もうゴールデンウィーク!それにふさわしいお天気で、青葉の美しいときになりました。
そんなときなのですが、どうも嫌な話しが報道されています。
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「感染者は誰だ」 四国の農村でパニック、役場へ怒声も
2020年5月2日 19時00分
新型コロナウイルスによるパニックは、デマによるものだけではない。
ビニールハウスが広がる四国の小さな農村で、3月上旬、村立小学校に通う男児が新型コロナウイルスに感染した。国内感染者がまだ300人程度の時期だ。
親類が感染し、男児は濃厚接触者として検査を受けていた。保健所から連絡があり、教育長は驚いた。「まさかうちの村で」
県はこの日夕、学校名の公表について村と協議した。情報が公開されないことで生まれる地域の混乱を避けたい、という思いがあった。男児の保護者は「子どもを守ってください」と念押しした上で、公表に同意したという。
県知事は同日夜の記者会見で、「10歳未満の男児」と匿名で発表。「補足」として自治体名と学校名に言及した。そこから、情報を求めるうねりが起きた。
「何年生か言ってもらわんと、怖くてたまらん」。学校には多くの保護者から求めがあった。
管轄の保健所や村役場にも電話が相次いだ。不安を訴える人もいれば、「感染者はどこの誰か」と、名前や住所の公表を強く要求する声もあった。「個人情報は明かせない」と応じる職員に「やめてしまえ!」と怒鳴る人もいた。
「互いに顔を知らない人がいないような小さな村ですから」と役場の職員は言う。村を歩くと、農家の男性は「うわさで聞いた」として、「あそこの息子らしいよ」と集落の一角を指さした。知人からも「あの地区から出たみたいだけど、誰ね?」と電話があったという。
男児の家族も無縁ではいられなかった。「家族にも電話があって、今も傷ついている」と行政関係者は明かした。
特産の野菜の出荷額は、全国でも屈指の村だ。「地元の農産品を食べても大丈夫か」という声も保健所に寄せられた。農家は緊急に会議を開き、出荷の際にマスクと手袋を身につけることを申し合わせた。
男児の感染が発表されてから1週間。村長は県に要請して「風評被害対策会議」を開き、「不安が不安を呼び、感染者や関係者が風評被害に遭われていることは大変残念」とのメッセージを出した。村長は「騒動の中で人から出てくる言葉が、これほど普段と違うとは」と振り返る。
------------------(引用ここまで)------------------------
大変心冷える話しではあります。
巡礼者を大切にする、心優しい人々の住むところ、という、これまでのアピールが台無しになりました。
四国のどの辺りかは分かりませんが、恐ろしい。
このような一皮むけば、という「社会」のあり方はあちこちの小説、映画、ドラマなどにさんざん描かれてきました。
私の両親もまた、そのような山深い地方から東京へ出てきた人々でありました。都会に住まう方達のほとんどはこういう方だと思います。
母親はその「故郷」を忌み嫌っていました。まだ元気な時から、「歳を取ったら田舎に帰りたい、なんて言う人がいるけど、全然そんなこと思わない。二度とあそこには住みたくない。」と言っていました。
いろいろあったようです。
小さな社会であり、人々の社会的距離が近く、プライバシーの概念はほとんどない。自分の何代か前の人のこと、家族のことも村の人々は皆承知している。ことによると自分の知らない隠された「何か」まで知っていたりする。
私自身、年に一回くらいその土地に行くか行かないか、だったのですが、それでもその土地の人々の閉鎖性、陰湿さ、などを感じる出来事がありました。おそらく私もよんどころない事情がない限り、二度と彼の地に赴くことはないでしょう。
「みんな顔見知りで、家族みたいなもんだから」
というフレーズは実に微妙です。
今回のコロナ禍はとても興味深い人間社会の問題点を暴いています。
医学的には社会的距離(ソーシャルディスタンス)より身体的距離(フィジカルディスタンス)の問題だと思うのですが、図らずも、社会的距離についても考え直すよう、人間に迫っているような気がします。
本当は皆様のお役に立つようなコロナウイルス関連の話題を、と思っていたのですが、つい目についたこの報道で心が一杯になってしまって。。。
本当にこのウイルスは教育的であることよ。
