さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

佐倉城址公園~国立歴史民俗博物館

2017-07-23 23:28:29 | 日本100名城巡り
今日は午前中、太極拳で汗を流し、昼過ぎに佐倉城に向かう。

といっても佐倉城は今はなく、遺構が佐倉城址公園として整備されているので、まずそこに行き、空いた時間で、隣の国立歴史民俗博物館の展示もじっくり見てこようと思った。

国立歴史民俗博物館には20代の頃、昔行ったことかあり、装飾古墳の特別展を見た後、ミュージアムショップで弥生時代の笛の復元品を買った。


http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/aeb4f6d4b39ae2e35754bb88001e2d6b

なので、二十数年ぶりに行けるぞ、と楽しみにしていたのだが、天気がやや悪く、小雨がぱらつく。まぁ、灼熱地獄とどっちがよいかというと微妙なところではあるのだが。


何も考えずにJR佐倉駅からテクテク歩くが、猛烈に遠かった。途中、こんな光景も。子供の頃、こういうつる性植物で埋まった場所を見たことがあるが、何十年かぶりに見たなぁ。


何とか城址公園近くまでくると、神社にこんな垂れ幕が。麻賀多のむすびちゃんというキャラクターもあるようだ。


大手門跡を示す石碑が寂しく立っている。


公園管理センターで100名城のスタンプを押す。


センター内には、佐倉城の復元模型もあった。

そうそう、佐倉城っていうのは、今はこんなだけど、歴代城主の内、何と9人が老中になっているという(全国最多)老中の城なんだそうな。

江戸初期には土井利勝が城主となり、もっとも有名なのは幕末期の城主堀田正睦(ほった まさよし)で、開国派の老中だった。


城址公園でも、ハリスの像と並んで堀田正睦の像が立っている。


漫画「風雲児たち」の絵や、Wikipediaに載ってる写真に比べると、ずいぶんシャープなお顔立ちだ。

さてこの佐倉城は、石を一切使わず、土塁と深い空堀、水堀で守られた土造りの近世城郭だとか。石垣フェチな私としてはちょっと寂しいが、こういうお城もあるんだということを学んだ。


これが入口近くにあった空堀。


これが博物館前にあるもっと深い空堀で、馬出し空濠と呼ばれる。


ここらへんが旧本丸で、むこうの生垣で囲ったあたりに天守があった。


こちらの天守跡の石碑を撮った帰り道、小型のスズメバチのようなものが何匹か地面近くを飛んでいて、刺激しないようにささっと逃げて来た。

やっと蜂から逃げたと思ったら、今度は目の前を蛇が横切り・・・油断も隙もない。


正岡子規の碑もある。「常磐木や冬されまさる城の跡」・・つまり子規の時代にはすでに城址になっていたということだ。明治維新後の廃城令により建物のほとんどが撤去されてしまったのだ。


国立歴史民俗博物館は馬出し空濠をまたいですぐ向こうだ。そうそう、20年前にこの博物館に来た時、この芝生に覆われたくぼみは何だろうと思ってたのよ。お城の空堀だったのね。


歩き疲れて、とりあえず博物館のレストランで食事。桜モンブランだって。まぁ・・・佐倉だからなぁ。


さて、時間もあるので、これからじっくり展示をみるぞ~! 今やってるのは漆の企画展だ。


これが漆の木。

展示はとても素晴らしかった。特に、目からウロコだったものをメモってきた。

・漆紙文書・・紙に書いたものは土に埋まるとなくなってしまうが、漆のツボの蓋をするために使われた紙に書いてあった漆にコーティングされて残る。今でいえば新聞紙で蓋をするようなものであり、古文書として価値のあるものも発見されている。

・漆の木一本から一年間に取れる漆は牛乳瓶1本分

・日本は漆を98%輸入に頼っており、2%の国産の内、さらに7割が岩手県二戸で作られている。

・チョウザメのひし形の鱗を貼った蒔絵を施した刀の鞘・・・美しかった。

・漆の実を焙煎して飲む、ウルシコーヒーというのがあるそうな。飲んでみたいな~。(内臓カブレるかな)
 韓国ではウルシの実を漢方薬として利用している。日本ではロウとしての使用。

・未来の漆の使われ方として、インクジェットプリンタを使用する、インクジェット蒔絵技法なるものがある。


帰りに思い出のミュージアムショップへ寄る。

あかん! ここのショップはあかん! 購買欲のくすぐり方が半端ない。・・・負けた・・・積読解消で、2冊読んだのに、また4冊買っちゃった。あとは古地図のバンダナとか、正面の小箱とか・・。小箱・・・いかにも怪しいね・・・これは後日また・・。

