趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

写真仲間、悠人会会員の力作展:梅雨の風景編

2010-06-19 14:37:16 | 写真

 私達愉快な写真仲間の会に名前をつけました!!

                =悠人会(ゆうじんかい)

愉快に気楽に楽しくお付き合いしていきましょう会ということになりましょうか、
会則会費なしの自主参加の会です。 最近では何らかの写真の集まりで常時
十数名が一緒に活動しております。 それは私達に長く写真を教えてくださって
いる八田正文先生の集まりです。月一回先生と一緒に野洲市にある花緑公園
をカメラを手に散策したり、先生のギャラリーに招待して戴き、日頃各自が撮った
写真を観ていただく。 また他には年に何回か会で撮影旅行に出かけて賑やかに、
本当に愉快に写真を楽しむ、そんな会です。

しかし今このように仲間が楽しく集まることが出来る、そして会が存続するのも
ひとえに八田正文先生の長きに亘るご指導のお陰
です。 

今回はみんなで知恵を絞って名づけた悠人会の記念すべき写真展となりました。
ご一覧くださいますれば幸いです。 今後ともよろしくお願い致します。
(なお、このブログ、日記はKennyの個人的なもので悠人会の公式のブログではありません


                             悠人会仲間の写真作品展        
       
今回のテーマーは「梅雨の風景」です
             (展示期間:6月25日ー7月1日)


                   めかちゃんの作品

       
                    感性をそのままに
   仲間の内でも最もデジカメを楽しんでいるお一人ではないかな? 過日ある図
       書館で私達の写真展を開催した時、覗きに来てくださったお客さんにでさえ「デ
   ジカメはもうめっちゃ楽しいですよ、是非やられたら!」 なんて勧めているんや
      からねー。写真仲間のTeaさんのHPでは、彼女のコーナーを「感性をそのまま
   に」と表現しています。

                   蝸牛さんの作品                       

    
                     太陽のイタヅラ
  「瞬時雲が切れて一条の光で対岸が輝きました」とありました。 先ずこのアング
   ル、蝸牛さんは琵琶湖岸のマンションのテラスからこんな景色がいつも望めます。そして
   この瞬間、一条の光で向こう岸と山の一部にだけしっかりと光があたり輝いています。
    その山は野洲市内の田中山、旗振山あたりではないかな?

                                   すずらんさんの作品

    
                                  ハナショウブを雨上がりに
Kennyから「梅雨を課題」で提出とのことやが、何を写そうかと迷ってました、と・・。
確かに梅雨
をと簡単に題名を儲けましたが本当に困りますね、梅雨を表現せよなんてね。 
しかしそこは仲間の内でも写真のキャリヤーは十分の同輩です。梅雨といえばアジサイ
でしょうが、そこに梅雨に映えるショウブを持ってきましたか。もっとも彼女
はお花博士(実に
よく知っておられます)でもありこのくらいはなんのそのでしょうかな。

 
                  マッシーさんの作品

         
                   雨の妻籠宿
 最近一層腕を上げてこられた
今も背広が似合う超紳士のマッシーさん、撮影活動も
 広範囲かつ頻度もUPしてみんなが認めるいい作品に繋がっています。一方お口の数も
 益々・・・、(これ、まずいか?) お元気そのもののおじさまです。うんちくの多
いほど写真は
 上達する、と確か先生が仰っておられました。でもこのごろは野外活動スタイルも身に
 ついてすっかりカメラマンになりました。勿論強力な写真のライバルでもある奥方のお見立
 てでしょうがね。

                          Tea さんの作品

       
                    小雨の午前
面倒見のよい仲間のリーダーのお一人です。 我がグループではパソコンの達人です。デジカメには
パソコンが欠かせない訳で、触ったこともない仲間に熱心に指導され、今やおじーちゃん、おばーちゃん
メンバーの殆どの方が写真談義をネットでやり取り出来るようになりました。
本来は撮影時に条件設定の上写真を撮りますが、時には後にソフトで画質調整もします。Kennyも
ソフトを使ってより良い写真が撮れるように生かしております。Teaさんのご指導の賜物です。 

