無知の知

ほたるぶくろの日記

社会を育てること

2014-06-22 13:32:38 | 日記

都議会の問題についてももう少し考えてみます。「Women's liberation」というコメントがありましたが、この今や「死語」になっている言葉を掲げるとは、殆ど件の「都議会でのヤジ」に等しいものです。

若い方には「Women's liberation」という言葉にどのような背景があるのかを感じ取ることは難しいでしょう。今の40代以上の方であれば、それがどんなにか様々な問題を含んだ言葉であるか、お分かりになると思います。

私にもこの言葉に関する、数々の苦い想い出があります。この言葉の下に行われた政治的活動、文化的活動には実に様々なものがありました。人間の社会生活全てにおいて影響があったと思います。

しかし、1990年代頃から現実は思想を凌駕し、スローガンの下の硬直した政治的、文化的活動は顧みられなくなりました。私自身、この言葉を聴くのも書くのも殆ど20年ぶり位のように思います。未だにこのような言葉を使う方がいるのか、と驚きました。

1980年代はまだこの言葉の下の政治的、文化的活動が盛んであり、「先駆的な商業的女性雑誌」もこの言葉を上手に利用し、迷い悩む女性へ商業的立場からのメッセージを送っていました。そして、この頃から、何か女性蔑視、セクハラを指摘しますと、ある種の男性は「またアレですか、うんざりだなぁ」などと薄ら笑いをしながら「まあ、落ち着いて」などと言っていました。

その後、事態はさらに悪化し、「○○は文化だ」であるとか、健全な家庭、正しい社会生活を破壊するような言説が、あたかも「人間の自由」であるかのように流布するようになりました。上記のような男性は「家庭なんかに縛られないで自由を謳歌すればいいんだよ。フリー○○○だよ。」などという、恐るべき発言をしながら、いわゆる「自立した女性」を食い物にしてきました。女性がある社会的構造から自由になったとみるや、真の自由とは何の関係もない、次の軛に女性を繋いだのです。

私にとって上記の言葉とはここまでの歴史を走馬燈のように憶い出させる忌まわしい言葉です。

今回の都議会での品性に欠けるヤジの問題と上記の言葉とは何の関係もありません。人間として言ってはいけないことはいけないのです。家の中で一人つぶやくというのなら、それは仕方がありません。その方の人間性がその程度だということであり、社会的に問題を起こさない限りどうということはない。

しかし、最近痛切に思うのは、人間の善悪、というものは明確にしなくてはいけない、社会は育てなくてはならない、ということです。人ごとではないのです。この国の大人として、次世代の子ども達に、はっきりと明確に、何が正しく何が間違っているのかを示す責任があると考えています。

さて、最後に件のヤジを飛ばした都議会議員へ質問があります。

「あなたは独のメルケル首相が少子化対策について意見を述べているときにも同様のヤジを飛ばすことができますか?」

あなたのヤジが正当な正しい考えの下に行われたという信念があるならば、できるでしょう。そうであるならば名乗り出るべきです。そしてあなたの信念が何であるのか政治家らしく、開陳するべきです。

そうでないのなら、やはり政治家らしく、潔く名乗り出て謝罪をし、受けるべき社会制裁を受けるべきです。それができない無責任な政治的発言者であるならば、声紋分析から特定され、議員辞職を迫られる不名誉を甘んじて受けるしかありません。あなたには議員である資格はありません。


3 Comments

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人間として言ってはいけないことはいけないのです (ペルドン)
2014-06-22 14:37:16
そんな深い意味・・
気づきませんでした・・

当時・・
欧州の大学構内には・・この言葉や歌・・溢れていた・・つい懐かしくて・・青春・・思い出し・・使用したに・・過ぎません・・
平に・・過失・・御容赦の程を・・・
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ひ~ (Unknown)
2014-06-22 15:54:15
観点は少し変わりますが、
ヤジった方は ヤジられた方よりも、確実に「小物」だということです。
ヤジの内容や その表現方法には、その人の知性レベルが反映されますが、
「ヤジ」という時点で、言う必要がないことを言っているわけですから、判断力が劣っているわけです。

何時だったか、国会の開会式に御臨席された皇太子殿下に、「早く座れ」と、聞こえるようにヤジった愚か者がいました。
残念ながら、そんなレヴェルの人が「議員」を名乗っていることが まかり通る国です。
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Unknown (ほたるぶくろ)
2014-06-22 18:47:26
議員に関しては「誰が選んだんだよ!」ということで、まったくこれは都民の方にも責任があります。
だからこそ、辞めさせる責任があると思っています。

選ぶだけではなく、その後の活動を監視し、ふさわしくないならば辞めさせる。われわれ都民は議員の行動を管理する責任も負っていると考えるべきと思います。
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