帰りは、バスに乗って、京成佐倉から帰ってきた。京成を使った方が近かったな~。

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おからとバナナの安直スイーツ

2017-07-23 07:53:27 | 下手くそ料理帖~おから
生おからって賞味期限が短く、すぐにダメになっちゃうのよね。かくいう私、賞味期限過ぎて一週間たつおからをどうしようか悩んでて、確かに猛烈に安いものとは言え、そのまま捨てるのはもったいない。

そんな時に、安直におからを使えるレシピを発見。

▼◉おからとバナナの素朴なおやつ◉
https://cookpad.com/recipe/3656229

要は、おからとバナナを1分レンチンして、混ぜて、団子にして、きなこまぶすだけなの。

おからはバナナと同量なので、だいたい100g使う。


皮を剥いたバナナとおからを600Wで1分、電子レンジにかける。


しっかりつぶして混ぜ合わせる。


バットにきな粉大さじ2(私は18グラムの小袋で売ってたきな粉を買ったので、18グラムパックを1袋使いました)+砂糖大さじ1(わたしはラカントSを使いました)と塩少々を混ぜ合わせる。

バナナ&おからを8等分してそれぞれを丸くまるめ、きな粉の上をコロコロ転がして形を整えて、お皿に積み上げる。きな粉はすぐ湿ってくるので多めに使う。


ということで、石舞台古墳の出来上がり。

これをわらび餅だと思って口に運ぶ。

味は悪くはない。たぶん作ってすぐ食べちゃうのが正解だと思う。

バナナをおからで増量している感じだけど、バナナの味っていかに強力かということがわかる。

でもバナナをそのまま食べるのではなく、おからと混ぜることによるメリットがある。

それは猛烈に腹持ちが良くなることだ。たぶん、お腹が空いている時はバナナ1本では満足できないだろう。私など半年前はバナナを一房買ってくると一日で全部食べてしまう奴だったのだ。ところがおから同量と混ぜると、これでめちゃくちゃおなか一杯になるのだ。タンパク質も食物繊維も補給できるしね。

夜、お腹空かせて家に帰って来て、とりあえず5分で出来るこれを作って食べると、もう晩御飯はいりません・・という感じになって、そのまま眠くなって寝ちゃうのだ。

朝、体重を測ると確実に減っている。

ということで、安直だけど、ダイエットスイーツとしては優秀だ。賞味期限1週間切れてるけど、2日連続これ食べて、大丈夫だったわ。

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【読書録】日本史の謎は「地形」で解ける 文明・文化編

2017-07-22 22:03:14 | 読書録
竹村 公太郎 著/PHP文庫

前編に引き続き、大変説得力のある内容で、楽しく読んだ。

特に感銘を受けたのは、水道の話。

日本の寿命は明治末期から大正10年にかけていったん低下し、42.7歳まで下がるのだが、その後V字回復して今に至っているのだそうであるが、その大正10年に何が起こったか、そして誰のお陰かを、著者が解明していく過程が面白い。

竹村さんの本が面白いのは、誰かの本の受け売りではなく、ご自分の得意な地形・気象からのアプローチに加え、さまざまな統計資料から目を付けたところにぐいぐいと迫っていくところにある。

平均寿命は乳児の死亡率と密接な関係があるため、乳児死亡率で見ても大正10年までは死亡率が高まり、以降低下していくのだ。その大正10年というのは東京市で水道の塩素殺菌が始まった時だというのをまず、探し出す。

しかしそれまで何故塩素殺菌されてなかったのかというと、したくてもできなかったのであり、液体塩素がないと出来ないこと、その液体塩素は大正7年に開発されたことは、著者が重化学メーカーのエンジニアに頼んで調べてもらったことである。このように人脈を駆使していろんな人にいろんな調査を依頼している様子が分かるのもこの本の特徴である。

さて大正7年には何があったのかというと、シベリア出兵があった。シベリア出兵のための兵器に使うために液体塩素は開発されたのだ。ところがシベリア出兵があっという間に終了してしまったため、液体塩素は水道水の殺菌という民生利用に転用された。だが、軍事目的で開発された技術は本来は国家極秘事項であるはずなのに、そんなにすぐに民生利用が出来たのはなぜか。

それをまた突っ込んでいくと後藤新平の名が出て来る。きゃぁぁ~私が時々行ってる大学の先生ではないか!