                                          Dimamaさんの作品

      
                      芦刈園にて
 これほどカメラのメカ、機能に強い団塊世代の女性には初めてお会いしましたな!下手に話に乗ったら
 えらい目に合いま
す。それほどカメラを愛しておられます。勿論ヒット作も何度も出し怖い(いや頼もしい)
 存在です。この写真、「当日は曇り空で、アジサイの撮影には向いていると思いましたが欲を言えば、
 アジサイに水滴が欲しかったです」とのコメントがありました。

                                                 徹子さんの作品

   
                      
梅雨晴
             
梅雨晴や正午の気温三十度(徹子)
  俳号を徹子と称され、いつもこのように一句添えて作品を送ってくださるもの静かなおじさまです。
 句を読む時、写真を撮る時、前に展開する風情を眺めるその時の流れは共通するのでしょうか
 俳句には全く素人の私でさえ句を味わい、そして写真を鑑賞。また今度は写真を観て句を。
 いつもそのうようにして徹子さんの作品を楽しんでおります。そうかー、梅雨を晴れ間でとらえる、
 その日は気温三十度。

                      つーさんの作品

   
                               雨の瀬戸内(斜張橋)
 
今日は東か明日は西。そこにいい被写体があると聞けばもうハンドルを握り、かと思えば船に揺
 られて夕日に染まる蝋燭島に向ってシャッターを切っている。構造物を撮らせたら我が仲間は一目
 置きかつ、どないしたらあんなに水平、立直に撮れるんやろう? と唸らせるとっても元気なやや年上
 のおじさまです。この作品、私が撮ると橋の支柱が真剣に取り組んでおられる方には、傾いとるよ、
 と指摘されます。そこは昔取った杵柄か、橋梁はやや左上がりで構図の二の字を避け、梅雨空に
 煙る瀬戸内を貨物船をあしらって・・・。   
 
       

                    Kennyの作品

    
                生まれ故郷の後輩二人
梅雨なら都会より田舎がいいかと生まれ故郷の湖北(琵琶湖)に帰省しました。丸子船の係留場だった
村中にある川のほとりに笠とカメラをタオルで包み被写体を求めてうろうろと。そこに可愛後輩がごみ袋を
下げたおかーさんに付き添われて登場!
梅雨に濡れて通園です。かわいいです、かわいい。夢中で
シャッターを何回も切りました。そしてこの写真、撮影後先生のご指導を戴き、周りの余計な梅雨の風景
を捨てて可愛いちびちゃんを強調する
構図にしました(PCソフトで)。

          今日もご覧下さいましてありがとうございました

             

コメント (4)
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そこにお城があった!小堤山城(野洲市)

2010-06-15 14:32:02 | 城址

 

  野洲市周辺のお城跡探索
          =小堤城山城=

そこは佐々木六角氏の家臣馬渕氏の被官だった永原氏
が15世紀末に築いたとされている小堤城山城(こづ
つみ
しろやまじょう)
です

      その小堤城山城跡はこんな姿でした

  
         ここは小堤城山城の山頂です。主郭部はここを下った所にあります

この時代の有事の籠城はおおよそ山の頂に築かれたとのことでこの城
もその点ではなるほどと納得です。
でもはそれにしてはここも小規模で
狭い?ところがその城の主郭に辿り着いた時に疑問は一瞬にして解消、
広大な敷地に曲輪(くるわ土塁や石垣で囲まれた敷地で防衛の建物が)が主に
東尾根に築かれていました。そして何と言っても何か所
にも築かれた石
垣です(後述)

  
                     希望が丘文化公園からみた城山(小堤城山城跡)

この城山には国道8号線やこの公園から登る事が出来ます。 ややきつ
い坂や滑り易い砂地に注意すれば
どなたでも辿り着くことが出来ます。
標高は286mで素晴らしい眺望も楽しめます

