趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの遊び仲間:山友編

2016-05-27 16:05:32 | 登山・ハイキング

       仲間とちょっと一息
            ありがたいな~、友って
           友の別荘で涼風を、小鳥の囀り、そして一杯
              (この日記の掲載期間:6月3日~6月9日)

 

ある日携帯に
📲 ごんちゃんの別荘で一杯やらへんか~、と京都の友から電話が入る。

趣味を共有する仲間、お互い断るはずもなく、予定を変更してでも友は今
日も京都
から私の住む野洲に集合。はい、私だけが滋賀県人なもんで北
へ向う時のお定まりのルートで、我が家で車一台にまとめて出発です。

         
                                      広々とした高原の一角

自然に遊んで貰って
雪国生まれの私、暇になったらスキーでも、から登山、とぶらついており
ましたら友
に恵まれましてね。 そうするとこんな友も。それは都会を離れ
て自然と親しむとこ
ろが欲しいと正に自然豊かな地に家を建ててしまった
方がおられます。つまり別荘です。

お一人は福井
県に釣りの拠点として。そこは釣り以外にスキー場にも近
くて何度も誘って貰っています。



                              ごんちゃん別荘 薪ストーブもいいな~


そして今回は
週末にやって来てかな、滋賀県で畑を耕し、また登山仲間のたまり場とし
ても提供さ
れている年齢的にも大先輩のまさに好々爺さんの別荘です。

こんな世界もあるもんでして、ちょっとお話したくなりました・・・・ m(_ _)m


                               ごんちゃんの歴史

一泊二日、お世話になりました、山小屋風別荘で
場所は滋賀県、湖西の北部です。161号線を山に向かって県道を進みます。
標高も若干
高くなってきます。林道を抜けると広い空間に出ます。コンビニも、
ガソリン
スタンドも何にもなく、自分達の車のエンジン音以外には鳥のさえず
りだけです。


                                      この別荘の歴史


愉快な仲間
ところが今日は持ち主のごんちゃんがいません。ええの? に、そんなん
しょっちゅう
やそうです。 それほど長いお付き合いの皆さんなんです。
後でごんちゃんにお礼の電話を入れたら、すまん、すまん、急用でと。近
々再企画ということに


これまでにも何度かここで一杯やっていますが、私は仲間内では新入り
なのと、所属の山の集まりが異なるのでそれほど事情
が分かっていませ
んが、ここはそんな愉快な仲間の集まる素晴らしい空間


 
     仲間が集まって基礎工事                         朝飯を終えて暫し歓談(今回)
     
なんと山仲間が集まっての手製の家
もう20年ももっと前なんだそうです。ここに家を建てると聞いた仲間が集ま
り基礎から完成まで、殆どなんでしょうね、自分達でやってのけたそうです。

これだけ集まれば中には大工さんや電気工事屋さん他、手腕を発揮され
る方もおられたのでしょう。お見事ですし、永住にも十分です。なんと云って
も露天風呂がいいですね。なお今回は春先、まだ覆いが被っており整備の
必要上、省略でした。



                                 当別荘に仲間が集まって     絵画の達人も 

ちなみに、ごんちゃんは全国の巨木を見るのもご趣味やそうで、仲間のお
一人
がこの絵を贈られたのではと思います。


               行ってきたぞー、と聞こえそうな写真がすらり、山好きの持ち寄りです

                 ごんちゃん、いつもありがとう!


                                        ********
 
                                   今日(6月8日)の三上山

  
                           ジガバチソウ が咲いていました
といっても、私、お花はまるでダメなんです。今日、三上山仲間のUさん、Rさん(山ガール)
がそこへ連れて行ってくれ教えてくれました。またトンボソウなんかもこれから咲くそうです。


            
         梅雨に入りました。 遠望も霞んでいます。登山道に蚊が出始めました
              香取せんこうを持ち運んでいます(笑)  6月7日


          今日もご覧くださいましてありがとうございました。




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Kennyの郷土探訪:信長の家臣たち

2016-05-25 05:19:11 | 郷土史

     こんな古文書が保存されていた!
                   そうか
430年以上も前のこと、でも実際にあった事なんや
          滋賀県野洲市安治(あわじ)
                         Kennyの滋賀から情報発信
                          (この日記の掲載期間:5月27日~6月2日)

「信長の家臣たち」の特別展、講座に参加して
6月5日まで滋賀県立安土城考古博物館で
この特別展が開催されています。
               詳細は主催者のHPを:春季特別展:信長の家臣たち
                              ここをクリックしてください ↑


                      私の今日のブログの舞台、 滋賀県野洲市安治の田園風景

        
                            野洲市は親切な市、各集落に名称が (全国どこでも同じ?)

