に私の言葉で備忘録とさせて
頂きましたが、 私の勘違いなどで氏の解説内容から反
れているところがあるかもしれませんがどうか素人のブ
ログとお許しください。 日頃の疑問、知りたかった野洲
市の旗振り山に関して、当書籍にめぐり合え、柴田昭彦
氏に感謝します。
・・・・・・・・・・・・
今日の三上山から: この山に咲くお花
ジガバチソウ 花弁(?)を拡大
下山してきた三上山仲間のTSMさんと今朝(7月1日)、
登山口で花談義。「見たいなー、ブログに載せなよ」と。
私がお花を語る。これもこの山の友のお蔭。敬語の要ら
ない、最も親しく、最も回数多く会っている友人のお一人
です。
今日もご覧下さいましてありがとうございました