後藤新平先生はまず医学博士であった。しかも細菌学の博士である。大正7年に外務大臣に就任しており、外務大臣としてシベリアにも行っていた。で、大正9年には東京市長になっていた。う~ん、後藤先生のお力なかりせば~~。何というご英断であろう。

その他、わが故郷の横浜の水の話とか、何故日本はモノをコンパクトにまとめるのが得意なのか(含む将棋の話)、ピラミッドの治水上の意義(からみとしての利用)の話、それぞれに本当に面白かった。将棋の話なんかは、私なりに突っ込んでみたい部分もあるのだが、後藤先生の話の感動ほどにはまとまらないので、とりあえずここらで筆をおく。

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鶴岡八幡宮(相模国一の宮)

2017-07-21 23:55:33 | 諸国一の宮巡り
寒川神社をあとにし、また相模線で茅ヶ崎まで行き、東海道線で大船まで行き、横須賀線に乗り換えて鶴岡八幡宮へ。

ここで不思議なのは、相模国には一の宮が二つあるの?ということだ。

歴史的には断然寒川神社の方が古い。この鶴岡八幡宮は源頼義が前九年の役での戦勝を祈願して、京都の石清水八幡宮護国寺(or河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鶴岡若宮として勧請したのが始まりという。源頼義は頼朝の160年くらい前の人であるが、それでも雄略天皇の頃までさかのぼる寒川神社よりは全然新しいのである。ただ源氏ゆかりの神社として、知名度が非常に高く、全国一の宮会にも加盟していて、諸国一宮巡りの本にも名前を連ねている。

個人的には大好きな神社で、人生の節目節目に必ずお参りしているところである。お参りするのは、子供の頃に2回くらい。大学生の時に1回。社会人になってから3回目ぐらいかしら。


段葛という参道があるんだけど、ここにはひと工夫あって、二の鳥居の地点では歩いて6歩ちょっとの幅なのだけれど、


終着点の三の鳥居付近では4歩くらいの幅になってる。つまり2歩分幅が狭くなってるのよね。
これが遠近法の妙で、二の鳥居から見ると非常に奥行きが深く見えるんだと、鎌倉在住の音楽の先輩が教えてくださったけっけ。


灼熱の階段を上って、


抜けるような青い空に美しく映える赤い社殿にお参り。

ご祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の3柱で、「八幡神」と総称される。

奥の宝物殿にも久々に入った。教科書にも載ってる鎧も見たが、つい数時間前に小田原城で見た戦国時代の鎧と比べると、鉄の部分が少なく、美しいけれどとても弱い気がした。どっちかを着て戦えと言われたら、迷いなく戦国時代の鎧を取るだろうなぁ。

鎧にしてもお城にしても、短期間で間を詰めて見学すると、より違いに気づきやすいと実感。


もう午後4時過ぎだけど、まだ暑い。


ご朱印をいただきました。

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寒川神社(相模国一の宮)

2017-07-21 23:43:58 | 諸国一の宮巡り
小田原城を後にして、東海道線で茅ヶ崎まで出て、茅ヶ崎から相模線(何と単線だ)で宮山という駅で降り、そこから10分ぐらい歩く。

寒川神社って、子供の頃、母方の祖母や叔父達に車で連れて行ってもらったのよね。我が家に車はないので、父以外はドライブが苦手。叔父の車に乗せてもらったはいいものの、母も弟も私も具合が悪くなり、大変だった思いしかない。でも行った先の神社は大きくて立派だった・・・境内の様子もかすかに覚えている。

そんなわけで45年以上ぶりに、こんどは電車を使って行ったのであるが、え~こういうところだったっけと、自分の記憶のあいまいさに恥ずかしくなる。


これが、寒川大橋。・・・・・・・・・・う~ん、大橋なのねぇ・・・・・・・・・。


渡ってみれば風情はある。

ずっとこんな感じなのだが、突然開ける。


わぁ~とっても立派!


池には噴水が・・・。これで驚いてはいけない。


きゃぁぁ~すごい素敵。さすが相模国一の宮だ。


神門をくぐれば、灼熱地獄も忘れるほどの、スカッとしたスケール感。


一応、iPodのパノラマ機能でも撮ってみたが、現地の感動を伝えるには程遠い。

それでも、神奈川県出身の私としては、鎌倉以外に、しかも県の中央部にこのように素晴らしい神社があることを誇りに思う。

実はこの神社の歴史は大変に古く、雄略天皇の代にさかのぼるのだ。社殿造営の記録は聖武天皇の時代(727年)にもある。朝廷をはじめ、源頼朝や武田信玄などの武将、そして民間と、幅広く信仰を受けてきた。関八州の裏鬼門に位置し、古くより八方除の守護神として信仰されている。

現在の社殿は平成9年に建てられたものだという。そうか~そうすると幼い頃見た社殿は、建て替えられてしまったのか・・それで何となく記憶がつながらないのね。以前は歩道はなく一面が玉砂利だった記憶もあるが、色々施設が新しくなっているのであれば納得も行く。


社殿は本当にきれい。灼熱の中、心洗われる思い。

ご祭神は、寒川比古命 (さむかわひこのみこと)と寒川比女命 (さむかわひめのみこと)。二柱合わせて、寒川大明神と奉称している。記紀神話には出てこない神様だが、相模国を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導せられた関東地方文化の生みの親神様として信仰を集めてきたとのこと。私にとっても地元の神様なのだ。


