私のブログ「趣味・興味プラス挑戦」
は
Amebaに引っ越しました
2025年5月6日
↑
ここをクリックしてください
感謝と御礼
これまでご訪問くださいました皆様、長きにわたり
ありがとうございました。
引き続き、Amebaにて投稿させて頂きます
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
2025年5月6日 Kenny
私のブログ「趣味・興味プラス挑戦」
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2025年5月6日
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これまでご訪問くださいました皆様、長きにわたり
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今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
2025年5月6日 Kenny
若葉
快晴 今年もその季節
撮影場所
近江八幡市 日牟禮神社 八幡堀
ラコリーナ近江八幡
安土町 安土城考古博物館







(2025年4月25日 UP)
この町の野山
今年も美しく
三上山 432m
滋賀県野洲市
お花情報、追加4月22日
4月22日、田中山を歩いて見ると
エニシダが咲き始めました
コバノミツバツツジ
このコースではもうピークは過ぎているようだが
この木は満開近しか、まだ蕾も多く
・・・・・・・・・・・







山頂部は結構険しい登山道
独り言
この三上山にお世話になって20年近い
定年後のプラン、家人の勧めもあり山登りを始めたが
最初は少しも楽しくはなかった
ところがこの三上山に登り出してからは徐々に
変化が
以後、滋賀の山を初め、百名山を含む数々の山を
体験してきた
そして今、体力維持とこの山で会った山友との
山談義も意義深い
今日も余裕で山頂に立ち、道中カメラに
収める趣味も加わり有難いことと
感謝の日々
今年も1000m級、それ以上を計画中
(2025年4月21日 UP)
(2025年4月22日 追加投稿)
広島
平和記念資料館と厳島神社を旅してきた
前者は新装なったと聞く。厳島神社見学は初の事で長年一度はと
平和記念資料館
通称原爆ドームは前回が何年前か思い出せないが
今回見たドームは保存がしっかりとされていたように思う
展示館内の大型スクリーン
特に印象的で投下当時の悲惨さを知るこのスクリーンだった



平和記念資料館
↑
当館の詳細はここをクリックして下さい
厳島神社
初めての訪問
長年一度はと思いつつ、やっと実現
画像では何度も見ているからか、初めてではないような感覚
思えば当然のことながら、平清盛は創建ではなくて任安3年(1168)
に「現在の規模、海の中に壮大な社殿を造営した」ことを知る



宮島、大きな島に驚き
創建は
推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、
勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる
(ウイキペディアから部分引用)
厳島神社
↑
当神社の詳細はここをクリックして下さい
余話
弥山登山は中止
なんと登山ロープウエイは一時間待ち
当所は歩いて登山の予定が、歩き疲れて余裕無し
海外からの観光客の多いこと!
乗り物、観光地とも半分以上は、の様でした
阪神タイガース
一団が同じホテルに
残念ながらこの分野は知らない
ただ一人、藤川監督らしき方は認識
フアンの熱狂に遠くから眺めていました
その日は広島カープとの開幕戦

(2025年4月13日 UP)
妙見堂
2019年3月投稿の私のblogに追加です
この度 新しく得た関連情報の備忘録として
ここに追記しておきたく
新しく知った関連情報源は
3月22日、2025に開催の
第20回市史 郷土史学習会(野洲市)
関係者の皆様に感謝します
三上山中腹にそのお堂跡があります
現在は本堂など、建物は取り除かれ跡地には
灯篭や玉垣等が残るのみ
閉眼供養も行われて今はその歴史を終えています
先ずは現在の妙見堂跡と過去の姿
現在の跡地(写真、私の撮影:以下注釈無しは同様)
建物は残っておりません
撮影:2013年12月
左に水屋がかろうじて残っている
灯篭の本数はまだこれだけ有った
水屋に 同2013年
玉垣 現在
本堂の有った跡 現在
往時の本堂の姿
野洲市史より

移転した本堂 三上山山麓
平成7年(1995)3月19日中腹からここに移転
今は、この妙見堂の歴史は終了しています(後述)
茶屋
2000年3月の撮影
2019年3月の撮影
2025年3月の現状