そんなときなのですが、どうも嫌な話しが報道されています。
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「感染者は誰だ」 四国の農村でパニック、役場へ怒声も
2020年5月2日 19時00分
新型コロナウイルスによるパニックは、デマによるものだけではない。
ビニールハウスが広がる四国の小さな農村で、3月上旬、村立小学校に通う男児が新型コロナウイルスに感染した。国内感染者がまだ300人程度の時期だ。
親類が感染し、男児は濃厚接触者として検査を受けていた。保健所から連絡があり、教育長は驚いた。「まさかうちの村で」
県はこの日夕、学校名の公表について村と協議した。情報が公開されないことで生まれる地域の混乱を避けたい、という思いがあった。男児の保護者は「子どもを守ってください」と念押しした上で、公表に同意したという。
県知事は同日夜の記者会見で、「10歳未満の男児」と匿名で発表。「補足」として自治体名と学校名に言及した。そこから、情報を求めるうねりが起きた。
「何年生か言ってもらわんと、怖くてたまらん」。学校には多くの保護者から求めがあった。
管轄の保健所や村役場にも電話が相次いだ。不安を訴える人もいれば、「感染者はどこの誰か」と、名前や住所の公表を強く要求する声もあった。「個人情報は明かせない」と応じる職員に「やめてしまえ!」と怒鳴る人もいた。
「互いに顔を知らない人がいないような小さな村ですから」と役場の職員は言う。村を歩くと、農家の男性は「うわさで聞いた」として、「あそこの息子らしいよ」と集落の一角を指さした。知人からも「あの地区から出たみたいだけど、誰ね?」と電話があったという。
男児の家族も無縁ではいられなかった。「家族にも電話があって、今も傷ついている」と行政関係者は明かした。
特産の野菜の出荷額は、全国でも屈指の村だ。「地元の農産品を食べても大丈夫か」という声も保健所に寄せられた。農家は緊急に会議を開き、出荷の際にマスクと手袋を身につけることを申し合わせた。
男児の感染が発表されてから1週間。村長は県に要請して「風評被害対策会議」を開き、「不安が不安を呼び、感染者や関係者が風評被害に遭われていることは大変残念」とのメッセージを出した。村長は「騒動の中で人から出てくる言葉が、これほど普段と違うとは」と振り返る。
------------------(引用ここまで)------------------------
大変心冷える話しではあります。
巡礼者を大切にする、心優しい人々の住むところ、という、これまでのアピールが台無しになりました。
四国のどの辺りかは分かりませんが、恐ろしい。
このような一皮むけば、という「社会」のあり方はあちこちの小説、映画、ドラマなどにさんざん描かれてきました。
私の両親もまた、そのような山深い地方から東京へ出てきた人々でありました。都会に住まう方達のほとんどはこういう方だと思います。
母親はその「故郷」を忌み嫌っていました。まだ元気な時から、「歳を取ったら田舎に帰りたい、なんて言う人がいるけど、全然そんなこと思わない。二度とあそこには住みたくない。」と言っていました。
いろいろあったようです。
小さな社会であり、人々の社会的距離が近く、プライバシーの概念はほとんどない。自分の何代か前の人のこと、家族のことも村の人々は皆承知している。ことによると自分の知らない隠された「何か」まで知っていたりする。
私自身、年に一回くらいその土地に行くか行かないか、だったのですが、それでもその土地の人々の閉鎖性、陰湿さ、などを感じる出来事がありました。おそらく私もよんどころない事情がない限り、二度と彼の地に赴くことはないでしょう。
「みんな顔見知りで、家族みたいなもんだから」
というフレーズは実に微妙です。
今回のコロナ禍はとても興味深い人間社会の問題点を暴いています。
医学的には社会的距離(ソーシャルディスタンス)より身体的距離(フィジカルディスタンス)の問題だと思うのですが、図らずも、社会的距離についても考え直すよう、人間に迫っているような気がします。
本当は皆様のお役に立つようなコロナウイルス関連の話題を、と思っていたのですが、つい目についたこの報道で心が一杯になってしまって。。。
本当にこのウイルスは教育的であることよ。
一体誰が、どういう目的でこの世に放ったのでしょうか。