寒川神社は特に、方位除け(八方除)の神様として有名。私が初めて引越しをして一人暮らしを始めたとき、職場にいた年配の方から「寒川神社に行ってくるとよい」などと言われて、その時は「そんな遠くまで行ってられないよ」と思って行かなかったわけであるが、さらに新居に引っ越して、すぐここに来れてよかったわ。

これは八方除の方位盤と渾天儀、四神を組みあわせた記念碑。若い人が喜びそうな素敵なデザイン。


御朱印も素敵なのよ。今まで数多くの神社仏閣を回って来て、赤以外のスタンプ(紫と金)を押してくださるところってここだけ。

ご朱印の料金も決まっていないので、お気持ちをお納めくださいと言われ、世間相場は大体300円だが、500円納めてきた。


御守りもオリジナリティあふれた素敵なもの。

最近は御守り類はなるべく買わないようにしているが、これはついつい買ってしまう。

と、いうことで、灼熱の中、寒い名前の神社に行って来て、やはり猛烈に熱かったけれど、心の中には涼風が吹いて気持ちよかった。

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小田原城

2017-07-21 23:26:34 | 日本100名城巡り
今日から連続休暇。ベランダ菜園が心配で遠出できないし、ほとんど毎晩のように何らかの予定が入っていて、全然遠出できないが、その中で、どれだけ日本100名城巡りと全国一の宮巡りをこなせるだろうか?

まずは小田原城。

小田原城は去年の2月に恩師の還暦祝いで行ったが、その時は天守閣は工事中で入れなかった。だが最近「おんな城主直虎」の末尾の歴史解説コーナーにも登場して、工事の覆いがすっかり取り払われているのを確認したので、行ってみることにした。

とにかく今日は暑い。新幹線の小田原駅で隣の学生の切符が改札に詰まり、「暑くて、たまに詰まるんです」とか言われてたけど、改札で切符が詰まるほどの尋常ではない暑さである。私は長袖シャツと帽子と、日焼け止めで一応防御はしたのだが・・・(あとで手の平と首筋が腫れた)。


馬出門(うまだしもん。平成21年復元)を通り、


常盤木門(ときわぎもん。昭和46年再建)をくぐって本丸へ。


実はもう一つ銅門(あかがねもん。平成9年復元)というのがあり、銅板で美しく装飾されている。同じ門でもそれぞれに趣が違う。


大修理を終えて美しくよみがえった天守が、青空に映える。


「ありがとう!! 新・小田原城百万人達成」ののぼりが沢山立つ中を通って天守閣内部を見学。


まずは1階で100名城のスタンプを押す。


内部は一部区間を除き撮影可能だ。


小田原城天守閣は7番目の高さなんだね。


中の展示は素晴らしかった。ほんの一部しか紹介できないけど、連続休暇初日にしてとっても満足度高し。例えばこの「障子堀」という掘の作り方なんて、参考になるね。


わぁ、なんて細い足なのかしら。


このウェストのくびれもすごい。まるでコルセットみたい。13キロ減量した私でもとても入る自信なし。

そうそ、昔の人は小柄なのよね。姫路城や犬山城では最上階に登る階段で頭をぶつけたが、ここではぶつけなかった。何故。

それは、再建された城だから。階段は普通に現代の階段である。頭をぶつける城というのはオリジナルが残っているということだ。


最上階からの眺めもすばらしい。歩けば10分くらいかかるはずの小田原駅がすぐ近くに見えて、青いロマンスカーが吸い込まれていく。


相模湾も一望できる。右から飛び出しているのは真鶴岬ね。


中央にあるのが箱根の二子山で・・まじで双子みたい。地理的に近いはずの富士山は見えないのね。角度の関係で、箱根の山々が遮っているのだろう。


受付に熊本城復旧支援の募金箱が。これは素晴らしい。私ももう一度熊本城へ行きたいもんね。さっそく募金。


名残惜しいが、小田原城をあとにする。小田原といえば小田原提灯。駅前の商店街に小田原提灯型の風船が乱舞している。なかなかきれいで、ちょっとメルヘンないい気分になった。

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ハアザミ(アカンサス)

2017-07-21 22:15:56 | お散歩・植物観察
先日、皇居の本丸近くで撮影した花。

キツネノマゴ科なので、いわゆるアザミ(キク科)とは縁もゆかりもないのだが、葉っぱがとげとげしくてアザミの葉に似てるから、そういわれるんだそうだ。


確かに、アザミの葉に似てなくもない。キク科のアザミはもっと尖ってて痛いけど、この葉は痛そうではない。


全体像はこんな感じ。全体を写すとの花の魅力が半減してしまうんだが、


花の部分を拡大してみると、その不思議な形状にとても魅かれる。

キツネノマゴ科の花って、その形状が面白くて、当ブログでも

▼小海老草 (こえびそう)


▼パキスタキス


▼珊瑚花


など、色々紹介してきている。このハアザミも形だけは知っていて前から憧れていたんだけど、今回出会えてよかった。

別名をアカンサス(ギリシャ語)といい、ギリシャの国花だそうだ。

古代ギリシャ建築に使われた、コリント様式の柱の頭のデザインは、このアカンサスの姿からヒントを得て作られたものなんだって。

へぇぇ~それはびっくり。

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閲覧数:累計600万PV達成!

