少子化です。30年前、大学で人口動態の講義とともに今後の少子老齢化の凄まじさをさんざん聞かされました。知識として分かってはいましたが、今周囲を見回して見事にその予想通りの社会になっていることを確認すると、愕然とします。要するにこの30年、みんな分かっていたけれどどうにもできずにここまで来た、ということです。
家族、家庭、子育て、家事、介護
という単語にかかわる議論も山のようにあります。本来、このあたりのことは表に出ない、ごく当たり前の空気のように存在し継続するはずのものであったのでしょう。議論するべきことではない、何の知的興味もわかない、下世話な話題であったのでしょう。たしかに現実問題についてあれこれすることはつまらないことです。つまらないとは語弊があるかもしれません。
「適当にやっとけ、個人の問題だろう。」
という言葉が聞こえてくるようです。現在少しずつ表に出てきている、先進国の貧困の問題もそうですが、「個人の問題」「自己責任」で片付けられる範囲を超えた部分もあります。
「自分には関係ない」
と思っている方も多いかと思いますが、自分が何らかの理由で自由に動けない身になったときに「遅すぎた後悔」をすることになりましょう。女の人に矛盾の解決を「個人の問題」と押しつけてきた結果です。今の社会の様相は女性が「個人の問題」解決を図った結果、出現した社会です。
人口が少なくなったので、女性に働いてもらおう。という議論もあるようですが、女性はみんな働いています。家でも外でも。すでに働いています。
女性に働いてもらおう、ではなく、「働ける人はみんなでできることをやろう」でしょう。誰もが自分にできることを一つでも二つでも、もうちょっとやるしかありません。
あたしも誰かが少しでも分担して、助けてくれると本当に助かりますm(__)m
1人の負担が多くなるだけでは、治りませんね☆と思いましたm(__)m
”やるべきことをやる”なんですけどね。
やってもらっていると”当たり前”になるようです。
地球お母さんもそうですね。
なんでも”当たり前”になっていて、そりゃ怒りますって。
しかし、皆が個人でもっとしっかりと考えていけば機能していくはずです。
これも机上の~・・と成らないように、やはり自覚を持ってやっていくことですね。
家族の在り方が変化して、家の中で年寄りと暮らす、看取ることがほとんど無くなってきていることも、やがての自分の姿を見ることに繋がっていないのでしょうね。
実家の85歳の母は、子どもに面倒をかけたくないのと、しっかりしていないと自分が辛いからと言って、お陰様で元気です。
お蔭でうちの息子も私に、祖母を見習って自分で元気でいてくださいと言います(笑)
ほたるぶくろさんの仰るように、自分で出来ることを一つひとつやっていくことが社会を助けていくと思いますね。
まぁ、毎日有り難く生活していくことを楽しみながら頑張りましょう(^^
ひかりさやさんのお母様はしっかりした方ですから、色々な健康法を積極的に試されているのではないでしょうか。
それにしても、今日も平和なことに感謝です。