どうして400年以上も前のことが分かるの?
信長が室町時代に、どうしたこうした、と実しやかに語られているけど・・・、私、
どうしても素直に受け入れられないんです(笑)


すんませんね~、そんな400年も500年も昔のことが2,3年前に起った事件
のように語られていますね、(学者さん、ごめんね)でもほんまかいな~と、どうして
もすんなり入って行けない、私、Kenny爺です。 もっとも、例えば信長公記
んて超一級の手がかりはあるんですが・・。 

ところが、自宅すぐ近くの安治区で見つかった古文書を特別展で見て!
地元、野洲市安治区で保存されていた信長時代の古文書の実物に接しその
400年前の事は事実だったんだ、と思えるように。
また今回の古文書も含め、
その時代を語る貴重な資料を見る機会が増え、最近では私、少しづつ素直さが
身に付いてきたようです(笑)


                           琵琶湖に近い安治区   左は野洲川

そんなことで、今日は、
特別展の本来の趣旨からかなり外れてこんな事に関心を抱きましてね・・・・、

地元野洲市のお話、そして信長ってそんなにリッチマンだったの? これだけ
の家臣を従え、天下人となり、あんな金ピカの安土城なんかも建ててね。 の
二点が今日のブログの話題



             石高の高い近江平野  戦国大名の主要な財源

 まず、その古文書は、
博物館で見てきた古文書はこの野洲市の安治(あわじで400年も前に信長
直轄地で奉行衆が安治村に出した書状です。 指出(さしだし:検地に関するも
ので入作・出作(いりさく・でさく)関係や荒地
などが書き上げられています。 (末尾
に指出、入作・出作については用語説明があります)

その古文書は正にその時代の実物なんですって。 写本や史実に基づき複製
されたものではなくて(江戸時代に結構複製されていますね:Kennyの印象)。 これはも
疑う余地はなく、現実味があります!

その他、租税徴収の基礎台帳となる土地調査や人口調査の関係書類も保存
されています。(現在は当考古博物館で展示中)


        展示の古文書の一例     当館で購入の冊子 「信長の家臣たち」からコピーで拝借
                           (館内での撮影は許されていません)


 
                                         冊子の表・裏面

当特別展では、信長、細川藤孝、その他の書状、歴史上の人物の肖像画など
が多数展示されており、これだけまとめて一度に見られる機会は初めてです。

 次に 信長はあの地位を築いたのだが、財力はあったの?
織田信長は、室町時代中ごろから津島神社の門前町である、
津島背景に尾
張を統一したといわれています。その上、伊勢湾周辺を中心とした貿易・流通
の掌握が、まずは織田政権の主要財源。


                    信長の台所、津島   津島神社
 愛知県津島市 HPより

そしてなんといっても農業生産力が圧倒的で、濃尾伊勢平野をほぼ手中に入
れて150万石レベルとか。さらには近江・越前など石高の高い所を勢力下に
納め
ていきます。

どうやら信長の財力の背景はこんなところにあるようです。これらのことについ
ては過日、滋賀県
の研究員さんもお話になっていました。

なので、安治区での指出は戦国大名の資金面で大仕事、なんだか目に浮かん
できますね。


                    滋賀県立安土城考古博物館    当館HPより    


                    ***************

 


(ご参考:メモ)

当特別展、「信長の家臣」の趣旨は:

織田信長が尾張国守護代の重臣から戦国大名、そして天下統一をめざす
天下人へと成長
したのは、信長自身の能力に負うところが大きいですが、
その信長の意を汲み、縦横無尽
に奔走した家臣たちの働きを忘れることは
できません。信長の発展・膨張に従い、家臣団
もまた変化を遂げていく。信
長の元を支え活躍する武将や吏僚がいる一方で、権力と組織
の変化につ
いていけず、追放・離反・没落する者たちもいました。

本展では、信長政権を支えた多彩な家臣たちとその働きを、肖像画や発給
文書を中心とし
た関係資料で紹介するとともに信長の人材登用術や組織の
運用法その結末を考えます。

(以上、冊子「信長の家臣たち」から引用)