2017-07-21 08:19:55 | 閲覧数・訪問者数突破記念
おかげさまで、当ブログの累計閲覧数が、600万PV(ページビュー)を突破しました。

日頃、当ブログをご覧いただき、どうもありがとうございます!

昨年の11月に550万PVを超えて、そこから50万PV積み上げるのに8か月。

前回のペースと同じくらいです。

当ブログも開設して11年経ちました。後日まとめアップもありますが、一応まだ毎日更新を続けています。

引き続き1000万PV目指して頑張ります。

これからもどうかご贔屓に。

《ご参考》
過去大台を突破した時の記事へのリンクを記念に載せておきます。

▼累計550万PV(2016-11-15)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/f009bdd00c7290d5a7e827a4a6b4541e

▼累計500万PV(2016-03-07)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/1f24a80d5cc56dc6c67932c07c2bbdc2

▼累計450万PV(2015-08-17)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/91466b85652ac27c88a94a7fd8f83de4

▼累計400万PV(2015-01-01)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/278207590a7b2204a5a87ab2a4a3ea2b

▼累計350万PV(2014-06-02)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/1df815c6b316d6f813da12901e77f2f4

▼累計300万PV(2013-09-26)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/fd26caeaeaa4c6a4459b3055f56f8809

▼累計250万PV(2012-10-22)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/fd8b18808fd656330eef6582eecb28ca

▼累計200万PV(2012-03-19)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/a4d245096987a581b2869f7acd651fde

▼累計150万PV(2011-10-09)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/3fbaf2229ce8b4109c898b1aba8d7a8c

▼累計100万PV(2011-02-28)
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/c48a5464d7c24877f57d670ee32ebfd0
コメント (1)
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自家製焼肉のタレで・・・

2017-07-20 23:29:16 | 下手くそ料理帖
ぐっしょり汗をかいて消耗する夏の日の夕暮れって、無性に豚肉食べたくなったりしませんか?

それもしゃぶしゃぶ用肉とかバラ肉の薄切りではなく、生姜焼用肉くらいの歯ごたえのあるやつ。

先日は耐え切れずに、錦糸町の中華料理店の台湾鉄道弁当の店に飛びこんで、骨付きの豚肉をほおばりましたが、今日は自作。

先日も紹介したananネタです。


このananの特集は素晴らしいです。是非、書店にてお手に取ってご覧になってくださいませ。


で、そこに載ってた焼肉のタレの作り置きですが、

酒・みりん 各大さじ2
しょうゆ  1/2カップ
きび砂糖  大さじ3(私は普通の砂糖使用)
おろしにんにく 1かけ分(私はにんにくチューブ使用)
一味唐辛子  少々

を小鍋に入れて火にかけ、ひと煮立ちしたら火を止めて、いりごまとごま油を大さじ1ずつ加えてかき混ぜるという、簡単な手順で出来ます。


冷蔵庫で1カ月くらい保存できるとか。


豚肉の生姜焼き用の肉にこの焼肉のタレを振りかけてもみ込み、10分ほど置いておきます。その間に白髪ねぎを作っておきます。


タレの染みた豚肉は、ごま油で焼きます。私は沢山焼いて、半分は作りおきに回します。


焼けたらご飯の上にお肉を乗せて、白髪ねぎや、適当な付け合わせを乗せて一緒に食べます。

ちなみに私はご飯少なめね。ananに載ってたのは、がつんとスタミナ丼みたいにしてキムチと合わせてましたが。

お味は上々。まさに夏の夕方にがっつり食べたい味に仕上がりました。

ちょっとにんにく風味の甘辛さが、豚肉にとっても合うんじゃないかしら。

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日本100名城めぐり開始

2017-07-19 23:59:42 | 日本100名城巡り
去年姫路城・犬山城を回った後に、日本100名城めぐりというスタンプ帳の存在を知り・・・もう12城くらい回ってるのにと思いつつ、昔行ったところにまた行く切っ掛けが出来たではないかと前向きに考えることにし、早速スタンプ帳を注文したのが今年の1月。



