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ハイドン 交響曲第15番「複合的」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年04月07日 23時28分44秒 | ハイドン
 とてもおもしろい構成をもった1曲です。まず第1楽章がとてもユニークで、冒頭に全体で6分半程度のこの楽章に、約2分強というかなり長大なアダージョによる序奏がついているのもかなり珍しいといえますが、問題なのはこれが楽章の最後にちゃっかりと再現している点です。しかも再現のところでも1分半かけて演奏していますから、楽章全体の演奏時間からいえば約半分をこのアダージョにさいている訳で、聴いた印象としては、長い序奏がついた楽章というより、ほぼ一般的な第1楽章と第2楽章の合体といった感じすらします。この楽章を如何なる意図でハイドンが作ったのかはわかりませんが、けっこう実験的ですよね。

 ユニークといえば、第1楽章がいかにも緩徐楽章なアダージョだったのを考慮したのか、第2楽章はメヌエットが配置されているのも、この時期としてはけっこう異例なことだったんだじゃないですかね。第3楽章はアンダンテ、概ね緩・急・緩という構成を持つ楽章が2つ続いたところでようやく、普通の緩徐楽章が登場という感じなのですが、これもなんとなくメヌエットとトリオを併せたような緩徐楽章にしてはちとリズミカルみたいな楽章ですから、ハイドンさん裏切り続けてくれます(笑)。しかも、最終楽章はプレストですが三拍子で、しかも短調の中間部があったりするこれまたメヌエットまがいの雰囲気構成をもった楽章になっているあたり、もうユニークとしかいいようがありません。

 という訳で、この曲交響曲、個々の楽章が様式化され、抽象度を高めていく方法でははなく、それぞれの楽章に割と自由に様々な要素を盛り込んでいるのが特徴でしょう。その意味でひとつの完結した世界を構築する交響曲というより、楽章間のなだらかな起伏、関連性、あたりの感触はどちらかといえばセレナーデとかディベルティメントみたいもの近いような気がしました。
 お約束の標題ですから、これらの理由により「複合的」としました。ちょっと硬いかな。
コメント (1)
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