用語:
指出(さしだし)
戦国時代から安土桃山時代に行われた検地の一方法。大名が検地を行わ
ず、
給人、寺社などに知行地の面積、作人、収穫量などの報告書を差出さ
せることを指出といった。戦国大名も、織田信長も総じて豊臣秀吉以前の検
地ではこの方法がとられ、秀吉の検地(太閤検地)においてもこれを提出さ
せて検地の基礎とした

出作・入作でさくいりさく)
近世において、百姓が他村・他領に田地をもち、その村へ出かけて耕作す
ることを出作といい、田地のある村のほうでは、これを他村より入作といっ
た。なお、小作のことを入作という場合もあり、さらに、他村に塩浜を有する者
が、その村へ行って製塩することを出作という場合もあった

                      ******


              今朝の三上山(6月1日、2016)


           今朝は少し気温が低め  最近にはない澄んだ空気で比良山系がくっきりと
       眼下は野洲市 野洲川が写真中央に  三上山山頂近くから撮影  

  
 

           今日もご覧下さいましてありがとうございました


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Kennyの山歩き:新緑の伊吹山

2016-05-16 19:10:44 | 伊吹山

                                    伊吹山
           今シーズンも夏山登山は伊吹山から
  晴天、新緑、お花が、カラフルな若者登山者で一杯、でも黄砂が・・
                              Kennyの滋賀から情報発信
                        (この日記のTOP掲載期間:5月20日~5月26日)


                 車であと10分で麓、の地点からでも伊吹山を眺めると・・・
 
天気はいいんやが・・、伊吹山は霞んでいます。 黄砂らしいです、プラス PM2.5か?

                                               
                7時45分   登山開始     私達より一組先の登山者

この時間登山口はこんなに暗くはないんです実際にはね。左の看板に当たる朝日
が強くて光ってしまい文字が読めないので撮る時にその部分に明るさを合わせる
と、登山口がこんなことになってしまいます。


   お花を大切に」、ん、これはわかる   「熊出没注意」って 出たらどうすんのーぉ。 かなんなあ~                                                     
                            もっとも登山は自然相手の山、自己責任だけどね


                       30分で1合目に到着。 樹林帯を抜ける前方の光が輝きます


                       1合目、視界が開けます    元スキー場のゲレンデです


           三合目手前です。 山頂部まで一気に開けます  この辺も元スキーゲレンデです


               4合目に向います。 登山道にはロープが張られて植物の保護がされています


        9時40分      五合目から山頂部を見上げます  写真で見るより急坂ですよ!


            今度は逆に7合目付近から5合目、3号目を見下ろします


                         この協力金の利用で登山道、植物保護が目に見えてよくなりました                   


               1合目登山道です。  以前は写真右の元ゲレンデを自在に歩いていました


          まだ春で草木が低いこともありますが、登山道が筋状にしっかりとして(見えて)います

以前は登山者が近道をするのか、登山道が幾つかあればそれぞれを歩きますよね、
道が幾筋にも分れていました。今では山頂部付近の岩場を除いてほぼ一本道です。 


                           今日は日曜日、晴天  多くの登山者が列を成します


                   毎回同じ事を書いて恐縮・・、本当に多くの若者が山に戻ってきました


                9合目     急坂の登りがここで終わりです。 あと山頂まで5分の緩斜面です


       10時40分
   山頂に着きました  所用時間2時間55分   前方は伊吹山寺山頂本堂


                            広々とした山頂部  写真右半分は 元測候所跡

                   
                                 在りし日の測候所 2008年11月撮影

 
                  測候所解体作業風景  2010年10
月撮影


                                        一等三角点


            残念、視界は効きません  下界は長浜市、米原市付近 
  
           

            不肖、私の撮影・編集 ビデオ映像: この日の伊吹山    
                                         ここをクリックしてください ↑

 
3合目を過ぎると樹林帯がない、石灰露岩がゴロゴロ、なぜ?


