勘違い、思い違い。自分の思考が、心中で作り上げた幻想に縛られていること。私もよくそんな自分の幻想で失敗をします。年を取ってよかったと思うのは、一歩引いた視点を持つ余裕ができたことかもしれません。すると、大したことではないことがほとんど。そうっとしておけば過ぎていくのに、自分から風波を立てて状況を悪くしているようです。
「あの人にこういう風に思われているかもしれない」などと考えても仕方のないことです。
大抵の場合はあいまいな事柄が多く、その通りかもしれないし、そうではないかもしれない。自分では否定したいと思っていることでも、受け入れなくてはいけない現実の場合もあります。何にしても周りにとって許容範囲を超える事態になればなにか状況は変わるでしょう。良くも悪くも。それまではそっとしておくのが一番です。
そうではなく、真実を捻じ曲げられて勘違いされている場合もあるでしょう。自分に不利益が生じるかもしれない。その恐れから、やたらにそんなはずはない、と激高すると、これまた逆効果の場合が多いです。変な話ですが、自分が正しいのに、それが正しいとわかってもすっきりとしない状況が作り出されます。この場合、大変難しいことですが、「冷静に真実を伝えること」が最良なのではと思います。
いじめの問題は子供の社会の問題ではなく、社会全体の問題であることはもう明らかでしょう。大人は現在の世間がひどい状況であることを知っています。子供の社会のことを議論しないで、目の前のひどい状況を変える努力が重要でしょう。とりあえず極悪人以外のすべての人間を大事に思うことから始めようかと思います。
自分へ何らかの反発を示したり、嫌がらせをする人も。何かが気に食わないのでしょうが、こちらも決定的に悪いことをしていないのであれば、そっとしておく他はないでしょう。あまりその人の視界に入らないよう、行動範囲を変えるだけです。もっとも重要で、難しく、しかし絶対にやらなくてはいけないのは、ひとたび嫌がらせの程度が犯罪になりそうな場合、「断固とした抗議」をすることです。きっぱりと、潔く、しっかりとした「抗議」をすること。これができれば物事は自然に流れていくと思います。勇気を持つことです。
そういう気持ちになるためには、どこかで自分をリラックスさせることも重要です。そうして脳の中の恐れの中枢の働きを抑制することです。この方法についていろいろ考えるのですが、ご先祖様のことを思うこともとても効果的です。ひとりじゃない、という気持ちは余裕をもたらしてくれます。そして気持ちの余裕は大きな気の流れをつくりだします。
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