  
        現地の案内版です。やはりかなり広い城郭のようです

滋賀南部では最大規模に属す中世の城郭だとのことですが、確か
に山頂から山腹、尾根上に至る強硬な詰城であったと伺い知れます。

  
                    城跡石垣群
ここ中腹部の郭は広くてこの写真に見るような多くの石垣がありま
す。更にそこにあった案内版(上の写真)にも
この辺一帯が城の主
郭と表記されていました
       

  
            これだけ高く積まれた石垣も多く見られます  

    
              堀切です。 城には必ずあります
多賀町佐目の城跡では、砂や木の葉がその掘切に積もってしまいこれ
が堀切だと教えていただか
ない限り気が付きませんでしたが、ここはち
ゃんと整備され深く掘った要害が見えておりました。

新しく覚えた事実:
石垣について
私が所属する「淡海の城」友の会で教わったことですが石垣が多用
されるのは
安土城以降だと言う事です。ところが石垣が多用されて
いるこの城郭はそれより古い年代のもの
です。しかしそこは六角氏
の有力家臣永原氏の城郭という歴史的裏付けがあるので
しょうか

希望が丘周辺の城跡:3~5つの城跡があるとの事です

林誠三氏滋賀県希望が丘文化公園青年の城担当)から戴いた著書の原稿文
を引用
させていただきます
。(ご本人のご了解をいただいております)

希望が丘の北稜にあたる小堤城山から鏡山間には3~5つの山城があっ
たとされる。この小堤城山城は永原重秀、古城山岩倉城または桜本
城に馬渕泰信、鏡山星ケ峯に星ケ崎城主鏡久綱
が城を構えた。あと
2つは石岩倉城であるが、古城山と同一かもしれないとされている。
弥勒寺城も馬渕高昌が城主と明治30年ころの村誌に記載されているが
現在、発見されていないと報告されている。

終わりに
私はお城を熱心に研究をしているのではありませんが、何故か歴史それ
も郷土史に興味があり史跡に立ち今日の日本が辿ってきた時代を習っ
てきた事と照らし合わせて思いにふけることに喜びを。そんな動機で最近
史跡歩きをしております。

私の故郷、滋賀県の北部にある集福寺若山城(幼い時から学校の裏の山
にお城があったと聞いておりました)を尋ねることを楽しみにしております。

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (2)
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Kennyの写真館: 新緑編

2010-06-08 08:59:08 | 写真

  若葉の季節が過ぎ緑が日々濃くなってきます 

 緑を求めて近くの公園、ハイキングコース、里山などに出かけました

 滋賀県内の安土、野洲、彦根、余呉各市町を散策したときの風景です。
 先には若葉の写真を掲載させていただきましたが、もう濃い緑に季節は
 進んでおりました。


 今はしっかりと四季を楽しんでおりますが、現役時代は夏と冬だけ季節
 感
を味わっていたような気がします。それは外出時辛かった思い出です。 

 デジカメを始めて4年になりますが、私は景色(広い空間の風景)を眺
 
いる時が最も心が落ち着きます。 写真を撮ることにより季節をより身近
 
なものとして味わえる今がありがたいです。 
                               (掲示期間:6月11日ー6月17日)

              安土町、セミナリオ裏の散策路    

   

     
        行事が終わり歩いてみるとこんな風景に出会いました
     木道と蔓(つる)がからみついた樹木、特に木道がいい雰囲気でした

        三上山周辺のハイキングコース(北尾根縦走路)

      
    北尾根縦走路の北の端にある田中山(292m)から見た散策コース
    三上山、希望が丘公園周辺には三つの本格的な尾根歩きコースがあります。
    この北尾根コース、そして希望が丘公園の南稜コース、北稜コースですが、
    このコースが眺めは一番いいと思います。それは背の高い樹木が少ない
    からです。 田中山は十数年前に大火があった山ですが今は緑が回復して
    おります。 ここが北尾根コースでは最も高い所です。

      
          尾根から見た希望が丘文化公園西ゲート、芝生広場

      
               北尾根のほぼ中間点にある古代峠
    
 この写真の左と上にある黒くみえる岩は古墳の一部です。 周辺には
      沢山の古墳があります。 古代豪族の古墳群ではないでしょうか?
      向こうに見えるのは三上山(432m)です。