   山頂部では、カレンフェルトや巨大な石灰露岩などのカルスト地形が見られる(ウキペディア)
            (カレンフェルト:幅数十 cm~数m,高さ数mの石灰岩石柱)

ちびっと講釈を
m(_ _)m
伊吹山の中腹より上部は古生代に海底のサンゴ礁から形成された石灰岩が広く
分布、塊状の亀裂が多く、水透しが良くて表土は乾燥し易い。 そのため、伊吹山
は三合目あたりから登山道の周辺には日を遮る樹木・大木が育たないんですね、
殆どありません。7月、8月の登山は直射日光、それはもう堪えますね

伊吹山は3億年前に噴火した海底火山だったそうで地層には約2億5千年前の古
生代に海底に堆積した層が含まれていると。 その証拠にウミユリやフズリ
ナの化
石が見られます。 私も山小屋の前に置かれたそれらの実物を見ています。
                   (この項はウキペディアを参考に記載

ところが高山植物はしっかりと
ある日TVで伊吹山の特集が。 解説で伊吹山は石灰岩の山。水はけがよく(前述)
て大木は育たないが年間290日以上霧が発生する伊吹山は高山植物の育つ環
境にあると。  以下は、名前は殆どわかりませんが、当日出合ったお花です。

 
         ①カキドオシ?            ②エゾノタチツボスミレ

 
      ③ニリンソウ?           ④ヤマガラシ

  
                       ⑤  ウマノアシガタ   かなり自信あり(笑)

 
                   ⑥ オドリコソウ   これは自信あり!

 
  ⑦ハクサンハタザオ?              ⑧スミレ

                    教えて頂ければ嬉しいです  m(_ _)m
必死で伊吹山の花のガイドブックを見て調べたんやが・・、花にあんまり興味のない爺で・・


    


                              帰路、午後3時、黄砂? は多少晴れていました



                 今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

                    


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4J、の自転車で行く:お宮さん参り・2016年第二回ーその2

2016-05-07 12:52:44 | 5爺:野洲市の神社参拝

   4Ji4人の爺さん自転車を漕いで 
        (旧)野洲町(滋賀県)内の神社巡り
                  日記の後半です

      明治神宮遥拝所 とか 境内社 を見聞 

                          Kennyの滋賀から情報発信   
                           (この日記の掲載期間:5月13日~5月19日)
 
       先ずは 「
別名がついた石碑の遥拝所」

明治神宮遥拝所

       吉地神社(吉地集落)

     
                     この神社には「神武天皇遥拝所」はありませんでした 

明治神宮遥拝所、神武天皇遥拝所  神社個々に背景があるんですな?

 


畝傍山陵遥拝所(うねびやまりょう)
       矢取神社 
(小比江集落)




                               畝傍山陵遥拝所 

神武天皇陵畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮の北側にあります。
従い、この畝傍山陵遥拝所は、神武天皇を参拝するという意味で神武天皇遥
拝所と同じでことでしょうね。

           HP: 
神武天皇陵 (畝傍山陵)について
                                 ↑  クリックしてください


 

     石碑 畝傍山陵遥拝所 

  
             兵主大社  兵主祭に参集する神輿を見せてくださいました

兵主大社 兵主祭:
毎年5月5日に行われる例祭。神輿や太鼓が参道を練り歩いて次々と神社に宮入する神事
である。 当日は午前中に神社で神事を行い午後には町内各地から大小40の御
輿(みこし)
や太鼓(たいこ)が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡り
が行われる。


遥拝所
  虫生(むしゅう)神社 (虫生集落)

   
                        遥拝所 のみで神社を特定しないんだ




                                  
   立派な門構え

 
                                                     この神社の手水舎、亀ではなくて龍です



屯倉(みやけ)神社  (市三宅集落)



 
           この神社も遥拝所とのみ               手水舎 ここは龍


さて次は境内社(けいだいしゃ)です

神社の境内に別の名称の神社(小さな本殿の)がある、なぜ??



                    この屯倉神社には境内社の案内がありました

 
       このように屯倉神社本殿の両脇に小さな本殿が これが境内社です



                              牛尾神社(先に掲載)の境内社




                             矢取神社(先に掲載)の境内社



                          
  長澤神社(先に掲載)の境内社



境内社  摂末社(せつまつしゃ)

境内社とは神社の境内に,本社とは別に祀られている社をいう。本社の
管理を受け,多くは社格,氏子がなく建物も本殿だけである。地主神や
御子神,妃神,臣神を祀った摂社と熊野,八幡,天神などを勧請 (かんじ
ょう)
した末社に分けることもある。 (ネット検索から) 

ということは、神にも妃や子供がいるんですね・・・。 


なお、遥拝所、境内社に関しては地元御上神社に宮司様を訪ね、私も直
々教えて頂きました。ちなみに御上神社には神武天皇遥拝所が、そして
5つか6つの境内社がありました。


                    番外編:今日(5月18日)の三上山


            山頂付近から野洲市 田んぼには水がはられ、集落が水に浮いているように


    今日もご覧くださいましてありがとうございました。   


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