文化十年の文字が
宿、茶屋跡には今もごろごろと
新しく学んだ知識
開眼と閉眼供養
建立・開眼
上下:勉強会当日の資料、展示室の現物
閉眼供養:当妙見堂(宮)
令和6年(2024)3月24日に閉眼供養が行われて
その歴史に幕を閉じた
妙見堂と妙見宮
宮から堂に改称の理由
神仏分離を目的とした神仏判然令が発令された明治元年(1868)
以降に名称を妙見宮から妙見堂に改称
妙見菩薩とは
仏教では北極星または北斗七星を妙見菩薩という仏とみなした
なお、三上山とは特別の関係、関連はないそうです
三上藩
(ご参考)
元禄11年(1698)三上藩成立
藩主:遠藤氏 千葉氏の系譜をひく
吉見藩の誕生:明治3年4月
遠藤氏が領地支配の拠点である陣屋を当地三上村から
和泉国、吉見村へ移転
妙見堂を管理することが出来なくなった為と考えれえる
(この項、勉強会の資料から)
吉見藩の廃止:明治4年、廃藩置県が実施される
(ここまでのブログ:2025年3月26日 UP)
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2019年投稿の私のブログ
妙見堂
私が興味をもってこのお堂に何度も通い
記録したのが2019年のことでした
その時のブログが以下の通りです
いのししが遺跡を掘り起こして
妙見堂
滋賀県野洲市
三上山の麓、建立はいつかな
実は猪がきっかけを作ってくれました
三上山(近江富士)432m 滋賀県野洲市
この山に運動を兼ねて日課として登り始めてもう10年。 間もなく
概算ながら登山回数1000回を数えます。ところが同じ山に毎日
のように登っても飽きないのは登山を愛する人の共通点ではない
でしょうか。
そこで知り合った友との山談義、情報交換等々と。 私も幾つもの
楽しみを持って登山の日々です。で、実はこんな事もありました。

三上山 (近江湖南アルプスより撮影)
建立は元号「文化」、江戸後期 1800年代
過日、猪にこんな機会を貰いました。 忘れていまして
この妙見堂いつ建立されたんやろう、一度調べないと、と・・。
しかしそのまま忘れておりました。この山の住人いのししが教
えてくれました。

石段の側石が土の中から現れました
その石には「文化十年」(1813年です)の文字が(個人名はボカシ)
妙見堂に辿る石段 登山で通ります
普段は草木に、そして、確か(ですが・・)側石もその殆どが土に埋まっ
ていたと思います。今回だけでなく毎年こうやって掘り起こして食べ
物をあさっております。たまには肉を(ミミズや幼虫)食いたのでしょう
が、しかしその力って重機なみですよ!!

この通りです・・・・・
比較: 2013年撮影の石段 
妙見堂跡 三上山の麓

三上山、その周辺にはこの看板が
猪の功罪は、今回の日記ではロマンとして、目をつぶって頂ければ
幸いです(ブログ監理者:Kenny)
そうか、そう言えば
灯籠や石碑に有るはあるは、刻みこまれた元号、「文化」の文字。

上下はお堂跡です 文化二年(1805年です)

上下 水屋 文化四年 (1807年)

灯籠 文化五年 (1808年)
建立は元号「文化」、江戸後期 1800年代なんでしょうね
下総国の豪族、千葉氏は「妙見」を守護神として崇拝しており、一族
で近江湖南の三上藩主遠藤氏によってこの地に妙見菩薩が祀られ
たと教わった記憶があります。
私の撮った写真記録から、こんな資料が出てきました。文化4年
(1807年)に妙見堂を三上山に勧進した、とあります。
(2019年3月12日、追記)

ご参考:詳しいブログにヒットしました
URL: http://kida.shiga-saku.net/e379963.html
ついでながら、気になっていた家
通称、表登山道の石段脇に一軒の家(廃虚)があります。今回の日記
を編集していた時に古絵図の存在を思い出し照らし合わせてみました。
この廃虚、絵図にある茶屋?

石段脇にはこの一軒しか見えないですね~
いや、もう一軒有ったか、今度調べて来ます(3月6日追記)

ありました、建物跡が (3月7日追記)
一例を、
古絵図にある 宿ヤ 跡かな・・・?
そこには瓦や食器が散乱

他にも古絵図にはもう一つ茶屋、そして稲荷も
別の機会にまた・・・
お断り: ブログに記載情報はあくまでも素人の興味と備忘録としてUPして
おります。 全て私の想像です。もし間違いがあればどうかお許し
ください。
今日もご覧くださいましてありがとうございました
(2019年3月3日UP)