      
                     北縦走路の南、東光寺峠を下ったとろの御池
    
 案内図には神秘的な池とあります。確かにこの地点から見る池は神秘的
      な感じに思えましたし池の傍にも古墳がありました。

               余呉町の七七頭ケ岳のブナ林                              

      
             七七頭ケ岳の名物、ブナの大木
     向こう側に光が当たりすばらしい真の緑を味わいました。登山者の
     ご婦人は木に寄り添い、歓声を上げておられました。
                                
                                
                    しゃが
      
七七頭ケ岳から下山の途中、しゃがの群生が私達を見送って
       くれました。(ピントが合っていないので・・・小さな写真でごまかし
       ております、すみません

                彦根市に近い集落で              

      
              田んぼの畦を行く登山仲間たち
    これは私の山仲間です。本来は登山では列からあまり離れるのは許され
    ませんが私は常習犯で、許してもらっております。 しかしTPOを考えての
    離脱です。撮影後に列を追うのが私が登山で疲れる一番の原因です

       
                        日撫(ひなで)山を下山して見たあやめの群生
    
このような接写ではピント(焦点)合わせが難儀です。しかもこの場合は
    あやめが3,4mも離れており、レンズを伸ばして(望遠)で撮りますので
    なおのことです(私の腕の問題ですが)。なんとか花びらにピントが合った
    一枚がありましたので、掲載させていただきました。

                      

趣味・興味プラス挑戦
     写真を教えて頂き、その内に写真は雲の上の存在ではなく自分の能力
        (経済的なことも含めて)に応じて楽しむ事が出来る、挑戦が出来る分野
         だという事を写真を撮ることによって徐々に気が付くようにしてくださった
         八田正文先生に改めて感謝致します。写真そのもので先生のご指導に
         成果でお答えすることはなかなか出来ませんが、このように今では私の
         いくつかの趣味の中では一番時間を使い且つ楽しんでおります。退職後
         の予定には全く入っていない分野(芸術でもあり私にとっては雲の上の
         存在)でした。

     多くの友人も写真を通して出来ました。 このように私は今、「趣味・ 興味
     プラス挑戦」を座右の銘に日々写真を楽しんでおります。


   今日もご覧くださいましてありがとうございました


  
                

              

      

      

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明智光秀伝説の城「腰越の城:仮称」を探訪するに参加して

2010-06-02 14:25:46 | 城址

    ここにお城があった、それは果して誰の?? 

  中世の城郭を研究、ここにお城があったらしい、あってもおかしくは
  ないと地道に研究、現地を調査。そして複数の出城の存在を発見
  確認されている方の現地見学会と現地講演が開催されたので出か
  けました。 その研究家は長谷川博美氏です。

  そこは、滋賀県犬上郡多賀町佐目にある標高425mの裏山です。

  この日記の掲載は長谷川先生(以下先生)のご了解のもとに、当日
  の感動を日ごろ私のブログを見ていただいている皆様と共有出来れ
  ばと取り上げさせていただきました。 しかしそこは全く素人の私、
  その時のメモと当日の資料を読み返しての日記です。

    なお当日参加者が先生から頂いた資料には「明智光秀伝説の城
  
と明言することは避けたい 」と記載されている事を付け加えさせ
  いただきます。ただ「中世城郭が存在した事は確実」であろうとも。

 以下中世城郭遺跡(明智光秀の城か?)の姿です

      
   先生ご自身が作成された縄張り図で山頂の主郭を解説(標高425m)

     山頂の主郭跡で説明を受けて、これがお城の特徴かと!

   山頂部は狭小だけれども城の裾や腰部に広範に腰郭、帯郭が配置されている
   との説明を聞き実際に見た目よりは急坂の遺構(攻め入ることが出来ぬよう山
 を削り急坂に)も含め広く感じます。 しかしここが城跡だと分かっていなければ
   素人には単なる尾根伝いの登山(道)で終ってしまうことでしょう。 

   確かに堀切(塹壕)の存在、石灰岩の露頭を利用した厳巌な要害を伺い知る
  ことが出来ます。また狭い郭(城郭)は複雑に切り刻れて普請されているとも。
   これは先生他、地元の知識人のみなさんが実際に測定されて判明したことです。  