今日は毎年必ず受けてるMRI検査のために午後休を取ったのであるが、病院に行くまで少し時間があったので、皇居・・つまり昔の江戸城に寄ってみることにした。


まずは和田倉門休憩所に行き、自分にとって記念すべき第1号のスタンプをGET。


私の次にスタンプを押した青年は、小田原城から梯子してきたようである。わかるなぁ~。


さてそのまま皇居の敷地内に入り、巽櫓を横目に見て左側へ歩く。


桔梗門は入れないので、蛤濠に沿って歩くと、坂下門が見えてきた。坂下門外の変・・ってのあったなぁ。

だが坂下門も入れない。そうか~もどって大手門に行かないと中に入れないんだな。


大手門にたどり着くと、警備員さんが立っておられて、荷物の中身をチェックされる。ま、当然だよね。


ここは完璧お城の雰囲気だ。

単なる観光地でも遺跡でもない、今まさに生きてるお城ということで、ちょっと厳粛な気分で門をくぐる。


ああ~心を揺さぶる巨石群! あらためて石垣フェチであることを自覚する。


大番所という建物だそうだ。こっちはこっちで別の意味で心を揺さぶられる。


これは自然に出来た模様なのか、それともお手伝い普請として工事を手伝った大名家の刻印が押されたものがさらに崩れているのかがわからないが、ちょっと模様に味があるのでカメラに収めておいた。


本丸休憩所の横のオブジェはちょっとよくわかないのだが、気になるのでこっちも載せておく。


本丸の大芝生。さすが手入れが行き届いていて美しい。


を? あれは南米ティオティワカンのピラミッド?・・・


な・・わけはなく、天守台である。江戸城の天守閣は明暦の大火で焼失した後は、この天守台石垣が築き直されただけで、天守閣自体は再建されなかったのだ。


登るっきゃないね~時間ないけど。


でも、のぼったところで何があるわけもなし。


天守台から大奥跡と本丸大芝生を望む。


天守台は反対側から見ると黒ずんだ石垣になっている。こっちの色の方が江戸城の色としてなじみがあるんだけど、さっきみたいに茶色いと南米のピラミッドを連想しちゃう。


このメルヘンなデザインの建物は桃華楽堂といって、香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご還暦をお祝いして建設されたものとのこと。古びた建造物の間で、こういう可愛らしいデザインの建物がなじんていることが素晴らしい。


名残惜しいけど、時間がないので、北桔橋門から竹橋方面に抜ける。今日見れなかったところも多いので、また来たいなぁ。


お堀の水に映える、この石垣の形状の美しさよ。

短時間だったけど、やっぱり来てよかったな。




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とうもろこしのバター&ナンプラー焼き

2017-07-19 23:58:19 | 下手くそ料理帖
これはananに載っていたレシピを見ながら作った。

女性雑誌を読まない私がananを買うなんて、長い人生の中で2度目よ! それだけすごいと思ったの。どのレシピもおいしそうで。

で、これはトウモロコシ2本をぶつ切りにして、バター20g+ナプラー大さじ1+パクチーの茎1束分を刻んだものと混ぜて、オーブントースターで20分焼くだけなんだけど、すごく美味しい。

バター醤油も美味しいけど、バターナンプラーも捨てがたく美味しいというのが、なかなか目からウロコで、本当は別のことを書こうと思ってたのに急遽これを書かずにいられなくなったわけ。


トウモロコシをこの状態で買うのって、実は初めてよ。


皮と髭とって洗って、4~5センチのぶつ切りに。トウモロコシって結構硬いのね。


バター20グラムを電子レンジで溶かして、ナンプラー大さじ1の中に投入。ひゃぁ~ナンプラーの臭みが猛烈に立ち上る感じで・・・。これに刻んだパクチーの茎を投入。元レシピには1束って書いてあるけど私は3束使っちゃった。


これとぶつ切りトウモロコシを混ぜるんだけど、単純に混ぜるといきわたらないと思ったので、バター&ナンプラーにトウモロコシを1個ずつ浸して、全体になすり付けて、(クッキングシートを敷いた)オーブン用の容器に並べていき、最後に余ったら全体に上からかけるようにした。

この白い容器は野田琺瑯。ずっと買いたいと思ってて、この前思い切って買ったやつの初お披露目。


さて、琺瑯の容器に並べたトウモロコシを、オーブントースターに入れて20分待つ。

焼いてる間、すごい臭いの。う~ん、ナンプラーとバターの組み合わせは、ニンニクより臭し・・・。


立派に焼きあがった。


パクチーの葉は焼かずに残ってるんで、これをサラダ代わりに添えて、いただきま~す!

そしたら、臭いだの、エスニックだのという形容詞はすっとんで、ただただシンプルに、普通に美味しい!