 
   主催者「近江中世城郭調査委員会」の旗      参加者に見学前の説明
 JR南彦根からの移動中、主催者の車中で参加者の交わす城談義。これは場違い
 なところ(参加者のハイレベル)に来たかなー、と。でもKennyは興味・挑戦がモット
 ーゆえ遠慮を知りません。 KYを念頭に会話の中へ。 ただし質問のみ!皆さん
 笑顔で教えてくださいます。 

 
       急登坂でまさに登山の開始  山頂の主郭部(ずいぶん狭いです)
 425mと言えば三上山(432m)と同じ立派な登山です。負け惜しみを許して頂く
  として私、Kennyの得意分野です。 急坂とスリップに難儀される山の ”素人様”
 の手助けで多少面目は立ったかな? 

 
  狼煙(のろし)穴らしき土坑      第二郭(二の丸に相当)で説明を聞く
堀切や狼煙跡。明らかに手を加えた(削って)尾根の片側の急斜面などの解説を聞いていると、
今我々は確かにお城のあった跡に立っているんだと。 鎧兜も付けずにね。

 
    当日配布の資料:B4で8枚       丸山先生(元教授)の基調講座
   誰でもが知りたい内容の中身の濃い資料、分かり易い説明で内容、背景がおお
 よそ理解出来ます。私の初歩的な質問でも、相当取り組んでおられると思われる
 方々の専門的な質問にも親切に対応されました。

           
    長谷川先生(中世城郭研究家、滋賀民俗学会理事他)のお話風景
     時々、城跡発見時の様子を地元の調査協力者(ごめんなさい、お名前が・・・?)
    に話す機会を振られて、内容の濃い時として笑が渦巻くお勉強会になります。
     この種の集まりは結構居眠り者(私も)が出るものですがその日は全く居ません
    でした。参加者席で話しておられる協力者(上の写真)は、当日は寒くて、昼ご飯
  もなかなか取れず(あまりに先生が熱心で)、本当はもっと早く帰りたかったんや
  が・・・、と(ここでも爆笑が)

Kennyとお城:
決して懸命にお城の研究をしているのではありません。滋賀県教育委員会城郭調査事務所の
「淡海の城友の会」で日本史の勉強仲間の端っこに座っているだけです。

車で帰省の途中に見える安土城跡の様子がどうも30年前と違うと気が付きました。そしたら
20年もかけて発掘調査が行なわれていたんですね。それであの金ぴかの城がどうなっていた
のか? が気になりそれが今この勉強会参加の日記に繋がっております。 

滋賀の城: 先生がここを調査しようとされるきっかけの一つは、
ここに城がある。それはある集落内に武士階級の居館があれば背後の山に戦乱時の籠城が
築かれていることが多い(在地領主型の山城と言うのやそうです)が、この多賀町佐目の山城
発見のきっかけの一つだと先生のお話です。そういうと、野洲市の希望ケ丘に城山がありそこに
城跡があります。野洲郡永原村の永原氏(佐々木六角の流れ)の有事の山城だったと聞いて
おります。 

他にもその集落の地名や名字にもヒントがあると。佐目集落に残る見津氏と言う姓、これは
光秀の「光」を改姓されて現代まで続くとのことです(資料では聞きおよんでいるとの断りが
ありますが)。 実に興味深いお話です。

滋賀県には1300以上のお城があったとも言われており城、城跡を尋ねるには事欠かない県
でもあります。 

結びに:
城跡に立ってKennyはロマンを感じてはおりますが、「お前らは高見の見物でええのー、わしら
は命がけでやでー」、と城跡、砦跡を尋ねた時にいつも聞こえてくるような気がします。

拙い文書で、また内容に聞き間違いなどもあるかもしれませんが、感想文ゆえお許しいただき
たく思います。 最後まで読んで頂きありがとうございました。

長谷川先生の見学会: ご参考
JR駅で見つけたパンフレットで、またまた長谷川先生との見学会を知りました。
6月26日、滋賀県余呉町で行市山砦、別所山砦の見学会があります。JR余呉駅に午前10時
集合です。 そこは賎ケ岳の合戦の舞台です。
 
                       (この日記の掲載期間:6月4日~6月11日)

        今回もご覧くださりありがとうございました

          

コメント (3)
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