絶妙な塩加減に引き出されたトウモロコシの甘味に癒される。

食べてると臭さは全く感じない。パクチーの存在感もそんなには強くない。

バターナンプラー味・・・・途中臭いけど、最終的にはとっても美味しく、病みつきになりそう。

半分つくおきとして取っておこうと思ったのに、全部食べちゃった!

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【読書録】風雲児たち~幕末編(29)

2017-07-18 23:18:41 | 読書録
みなもと太郎/リイド社

28巻目は岩倉具視と大久保利通が出くわしたので、二人の物語が語られるのかと思いきや、岩倉は全然出てこない。

29巻目は実に血なまぐさい巻で、全巻を通じて寺田屋騒動が語られる。

私はちょっと混同していたのだが、寺田屋事件と言われている事件は、以下のように二つある。

文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件。⇒「寺田屋騒動」
慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。⇒「寺田屋遭難」

29巻目は1862年の事を語っているのである。

ちなみに、何とか屋事件というのはこのころ色々あり、紛らわしいのを並べてみると、

・寺田屋事件:文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件。⇒「寺田屋騒動」
・池田屋事件:元治元年(1864年)に発生した池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した事件。⇒「池田屋事変、池田屋騒動」
・寺田屋事件:慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。⇒「寺田屋遭難」
・近江屋事件:慶応3年(1867年)に発生した坂本龍馬と中岡慎太郎、山田藤吉の3人が近江屋井口新助邸において暗殺された事件。

これ以外に天満屋事件なんてのもあるが・・・・寺田屋が2つあって、池田屋と名前も似てるし、2年ごとに起こっているから紛らわしい。

みなもと太郎氏らしく、そこらへんの紛らわしさを突いたギャグも混じっていたが、個人的には、ここらへんの頭の整理が出来たということで、血なまぐさい巻ではあったが、読後感はすっきりしているのであった。特に、一番よくわからなかった騒動について、少しはクリアになったので。

それにしてもこの1862年の寺田屋騒動は、公武合体派が尊攘派過激分子を抑え込んだもので、薩摩藩士の同士討ちのようなものだし、尊攘派がもう少し行動を我慢すれば、薩摩の動きは変わったのにと思うと、貴重な血が沢山流されたことは残念でならない。しかし歴史とはえてしてこういうものなのかもしれないと思うと、なんとも言えない悲哀を感じざるを得ないのである。

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【読書録】日本史の謎は「地形」で解ける

2017-07-17 23:53:16 | 読書録
竹村公太郎 著/PHP文庫

去年も今年も自分としては非常に頑張っているつもりなのであるが、数年前と比べて明らかに減ったのが読書量である。確かに語学の勉強とか、レクチャーコンサートの資料準備とかは、読書時間を削らないと出来ないもの。でもそういう時であっても、何とか時間を見つけて読書をしておかないと、いずれ老眼になってしまったら、本を読めなくなってしまう。スマホでおもしろ動画とかをダラダラ見ている時間が合ったらもっと読書に時間を割かなくては・・と思い、消化しようと思った積読本を本棚から出して椅子の上に積んで置いたら、一ヵ月に1度遊びに来ている父母が先に手を付けてしまい・・・特に母がとっても面白いと言っていたのがこの本である。

東京に勤めているのに、通る道はほぼ一緒。しかも中心部は散策したことなく、地下鉄ばっかり使っているから、実はあまり土地勘がない。どこそこは何藩の大名屋敷があったところで・・などという知識は私の脳みそには入っていない。半蔵門と聞くと、実際の門ではなく紫色の〇を真っ先に思い浮かべる私はこの本を読んでいたく反省。たまには東京を散策して色々考えたいと思った次第。

この本は、長年ダム等の建設行政に関わってきた著者が、得意分野の地形と気象の知識から来る発想から、歴史上の事件を見直し、新たな考え方を披露している著作であり、読んでみると大変に目からウロコである。文献だけじゃなくて地学的な理系アプローチが加味されていると、いかに説得力を増すものか。むろん反論もあるだろうが、一つの考え方の軸として、自分もそういう観点を磨きたいな・・と読みながら痛切に感じた。

すべての話が心に残ったが、個人的に特に感銘を受けたのは、信長の比叡山延暦寺焼き討ちの背景、家康による江戸の治水、忠臣蔵の背景、小名木川の目的、あたりだなぁ。

信長が足利義昭を奉じて今日に入ったが、大津から京に入る玄関口である狭い逢坂峠は比叡山からみると丸見え・・桶狭間状態であること・・・この発想を、著者は大津駅のホーム後方の端から逢坂山と比叡山を見比べることで気づいたのである。う~ん、大津には2度ほど行ったけど、私にとってはどれが比叡山でどれが逢坂山やら・・・。

つまり逢坂峠が桶狭間になる危険性を察知した信長は、義昭を楯にして逢坂峠を越えて上洛し、その後比叡山を焼き討ちにしたら、義昭を追放してしまった。比叡山焼き討ちよりも、わたし的には子供のころから、何でわざわざ義昭を奉じた後に追放したの?と思っていたけれど、こう考えると辻褄があるなぁ。

その他、忠臣蔵で赤穂浪士は実は徳川家に守られており、その背景には矢作川を巡る徳川家と吉良家の長年の確執がある・・なんていう話も面白かった。家康がどのようにして湿地帯から江戸を誕生させたか・・・利根川を東京湾ではなく銚子の方へ持って行った話は子供のころから知ってるが、いきなりではなく、いろんな手を打ちながらやっていったのである。ここらへんの詳細はもっと勉強してみたいと思う。

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オーブンでも焼いてみる

2017-07-16 23:38:49 | 下手くそ料理帖
先日は初めて作った手こねパンをフライパンで焼いてみたけど、オーブンだと200度で12~15分で焼けるようなので、オーブンでもやってみたくて、再度チャレンジ。

同じのを焼くのも芸がないので、テキトーにレーズンをぶっこんでみた。

まぁ~もし本格的にレーズンパンを焼くなら、生地にもう少しなんか入れた方がいいのかもしれないけど、生地は基本同じにして、塩を小さじ1→小さじ1/2に減らしてみた。(先日ちょっと塩味が強いと思ったので。

レーズンはいつ加えるかだが、1次発酵の後で入れてみた。(色々なレシピをみると、1次発酵の前で入れてる方が多いんで、そうした方がよかったかな?)

材料 6個分
強力粉  200g
水    100cc
砂糖   小さじ2
塩    小さじ1/2
ドライイースト 3g
オリーブ油 大さじ1
レーズン 30g


今回はボウルを全く使わずに、材料をまとめるのも、一次発酵もポリ袋のままにした。


一時間放置したら、わ~すごい膨らんでる。塩を半量にしたらこんなに膨らむのね。


ちょっとレーズンを均等に入れるの大変だった。平らにしてロールケーキみたいに巻いてくパターンもあるみたいだけど、そうすればよかったかな。


フライパンは焼くのには使わないだけど、二次発酵用のケースとしてはちょうどよいので、クッキングペーパーを敷いて、蓋をして50分。


わ~お!二次発酵もすごい膨らんでる。おどろくほど生地がふわふわなの。


クッキングペーパーごと持ってオーブンの皿にセット。予熱しておいたオーブンに入れる。200度で15分。


わ~すごい本格的なぶどうパンが出来た~! ものすごく熱いので粗熱を取ってからいただく。

安直にレーズン入れただけなのに、結構おいしく出来た。オーブンで焼く方が簡単ね。

今後は生地に水の代わりに牛乳使ったり、バターとか卵とか使ったり・・・もう少し生地を工夫してみたい。


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国際講座・・台湾&香港耳学問

2017-07-15 23:03:03 | 映画・番組等、各種鑑賞録
もっと行きたいのだけど、土日になかなか時間が取れなくて、半年に1回ぐらいしか行けてない大学の公開講座。

今日はトランペットレッスンが休みだったので、初めて午前の部の国際講座に行ってみた。そしたら、ほぼ満席の盛況ぶり。

中国でおととい亡くなった、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんの話は、何となくニュースで目にしていたものの、あまり詳しくは見ていなかったが、ここでは逆にトップニュース。

どんな方だったのかというのをあらためて教えてもらった。劉暁波さんと一緒に民主化運動をしていた四君子中、他の3人はみな外国に逃亡して運動をつづけたけれど、劉さんだけは中国に留まって運動をつづけたということ・・・当然他の方よりはるかに身を危険にさらしながらの運動であったのだ。

大学の先生というのは、テレビのアナウンサーや、セミナーを生業としている人と比べると、必ずしもトークはうまくないかもしれない。ただ研究者としての本音が聞けるところに、こういう公開講座の意味があるのだなぁと思う。

台湾については、初めて旅行した時はかなり勉強していったが、最近の事情に疎く、2014年のひまわり学生運動のことはよく知らなかったなぁ。香港については行ったこともないしほとんど知らないけれど、こっちはこっちで雨傘運動というのがあるそうな。今から30年後の2047年には一国二制度が解消され香港は中国と一緒になるが、その頃には死んでいるかもしれない中高年と、50前後でその時を迎える今の20代の若者とは相当に政治に関する考え方が違うらしい。しかしながら相当不公平な選挙制度のせいでなかなか民主化が進んでいかない現状があるようだ。

・・・等々いろんなヒントをいただいたので、今後はそこら辺のニュースも気を付けて見るようにしよう。


講義が終わってから、校舎脇の机で、コーヒーを飲みながら昨日作ったパンを食べる。キャンパスの風景を見ながら楽しむ手作りパンの味・・・最高!

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